刀使ト修羅   作:ひのきの棒

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石の蚕 中編2

「せぇいっ!!」

少女の凛呼とした声が道場内に冴えた。

白い道着の真横から薙いだ一閃は男性の剣士でも避けることは難しい一撃だった。

(よしっ!)

俄かに、口元が微笑みかけた。

しかし彼女の想像を打ち破るように目前の男性は易々と木刀で受け止めた。

「――なっ!!!」

驚愕に目を見張った少女は、次の動作が遅れてしまい、素早く繰り出された一打が太ももを芯から捉え鈍い衝撃が走ったことに気付いた。

 

『そこまでです』

別の女性の声が聞こえた。

折神家当主の少女が、涼やかな眼差しで両者を制した。

 

「――くっ」痛みと恥辱で蹲った少女は口惜しさで歯噛みをしている。

二メートル近い大男が、巌を刳り貫いたような厳しい顔で徐に口を開く。

「怪我はありませんか?」

「ええ、ご心配なくッ…………」

上目遣いに睨み、敵愾心を表していた。

彼女…………折神家当主の妹、折神花は苦悶に顔を歪めながら負けを認めたくない様子だった。

「花、慎みなさい。あなたは御門様に負けた。理解しなさい」

姉の厳しい口調に渋々従うように、バツが悪そうに俯き「すみません」と謝意を口にした。

「いえ。剣士たるものは、勝気でなければいけません。それに、この年で立派な剣技でした。流石折神家のお方だ」

実篤は賛辞を送った。

「――くっ」

実篤の言葉に顔をさらに顰めた花は、下唇を噛む。

まるで〝折神家〟という単語に反応しているかのようだった。

 

「…………御門様、妹が失礼しました。次のお相手をお願いしても?」

「いいえ。ご当主様を万が一にでも傷つければ一大事です。小官は遠慮させて頂きます、ご当主様」

〝ご当主様〟――――と、実篤は言った。

彼女――――現、折神家当主の名前は伏せられていた。

それは、古来より続く日本の伝統であった。

 

 

――――万葉の頃。

女性の名前を聞く行為は禁忌(タブー)とされた。女性の名前を知るのは近親者か配偶者に限られた。つまり、女性の名前を聞く事は、現代で言えば結婚を前提にしたナンパをするようなものだった。

 

これを朝廷と深い結びつきを持つ折神家は、未だこの古い慣習を続けていた。つまり、折神家では当主の座についた瞬間から「個人=家」として存在することになった。

 

ゆえに、皆は折神家の当主の名前を口にしないし、一部の人間にしか教えられていない。

 

「そう……ですか。残念です。今回は二天一流の片鱗だけ、ということですか」

「ええ」

御門実篤は、長い木刀を二振り握ったまま、道場の真ん中に佇み周囲を一瞥した。

刀使が訓練を行えるように広々とした造りになった道場。

迅移の発動によって、より広い空間を必要とするために十分な余裕がある空間だった。折神家の姉妹と実篤以外に人の姿はない。それは、人払いした結果である。

静かな道場で、

「いずれ、お教えする機会があると思います。」実篤は機械的に返答をする。

「では楽しみにしています…………花、実篤様にお茶を」

「はい…………」

一礼すると、少女は足早に実篤の目前から去っていった。

 

 

道場から小さな人影を見送ると、姉の方は真剣な眼差しで大男を見据えた。

「先ほど、秀馬とお話しをなさっていましたが、どうでしたか?」

「…………どう、というのは?」

「私も馬鹿ではないと思います。ですが私は轆轤の家が行っている非道を敢えて無視しています。貴方もその片棒を担ぐ…………。いえ、詳しくは教えられていません。ですが――――」

当主は言葉を必死に探していた。家の為に殉ずる覚悟と、良心の呵責の鬩ぎあいに、困っているようだった。

 

「…………いいえ。ご当主様が心配なさる事ではなりません」

実篤は言いながら、脳裏に過った洞窟の牢屋に閉じ込められた二人の姉弟に思いを馳せた。

(一体自分に何ができるだろう……?)

