刀使ト修羅   作:ひのきの棒

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第17話

 静岡県伊豆市と賀茂郡川津町の境――天城峠。この天城越えで知られる天下の難所も、現在は朝靄の中に包まれていた。周囲を囲繞する山々があり、新鮮で澄んだ空気に満ちていた。この天城、道の駅に停車した。

時刻は午前六時前。

走行中唐突に、

 「休憩しよう」

 と、姫和が提案した。

 まるで図ったかのようなタイミングである。

 ――ああ、と承知しながら百鬼丸は車を道の駅駐車場の一角に止める。

 曇り空は、危うく雨でもきそうな空模様だった。

 「うぅ~ん。よく寝たぁ~」

 下車したあと可奈美が背伸びをする。ひんやりと肌を撫でる冷気は、凝り固まった筋肉には気持ちが良かった。

 先に降りた姫和は肩越しに、

 「……丁度いい機会だ。ここで別れよう」

 と言った。

 突然の言葉だった。

 「え? なんで……」

 急なことに可奈美は動揺しながら、運転席の百鬼丸へと一瞥をやる。

 その百鬼丸も僅かに驚きの色をみせていた。

 「この先も姫和ちゃんと行くって――」

 可奈美が言いかけた言葉を姫和が遮るように「無理だ」と口を挟む。

 「……一緒には行けない。」

 「どうして?」

 不服そうに訊ねる。

 「昨夜のことで分かった。私の剣は斬る剣。――対して可奈美は守る剣だ。この先は斬る剣しか必要がない」強く言い切った。

 「そんなの勝手に決めないで。姫和ちゃんが勝手にそう思っているだけだよ」

 エビ茶色のローファーの踵を返して、

 「可奈美。お前は人を斬ったことがあるのか?」

 正面を向いた姫和が双眸に意思を溜めて尋ねる。

 「えっ」

 小さく戸惑いの声を洩らした。

 「お前は実際に〝人を斬ったこと〟があるか?」

 念を押すように深く姫和が問う。

 琥珀色の目を瞠りながら可奈美は、

 「《写シ》じゃなくて――?」

 理解が追いつかず答えに窮した。

 「ああ。もしくは、荒魂化した〝人間〟を、だ」

 「ない、けど……」

 語尾が弱々しくなる。普段見せる明るい彼女とは異なる、死にかけの魚のように鈍い反応だった。

 そんな様子を眺めながらひと呼吸置いて姫和が語り始める。

 「近年、人が荒魂化する事例はほとんどない……だが少し前、それこそ私の母の時代などは珍しいことじゃなかった」

 そう言いながら、運転席の百鬼丸へ視線を投げかける。

 「荒魂化した人間は最早〝人〟じゃない。そうだろ、百鬼丸」

 話を突然振られた百鬼丸は、なんとも言い難い表情で二人の少女を見返す。

 「…………」

 「そうか、何も語るつもりもないのだな。――なぁ可奈美」

 「うん」

 「希に荒魂化した人でも、記憶を理解し、言葉を話す個体もあるが《荒魂》は《荒魂》だ。御刀で斬って祓う。それしか〝救う〟手段はない。私たち刀使は人々の変わりに祖先からの業を背負い、鎮め続ける巫女なんだ」

 改めて《刀使》という役割の残酷な運命を突きつけられた可奈美は、やや俯いて、

 「分かってるよ」

 と返事をした。

 しかし、尚可奈美より深く俯いた姫和は胆から声を絞り出す。

 「私がこれからやろうとしている事は、荒魂退治だ。だが限りなく人斬りに近い。私は折神紫を斬る。それを阻む者も……だ。それも限りなく私怨に近い形で、だ。――だが、お前には斬れない。だからここで別れる」

