刀使ト修羅   作:ひのきの棒

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第152話

 地上には糠雨が降っていた。

 晩秋から初冬にかけての気象の変化が、重く垂れこめた雲層を通じてわかる。吹きつける風も次第に冷たく、本格的な冬季の訪れを意識させた。

  

 「はぁ……はぁ……ッ、」

 ひとりの若い男が、右腕の〝あった〟部分を抑えながら苦悶の呻き声を噛み殺している。脂汗に滲んだ顔面からは、激しい憎悪と、「ある筈のものが失われた」という現実に強く戸惑った複雑な感情だった。

 切断され、輪切りになった傷口は骨の部分まで綺麗に切り取られ、腕肉の内側の美しいピンク色の繊維質だけが露出していた。それを、左手で握る。

 真夜中の高架橋の下へ潜り込むように、フラフラとした覚束ない足取りで体を丸めながら柱へと背中から寄りかかる。

 雨。

 まるで、カッターの刃先で傷つけられたような線の細い雨粒が斜めに降り始めていた。無数の白い流痕を横目で眺めながら、男は口端を苦痛で歪め、ゆっくりと背中を柱に擦りながら腰を落とす。

 

 (この肉体は……人間の混ざりものか……。)

 本来の肉体とは異なり、一旦攻撃を受ければ、人というのは斯様にも脆いのか。

 男……ジャグラーは乱れた呼吸を必死で整えるように上を仰ぎ見て、乱暴に口を開いて空気を貪る。

 ゼェ、ぜぇ、…………。

 と、犬の乾いた呼吸のような音が己の喉から聞こえた。

 (これが、人間……か)

 自嘲気味に頬を緩め首を振る。

 

 この都会でも、不思議な静けさというものがある。それが丁度今だった。上を通過している筈の車両が通過する音すらない。折しも現在、東京は厳戒態勢に入っている。

 東京が厳戒態勢に入ったのは、戦前の二二六事件以来――――。

 検問が交通の各所で実施されている為、物流はもとより、市民の生活にも大きな影響を与えている――だが、それはジャグラーの知ったことではない。

 侘しく点る街灯の光がある以外は、人も街も眠りの中にあるようだった。

 

 トン、トン、トン。

 靴を走らせる音が耳に届く。

 敵、だろうか? ジャグラーは一瞬身構えたが、すぐに己の現状を思い至り無駄な抵抗は止めた。

 (ここで終わるなら……。)

 あるいは、それも良いだろう。彼は諦観に心を支配されていた。

 先ほどまで走って近寄る靴音が止まった。

 ジャグラーはゆっくりと、虚ろげな視線を持ち上げて、相手を見た。

 

 

 『はぁ、――――っ、はぁ…………どうしたの、その傷?』

 寒さに支配された気温にも関わらず、声をかけた人物は汗を滲ませていた。

 

 「安桜美炎……か。いったい何の用だ?」ぐっ、と背中を更に丸める。

 普段の不適な笑みを浮かべようと努力したが、激痛のために余裕が無い。

 

 美濃関の刀使、安桜美炎が彼の前に佇んでいた。

 「何の用じゃないよ! 勝手にどこかに行っちゃうし、探してる途中で大きな地震もあったし! ……ううん、今はそれどころじゃないよ! 待って、今包帯出すから!」

 革製のウエストポーチから包帯を取り出し、小走りに駆け寄って膝を曲げ、不器用な手つきながらも、ジャグラーの止めどなく溢れる右腕部に触れようとして――――

 

 「オレに構うなッッッ!!」

 鋭い眼差しで美炎を威嚇する。触れようとした指先を払いのけ、大きく肩で呼吸をする。

 一拍、その激しい拒絶に怯んだものの、すぐに、

 「構うなって……そんなことできるワケないでしょ!?」

 「うるさい、黙れッ!!」

 「…………、病院にすぐ連絡しないと」

 携帯端末をスカートから取り出そうとして、ジャグラーが美炎の手首を片手で握る。

 鉄分の濃密に漂わせた匂いが鼻を打つ。粘着質な液体の感触が美炎の手首を満たす。

 「どうして……?」

 困惑しながらも、彼が人を拒む理由が知りたくなった。

 「――――――。」

 沈黙を守ったまま、ジャグラーは美炎を睨みながら小さく「行け。オレの目の前から消え失せろ」と囁いた。

 脂汗に湿った前髪の下から懇願にも似た威嚇の目線に、美炎は確信した。

 (この人、やっぱり悪い人にはみえない)

 そう思いながら美炎はすくっ、と立ち上がった。

 「分かった」

 浅く頷いた。ジャグラーが掴んでいた手が弱まる。

 踵を返しながら美炎は肩越しに、

 「他の誰か助けを呼んでくるね」と言い残して走り出そうとした。

 

 「なっ!?」

 ひどい驚愕と共に、彼は再び手首を握り直す。

 (この女は本物の馬鹿なのか……?)

