刀使ト修羅   作:ひのきの棒

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第171話

  長い前髪を束にして後ろに流し視界を確保する。

 百鬼丸は口を大きく開き白い吐息を吐き出す。霧のような氷雨が俄かに降り始めた。

「もう一人で歩けるか?」少年がアスファルト地面に着地しながら訊ねた。

「え、ええ」

 抱きかかえられた刀使は、戸惑いながらも素直に頷く。一応の命の恩人というべき相手に愛想笑いの一つでも浮かべようと考えた。

――――しかし。

「他にも、あの怪物の注意を引こうとしてる刀使がいるけど…………あいつらも、回収するぞ。いいな?」

「――――っ、…………お願い、します」

 刀使として以前に、彼女は隊長としての責務ではなく、ひとりの人間として頼んだ。自らの立場では退却判断はできない。だからこそ、イレギュラーな存在を受け入れる『決断』をした。

 

「よし、いい子だ」

 百鬼丸は満面の笑みで親指を立て破顔する。

 濃霧のような土埃の煙幕の中へ再び舞い戻るべく、地面に屈み込み加速装置を操作する。

「誰一人として、〝刀使〟は失わせない――――って、約束できればいいけどなぁ…………」

 カッコいい事を言おうとして、若干の気恥ずかしさから優柔不断な言い方になった。

「――――わたしがもっと、隊長として上手くできれば……」

「いんや、関係ないよ。アレ完全に荒魂じゃないし。ま、待ってろ。それとアンタらに暴言を浴びせてるクソどもなんて気にすんなよ。アンタらは立派だぜ。それだけは間違いない」

 真面目な横顔でいいながら、加速装置のリミッターを解除して弾かれた小石のように勢いよく飛び出した。

 まさに一瞬の出来事であり、人影が霞むように目が錯覚した。

 

 その場に取り残された先遣部隊隊長の刀使は、茫然と立ち尽くしながらも、彼の残した言葉に温かいものを感じ、胸の前で手をグッと握り、安堵の息を深く吐いた。

 

 

 ◇

 その影が人目に認識されることは無い。 

 放たれた矢の如く一直線に狙いを違えず突き進む。彼の心と同様に迷いは一切ない。

 まず、一人。右腕に抱えて加速する。

 二人目。

 すれ違いざまに襟首を右手で掴み、飛び去る。

 ――――そして三人目。

 背後から猛烈に接近して足払いを喰わし、転ぶ寸前に屈み込み左肩に乗せると、その場を離脱。

 

 ヘタりこんで戦闘に参加できなかった刀使の娘を除く全員を救出できたことになる。だが百鬼丸に拉致される格好となった彼女たちは、一瞬の出来事により困惑と不安の渦中にあった。しかし、皆口々に文句を言うこともなかった。

 …………人は本当の恐怖を前にした時、口数は極端に減る。それも命の危機であれば尚更である。

 

 戦闘を開始する寸前だった刀使の少女たちは、やはり年相応のあどけなさを残す表情で恐怖と驚愕の表情で固まっていた。

 

(ま、こうなっちまうよな)

 百鬼丸は内心で、無理難題によって前線に来た彼女たちを憐れんだ。

 と、同時に胸奥のどこかで〝弱い存在〟が苛烈な戦場に来たことによる、ある種の苛立ちを無意識の内に感じていた。

 しかし、傲慢な考えは頭が刹那的に過ぎ去り、彼女たちを安全な場に逃す算段をした。

 

 煙幕のようにアスファルト地面の粉塵や破壊された水道管から噴出した大量の水道水。抉られた地面がクレーター状に穴を連続して続き、最早、渋谷の中心とは思えない様相だった。

 

「アンタらには悪いけど安全なとこで動かないで欲しい。いいか?」

 刀使の少女たち3人は呆然と魂を抜かれた顔つきで百鬼丸の言葉を聞いた。

(ありゃあ、こりゃあ聞いちゃいねぇな……)

 口をへの字に曲げて、困り果てながらもリボルバーを回転させ加速する。ガチッ、ガチッ、とギアが変化したような音と共に片足の太腿が唸る。

 半径十メートルの土埃煙幕を抜け、百鬼丸は少女たちを被害の被らない距離まで連れ出した。

 

 

 ヘタりこんだ刀使の娘は後悔した。

 なぜ、自分だけ足が萎えて地面に尻もちをついたのだろう? 

 責任感と生来の真面目さから、ただの一度だって任務を放棄した事がなかった。それだけが彼女の唯一、人に誇れることだった。

 

 …………今日までは。

 

 

 

 しかし、この巨大生物はなんだろう? 確かに、人間よりはるかに大きな敵といえば荒魂がいる。戦うことには慣れている。そう思ってきた。

 

 人を食い殺す怪物を見るまでは――――。

 

 決意は、火の点った蝋燭のように溶けてゆく。

 脳から脊髄を通って「恐怖」の感情が支配した。動きたくない、死にたくない。

 切実な願いだけが体を硬直化させた。

 

 

 怖い、怖い、怖い。

 泣きそうになった。いや、無意識のうちに涙が流れていた。周囲から浴びせられる罵倒は「言葉」ではなく大衆の「音声」に置き換えられ、音声の暴力が耳を貫き、心を完全に砕いた。

 

 「なんで、私はここに居るんだろう」

 ポツリ、と独り言を呟いた。

 誰かを守るとか、そんな立派な責任感で刀使をできただろうか?