 再び踵を返して歩き去る姫和。

 その後ろ姿を追いかけようと、可奈美が袖を引こうとした――瞬間。

 パチィン、と金属同士の衝突共鳴音が木霊した。

 姫和の放った一撃を可奈美が防いだのである。

 「……やはり、甘いな」

 鋭い眼窩から放たれる視線に、呆然とする可奈美。

 切先同士が一点で交錯していた。だが、その状態も長くは続かず《小烏丸》を納刀すると姫和は、「百鬼丸。お前には確かに私の成そうとしている事に必要な人材だ。だが、お前も、ナニカを隠しているな。それを咎めるつもりはない。だが、信用もできない。残念だ。それから――」「可奈美、お前は戻れ。戻って、人々を荒魂から守れ」と言い残した。

 それは己が邪道……殺人の道を歩むのをたったひとりで背負い込む宣言をしたかのように。

 剣を抱えてただ、緑の制服の背中を見送る事しかできない可奈美。

 ふいに目線を離れた百鬼丸に向かわせると、彼は硬い表情だった。

 

 

 2

 鎌府、学長室。

 執務机の前を往復する女性がいた。

 誰であろう鎌府女学院学長、高津雪那。

 彼女の秘蔵っ子とも言うべき存在の糸見沙耶香が今朝方、警察に保護されたとの連絡が入った。――ひどく憤りを覚えた。

 それは、逃亡者二人に奇襲を仕掛けるよう差し向けた自身の面目を潰されたに等しいことであった。

 その不満はピークに達していた。

 「敵の所在を知り、奇襲しておきながら失敗、それでおめおめと帰ってくるとは。……どうやら、あなたを過大評価していたらしいわね」

 と、目前で直立不動に佇む少女、糸見沙耶香に毒を吐いた。

 「任務の遂行率百パーセント、それがあなたの価値だったの……」

 組んでいた腕を解き、沙耶香の左腰の御刀――《妙法村正》を抜き、その尖先を無表情な顔の鼻先に向ける。

 かつて、刀使だった頃を思わせる素早さであった。

 「……少し、過保護に育て過ぎたかしら」

 毒々しい紅の唇から、怒りが撒かれる。

 珍しく、沙耶香が何かを言おうと口を動かした。

 「あら、言い訳でもあるのかしら?」

 嘲りにも近い笑みで、そう尋ねる。

 「――相手は二人じゃなくて、三人で……」

 そのとき、高津雪那の目に危うい光が差した。

 「言い訳でもするのなら少しは聞くけど、あなたに限って嘘ということもないでしょうし――」

 彼女の内心の愉しみは寡黙な少女の悩む姿だった。

 ……だが、意外にも朴訥ではあるが沙耶香が語りだしたのは「百鬼丸」という少年についてのことだった。

 まず、ノロを受け入れた事実が露見したこと。それに応じて、彼に近寄ると肉体に及ぼす興奮作用など。

 最後の話の辺り、これまた珍しく口ごもる沙耶香に「はっきり報告しなさい」と命じた。

 ――すると、皮膚接触によって興奮状態が持続して腰を抜かしたことを仔細に説明した。

 更に、「これは一体どういうことなのか?」と純粋な疑問とも不安ともつかぬ眼差しで見られた高津雪那は狼狽した。

 (まさか……そんな相手がいるなんて……しかも、なんで腰を抜かしたかまで説明を求められるとは……)

 彼女にもイレギュラーというものがある。

 それは今だ。

 秘蔵っ子の沙耶香は、余に任務に忠実であるあまり純粋で無垢に育った。

 それがまさか、こんな形で自身を苦しめるとは、と後悔した。

 「……ノロを受け入れたのと、関係が?」

 無垢な上目遣いで訊ねる沙耶香。

 「うぐっ……」

 完全にどう答えたらよいか分からないまま渋面になる。

 

