レインボーブリッジくんから品川埠頭くんに!
ごめんよー。
鈍色の海を横目に、物流倉庫の密集する主要幹線を疾駆する一つの車影がある。
乱暴に束ねた長い髪が左右に靡く。
道路交通法違反のバイクを運転する主は、鋭い眼光で次々と信号で止まる車列を縫うように抜き、ハンドルグリップを回す。
東京の冬の薄暗い空が、バイクの金属部分に弱光を投げかける。
『君には法律は無いようで安心したよ』
「…………おれの存在を人として認める国があれば、大人しく従うよ」
百鬼丸の皮肉っぽい返しに、心臓に寄生した人格は『ははは、そうか』と満足そうに答えた。
やや翳りのある表情で「どうせ、どんな世界でもおれは嫌われ者だからな」と低く本音を吐露した。
バイクのスピードメーターは既に一〇〇キロを超えた。
品川埠頭~渋谷方面まで約11・5㎞、車両移動に換算して約二〇分少々。
三田方面を進み、芝公園を抜け六本木から幹線道の412号道路を目指す。しかし、お行儀悪く走行すれば話は別だ。
(途中でバイクを棄てて加速装置でビル群を飛べば――――。)
少年は片足の加速装置に意識を向けた。短中距離での移動を物理的に加速させる、この太腿の装置を「戦闘」にではなく、「移動」に用いる。
(リスクがある…………。)
と、思った。
強敵であればある程、加速装置の重要性は高まる。しかもリボルバー方式を採用しているために六連しか使う事ができない。
一発での加速に最長45秒加速として270秒=4・5分。
これだけ使うと、次の日まで加速装置は使用不可能になる。
百鬼丸は口をへの字に曲げ、
「しかし厄介な事になったな」と、独言する。
『まぁ、とにかく左腕のワイヤーで代用したから動きに問題はないだろう?』
「まぁな」
◇
百鬼丸は、地下での戦いにおいて左腕の刃を失った。つまり、脳から送られた電気信号を伝えていた金属部分の喪失により、義手の人工筋肉の反応速度が5秒ほど遅くなっていた…………その代案として、品川埠頭に積まれていた資材を束ねるワイヤーを奪った。
立派な窃盗犯であるが、敵の襲来に際して遵法精神を発揮する感性は生憎として、この少年には持ち合わせていなかった。
百鬼丸は、超人的な身体能力で埠頭の港湾内に侵入し、資材などめぼしいものを探る。
『押し入り強盗みたいなやつだね、君は』心臓の人格が楽し気に笑う。
「お前は人が死にそうなのに、ルールを守るのか?」
と、ふてぶてしい態度で資材にお札の現金を挟み、ワイヤーを奪った。
…………当然、バイクも同様に入手した。
埠頭周辺を爆音で走行する一団を発見した百鬼丸は、首を捻って口角を釣り上げた。
「ああいう手合いの連中からなら奪い取っても良心は傷つかないなぁ」
左腕に金属ワイヤーの束を解して、人工筋肉の神経網と繋げながら不敵な表情で狙いを定めた。
迷惑走行をする一団という「無法者」に対しては、百鬼丸の「無法者」精神が惹かれ合った。ただ、それだけである。
軽く、太腿の加速装置を指先で撫でて準備を始める。
キィィィン、という起動音が短く響いた。踵の辺りに白く薄い雲が発生した。
まるで地面に弾かれたように少年の体は空中を浮き、さらに一五〇メートル先の標的に向かい襲い掛かった。
◇
バラゴンは尚も、下半身が埋まっていた。全長二六メートルにもおよぶ怪物は、しかし渋谷の地質事情ゆえに身動きが取れなくなっていた。――――いわゆる局地的な液化現象により、バラゴンの下半身は埋没していた。
バラゴンの浅い地下から出現した事により、地震に似た振動が起こった。結果として地下水の豊富な渋谷の地層は液状化し、バラゴンを捕らえる檻としての機能を果たした。
ギャオオオオオオオオオン!! ギャオオオオオオオオオン!!
