まるで、豪奢な宮殿の一室を模したような部屋は、刀剣類管理局の維新派――――その実務全般を取り仕切る事実上の指揮所となっていた。
現在、タギツヒメを擁する維新派は体制への攻勢を仕掛ける準備を行っていた。
しかし、そんな危うい雰囲気など無縁な場所とすら思われる高級ホテルの一角で着々と計画が遂行している。
室内の調度品の一つひとつは華美な装飾は施されず、すべて簡素に、しかしその確かな素材の質感を生かしたデザインとなっていた。
革製の極上の座り心地を追求した椅子に座った女性は、その一切の高級な空間に身を置くにも関わらず、心が安らぐどころか苛立ちが増していた。
「はぁ!? 荒魂が渋谷に出現した? しかも人を食い殺している? ――――そんな話聞いたことがないわ!! 真面目に報告ぐらいできないのッ?」
目前にいた伝令役の綾小路の冥加刀使は、思わず身を竦めた。
高津雪那は怒鳴りながらも、速報で伝えられた化け物について混乱していた。
(あり得ない、荒魂が人を食うなんて話…………もしかして――――)
雪那は心臓の心拍数が上昇するのを感じながら、「ある人物」に連絡をとるため電話を手にした。
「もしもし、轆轤局長?」
『ええ、私です。いかがされました?』
あくまでも穏やかな声音が一層、この男の不気味さを際立たせる気がした。……この男相手には隙を見せてはいけない。雪那は椅子に深く腰掛け軽く息を吸う。
「――――率直に聞くわ。渋谷の化け物について知っているでしょう? 全部教えなさい。アレは何?」
『アレ、ですか。私も詳しい正体までは知りません。ただ、荒魂ではないというのは貴女にも理解できますよね?』
雪那は瞬時に理解した。この男が関わっている、と。いくら日本国の中枢にいる役人でも、こんな不測の事態であっても、余裕を持って会話ができる筈がない。
「チッ、こんなことして、計画が全部台無しになったらどうする気なのッ!?」
『計画……ああ。いえ、大丈夫ですよ。私が考えているのはあくまで、〝アレ〟の抹殺のみ。そして計画とやらの障害になるのも〝アレ〟ですよ。始末しなければ。貴女は自ら手を汚すのがお嫌いですから、汚れ仕事は私が全て受け持ちますよ。気が楽でしょう? それと近衛隊の刀使は出動させなくて結構。すぐにアレが駆け付けますからね。』
あははは、と笑いながら轆轤秀光は電話を切った。
(一体何なの、この男は!? 狂ってるッ、マトモじゃない)
額を手で抑えながら椅子に深く腰かけた。
「いかが致しましょうか?」伝令の刀使が不安げに聞いた。
しかし、声は雪那の耳に届かず親指を噛みながら苛立ちを抑える。
「…………そうよ、今回の件はコチラの責任ではないもの。近衛隊は出動しなくていいわ。貴重な戦力をアイツら以外に使ってなるものですか。ヒメと、私の夢を潰すワケにはいかないもの。ええ、そうよ」
彼女の中にあったほんの少しの良心の呵責から逃げるように、ブツブツと独り言を漏らして引き攣った笑みを零す。
「全部隊に通達。渋谷の化け物は相手にしなくてもいいわ。……そうね、せいぜい避難誘導くらいは人員を回せるかしら」
その位はしないと国民の反感は買うだろう、という雪那の計算のもと指示が下された。
言い終わってからふと、
「とはいえ、あんな化け物も荒魂として認識されてしまえば、自衛隊は軽はずみに動かせない。あくまで治安維持上の問題……考えたわね」
改めて冷徹な男に、畏怖を覚えた。
◇
某、民放放送会社のスタジオ。
急遽決定した放送によって、スタッフたちが慌ただしくスタジオ内を歩き回るなか、一人の男が冷静に首を軽く振る。
電話を終えたあとの轆轤秀光は冷酷な光を瞳に宿しながらネクタイを締め直して髪を整える。
「TV放送用の準備はできているかい?」