 胡乱な眼差しで改めて美炎を見上げる。

 にこっ、と美炎は明るい顔をむけて微笑みかけた。

 そこで初めて彼女と彼の視線が出会った。

 「――――――。」

 ジャグラーは既に二の句が継げぬようになってしまった。その様子を美炎は微かに笑いながら、

 「いやだったら、せめて包帯くらいは巻かせてよ」と言った。

 

 

 

◇◇◇◇

 

「オレも落ちぶれたものだ…………お前ごときに手当されるとはな」

先ほどより穏やかになった口調で、ジャグラーは横目で美炎をみる。

不器用な手つきで「あれ? あれ?」と悪戦苦闘しながらも包帯を巻きつける美炎へ向けていった。

「えっ、ご、ごめんなさい! 何か言った?」

手元に集中していたらしく、彼の言葉は届いていなかった。

ふっ、と軽く笑って首を振った。「いいや、大したことじゃない」

痛みも大分和らいできたのは、恐らく己自身の本来有する《異能》の力が働き始めたのだろう。それが実感できた。

「……ねぇ、ジャグラーさん。ひとつ聞いてもいいかな?」

少女が、硬い口調で言った。

「ああ、なんだ?」

「ジャグラーさんって何者なの? 荒魂たちとも全然ちがう雰囲気だから」

その質問に目を丸くしたジャグラーが、不意にくっくっくっ、と忍び笑いを漏らし始めた。

 「ど、どうして笑うの?」

 「いいや、そうか…………そうだな。オレは一体なんだろうな? …………ただ、オレの方が〝ヤツ〟よりも優れていた。そう、優れていたんだ……。」

 「……?」

 

 ―――――。

 ―――――――――。

 ――――。

 

  鼓膜を突き破るような金属を擦り合わせた高音が聾する。

  思わず、美炎は両耳を塞ぐ。

  細めた目で音の根源へと視線をやると、小さな箱のような輪郭が地面に転がっている。

  (あれ、なんだろう?)

  と、一瞬注目を箱へと奪われていたために、

  「えっ!?」

 美炎は首を締め上げられ、容赦なく地面へと投げられた。

 ビタン! という衝撃と共に意識が失いかけた。

 「痛っ、」

 頭がクラクラする。音響兵器がようやく停止したのだろうか。しかし、鼓膜はキーン、という高音が未だ響いて吐き気がする。

 それでも何とか冷静さを取り戻した美炎が目前を見る。

 

 ――――。

 

 視界の前には、真紅の残光を曳く鮮やかな色彩が映る。

 「S装備……」

 見慣れた筈の装備だが、色合いが全く違う。禍々しい真紅の色を湛えた防具を身に纏うのは、綾小路の制服だった。

 

『あれあれ、もう起き上がっちゃいましたかー。やっぱり安桜さんはタフなんですね! うーん、あ、でも集中力の不足は治ってないんですね!』

 

 幼い無邪気な声で挑発したのは紛れもなく自分(美炎)と同じ刀使だ。

 そう、直感した。

 「だれ?」

 喉をさすりつつ美炎は腰の《加州清光》の柄へと手をかける。

 その挙動を丹念に眺めながら、不気味なS装備に身を包んだ幼い刀使が口を開く。

 「わたし、綾小路の一年。内里歩って言います! 衛藤さんと学内の試合で戦った安桜さんですよね? あー嬉しいな。衛藤さんも倒して、それで安桜さんも倒せて。ふふっ、わたしドンドン強くなってますよね?」

 

 赤いバイザーの下には光の失われた瞳で、まるで子犬がじゃれつくような愛嬌のある風に振る舞う。その不釣り合いな態度に、美炎は違和感を覚えた。

 

 「なんなの……?」

 「なに? って、どういう意味ですか? さっきわたしたち綾小路の刀使で自衛隊の市ヶ谷基地を襲ったんですよ、そしたら衛藤さんも偶然いて。それで折角だから手合わせして貰ったんですよ! そしたらわたし、衛藤さんを倒したんですよ!? あの、衛藤可奈美に初めて勝てたんです!」

 得意げに語る歩の様子が、どこか精神の欠落した人形のように見えた。

 精神のどこかが崩れたとき人は息も切らさず語り続ける。壊れたカセットテープのように。ひたすらにしゃべり続けていた。

 

 ――――だが。

 

 「あははははははは、だからなんだ」

 男の、腹の底から哄笑が溢れるようなそんな声が高架橋に反響する。

 歩は不愉快な顔つきで男の方へと体の角度を変えた。

 ぎろりっ、と睨みながら、

 「何が面白いんですか?」

 手にした御刀の切っ先をジャグラーの喉元へと突き付けながら言う。およそ少女に似合わぬ能面のように喜怒哀楽の脱色された顔で、ジャグラーを見下す。

 

 しかし、そんな剣呑な雰囲気すら最早ジャグラーは頓着せずに口を開き語り始める。

 

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