 これまでの生い立ちから、自分が立派な人間ではないことは自覚している。

 

 

 「――――食べられたくない」

 すぐ、目の前で血に濡れた牙を眺めながら素直な本音を漏らす。

 人間が餌として認識するほどの圧倒的な力。

 半ば悟りにも似た諦めの気持ち。

 

 ――――――孤独に居る彼女は、猛烈な速度で近づく人影に彼女は気付かない。

 

 誰かが腕で自分を抱きかかえている、そう感じた。

 「アンタが戦闘に参加できなかった刀使でいいか?」

 誰かの声がする。

 大衆の罵詈雑言とは異なる、初めて人間らしい声だった。

 だから思わず、

 「え、ええ」

 恥ずかし気もなく頷いてしまった。それから、激しく後悔した。これでは自分が意気地なしだと告白しているではないか。

 

 しかし、声の主は「あははは、元気があってよろしい」と爽やかに笑い飛ばしてくれた。それまで俯き加減だった刀使の少女は顔を上げる。

 長く黒い髪を後ろで雑に束ねた少年が、遠くに目線をやりながら一瞬だけ目を動かし安否を確かめる。

「よォ、賢い判断だよアンタ。絶対に本能で勝てないって解ってるなら戦うな。それは自然界の鉄則だからな」

 断固とした口調で百鬼丸は告げる。

 まるで先生が生徒に教える口ぶりだ。…………でも、どこか説得力がある。思わず、救出された刀使は頷く。

 「あなた、誰なの?」

 「ううん? 誰でもいいだろ、そんなの。ダメか?」

 「……………」

 他の刀使と同様に混乱して、理解の追い付かない状況に無言になるしか方法がなかったようだ。

 「悪いな、任務の邪魔して。でもアンタらが倒せる相手じゃねーんだわ、アレ」

 アゴで指し示すのは獰猛な巨頭を振り回し暴れる怪物の姿。

 「な、わかったろ? 安全なとこ…………は、ないけど距離をとってくれ。あとは、アンタは自分を恥じる必要はないよ。自分の限界を知ることは強くなれるからさ」

 シュー、シュー、と蒸気噴射のような音が物憂い耳に微かに響く。

 それがいつの間にか消えた時、最後に助け出された刀使は正気を取り戻した。そこは、バラゴンから遠く離れた場所で、他にも先遣部隊の刀使たちの姿があった。

 最後に助け出された刀使は思わず、安堵の涙を流して、非現実的な世界から帰ってきたような錯覚を感じた。

 

 ◇

 全員助け出したことを確認した百鬼丸は、口元に微笑を浮かべながら首を横に振って真正面に向き直る。それから、破壊の渦中にあるビル群たちを見回しながら巨影を見据える。

 静かな怒りに全身を憑依させ、残り僅かとなった加速装置の加速に必要なエネルギー残量を計算し、ため息をついた。

 

 「さて、残る手段はお前だけだ《無銘刀》――――お前、随分腹ペコじゃねーか?」

 

 不敵な口調で挑発しながら左腰に佩いた剣をゆっくり引き抜く。

 分厚い靴底が散乱するガラス片を踏みつぶし、氷を砕くような音を響かせる。ガスが洩れているのだろうか? 異臭が鼻を刺激する。

 しかし、視界を上手く確保できない。

 大地を震動させ、小刻みな振動が絶え間なく体中に響き渡る不愉快な感覚が全身を伝うだけ。

 「もう十分だろうに。餌を食べて満足しろよ」

 低く呟きながら百鬼丸は、禍々しく輝く刀身を目前に翳す。

 「まずは前菜から食べな」

 百鬼丸は自らの右腕を突きだし、腕を軽く斬る。ピュッ、と噴上げた鮮血を《無銘刀》の刀身が満遍なく浴びてゆく。

 血管のように伸びた刀身の無数に走る筋が明確に浮き上がる。

 歓喜していた。

 血を求めていたのだ!

 「どーだ? おいしーか? ううん、そうかそうか。だけどな、もっとたくさん食べるんだぞ」

 バラゴンから僅かそう遠くない距離で剣を構える。

 

 

 「よぉ、怪獣さんよ、おれは百鬼丸。お前は…………ま、いいか。どーせ喋れないし」

 立ち止まった位置には無数の瓦礫が散乱し、火災もあったのだろうか。頬を強く照らす光と熱が感じられた。……余燼が燻る匂いもした。

 

 「《無銘刀》が腹減ってるんだってよぉ、可哀そうだよな。うん、お前を餌にしてやるよ」

 百鬼丸がゆっくりとした足取りで、バラゴンに近寄る。

 重機が足踏みするような質量の落下が耳を聾する。あまりに暴力的な衝撃を感じながらも、歩みが止まらない。

 少年の顔つきは、争いを好む者の邪悪な色が滲み出ていた。

 

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