側近の部下に訊ねた。
「はい、あと15分で準備が終わるそうです。…………しかし、重大な発表って何ですか局長。極秘と言われていましたが、本当に当日まで秘密になさるとは思いませんでした」
放送用の原稿を眺めながら、側近は硬い表情で言った。
「あははは、悪いね。渋谷がいま凄い騒動じゃないか。無関係じゃないんだよ。とにかく準備を頼むよ」
秀光は部下の肩に手を置き微笑む。
「は、はい」
背筋を伸ばして返事をした部下だったが、どこか不安が拭いきれずにいた。
(この人は何を考えているんだろう)
長い付き合いだが、彼が考える事が一切理解できなかった。しかし轆轤秀光という人物の有能さも知っていたため、敢えて口を出さずにいた。
◇
「渋谷に人食い荒魂? しかも大型ときた。…………ちっ、どーなってるんだ!」
刀剣類管理局の本部指令室では、真庭紗南が頭を抱えながらスクランブル交差点の固定カメラの映像を眺めていた。
かつて、江ノ島での厄災と光景が重なり、一瞬だけショックで動けなくなった。
多くの民間人、警察官、自衛隊、――――そして年端もゆかぬ刀使が犠牲になった。
世界の終わりだと思った。
その時の生々しい記憶が、紗南の脳裏を過った。
「あれは、荒魂じゃない」
かつて刀使だった経験から解る。荒魂は肉を貪り喰う習性を持たない…………少なくとも、腹を満たすために人間を食い殺すなど聞いたことがない。
「真庭本部長、現場の警察から刀使の派遣要請が出ています。」
「――――――。」
紗南は暫く声が出なかった。……判断を下すことに躊躇いが出た。
荒魂であれば刀使は出動させる。しかし、アレはそうじゃない。みすみす刀使を出動させて無意味な犠牲者を増やせと? このまま被害を放置すれば民間人の犠牲者は数を増やす。
「………………どうすればいいんだ」
苦悩に満ちた表情で力の抜けた状態で椅子に腰かけた。
どちらにしても、人が死ぬ。
悩む理由など本当はないのだ。たとえ化け物が荒魂でなくても刀使を派遣させればよいのだ。――――ただ、彼女たちの命の保証など問題の外にすれば。
「これじゃ、二〇年前と何も変わらないじゃないか」
たった二〇年前は自分が前線で戦っていた。誰かを守るための戦いは使命感と、残酷な現実でも戦い抜く若さと無謀さがあった。――しかし今は違う。
大人となってしまった今なら、学長を経験して若者の成長を見守ってきた今は違う。
――――刀使(わかもの)たちを無策で出撃させることに、臆病になったのだ。
ブブブ、と山吹色のどてらのポケットから振動が感じられた。携帯端末には「益子薫」の名前が表示されている。
「どうした?」
『よぉ、おばさん』
「――――悪いが、今は冗談に付き合ってる暇がないから、また後で…………」
『真庭本部長。聞いてくれ。オレたち六人であの化け物を止める』
「――んなッ、正気か薫。あれは荒魂とは明らかに違うんだぞ。荒魂なら刀使で対処できるが……あんな生物で一体どうする気なんだ」
『だからオレたちでなんとか足止めするから…………』
「ダメだ。無策でお前たちを危ない目に合わせるワケにはいかない。大丈夫だ、こっちで時間をかけて対策を――――」
『時間なんかかけてたら誰も救えねぇだろ!!』
「―――――。」
薫の珍しい怒声に、紗南は冷静さを取り戻した。普段の昼行灯ぶりが嘘のように………tね否、彼女の本来の性質である利発さを感じていた。
「何か勝算はあるのか?」
『……正直、厳しいと思う。けど、何もしないワケにもいかねーだろ。大荒魂と戦った経験はオレたち六人だけだ。勝てないにしても、連携して足止めくらいはできると思う』
