刀使ト修羅   作:ひのきの棒

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第180話

 

 視界を赤く染め上げる「何か」は、おれの顎を伝い地面に落ちた……。

『ガァ、っ、アガッ、グアァアぁあ』

 喉が焼けるような痛みを感じながらも、おれはただ吼え続ける。どうしようもない破壊衝動だけがおれを駆り立てる。口の中は鉄の金臭い味で満ちていた。――吐きそうだ。

 

 焦点の定まらぬ霞んだ視界には、穴と傷だらけの怪獣が地面に横たわっている。

 

 

 ――――これはおれが殺したんだ。

 

 

 そう理解し、納得するまでに時間はかからなかった。

 ふと、右手を見ると刀の刀身は色を失い、元の鈍色をしていた。だが、おれの体中には黒い獣毛が生えていた。舌先で歯をなぞると、牙になっていた。

 

 首を動かして周りを見ると、すり鉢状の巨大なクレーターの底にいる事に気が付いた。

 

 獣になった癖に、妙に頭は冷静で、まるで「頭」と「体」が別々に動いているようだった。――――そうだ、例えるならば夢だ。夢での自分は、体は自由じゃない。だけど、思考だけは自分のものだ。

 

 …………これは、夢なのか?

 

『ガアアァアアアアアアアアアア!!!!』

 

 おれは久々の痛みに、半獣となった状態ですらその場に蹲った。決して慣れることのない痛み。おれは、この痛みを知っている。

 

 体の一部が戻ってきたのだ。

 

 なぜ? おれは、荒魂を倒した覚えはない。どういう事だ?

 

 混乱する頭をよそに、おれは頭を抱えてひたすら獣の声で叫び続けた。プツプツプツ、という異様な音声が甦る。

 

 …………そうか、これが本当の『音』なんだ。

 

 人工の鼓膜と耳では聴くことが出来なかった音だ。うっすらと赤い視界を見開きながらおれは涎と涙を垂れ流す。獣の身に堕ちながらも、これまでおれの「耳」として働いてくれた鼓膜と耳が地面に落ちる様子をみた。直接脳みそを耳穴から引っ張り出されるような無茶苦茶な痛み。

 

 

 ババババババ、と「上」の方から幾つも重なる騒がしい「音」。

 パチパチと地面に燻る焔の「音」。どこか遠くから聞こえる人々の悲鳴――――。この「音声」たちは、決して初めて聞くものじゃない。人工の耳で既に知っている…………そう思っていた。だけど、違う。

 

 本物の器官から得られる音は、目に見えない音の波を直接おれに襲い掛かる。

 

 

 

 …………いやだ、いやだ、聞きたくない。

おれを責める声も、人工の耳であれば、それが「嘘」だと言い訳することもできる。だけど、本物を体に入れてしまえば、おれは、どうしようもなくなる。

 

 

『ガァオアアアアアアアア!! がぁああああああああああ!!』

 おれは、自分の声が本当に獣になってしまったことを改めて認識した――――人間の「耳」で自覚した。

 

 …………おれは、この先、本当に体を取り戻すのか? それが幸せになるのか? 人間になることが本当におれの目的なのか? いやだ、なにも見たくない。いやだ、なにも聞きたくない。いやだ、全部、全部、逃げてしまいたい。

 

 腕で耳の辺りを塞ぎ、現実世界との壁をつくった。…………筈だった。

 

『百鬼丸さんっ!!』

 

 

 ―――――始めて襲い掛かる「音」の奔流の中から、ひと際小さいくせによく聞こえる声がした。おれは、どこか懐かしさを感じていた。

 

 おれは、その懐かしい声の方に頭を上げる。

 クレーターの上部、アスファルト舗道の崩れかかった端に人影がある。肩を大きく上下に息を荒くついていた。

 赤く歪んだ視界からでも、それが先程別れたばかりの〝可奈美〟であると理解できた。

 

『ガァっ、アガガアアア』

 

 おれは可奈美に呼びかけようとして、気が付いた。――――そうだ、おれは獣だ。いくら叫ぼうが、名前を呼ぼうが意味なぞない。人であれば、名前を口にできる。人であれば、当たり前に出来ることなんて意識しない。

 

 …………だが、おれは違う。

 

 長い舌を牙の間から垂れ、血の混じった涎を顎から糸を引いて体中を黒い獣毛で覆われた――――本当に歪で醜い存在。

 

 

 可奈美は、厳しい装備のまま、バイザー越しに変わり果てたおれを見据えている。

 そのバイザー越しにも見えるだろ。だからさ、よーく、みておいてくれよ。

 

 《おれは、化け物なんだ。本物の……………》

 

『百鬼丸さんっ!』

 

 ……………なんだよ、聞こえてるよ。

 

栗色の髪が風に流れた。可愛らしく束ねた尻尾みたいな髪はぴょこん、と跳ねている。

 

 

 

「よかった、百鬼丸さんなんだよね。…………ねぇ、こっちに来てくれるかな?」

 

 本当は声なんて、こんな遠い距離からじゃあ、届かない筈だ。だが、ハッキリと確かに可奈美が柔らかく微笑みながらそう言って手を差し伸べるのが解った。

 

 おれは、彼女の正気を疑った。

 

 …………コイツは本当の馬鹿か?

