――――最初に見たのは、眩い程の曙光だった。
御門実篤、かつて名乗っていた時の……人間「だった」時の姿で、緑に覆われた草原の小高い丘の上に佇んでいた。
「ここは……?」
実篤は振り返りながら周囲を丹念に眺める。七〇年以上も巨大な地下の牢獄空間とは異なり、解放感があった。
草花の馥郁とした香が鼻を爽やかに打つ。
『懐かしい匂いでしょう?』
背後から聞こえた女性の柔らかな声。
随分と久しぶりに聞くその声に、実篤は戸惑った。しかし、後ろを振り向くことが出来なかった。――はやる気持ちを抑えて、
「――――ご当主様、ですか」
その言葉を口にした時、ノスタルジーが胸を満たした。
二度とその単語を口にできる日が来るとは思っていなかったのだ。
「そう、ですね。ええ、そうです。――――実篤様はもう私の名前をご存じの筈です」
実篤は無意識に自らの両手や体を見ていた。
二メートル近い身長は、鍛え抜かれた肉体を持つ頃のままだった。
何一つ「あの頃」と変わらない姿かたち。…………そして、随分と長い時間を経過させても、心もまた変わっていない事を実感した。
俯き加減に、実篤は口をおもむろに動かす。
「折神黄泉、様です」
言い終わってから大男は意を決して振り向いた。
実篤の数メートル距離を隔てた所に、初めて出会った時のままの姿をした少女の姿があった。
「――――はい。実篤様にそう呼ばれるまでに、少し時間がかかったかもしれませんね」
黒い髪には、朝の光を受け艶やかな趣を湛えていた。
「小生は、もう二度と貴女に合えないと思っておりました。軟弱な男とお笑いください。――しかし、小生がやってきた罪には相応の罰が必要だったのです」
「罰?」
「小生は、罪もない命、救える筈だった命を見殺しにし過ぎた。その意識だけが、七〇年以上も消えなかった。恐らくは、この幻で出会えた貴女とは、ここで最後です。地獄に行かねば」
深刻な口調で語る実篤には、荒魂へと姿を変えられた子供たちの映像がなお、鮮明に脳裏に焼き付いていた。
――――しかし。
折神黄泉は微笑を浮かべ、首を横に小さく振った。
「……いいえ。最後にはなりません。もし、貴方が地獄にゆく程のことをしたのなら、私も同じ罪を背負っています。ですから、貴方は決して一人にはなりません」
穏やかに、優しく、諭すように言う。
「そ、そんなことはありません! 小生が……、あの時に轆轤秀馬を止めていれば――――」
「轆轤秀馬、ですか。あの方も――今になれば、役割に殉じた哀しい人だったと分かります。ですから、それを黙認し続けた私も、同罪です」
伏目がちに黄泉は語る。
「本当は、今できる精一杯の役割を果たしただけだったんです。逃げることも、目を背けることも出来ないのなら、役割を終えるその時まで、心を殺して日々を過ごさねばいけなかった。…………許される行為なんてありません。ですから、私たちは共犯者で良いのではないでしょうか?」
一陣の風が両者の間に吹き流れる。
黒髪が白い頬に重なり、それを無意識に少女は手で整える。
その仕草はかつて、折神家の屋敷で庭の手入れをしていた時に見覚えのある光景だった。実篤は、胸が締め付けられる程の懐かしさを噛みしめながら、
「なぜ、貴方は刀剣となったのですか」と、訊ねた。
百鬼丸と名乗る少年の左腕に刃として、宿っていた理由が知りたくなった。
「――――私は、あの地下の荒魂一掃作戦のあと、生きながらえてしまいました。そして、もう二度と人間として生きることは出来ないと理解していました。ですから、私は自ら志願して、刀剣を造る際に用いられる溶鉱炉へと身を投げました」
「………………なぜそのようなことを?」
「あのとき、そのまま生きながらえても、荒魂として地上を滅ぼす恐れがあった。それに、人間の私とノロから生まれた荒魂の状態であれば、再び刀剣として生まれ変わる方が都合が良かったんです。神代の文字に宿した思いで、願わくば刃を振るう使い手にも荒魂に寄り添ってもらえるように――――」
「な、なにを仰っているのか小生には…………難し過ぎます」
ふふっ、と軽く微笑みながら実篤を真っすぐに見据える。