耳を劈く咆哮を天空に向かい放つ。
腥い血に濡れた口内には死者の肉片が牙の間に残っている。人間がタンパク質の餌である事実が、この怪物によって示された。
渋谷駅の混乱は著しく、駅ホームに避難しようと大勢の人間が押しかけ、数千人規模での混乱が発生した。また、地下鉄への避難も同様である。地下鉄のトンネルを破壊して出現したバラゴンの影響により、破壊された瓦礫で地下鉄も機能不全に陥った。
特別祭祀機動隊、通称『刀使』は荒魂と異なる化け物退治に出動要請がかかった。
バラゴン出現から約七分後のことであった。
…………当初、周辺を警邏(パトロール)していた刀使の五班(約一三名)に出動命令がかけられた。
しかし、被害状況の甚大さを鑑みてS装備の装着時間を考慮し、更に一三分後に出動命令がかけられた。
余談であるが、この先遣隊の刀使たちに出動命令が下されたのは、刀剣類管理局本部からではなく、別の指示系統から発せられた誤情報である事が後に判明した。……しかし、その情報元は、厳密な検証によっても発信元が探知されることは無かった。
その間にも、国内の治安維持を司る関係省庁は混乱した。
官僚機構および内閣は判断に揺れた。
この荒魂かもしれない化け物に対し、自衛隊を派遣するか、否か。しかも派遣したところで斃せるかどうか。
内閣の会議中の一室には通夜のような重苦しさが漂っていた。誰かが発言すれば目立つだろう。しかし、誰も発言しなかった。――――あまりに苦しい沈黙の果てに、
「すでに死者が出ている」
と、誰かが会議室に設置されたモニター音声と重なるように言った。
事実、テレビモニターに映し出された化け物が上半身を地上に晒して、食人を行っている。ヘリから空撮をしていた民間のTV局の映像は、あまりに衝撃的だった。
…………それが、劇的な食殺行為ではなく、自然界における当たり前の「食事行為」に見えたからだ。
現代人はあまりに、衝撃的な映像に慣れてしまった。
◇
「なに、これ」
最初に到着した刀使が、息を呑みながら言った。
彼女たちの目前に繰り広げられた光景は、およそこの世の地獄と言って差し支えなかった。
バラゴンの出現により倒壊したビルの巨大な瓦礫で逃げ道の制限された渋谷のスクランブル交差点。更に、避難誘導する警察官たちも、負傷しながら職務を遂行している。
ビスケットのようにボロボロと砕け、亀裂の走ったアスファルト舗道は血液が赤黒く濡れ、吐きそうな程の腐った匂いが鼻を打つ。
巨大なモニュメントと化したバラゴンの上半身はうねるように動き、頭部の鼻に位置する部分には光る角が輝いていた。
『おせーよ、何してんだよ! アレ、荒魂だろォ! おい、なんでもっと早く来なかったんだよォ!』
『ふざけんじゃねぇぞ! いったいどれだけ人が喰われたと思ってるんだァ!』
渋谷の中心から避難中の群衆から、特別祭祀機動隊を批判する声があがった。
人々は「誰かに責任」をとって欲しかったのだ。――――現代人故に。
これまでの出動とは違う異様な光景を前に、年端もゆかない少女たちは対応に迫られた。
ギャオオオオオオオオオン!! ギャオオオオオオオオオン!!
化け物の丸く巨大な瞳が、次の獲物を探るように周囲を窺い始めていた。
刀使たちは、バイザー越しに異形の悪魔と対峙せざるを得ない。……判断を誤れば多くの民間人を失う。
班内の一人の刀使が「死にたくない」と小さく呟いた。
目を大きく瞠り、惨劇を前に生存本能が勝ったのか、その場にヘタり込み、大勢の民間人から投げられる罵詈雑言で既に、精神が摩耗していた。
恐怖は伝播する。…………一度、逃げるという選択肢が頭に思い浮かんだ以上は「立ち向かう」決断が鈍ってしまった。
どうして、自分たちはこの場に居るのだろう?
なぜ、こんな苦しい目に遭わなくてはいけないのだろう?
どうして大勢の人々が自分たちを責めるのだろう?
先遣隊の班長を任された鎌府女学院の刀使は、己の立場に苦悩した。
――――もう、すでに巨獣に戦いを挑む判断が下せなくなっていた。
荒魂ならばいくらでも対応の仕方はある。しかし、アレは何だ?
「ああ、ようやく特祭隊がきた。よかった…………」
そう言いながら、彼女たちに近づく若い男性の声がした。その方向に班長の刀使が意識を向けると、一人の警官がゾンビのように歩きながら近寄ってきた。
彼は左腕を欠損していた。しかし痛みに呻く様子もない事から察するに、アドレナリンの過剰分泌による一時的な痛みの麻痺をしているのだろう。
「ひっ」と思わず声をあげそうになったが、喉元で悲鳴を呑み込み、冷静に頷く。
「あれ、何ですか? 荒魂なんですよねぇ? どうです? ぼくにはわからないんですよぉ、ねぇ? ははは、とにかくお願いしますよ。あれならすぐ、倒せますよねぇ?」
若い警官が、狂気の表情で笑いながら欠損箇所から滂沱の血液を垂れ流す。もはや、精神がおかしくなったようだ。
班長である刀使の少女が、若い警官から目を逸らし、
「…………分かりました。ぜ、全員抜刀」
震える声を抑え、臨戦態勢を命じる。
班員は全員で五名。そのうち、一人が先程のショックで動けない――――とすれば、実質は四名。
しかも、その全員が怯えている。
腰に佩いた御刀を抜く音に小刻みな震えが聞こえた。カチャ、カチャ、と金属の震える音色。
「全員、一時的に散開して敵の注意を逸らすように!」
荒魂の対処と同様に、まずは敵の注意を逸らすことに決めた。
…………決めてから、班長の刀使は改めて知った。
恐怖で硬直する自らの筋肉を。
――――死にたくない、という本音を。
◇
『なぁ、百鬼丸くん。人間が自分を人間だなぁ、と感じる瞬間はいつだと思うかい?』
バイクを運転する百鬼丸に対して、彼の心臓に人格を宿した男、ジョーが問いかける。
「あ? 知らねーよ。んなもん」
『そうかい。いいかい、人間は己の弱さと向き合った時にだけ、本当の意味で自分が〝人間〟だと認識出来るんだよ』
「んなら、おれだって――――」
『違うよ、百鬼丸くん。いいかい? 人は「己が非力」だと知ることで自分が人間だと認識出来るんだよ。君は違うだろうに』
「―――――。」