刀使ト修羅   作:ひのきの棒

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第148話

ポケットの中、掌に冷たく伝う金属の無機質な手触りを感じた……。固いジーンズ越しの布生地に汗が染みこんでゆく。呼吸するたび、四方を囲むトンネルの粘つく暗闇に意識が吸い込まれそうな錯覚に陥る。

熱い指先が、もう一度銃把に触れた。

コルトパイソン――――回転式拳銃(リボルバー)の中でも有名な一品である。

柴崎岳弘は、それを「持って」いた。生命を簡単に命を奪う武器はどこまでも冷徹な感触で、武骨で、妙に神経が落ち着く。昂った精神も「銃」という存在によって平静を保つことができた。……だがなぜ、一般市民である自分がこんなモノを所持しているのか。自分でも分からず記憶が無い。ただこの地下の深い空間において、武器を持つことは安心に繋がる。

例え、この武器が有効でない化物相手でも気休めくらいにはなる。丸腰よりよっぽどましだ。

荒い呼吸をなんとか落ち着け、

「松崎さん。百鬼丸くんの後を追いかけますか?」言いながら口元に苦笑いを浮かべる。隣の老人は、自ら落下した少年の行方が闇に呑まれて消え、暫く呆然と下を見ていた。

「――だの。」

正気を取り戻した彼は、首を横に振って悪い憑き物がおちたように頷いた。

「場所、落下場所は分かりますか?」

「いや……ここからは流石にワシでも分からん。それにあの小僧、本当に口だけじゃないモンだなぁ」

その言葉には呆れと感心が綯交ぜとなって表れていた。

「関心してる場合ですか。早く目的を達成したいんでしょう? どこに行けばいいんですか?」

「ウム、昔と殆ど変わらん構造だということは分かった。あとは丸の内から宮城(皇居)の道筋を通る道を進めば…………」

「こんな複雑な中でどうやって地上の地理が把握できるんです? それに、所々改修された痕跡がありますし、なによりこのクレーチング」

と、言いながら岳弘は靴先をコツコツと、金属の細長い床に当てた。

「戦中当時のものじゃないですよ」

老人は暫く考えてから、指を口にくわえて濡れた指先を外気に触れさせる。突然の行動に岳弘は思わず、

「な、なにしてるんですか!?」驚愕の声をあげた。

「黙っておれ。ホレ、こうして通気を感じてその通りに歩く。本来、宮城を中心に放射状に構築された地下の坑道。なに、老いぼれでも昔のことならよーーーーく覚えておるんじゃ」

(大丈夫なのか、この爺さん)

不安を危うくの所で留め、首を振って岳弘はこの老人に賭けることに決めた。

「はやく、百鬼丸くんと合流しましょう」

「ウム、あの小僧はのォ、中々よい面構えをしておるんじゃ。それこそ、昔の少佐殿のようじゃ」かつてを懐かしむような口調で老人は、皺だらけの顔をさらに皺を刻んで笑った。

松崎老人は唯一の手荷物であるバックパックの中に潜ませた「あるもの」を、大切そうに扱いながら歩き出す。

 

 

「あははは~、どうしたのおにーさん♪ 遅い、ぜんっっ、全然遅いよ~」

少女の愛らしい哄笑が半円の天蓋から反響して幾重にも重複して聞こえた。

「ぐっ、」と、苦悶の表情を浮かべながら百鬼丸は左腕の白刃で防戦一方である。

「うっせぇ、こちとらモツが腹から飛び出とるんじゃ!」 

そういいながら、二本の指で無理やり腹部から飛び出した新鮮なピンク色の腸を押し込んでいる。

百鬼丸の口から吐血した後の血筋が細く流れている。

それを無理やりに右肩で拭い、体勢を整えようと必死になった。

 

「あはは~、言い訳なんてだっっさーーーーい♪ それで〝お前より強い〟って言えたね~」

少女、燕結芽は子供らしい残虐な笑い声で御刀『ニッカリ青江』を振るう。

軽やかな身のこなしは剣士というより、舞踊に似ている。

親衛隊の制服スカートは軽やかに広がって波打ち、その下から白いタイツが二脚動く。

「あはは、だめ、だめだめ。ぜっっっんぜん弱いっ、それじゃわたしの記憶にも残らないよぉ~」

煽りながら、百鬼丸を嘲弄するように迅移で加速し、四方八方から斬撃を繰り出す。

「くそっ!!」

脂汗を浮かべつつ、少年はそのすべての攻撃を寸前の所で躱し、刃で弾き、機会をひたすら窺っていた。

結芽は目を細めて、攻撃を辞めて立ち止まる。

「ねぇ、どうしたの? 手を出さないってつまんないの~。おにーさん、守ってばっかで楽しいの?」口を尖らせ、不服そうにいった。

 

上半身が裸の百鬼丸は、大きく肩を上下に息をついて滝のような汗に濡れている。

「へへへ、そんだけ動けりゃ上等だ。拉致された時に変なことされなくて良かったぜ」

安堵したような笑みで小さく呟いた。

薄暗い電灯に照らされながら、少年は片膝を崩して地面に半分崩れた。無理やり詰めた腹部の傷から、赤い血飛沫が一瞬噴き出した。

 

 

(なに? なんなの!?)

