刀使ト修羅   作:ひのきの棒

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第158話

 ――――月夜は冷やかに、それでいてビルの尖塔群は閑寂とした風情を残す。

 ウィンチクレーンと高層ビルに点々と輝く赤色の航空障害灯は、暗闇に無機質に光続ける。

 

 基地の屋上に佇む、華奢な一個の人影が外灯に照らされる。

(――――もう一度襲撃が来れば私は、防ぎきれるだろうか?)

 濡羽色の長い髪を夜風に靡かせつつ、緋色の瞳を細める。十条姫和は御刀《小烏丸》の太い鞘を左手で掴み、市ヶ谷基地の襲撃を反芻する。

 彼女は、普段厳しい表情をしている癖で目元が物思いに耽るだけでも、端正な顔立ちを合わせて近寄りがたい印象を与えた。

 

 ――――そういえば、可奈美は警備に行ったんだったな。

 

 そう思いながら目下に拡がる市ヶ谷基地周辺を何気なく眺める。既に時間は過ぎ、基地の庁舎や広場など、襲撃の被害も収束に向かいつつあった。……ただ、国防の中枢を襲撃されたという衝撃的な事柄は刀使を含め、自衛隊でも心理的な動揺は計り知れない。

 

 「…………私は、この先一体どうしたらいいんだ?」姫和は呟く。

 

 これまで、母の仇として恨み、復讐を果たそうと『折神紫』を狙ってきた。――――だが、可奈美たちと行動を共にする中で二〇年前の事実を知った。

 そして、潜水艦の中で実際に折神紫という人間と対話した時、直感で理解した。

 

 ――――この人は、私と同じなのだ、と。

 

 使命を背負い、大荒魂をその身に宿す覚悟をした。その点で言えば寧ろ私(姫和)よりも崇高な存在に思えた。だからこそ、これまで『恨み』と『復讐心』のみで突き動かされてきた自身の存在意義が解らなくなった――――刀使を辞めようと思っていた。

 

 しかし、再び刀使として最前線に居る。

 

 矛盾した感情を持ち続ける自分の心は、未だに葛藤が終わらない。

 確かに、使命という事であればタギツヒメの野望を阻止するべきなのだろう。それは明確だった。……だが、感情が追い付かない。

 「これ以上、私は真実を知りたくないんだ」

 姫和は冬の澄んだ夜空から視線を外して、俯き加減に言った。

 これ以上、真実を知れば自分の心が受け止めきれないだろう。

 

「私はただ、母の仇を倒したかった。それだけなんだ…………」

 

 ぐっ、と右手の拳を強く握る。

 あの日、御前試合の決勝戦で――――全てを終わらせるつもりだった。刺し違えてでも、何もかもを終わらせるつもりだった。

 

 衛藤可奈美という少女が差し出した手に掴まれ、引っ張られて、ここまで来た。

 

 

「私のなすべき事はまだあるというなら、」と、一旦言葉を区切る。短い時間、可奈美たちと旅をした日々、そして今――――。

 ありありと、懐かしい光景を思い出す。

「今度は間違わない。今度は、本懐を遂げる…………」

 口を無理やりに真一文字に結び、頬にかかる髪を風の吹くままに任せた。

 折神家屋敷を襲撃したあの時、隠世に行く寸前でこの身を押しとどめた「腕」が脳裏を過る。……思わず、口元に苦笑いが浮かぶ。

 

 胸の辺りに右手を重ね、

「お前の手の届かない所まで、私は行く」

 決意の言葉を漏らした。失う事に存在意義を見出す少年へ、挑戦状とも決別とも言える言葉で、姫和は自身の感情を吐露して整理した。

 

――――未練が残れば、必ず「生」に執着してしまう。

 

「私は、私のなすべきことのため、刀使の役割を尽くす」

 頭を上げると同時に、緋色の瞳は硬い意志を宿していた。

 

 

 

温かな光が左腕の刀身から溢れる……。

 その場に居合わせた人間たちは、その光の美しさに思わず息を呑む。まるで意志を持つように、巨像――――荒魂化した「御門実篤」という一人の男に百鬼丸が近づくたびに、優しい光が彼の巨体を照らす。

 

 「――――〝ようやく会えた〟、だってよ」

 百鬼丸は左腕から直接脳内に伝わる言葉を口にした。テレバシーのように頭で直接響く声はどこまでも優しく、美しかった。

 これまで悪鬼羅刹、魑魅魍魎との闘いを共に乗り越えた左腕の刃《無銘刀》

 通常の御刀であればノロまで完全消滅させることは出来なかった。しかし、この左腕の刃だけは異なる。

 荒魂のノロすら跡形もなく消し去る。

 その理由が百鬼丸にとって長年謎だった。

 しかし、今なら解る。

 

『荒魂は深い孤独感、悲しみの中から生まれてきた。だから、それを癒し、傍にいてくれる存在が必要だった――――』と、折神黄泉――――だった少女の思い。

 