「足止めした先は、どうする? そんなことで――――いや。解った。自衛隊にすぐ協力要請をして即時対応を行って貰えるように交渉する。それまで持ちこたえてくれ」
『期待してるから早めになんとかしてくれよ』薫は気だるげな普段の口調で応じた。
「ああ、わかった」
『じゃーな、おばさん』
「お前、あとで覚えておけよ」
通話を終えた紗南はすぐさま防衛省に連絡を取ろうとした。
(すまない、薫。お前たちにばかり…………)
ギリッ、と奥歯を噛みしめながら紗南は自らの無力感に打ちひしがれていた。それでも子供たちを守る為の最善の術を見出すべく、出来る限りの事柄を実行することに決めた。
これ以上、誰も失わないように。
◇
「――――だとよ。オレたちだけで足止めするぞ」
携帯端末をポケットに仕舞いながら、薫が言った。
薫の横頬に墓石の表面に太陽の反射光が当たる。
彼女たちは自衛隊市ヶ谷基地の、いわゆるメモリアルゾーンにいた。
この場所の中心には一基の石碑が配置され、石畳に舗装された道の両側には芝生と選定された生垣と木々がある。
都心とは思えぬ静かな場所だった。
昨夜の冥加刀使の襲撃後、市ヶ谷基地は忙しく負傷者などの手当で混乱の渦中にあった。つまり、いまこの施設の中で一番静かな場所を選べば、このメモリアルゾーンに行き着く。
一連の会話を聞き終えた可奈美は真剣な表情で頷いた。
「うん、わかった。…………頑張ろう」
近衛隊襲撃の翌日――――である。皆疲れていない筈がない。だが、それでも人を守る刀使として自発的に「この場」に居る。たとえ荒魂でなくとも、人を守るという事に変わりはない。
薫は、
「そいや、名古屋の研究所で怪獣と戦ったことあるんだろ、二人とも」
エレンと舞衣を見た。
「はい、ありまスヨ」
「……うん」
「そんときはどーやって怪物を倒したんだ」
「その時は、」
と、舞衣が口を開いた。
「百鬼丸さんが倒したの。簡単にバッサリ斬ったんだ。でも、正直に言うとね、凄く怖かったの。暴走しながら怪物の肉を食べながら倒しちゃったの。私は何も出来なかった」
「そんなコトないですよ、マイマイ」
「……ううん、百鬼丸さんが射撃をしている時にね、射撃の観測手をしながら思ったの。もし怪物と戦う時に、百鬼丸さんが居なかったらどうなってたのか」
「――――マイマイ」
エレンも舞衣と同様、研究所で百鬼丸が巨体の怪物を斬殺する光景を目にした。だからこそ、軽はずみな励ましの言葉をかける事を躊躇した。
「でも、やっぱり人を助けたいから私は刀使になったから、怖くても戦わいなといけない。そう思うんだ」
舞衣は、恐怖を押し込むように胸元で手を固くグッと握り、荒魂とは異なる原理で動き人を喰らう化け物と戦う決意を示す。
(化け物、か――――。)
姫和は己の右手をジッと見詰めていた。今までは荒魂だけを相手にしてきた。当然、例外的に親衛隊や冥加刀使は別である。しかし、単なる巨大な生物という別原理で動く生き物とどう戦えば良いのか。
「姫和ちゃん? どうしたの、ぼーっとして」
「ああ、すまない。結局私たちだけで先行して戦う方針でいいんだよな?」
薫に尋ねる。
「ああ、その方針だ…………今はあのバケモンが定義上『荒魂』扱いだからな。せいぜいSTTかオレたち刀使しか動員出来ないんだろうな。行政のお偉いさんたちも」
溜息を吐きながら答えた。
「そう、か…………」
バケモン、という単語を聞きながら、姫和はふと自らを『異形』の存在だと嘯く少年の横顔を反芻した。
アンケ回答ありがとうございました。
……よく考えたら、「このまま」って結構漠然とした聞き方でした。スイマセン。すごーく、適当な不定期更新かもしれませんが、生暖かい目で見守ってください。
あと、今後の展開上、美炎×ジャグラーのお話は省きます。本編終了後に回します。スイマセン。