 こんこん、とタイミングよく扉が叩かれた。

 「空いてます!」

 心の中からこの救いに感謝した。

 このままでは、危うく話が脱線して保健体育の講義を始めるハメになるからだ。

 そんな救い主は扉から姿を現した。親衛隊三席、皐月夜見だった。彼女もまた沙耶香と同じく感情の起伏に乏しく、何を考えているか分からず薄気味悪い……そんな相手だった。

 「紫様がお呼びです」

 と、だけ簡略に伝えた。

 

 

 3

 「可奈美、西方の空がなんだか騒がしくないか?」

 百鬼丸は真剣な口調できいた。

 「西? ううん、分からないよ」

 目線を西の山々にやるものの、特に何も感じる気配はない。

 「すまんが、おれは西の方に行く」

 そう言って車から降りてそのまま走りさてしまった。

 「えっ、ちょっ、百鬼丸さん―――?」

 だが一切振り返らず、何かに追われるように百鬼丸は駈けていた。やがて朝靄の中へと埋没して影すら判別不能となる。

 「あぁ~あ、行っちゃった」

 可奈美はひとりになってから、姫和の言葉が甦る。

 ――お前の剣は守る剣だ

 御刀の《千鳥》を両手に持ち、それを半ば呆然と眺めながら可奈美は思う。

 もし、仮に姫和の言うことが正しければ、先程の彼女の剣もまた『守る』側だということが理解できた。口では強がってはいるものの、その実、御前試合を除いて殺気など籠っていなかった。

 ただ、剣に宿る意思の重さのみが本物だということを、なんとなく理解できた。

 (やっぱり、姫和ちゃんを追わないと……)

 新たに決意を固めた可奈美。

 走り出そうとした矢先……

 

 「みつけマシタぁーーーーー」

 カタコトの日本語が大きく聞こえ、かつ距離を異常な速度で縮めていた。

 「――っ!?」

 

 4

 森に深入りするにつれ、赤黒い蝶の群れに似た荒魂が木々の間を縫い、群舞するのがみえた。

 (荒魂か。しかし、妙だ)

 まるで百鬼丸だけを誘い込むように、先導されながら深入りしている気すらした。

 低潅木をかき分けながら進んでゆく。遊歩道から外れた山道は坂が増え、蝶の荒魂は三〇メートル先で停滞して蟠る。

 朝靄は濃いミルクのように空気に溶けて、時間が経過するごとに純白の濃度を増す。

 ――だが、その荒魂の舞う一角、坂の上だけは異様に明瞭にみえた。

 気流の微妙な変化を肌で感じながら、百鬼丸はいやな予感がしていた。

 荒魂の舞う辺りに人影が、ある。

 「……だれ、だ?」

 思わず呟いた。一般人であれば荒魂から逃げるハズだ。刀使であれば、斬り伏せるハズだ。だがどちらでも無い。

 その人影は親衛隊の錆利休色に身を包んでいた。

 なおも歩を進めながら、嫌悪の念を強めざるをえない百鬼丸。

 ふと、その影が百鬼丸のいる下の方角に気がついたようだった。

 長い沈黙のあと、おもむろに声がする。

 「……久しぶり、かな? にいさん……」

 その凍りつくような、憎悪に燃えた二つの瞳。

 その一言が確信に変わった瞬間だった。

 「双葉――」

 無意識に相手の名前を言っていた。

 橋本双葉が、百鬼丸の目の前に居る。しかも、荒魂を操りながら。

 百鬼丸の呆然とした様子を見ながら、くすくす、と笑い声をあげる。

 「ああ、この荒魂は夜見さんのを借りたの。いい子たちだよ。命令に忠実で……おかげでにいさんを見つけることができたし」

 歪に曲がった口。双葉はゆっくりと百鬼丸を睨めつける。

 「わたしに会いたくなかったでしょ? でもわたしは違う。わたしは会いたくて、殺したかった。ずっと、ずっと前から、ね」

 一息つきながら、自身に釘付けとなった百鬼丸にトドメの一言を放つ。

 「――わたしのお父さんを殺した人殺しめッ!」

 

 

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