――荒魂の存在。長年の体験と理屈ではない本能に訴えかけるようにして、その言葉を諒解する。

 百鬼丸は右手の指先で刀身の表面に施された模様のような文字に触れた。いわゆる『神代文字』と呼ばれる文字が施された刀身。

 剣薙の巫女が御刀に呪術を込めるために、用いられたとする神性な文字。

 太古の昔に失われた文字の意味。

 折神家に脈々と受け継がれてきた文字を惜しげもなく刻み込み、自らの思いを伝える。

 

〝困難をともに――――。〟

 神代文字にはそう記されていた。

 

 

 百鬼丸は、膝を屈した御門実篤の傍まで近づき語り掛ける。

 「あんたの生命を終わらせるのは、〝おれ達〟の役割なんだよな」

 荒魂を受け入れながら、人間の心を失わず、戦後の七〇余年以上も戦い続けた男に向け告げた。

 左腕を頭上に掲げながら、深呼吸をひとつする。

 狙いは間違えない。胸の中心、ノロの核がある場所を的確に貫く。それだけで、この男は終わる。

 

 『待てッ、百鬼丸っ!! 貴様待たんかッ!!』

 よろよろ、足元を瓦礫に足を取られながらも実篤と百鬼丸の間に立ちふさがる老人。

 「よせ、なぜだッ!! 少佐はただ、ワシらを守って下さっていたではないか? 殺すことはない…………そうだ、こうして理性も保っておる。な、そうだろ? 百鬼丸?」

 哀れな表情で、必死に抗弁する虎之助老人は首を小さく振りながら攻撃を止めさせようとした。

 「どいてくれ」

 「ダメだ、な、百鬼丸よ勘弁してくれ、な? な?」 

 先に進もうとする百鬼丸の足元に、地面に崩れるように膝を落として無理やりしがみつき、老人は動きを封じた。

 

 「少佐は、この地下で〝あの日〟から何の愉しみもなくただ孤独に長い時間を戦ってきた。お前にも分かるだろ? な、百鬼丸。お願いだ、ワシの大切な恩人なんだ」

 虎之助老人は懇願した。恥も何もかもをかなぐり捨ててでも、叫ぶ。

 

 百鬼丸は目前の実篤に視線をやる。巌を刳り貫いたような顔面は、苦笑いのような表情を浮かべた。

 「よせ、トラ。もういい。この時を小生は待っていたんだ」

 優しく語り掛けるように実篤は言った。

 「いいえ、まだ貴方に命を救われたワシは、貴方に話したいことがたくさんあるんです、救われた命。恩人を守るために――――ここで失っても惜しくはありません」

 「………………トラ。小生と別れたあとの世界は、どうだった?」

 「えっ?」

 実篤の突然の問いかけに対して、虎之助老人は肩越しに振り返り――言葉を詰まらせる。

 もう一度、子供に諭すようにいう。

 「地上の世界は、安寧か?」

 その意味を、虎之助老人は直ぐに理解した。

 

 自分が地下で荒魂を食い止めた間、地上の世界は平和であったか? と、そう言っているのだった。

 もちろん、完全に安寧である――とは言い難かった。

 それは恐らく、実篤も承知の上だろう。それでも、問いかけずにはいられなかったのだ。

 

 老人は何というべきか、迷いながらも口をひらく。

 「ええ、貴方の、あなた方の守って下さった世界は、安寧そのものです」

 たとえ、この台詞に虚偽が混ざっていたとしても、虎之助老人はそう答えるべきだと思った。

 戦後の混迷期を抜け、高度に社会が発達し、人々が「日常」を享受した時代――――。誰かを犠牲にして得た代償としては、たしかに完全なものではない。

 それでも――――。

 「あなた方の、やってきた事は決して無駄ではありませんでした」

 老人は震える口元で頭を垂れ、万感の思いを告白する。

 

 百鬼丸は老人の肩に手を置き、腕を離すように促す。虎之助老人はゆっくりと両腕の力を緩めた。

 大股で移動した百鬼丸はその侭、実篤の目前に佇む。

 

 実篤と百鬼丸の視線は穏やかに交錯する。

 「百鬼丸、といったな。お前の刃は乱暴で粗削りだった」

 「――そうか」

 「それでも、何かを失ってでも、得たいという意志を感じた」

 「――――……。」 

 実篤は憂いを浮かべる少年を真正面から見据える。

 「百鬼丸、お前は何者になりたい? 何者になるべきだと思う?」

 

 そう問われた百鬼丸はただ、無言で奥歯を噛みしめながら再び左腕の刃を構えて狙いを定める。

 フッ、と実篤が口元を綻ばせた。

 「それが解れば、きっと小生とは違う活路が開けるだろう。……忠告だ、小生のようにはなるな」

 

 「――――ああ、そうだな。おれはもう〝修羅道〟の途中だ」

 長い前髪の間から覗いた瞳には、実篤の巨体の像を映し出していた。

 

 ドスッ、という硬い胸板を貫く光の刃。

 二の腕部分まで胸の中央に突き刺さっていた。 

 

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