結芽は、既視感のある光景に思わず頭痛がして額を抑える。

以前にも、似たようなことがあった気がする。

でも一体いつ?

「ああああああ、もう! おにーさん大っ嫌いっ! わたしの記憶(なか)に勝手に入ってこないでよ!」

少女は唐突に叫ぶ。かつて両親から捨てられた記憶が脳裏を過り、激しい苛立ちが募った。

 

その何かに苦悩する結芽を遠目に見ながら、百鬼丸はゆっくりと立ち上がる。ズボンを殆ど血に濡らしながら。

「うえっ、ううううっ、痛てぇな。チッ、まあいいや。なあ結芽」

「勝手に名前呼ばないでっ! 誰もおにーさんにわたしのこと呼び捨てにしていいなんて言ってないもん」

「おおう、そうか。悪い悪い。じゃあ〝結芽ちゃん〟でいいか?」

挑発的な目で百鬼丸は笑いかける。

カチン、と結芽の中で何かが切れた。

「へぇ~、随分余裕そうじゃん。だったら本気で斬るから。それでも文句言わないでよね?」

小指を立てて、頤(おとがい)に当てる。

 

 

――――刹那。

 

まっすぐ真正面から、結芽は《迅移》を発動して飛び出す。刀使の内でも最強だという自負がある。だから、敢えて正面から切り結ぶ。それこそが、自分の納得できるやり方。

結芽は自らの心に湧き上がる少年への言いようのない感情を刃によって表現しようと思った。

 

距離はすぐさま縮まり、気が付くと百鬼丸の間合いに入った。

「もーらいっ♪」

そう言って少女は剣尖を素早く動かす。

 

 

三段突き。

俗に言う三段突きを繰り出したのである。この技は幕末の剣豪集団「新選組」の天才剣士沖田総司の得意とした技であり、一撃の突き技に見えて上中下を貫く技巧の剣技である。

それを僅か十二歳の少女が行った。

結芽の最も得意とする技であり、親衛隊の現役時代からこの技によって多くの敵を屠ってきた。――勿論負けるわけがない。

そう、信じていた。

鍛錬によって手に入れた剣技は自然と体に染みついており、気が付くと既に攻撃は終わっていた。結芽は、

「降参かな~♪」

悪戯をする子供のような調子で微笑み、勝利を確信した眼差しで見上げる。

 

しかし。

少年は、百鬼丸少年はニヤっと口端を曲げて痛みに引き攣った頬を無理やり笑いで歪める。

 

 

「えっ……?」

結芽は自らの目の辺りに無意識に指が向かっていることを自覚した。

指先にはねっとり粘つく液体の感触がある。鉄の多く含んだ匂い。

……そうだ、かつて何度も嗅いだことのある忌まわしい匂い。

結芽はこの液体の正体がすぐさま血液であることに思い至った。そしてすぐにバックステップで間合いをとり、自らの怪我を探す。しかし見当たらない。

と、すれば。

既に答えは決まっている。この血液は「百鬼丸」のものだ。

結芽は目線を上げて、百鬼丸を思い切り睨みつける。

「…………どうして攻撃しないの?」

あの少年はすべてを読んでいた。

真正面から攻撃を仕掛けるであろう相手に、予め腹部の傷から噴き出した血液を正面で血飛沫として噴射し、結芽の繰り出す瞬きの一瞬の技に合わせて狙いを狂わせた。

その天才的な三段突きは、己の目ではなく、体が自動的に攻撃を行い終える。だから、剣士も無意識の内に、「攻撃をしたつもり」になっているのだ。

結芽は百鬼の残像に向かって三段突きを繰り出したに過ぎない。

すべて、最初から読まれていた。……自身の特性や性格を知り抜いた上で。

「どうして! 何が目的なのっ!?」

心底腹がたつ。殺してやりたいのに、今一歩の所で取り逃がす。

 

 

こんな死に体の少年すら満足に仕留めることができないのか? 

結芽は危うく、怒鳴りそうになった。

 

――――しかし。

 

りん、りん、りん。

と、金属の軽やかな音色が耳に届き、ハッと結芽は冷静さを取り戻した。

その音の方に目をやると、百鬼丸のズボンのポケットから小さな鈴のストラップが地面に転がる様子が見えた。

(あれって…………。)

血濡れのズボンから転がった涼やかな音色を奏でたのは、「イチゴ大福ネコ」のストラップだった。

それを少年は、

「おおっと、うへぇっ痛てぇ」と苦悶を上げながら膝を曲げて地面から拾う。

まるで彼には似合わぬ趣味のものだった。

だから少女は思わず、笑った。

「なにそれ? おにーさんそんな可愛い趣味してるの?」

と、口走った。似合わない。こんな血だるまになったむさ苦しい少年には到底似合わない趣味だ。きっと、このストラップは誰かの貰い物に違いない。

 

 

百鬼丸はその言葉に苦笑いしながら鷹揚に頷いた。

「……だな。全然おれには似合わないけどな。……ま、でも一応貰い物だしな。大切に持っておくことにしたんだ」

「はぁ~? なにそれ、おにーさんにイチゴ大福ネコのストラップなんて似合わないのに~♪ どんな人があげたんだろうね?」

結芽は、喋りながら無意識に胸が痛む感覚がしていた。

(なに?)

