…………昭和九年、冬。
帝都、東京駅に降り立った男は軍用の渋色のコートを羽織っていた。雑踏の中でもひと際、男は目立っていた。
身長がゆうに二メートル近く、巌を刳り貫いたような厳しい顔は、他者を威圧した。その証拠に、人々は彼を避けるように歩き、誰とも衝突していない。そればかりか、彼の周りに余裕のある空間ができていた。
その彼に、ひとり近寄る影があった。
「御門実篤少佐、お待ちしておりました」
プラットフォームで若い将校が一人敬礼をとる。
「出迎えご苦労」実篤は、低い声で労をねぎらう。
駅を出ると一台の車両が停車していた。将校が駆け足で車両の扉を開き、
「これより、鎌倉の折神家本邸までご案内致します」と、説明した。
「ああ」
軍帽をかぶり直し、実篤はふと冬の東京を覆う鉛色の空を窺った。冷たい風に粉雪でも混ざりそうな空模様。ここ数日は冷え込むのだろう。利用法の腰に佩いた太刀に触れる。
(――折神家へ、剣術の指南役。か…………。)
日本は古来より、珠鋼により「御刀」を鋳造してきた。
通常の金属とは異なり耐久性でも腐食でも、問題にならなかった。しかし、唯一の欠点がある。
――荒魂。
その存在のみが、御刀の宿命と呼べる欠点であった。
刀剣類の精錬の際、不要な金属の老廃物を「ノロ」と呼び、それを排出する。しかし、本来「珠鋼」は神性を帯びた金属である。その不純物とは、負の神性に他ならない。
いつしか、この排出された「ノロ」が暴走し、異形の怪物として人の世を襲うことになった。
人間を守る、その唯一の対抗手段は皮肉にも、「御刀」であった。
全ての原因であり、光明の象徴。
(人間はバカで愚かさ……。)
実篤は、一人呟いた。
これから、彼が赴く折神家は朝廷に深く信頼された家柄であり、この「荒魂」を討伐する剣巫(けんなぎ)の巫女を束ねる。
この巫女を…………刀使と呼ぶ。
彼女たち刀使は少女期のほんの僅かな期間のみ、御刀の異能をその身に宿し、荒魂と戦う。
つまり、人間のエゴをすべて、引き受ける。
なぜ、自分たちで処理しきれぬ問題を後世の幼い存在に押し付けるのだろう。実篤は微かな苛立ちを覚えていた。
車内でふと、
「やはり、こちらの関東は温かいな」
普段物静かな実篤だったが、車窓から見える相模湾を一瞥し、素直な感想を漏らした。
「はっ! ……満州帰りではやはりそう思われますか?」
「うム。そうだな。……まず凍え死ぬことはない。それに、アッチの関東は全て凍結する」
関東軍に所属していた実篤は、突如として呼び戻された事を怪訝に思った。
「関東軍の閣下は剣術にも造詣が深いと伺っております」
将校は話の水をむけた。
「――うム。だから剣術だけで生きてきた小生も、出世した。それだけだ。本来の実力ではない」
「そんな事はありません。この国は刀剣によって支えられております!」若い将校は、興奮気味に言った。
実篤はまさか、と言いかけた。
日本人、あるいは東アジアの一隅、弓形になった列島の人間は特に刀剣に神性を古来から見出してきた節がある。それゆえ、近代軍となっても、白兵戦では槍術や剣術などに重きを置いた。事実、白兵戦では刀剣は無類に強い。
(――しかし、それを過信し過ぎている。)
実篤は同時に危惧を持っていた。深い精神性を養うこと、体を鍛えることは良い。
だが、この国の民族の血液が刀剣を精神の拠り所にし、神格化し過ぎている。
と、思った。
剣術のプロである実篤は、同時に懐疑的でもあった。
結局、この無類の「刀剣好き」が荒魂のような化物を生むきっかけとなった。
…………そして、その剣術と刀剣に深く魅了されているのは、紛れもない小生さ。
自嘲気味に鼻を鳴らす。
「どうかされましたか?」
若い将校は実篤の顔色を窺った。
「いや。少し寝る」
首を振って否定し、腕組みをした。愛すべき欠点は、自分の中にもあるのだ。
2
瀟洒な洋風の建物と、敷地を囲う門壁の前に、車両は停車していた。
門の前に、
「お待たせして申し訳ございません。現在、ご当主様は荒魂の討伐にて席を外しております」
老年の侍従長が、慇懃な態度で接した。
「――なるほど」
実篤は頷き、了解を示した。別段、急ぐ用事もない。
「暫し、邸の中でお寛ぎ下さいませ」
と、侍従長が申し出た。
提案を受け入れ、実篤は軍靴を鳴らして門を潜り、巨大な庭園を左右に配した道を進んでゆく。
午後のひとときに柔らかな日差しが重苦しく関東を覆っていた雲間から差し込む。硝煙と血煙の中に生活をした実篤には、草花の匂いが新鮮に感じた。
◇
折神家の邸には、幾つもの武道道場が存在していた。
遠くから、若い女の「やぁ」「せぇい!」という激しく涼やかな声音が耳を打つ。
日々、荒魂の被害から守るために刀使が鍛錬に励んでいるのだろう。実篤は、まだ年端もゆかぬ少女たちの双肩に人名を背負わせることに、違和感を持っていた。
ある種、神道という宗教上の形式を保っているものの、見方を変えれば単なる「生贄」に過ぎない。本来巫女はそういう側面を持つ。だから否定はできない。――ただ、だれかの犠牲を当然だと思って生きる人々に、実篤は不快を感じていた。
膝を曲げて、庭園の花の一角を眺める。
美しく手入れされた庭園は、中央に噴水を拵え、緩やかなア―チを描く水の落ちる音を耳にした。
「軍人さんもお花は気に入れるのでしょうか?」
背後から涼やかな声音で、聞かれた。
実篤が振り返ると、黒髪の眦の長く切れて鼻筋の通った美人が、いた。
神道式の装束を身にまとった女性は、左の腰に長い太刀を佩いていた。
実篤は立ち上がると、敬礼をとり、
「ご当主さまでありましょうか?」
硬い口調で尋ねた。
「ええ。先程荒魂の討伐を終えたところで、行水禊を終えました。貴方が噂の二刀流の剣士ですか?」
「…………噂、というのは分かりませんが、呼ばれたのはここにいる御門実篤少佐であります」
そうですか、と頷き、女性は翳った表情を見せた。
「それでは、これからよろしくお願いいたします。実篤様――。」
ハッ、と勢いよく返事をしながら実篤は、不吉な予感を感じていた。