荒魂と人体の融合に関する実験体として子供たちを利用する。

その汚れた仕事を司る男、轆轤秀馬。

本来憎むべき相手と行為も、「善意」と「純粋さ」によって支えられていた。

 

 

「刀使は、刀使のお仕事をなさって頂くのが一番肝心かと思います」

実篤は折神家当主という重責を担っている少女を見返して答えた。

 

「そう、ですか……。」

何度もうなずいた。まるで自分に言い聞かせるように。冬の弱い陽光が格子から薄く流れこんできた。

「……あの娘、花は優しい娘なんです。本当は折神家の当主になりたがっていたんですよ」

急に、妹の話を始めた当主に、実篤は遮ることもなく黙ってただ聞いた。

「私は元々、あまり剣術や戦うことが得意な人間ではありません。ですが――御刀が二振り…………私を選んだ。自慢ではなく、武器を好まない私を選ぶ。この血が、そうさせたのかも知れませんね。ふふふ。」軽く腕を伸ばす。

忍び笑いと共に、彼女は諦めのような表情で格子窓の遠くを見ていた。

「あの子、妹は折神家当主を目指しています。今でも。まだ13歳ですが。でも無理でしょう。あの子がいくら強くなったとしても、恐らく御刀に複数選ばれることはない。当主には間違いなく、あの娘は力不足です。だからあの子は多分、私のことも恨んでいると思います。なんの苦労もせず選ばれたんですから。でも根っこが優しいですから、あの娘をおかしくしたのは、私ですね」

寂しそうに微笑を零す。

 

「なぜ、いま小官にその話を?」

 

「これから貴方の剣術の神髄を包み隠さず教えて頂くのに隠し事はしたくなかったので」

素直に答えた折神家の当主は、その一瞬だけ年相応の少女に戻っていた。

 

 

 

 

 

「おじさんは、えらい人なのか?」

「とら、失礼な口のききかたをしない」

「ちぇえっ、なんだよー」

不服そうに口を尖らせる。

松崎姉弟は、数日前のような泥人形のように惨めな姿から回復していた。今では普通に会話も出来る位に回復している。

実篤に最初こそ強い警戒を示していたが、時間が経つにつれ、彼が敵でないことが分かった。

差し入れと称して菓子類や日用品を差し入れる実篤は、この牢獄の中で唯一頼れる人物になっていた。他の牢獄でも子供たちに分け隔てなく接する武骨な大男に、誰しも好感を持った。

 

 

「ねぇ、おじさんは軍人さんなんだろ?」

「ああ。」

「いいなぁーーーー。おれも、さ。おじさんみたいに強くなれるかな?」

「鍛錬さえすれば可能だ」

「本当? じゃあさ、じゃあさ、もしおじさん! おれが強くなれたらさ、部下にしてくれる?」

「とら! 御門様を困らせないの」

窘められた虎之助は肩を竦めて、あくびをした。

 

姉のキヨは知っている。自分たちが荒魂と人体の融合の被験者であることを。弟はまだ幼く、理解もしていない。ただ、食べ物が食べられるという理由で姉に付いてきた。それ以外に生きる方法がなかった。

 

 

「とら…………か。そうだな。お前を部下に持つのも悪くないだろうな」

珍しく普段笑わない実篤が不器用に口を歪めた。

 

「え!? おじさん。それ笑ってるのか?」

虎之助が驚いて指摘する。あまりにも不器用かつ恐ろしい表情だったのである。

 

「…………む、そんなに変な顔だったか?」

姉のキヨの方へ首を回す。

「くくくっ、いいえ。全然…………。」

目じりの涙を拭いながら、背中を向けて笑っていた。

 