知らず知らず、少女は胸の辺りを掴んで早まる鼓動を抑えていた。

 

百鬼丸は困惑し始めた少女を見据えて首を振った。

「どんな奴って…………そうだな。凄く生意気な奴だな」

「なにそれ……」

「それで、ああそうだ。周りの人間に恵まれてたな。でもまだまだお子ちゃまだから難しいことは分からないんじゃないかな?」

「なにそれ、うるさい。おにーさんだまって!!」

結芽は頭を抑えながら、その場に蹲った。心臓の鼓動が早まる。何かに支配されたみたいに血液が凍ったような、そんな不思議な感覚が全身を満たす。

しかし、彼は黙らない。

「んでな、いつ自分が消えてもいいように喧嘩を周囲にふっかけるロクでもない奴だったんだ。困ったもんさ」

 

「…………うるさい、うるさい!!」

苛立ちが最高潮に達し、結芽は再び立ち上がり百鬼丸を睨み据える。

 

しかし、彼はただ痛みを堪えてニコニコと笑っていた。どこまでも優しくて暖かい眼差し。

 

 

――懐かしい。

結芽の気持ちの中に、明確な変化が訪れた。

「そんな人から貰ったものなんて嬉しくないよ!!」

自然と目端には涙がじんわりと浮かんでいた。

 

百鬼丸は肩を竦めて、

「いやーそうでもない。心のこもったものなら誰からでも嬉しいよ。それに、おれが初めて他人に向き合うきっかけを作ってくれたんだ」

 

 

「黙って! もう聞きたくないからっ! この場でおにーさんを斬って、秀光おじさんに褒めてもらうから! それで終わり。おにーさんは終わりっ!」

左手で額を抑えながら、右手に掴んだ御刀を水平に百鬼丸に合わせる。

 

「…………消えて。わたしの目の前から消えてっ!!」

心をかき乱す存在は不要。ただ、己の強さを示すだけで良い。結芽(じぶん)にはそれだけでいい。「おにーさん。最後に言い残すことは?」

皮肉っぽい口調で無理やり言葉を紡ぐ。

 

少年は肩を軽く回し、真摯な眼差しでゆっくりと口を開く。

「――――まあ、元気そうで良かった。けど、今はまだおれは消えるワケにはいかねーんだ。悪いな」

 

 

「――――ッ!!」

激昂した結芽はなりふり構わず、《迅移》を発動させ百鬼丸に斬りかかる。

ガキッ、と鋼の刃同士が重なる音が響く。

二人の距離は吐息の感じられる間合いにまで詰まった。

「きらいきらいきらいっっ!! 全部ぜんぶ大っ嫌い!!」

冷静ではない。この少年の顔を直視するだけで、何か均衡が崩れる気がした。

遠巻きに見える親衛隊の二人。仄暗い闇に混在する電灯の微光。目前に居る一回り大きな体。その体から、

「…………く」声音が発された。

「えっ!?」

咄嗟に反応していた。

 

俯き加減だった百鬼丸が長い前髪の隙間から眼窩をのぞかせる。

「よく、頑張ったな」

 

 

…………少年の言葉は耳を通して心の深い部分まで染みた。

いつだっただろうか? ちょっと前にもそんな言葉を聞いた事があった。もう、薄れた記憶の中に埋没していた記憶。

霞む視界にも捉えられた人影が、ゴツゴツとした掌を伸ばして頭を優しく撫でてくれた。

孤独に死を待つだけだった存在に寄り添ってくれた。

――――何もいらないから覚えていてほしい、という願いは崩れ去った。

やっぱり、欲しい。求めていたい。生きることを。

 

浅縹色の瞳から彩が戻った。

目端に溜まっていた涙はやがて一筋の流れになって、白い頬を伝ってゆく。

「なん、で?」

下唇を噛み、結芽は甦り始めた記憶と重なる少年に問いかけた。

どうして自分を助けたの?

刀使だから?

選ばれた娘だから?

 

百鬼丸は、緩まった剣圧を感じて相手の内心が変化したことを理解した。ガラ空きの右腕の伸ばして、もう一度ゆっくりと痺れた指先で撫子色の柔髪を揉むように撫でた。

「よくわからん。なんも考えてなかった」

間抜けな言い方で、百鬼丸は口内に溜まった血塊をプッと地面に吐き捨てる。

 

最後まで締まらない。なにも、どこも恰好などよくない。

けれども…………。

「なに、それ。百鬼丸おにーさん。変なの」

結芽は視線を絡ませ、確かに笑った。満足のいく答えではない。それでも、彼が居ることで安心していることに気が付いた。

 


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