内閣府官房長官のもとには、米軍所属の原子力潜水艦『ノーチラス号』に刀剣類管理局の要人折神紫が乗船している旨の密告通達がきた。時を同じくして、刀剣類管理局〝維新派〟を名乗る派閥が跋扈し、政界に大きな波風を立てている……。
政府の一部では既に、折神紫の所在は共有されていた。――だが、こうして密告がきたということは、所在を特定した別組織による脅しとしか思えない。
霞ヶ関には二つの種類の人間がいる。
一つは人の皮を被った悪魔であり、もうひとつが悪魔そのものである。
魍魎の巣食う政界ではまず、保身を第一とした人々が多く存在している。
それだけに〝折神紫〟という人物は、政府にとっての一つの爆弾を抱えるようなものだった。厄介な存在となった。
「轆轤秀光……局長はいまどこに居る?」
官房長官は細いメガネを指で軽く触れながら斜向かいのデスクに腰掛けた秘書官に訊ねた。
「はい、現在は出張とのことで連絡は一時的にできないそうです」
「ハァ……こんな時に影の宰相様はいい気なもんだ」
執務室を一瞥しながら盗聴器に聞こえるように大きく呟いた。この世界では基本的に盗聴はされている。――それを踏まえた上で行動をするのが政治家である。
と、するならば、官房長官は秀光へ公然と批判したに過ぎない。彼が秀光を批判したところで報復をするような人物ではない事を知っているからだ。無論、限度というものがあるが……。
「このまま、恐らく2週間以内にはメディア報道によって世論が形成されるのかな?」
ボヤきつつ、密告の内容を再度読む。
「――ええ。いまはネットでの世論も加味されますからね」
「我々の側としても、言える情報は少ない。これ以上他国を含む問題で各方面から突かれるのは苦しいからね」
「そうですね」
「ということは、タキリヒメとの交渉も詰めてもらわないと困るねぇ」
紫の妹である折神朱音が現在のところ、タキリヒメとの対話を続けている。いずれ、三女神の問題も世間に露見する恐れがあった。
(必要以上に世間を混乱させる意味はなんなのか――。)
伍箇伝も、また混乱の渦中にある。
まず、関東一円を守護する鎌府女学院の学長が相楽学長へと変更になった。代わって京都綾小路武芸学舎には高津雪那が配置替えとして、あてがわれた。
この人事を決めたのも「轆轤秀光」である。
「――奴は何がしたいんだ。まるでこの国を滅ぼそうとしているみたいじゃないか」
ボヤキというにはあまりに激しい言葉を使いながら官房長官が苦虫を噛んだような顔で、書類を睨む。
「世界の終わり、なんてことにならないといいけどねぇ」
苦悩の刻まれた眉間に、深い新たな皺が強く浮かぶ。
まさか、と笑う秘書官もまた憂いを帯びた様子だった。
2
「ゲホッ、げほっ……」
砂埃が口の中に盛大に入って噎せた。獅童真希は全身が強い衝撃によう影響で、暫く動けずにいた。特に脳震盪によって一時的に失神していたようだ。
這いつくばった地面から無理やり躰に言うことを聞かせて、御刀を杖代わりに膝を励まし立ち上がる。
写シ……刀使の術一つ。防御術であるその「写シ」をもってしても衝撃は相殺されなかった。――となると、
「まるで古武術の動き……一体お前は何者なんだ」
真希は精一杯の力で喋り、訊ねる。気を抜けば再び地面に崩れ落ちそうな気がしていた。
自らを〝番人〟と名乗った目前の二メートル近い大男は、青龍刀を地面に突き刺し腕組みしたまま動じない。静観を決め込んでいるようだった。
仄暗い闇から浮かび上がる赤褐色の皮膚に、禿頭。鋼のような逞しい筋肉に衣服は腰蓑のみ……。眼窩は白目を剥いており、肉体以外に無駄な装飾の類は見受けられない。
太い首がもう一人の刀使……此花寿々花へ向けられた。
「そちらの娘も生きているのだろう?」
真希の後方、目測12メートルほどの距離に伏せていた寿々花は、微かに頭を持ち上げ片目で大男を睨む。
「……ええ、お気遣いありがとうございますわ。貴方の上品な回し蹴りのおかげで、危うく三途の川を渡るところでしたので」
皮肉を言いながら、意識を保っていた。
その勝気な少女の物言いに、大男は苦笑した。
「ははは……成程。だが貴殿は優秀だ。咄嗟の判断でコチラの蹴りの勢いを削ぐために姿勢を変えて威力を受け流した。受身の応用だろうが……自負心に違わぬ実力の持ち主だ」
素直に寿々花を賞賛した。
と、真希に目を転じて、
「そちらの、少年のような娘は仲間の攻撃に動揺したな。それさえなければ、コチラにひと太刀くらいは浴びせることもできただろうに」教師のようにいった。
「いったい何者なんだッ――!! ボクたちはお前の敵なんだ! お前如きに武術の教えを乞いに来たワケじゃないんだ! ボクたちの仲間を取り返すためにきた!」
真希が気力を振り絞って吼える。名前の通り、獅子の如くであった。