「なぁ?! ねえさんも笑ってんだからおかしいんだよ! おじさんの笑った顔!」

得意げに虎之助がいう。

 

「そ、そうか…………。」

地味にショックを受けながら実篤は頭を掻いた。

 

 

『御門様、お時間が近づいていますよ』

優しい男の声がして、振り返ると美男子が恭しく実篤の背後に佇んでいた。

 

「――――ああ、わかった」

不愉快そうに短く返事をした。

 

 

 

「忠告します。あまり子供たちに感情移入をしない方がいい」

轆轤秀馬は告げる。

洞窟を出てしめ縄の施された出入口で実篤に向って忠告した。

「――――分かっている」

「そうですか。……ですが、あの子たちに感情移入して傷つくのは貴方だ」

お前に言われなくても解っている、そう怒鳴りそうになったが危うくの所で留めた。実篤は自己を律する方法を知っていた。だが、臓腑に湧き上がる秀馬への憎悪だけは消せない。

 

確かに彼は彼の立場でつらいものもあるだろう。

しかし、だからと言って感情が彼を許すかは別問題だった。

 

 

「ああ、そうだ。花様が貴方を探していましたよ」

 

「なぜだ」

 

さぁ、とでも言いたげに秀馬は首を振った。彼はにこにことした表情をしており、内心を読むことが難しい。

 

「――――分かった。」

彼の意図を探すのをあきらめ、実篤は素直に言葉に従った。

 

 

 

折神家の花壇前――――――。

初めて現当主と出会った場所。そこに、妹の折神花が実篤を呼びつけた。

「わざわざご足労、ありがとうございます」

丁寧に頭を下げた少女は、神妙な面持ちで実篤を見上げた。

「いいえ。しかし、御用というのは?」

「姉に刀使を辞めて欲しいんです」

花は真剣な顔と口調でしゃべる。

「姉は元々静かで穏やかな人なんです。……この花壇も」と、花が指さした。

「姉が庭師と協力してつくった花壇なんです。わたしの名前の〝花〟だから庭いじりが好きになった…………って、言ってたんです。本当かどうか分かりません。でも、土を触って花を植えて水をやっている姉が好きです。正直――御刀を握って巨大な荒魂や荒魂に憑依された人々を斬る姉を見たくないんです」

妹は自らの足元にできた影を睨んでいる。

 

「……ですが、もうご当主様は決まっておりますが」

「分かっています。姉が御刀に二振り認められたことで、刀使の地位が揺らがないことくらい。だから…………せめて、わたしが姉に勝つことができれば……」

語尾が途切れ、押し黙った。

 

「――――お聞きしたいことがあります」

 

「……はい。」

 

「あなたはお姉さまをこれまで一度も嫉妬したり羨むということは?」

 

「……っ、どうしてそんな事を今聞くんですか?」

 

「…………あなたに協力したいと思った所で、信頼できなければ難しいでしょう。」

実篤の言葉にハッ、とした表情になる少女。

「……確かに姉を見返したくて、こんな事を言っているのかもしれません。でも、姉を刀使の役目から、当主の役目から辞めさせるのも、わたしの望みです」

 

「なぜ、秀馬殿でなく小官に?」

ふとした疑問だった。策謀のうまいあの男にでなく、なぜ剣の道で生きてきたこの男に? と実篤自身が思った。

 

 

「…………あの男は、信頼するな。と、両親や皆が言っていました」

折神家と轆轤家の力関係は明確である。上下ではない、道具以下なのだ。

 

暗部を司る以上、公にできる存在でもなく、しかも汚れた仕事のみをこなすかれらの印象は最悪を極める。それを昔から続けているのだ。信頼という言葉からほど遠い。むろん、実篤自身も秀馬が嫌いだった。

 

 

「分かりました。一度、考えさせてください」

 

 

 