「荒魂となった私は理解しました。ノロから生まれた荒魂は寂しい、孤独の感情に支配されていました。拠り所のない赤子のようなものでした」
黄泉の言葉通り、実篤もまた荒魂となって戦ってきた。
肉体は確かに強化されたものの、それ以上に精神の飢渇感に苛まれていた。常にその吐き出しようもない欲望を。
「それは…………その事であれば、小生にも身に覚えがあります。ですが、小生は黄泉様が自己犠牲を厭わない、そんなになるまで、どうして頑張れるのですか。貴女が傷つく理由なんて――」
「実篤様、」
と、初めて怒ったような口調で一言、黄泉は眉間に皺を寄せていう。
「それは貴方のことです。地下で荒魂の動きを七〇年以上も封じて地上の安寧を保ち続けた貴方は十分に頑張りました。ですから、もうご自分を責めないでください」
その言葉を聞いて、思わず実篤は笑いだした。
「あっはははははは。そうですか! そうですね。小生たちはどうやら似た者同士という事だったのですね。小生は、本当にやりたい事がひとつあったんです」
巌を刳り貫いたような恐ろしい顔の実篤だったが、初めて人らしい柔和な顔でいう。
「――――たった一人に人生を捧げる生き方をしたいと思っておりました」
その台詞を聞いた黄泉は、何かを察したように純真な眼差しを向け、
「どんな方に、人生を捧げようと考えていらしたのですか?」
と、尋ねた。
実篤はゆっくりと歩幅を広げて黄泉との距離を詰めて近寄った。
「小生は、自己犠牲を厭わない、そして常にだれかの為に生きておられた、だれよりも優しい折神黄泉様の為だけに捧げる所存でございます。ご所望とあれば、剣技も何もかも、披露して…………」
「――――ふふっ、いいえ。そんな堅苦しいものはいりません。ただ、貴方が隣に居てくれれば、結構です。それだけが、それだけのために頑張ってこられたんだと思います。もし、良ければ〝地獄〟までお付き合い下さいませんか?」
そう言いながら、彼女は白魚のような肌の手を差し出した。
実篤は一瞬、呆気に取られていたが彼女の意図する事をすぐに理解して、苦笑いを漏らす。――そして呆れたように首を横に振る。
「まさか、ここまで貴女がお転婆姫だとは思いませなんだ。ええ、御門実篤、この全てを捧げ、貴女の隣を…………」
言いながら、黄泉の手を軽く触れて傅いたまま口付けをした。
「「――――ともに、どこまでも」」
◇
――――百鬼丸は、これまでの記憶を一気に受け止めていた。
「折神黄泉」と「御門実篤」という二人の長い時間の記憶が滝のように激しい奔流として、たった十数秒の内に理解した。
そして、今左腕で実篤の胸の中心を刺している現実。
貫いたままの左腕の光はいつしか失せて、代わりに冷たい石のような感触が感じられた。意識を現実の方に完全に引き戻した百鬼丸は、石化が始まっている実篤を見た。既に八割以上が石化を初めており、硬い表皮のようになっていた。
「――――なんで、いつもこんな役割ばっかなんだろうな、おれ」
百鬼丸は、小さく誰にも聞こえないように呟く。
いつもこうだ。
毎回、毎回、誰かを殺す度に――――――殺した相手の記憶が流れこんで、最後は必ず自分の姿が「映像を見ている自分」を殺す。
……やりきれない思いがいつも、百鬼丸の精神を蝕む。
『なあ、百鬼丸――――だったな』
石化途中の実篤が微かに精神からテレバシーで百鬼丸に語り掛ける。
『お前がその左腕に無銘刀という刃を宿した理由が解った気がする。お前はだれよりも優しくて、どんな困難にも立ち向かうだけの勇気がある。そして誰よりも弱い者に寄り添うことのできる者だ。――――誰かのために戦える者だ』
ギリッ、と唇から血が出るほどに歯噛みをして苦い表情になった百鬼丸。
「うるせーな、おい。とっととくたばれ」
『たとえ、誰かがお前の行動を、勇気を、栄光を知らなくても、きっと誰かが真実を知る日がくる。―――――黄泉様と出会わせてくれて感謝する』
言い終わると、既に実篤は完全に石化していた。
文字通り石像となった「男」の表情はどこまでも穏やかであり、一切の苦痛苦悩はなさそうに見えた。
百鬼丸は静かに深呼吸をする。
「チッ、うっせーな。調子が狂うんだよォ……………」
文句を言いながら、実篤の言葉を受け止めていた。