 

 おれは、薄い膜に覆われたような見えにくい目を細め、可奈美の方を凝視する。剥き出しの地面の傾斜の上、スカートがヒラリとはためく中、彼女は、形の良い眉をハの字に曲げて困ったように手を差し伸べている。

 

 ……………ああ、そうか。コイツは本当にバカだ。底抜けのバカで、剣術バカで、それであり得ない程にお人よしで、いいやつなんだ。

 

「ずっと、孤独(ひとり)だったんだよね。百鬼丸さん。気が付けなかったよ」

 柔らかい唇から可奈美は囁くように言った。

 

 

 

 ………………ああ、懐かしいなぁ。可奈美と姫和で一緒に逃亡の旅をしていた時を思い出すなぁ。もう、戻れないけど、でも、どうしようもなく、心が温かくなるんだ。

 

 

 ――――――でも、おれには、お前たちの近くにいる権利はない。そんなものは許されない。

 

 

『ガァアアアアアアアアアっ、あっく、あおあくぎゃふぃゆ』

 

 おれは、必死に叫ぶ。人の言葉を紡ごうと、口を動かしてみる。下顎に涎がダラダラと酸っぱい匂いをさせて滴り落ちる。みっともない姿だった。

 

 しかし、彼女は一切動じることもなく、子供が悪戯した時のような優しい微笑みを浮かべて、

「――――うん、待ってて。私が百鬼丸さんの方にいくから」と言った。

 

 可奈美は手を引っ込めて、自分の方からおれのいる場所まで向かおうとしていた。

 

 

 『グルッなッ、――――――こっヂにぐつるぅなっ!!!』

 人語の混ざった不快な音がおれの口から洩れた。

 「えっ?」

 言葉を発していると思ったのか、驚愕した可奈美は、斜面に降りる寸前で足を止めた。

 ……………おれは、言わなくてはいけない。ハッキリと確かに言わないといけない。チャンスは一度きり。しっかり、ハッキリ、自分の「言葉」で伝えなくてはダメだ。

 おれは、思い切り息を吸い込む。悪臭の漂う外気を肺に満たす。

 

 「こっち…………ニ、くるぅ、なぁあああああああ!! ……………おれ、ヲ、ミナァイデ、クレ、オデェから、ニゲてクレェ」

 不細工な声でおれは懇願した。

 おれは、ひたすら、可奈美に願った。

 こんな醜い姿のおれを見ないでくれ。頼む、お前たちだけにはこんな不細工な姿は見られたくなかったんだ。

 頼む、もう、おれに構わないでくれ。狂暴で殺戮を繰り返すおれから逃げてくれ…………。

 頼む、頼むよ――――じゃないと、おれは頭がおかしくなっちまうんだ。

 破壊衝動を滾らせて、大事なものまで自分の手で壊したくないんだ! お前たちを守れなくなっちまうんだ!

 

 

 

 おれの声は果たして届いたのだろうか? 怖くて直視を避けていたが、改めて可奈美の方角をみる。

 

 

 彼女は一瞬だけ、時間の止まったような顔をしていた。が、すぐに怒ったような表情になった。

 

 「――――ううん、いやだ。逃げないよ。助けるから。私、大切な友達が困っている時に逃げ出したくないから。百鬼丸さんは、私も姫和ちゃんも助けてくれたよね。だから、今度は私の番だよ」

 真摯な眼差しでおれをみる。

 

 

 ――――違うんだ。そんな純粋な目で見ないでくれ! その純粋さがおれには、痛いんだ。与えないでくれ。おれは……………。

 

 

 しかし、自分の意志に反し、おれは、黒くて、鋭利な爪の毛深い腕を伸ばしていた。無意識のうちに、誰かの「手」を求めていたのかも知れない。

 …………おれは、救われたかったんだ。誰かに許されたかったんだ。

 

 可奈美はおれの伸ばした手を見ると、細い腕を伸ばした。

 

 

 

 

 

 

 

『もう茶番は済んだか?』

 おれの背後から渋い男の声が聞こえた。

 

「―――――!?」

おれは気配にいまの今まで気が付かなかった。自分自身の迂闊さと、体に慣れないことによる警戒の緩みを思い知った。

 

――――――腑破十臓、その名前がおれの脳裏を過る。

 

と、同時におれの腹部が灼かれるような感覚がした。目線を下にやると、刃がおれの腹部を貫いていた。

 

 髑髏か、猿面のような顔が、おれを眺めていた。

 「ガッカリだ。もっと強いのかと思っていたが…………見当違いだったようだな」

 吐き捨てるように、刃を深くおれの腹を突き刺す。

 

 「ゴフッ」

 おれは、口から血の塊を思うままに吐き出した。

 




年内に終わりそうになーいよー。どーしよ。
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