雁が夕空をなぞるように、滑らかに飛んでゆく。

鳥は自由だった。どこまでも、地上の雑事に囚われずにただ両翼を羽搏かせて易々と国境を越えた。

――まだ、十七の少女は瀟洒な窓から空を飽くこともなく眺めていた。

その横顔を見ながら、

「ご当主様は、空がお好きなのですか?」

と、思わず聞いた。

 

執務室で二人は定刻通り、軽い会議を開いていた。……と、言っても形式的なものに過ぎず、ただ一日の報告をするだけだった。

 

気を緩めてしまったのだろうか? 実篤は、自分が普段ならしない問いかけをした事に、自身で驚いていた。

ふと、我に返った少女は顔を赤らめて頷く。

「空は昔から好きなんですよ。時々、何者にも縛られずに生きてみたいって思いません?」

小首を傾げながら、流麗な黒い髪を肩先からひと房垂らし、微笑みかける。

「…………軍人の職務は、小官には優先されます」

「ふふっ、そうですか。…………あと、一年。刀使としてのお役目は一年。でも、」

それ以上を言おうとして、言い淀む。彼女の明るい表情に暗鬱の翳りが射した。

「妹が、恐らく刀使を束ねなくなります」

「ええ」

「御門様」

「ハッ!」

「ふふふ、いいえ。命令をするわけではありません。もし、の話ですが……もし、折神家の当主が荒魂になった場合、貴方はどうされますか?」

「……質問の意味を理解しかねます」

「もしも、の話です。ノロを受け入れ、それで国を人々を守る。そういったら?」

「全力で止めます」

「――――やはり、貴方は正しくて誠実な方なんですね」と、一息吸って続ける。「そういえば、〝あの牢屋の姉弟〟を助けたい、とお考えですか?」

当主の少女は淡々とした口調で言った。

「――なっ!? 貴方は何も知らない筈……」

「――――ええ。〝折神家の当主〟としては知りません。ですが、一人の刀使として、〝私〟としては一切を知悉しています。無論あの男――秀馬から概ねの事情を聞いていました」

いささか醒めた眼差しで、大男である実篤を真正面から捉える。

 

 

「もう、この身にノロを宿せば後戻りはできないのです」

左腕を掲げ、そして実篤の背後にある扉に一言「入ってください」と告げた。

ガチャ、と鎧戸の重い音と共に小さな人影がきた。

実篤はゆっくりと振り返った。

 

 

「あ、あの…………。」

あの牢屋に居たはずの松崎姉弟の、姉――キヨがオドオドした様子で入ってきた。

 

「ど、どうして」震えて、全身が痺れていた。

 

「わ、わたしがお願いしました。弟の分のノロを注入して下さい。でも、あの……お願いです。ご当主様、御門様。あの子、虎之助を自由にして下さい」

 

――――どうして?

思わず、そう言おうとして舌が縺れ呂律がうまく回らず、黙した。反射的に当主の少女の居る前へと首を巡らす。

 

彼女は、能面のように無表情で頷いた。

 

「分かりました。あなたの覚悟は覚えておきます。ですが、もしあなたが荒魂として暴走した場合、私が責任をもってあなたを祓います」冷徹な目の光で、残酷な現実を告げた。

嘘も偽りもない。

キヨは、真っすぐに切り揃えられた黒髪の下から、不安と固い覚悟の両目が閃いていた。

 

 

 

その表情を一瞥し、当主の少女はにこっ、とほほ笑む。

「ええ、わかりました。あなたの本当の覚悟、すべて承りました」

「――は、はい!! ありがとうございます!!」

少女は目を輝かせ、何度も謝辞を述べた。

いつまでも、優しく笑みを浮かべた当主の少女。しかし、掲げた腕の服袖からチラリと見えた包帯の下には、ノロの注射をした痕跡が隠されていた。

 

 

ギリッ、と口惜しさで実篤は前後の少女の悲痛なまでの覚悟を感じた。

 

どうして、自らを饗するのだろうか? そんな必要がないのに、なぜ?

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