「刀使……か。小生も……」
と、番人の言葉の途中で奥の空間から歪な音が木霊してドーム内に反響した。重複した音素はさながら地霊の唸り声にも聞こえた。
『ヴォォオオオオオオ――ギャアアアアアアアアアアア……ヴォオオオ……ギャアア……――』
この世のものとは思えぬ歪な音に、思わず刀使の二人、真希と寿々花は顔を見合わせる。
「「荒魂!?」」
無意識に声が揃った。聴き慣れた、化物の声だった。
この地下坑道に一体なぜ? 一抹の不安が胸を過る。
(まさか、この地下坑道から地上に荒魂を解き放っている可能性も……)
寿々花の怜悧な頭脳が現状の少ない情報から推理する。
なるほど、それならば色々と辻褄が合う。この地下から突如現れるために、スペクトラムファインダーも正確に補足しきれず、身をうまく隠すこともできる。
「迂闊、でしたわ。みすみす敵の手中に入ってゆくなんて――」
下唇を噛み締め、寿々花は後悔した。
番人の男はただ、背後の荒魂の声を聞きながら青龍刀の柄を握る。
「来たか。そこに寝ている刀使のお二方。そこを動かないで貰いたい」
「――なッ!? まさかボクたちを餌にしようと……」真希の表情が凍った。
痛手を受けた今、荒魂の格好の餌になってしまうではないか。
「どう思われてもいい。だが、とにかく動くな」
〝番人〟と名乗る男は、そのまま背後に配された五つの半円形をした地下通路の出入り口に向かい歩き出した。裸足の足裏は分厚い皮で覆われている。
『ヴォオオオオオオオ!!!1!!』
『ギャオオオオオオオオオオオオ』
『ヴォルオオオオオオオオオオ』
鼓膜を突き破るような咆哮が次々と通路から響き渡る。
だが、番人は足をとめず躊躇する素振りすら見せず一定の歩調で進んでいった。巨大な青龍刀を双つ、翼のように両側に下げ、荒魂の襲来を待つ。
「――……。」
真希はただ、その男の背中を見つめることしか出来なかった。言葉を発するとか、その類のことすらできなくなっていた。
(奴は本当に何なんだ……)
「ギャオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
突如、耳を劈く悲鳴。真正面の通路から姿を見せた巨大な頭部を持つ、蛇やムカデに似た胴長の荒魂が巨大な牙と口内の滾るような炎を燻らせながら大口を裂いた。
「……南無」
番人は、小さくつぶやきながら双剣で華麗に斬撃を繰り出す。空気を滑るように胴体と頭部に一撃ずつ加えられた。
しかし、荒魂の勢いが止まることなく剥き出しの黒牙が番人の肩に喰いこんだ。
「…………何度でもこの身を貫くがいい」
まるでそう囁きかけるようにして、番人は自らの肉体を貫く牙と巨頭部を慈悲深く交互に見つめ、それから無傷の腕で刃を振りかざし、頭部を切断する。
――通常、御刀以外に荒魂を討伐する武器は存在しえない。しかもその御刀ですら完全な消滅はせず、ノロに戻ったものを箱に収め分割管理するより他ない。それがこの世界の常識である。
だが。
あの番人の持つ武器は、御刀同様の効果があるらしい。たちまち、荒魂の巨大な姿は霧散し、大量のノロが地面に溢れかえった。――しかし、まるでそのノロたちは自意識があるように再び、地下通路へと流れてゆき、消えていった。
その様子を終始みていた番人は、他の通路へ意識をやっていた。
『ギャオオオオオオオオオオオオオオオオオオ』
『ヴォオョオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ』
先程の荒魂同様に、次々と巨大な荒魂たちがその歪ともいえる姿形で番人の前へと躍り出た。
「いったい、これはなんなんですの……」
思わず、その異様な光景に寿々花は絶句していた。ふと、遠くの真希を見ると、彼女も同じらしい。身動き一つできないでいた。
番人は次々と襲いかかる荒魂たちと戦いながら、しかし一度として避けることはせず全ての攻撃を受けながら、まるで神楽を舞うような足運びで移動し、肉体を動かし或は食い破られて欠損し、荒魂たちを斬ってゆく。
――――これでは、まるで文字通りの〝番人〟ですわ。
寿々花は、内心で思った。
先程の推論が実は真逆だったら? この地下坑道に蠢く大量の荒魂たちを解き放っているのが彼らではなく、この地下の荒魂たちの侵略を地上へと出すまいとするための存在なのだとしたら?
有り得ない。だとしたら彼らに一体どんなメリットが?
寿々花はますます頭が混乱していた。
しかし、そんな寿々花を尻目に、番人は荒魂たちを討伐し終わった。――肉体のあちこちを食い破られながら、体中にノロの残滓を粘着かせていた。
「……南無」
ただ、それだけ彼は唱えた。
顔の半分を喰われた異常な状態であっても、彼は動じることなく平然としていた。
……やがて、肉体が徐々に修復を始めていった。