――――柳生新陰流、正式には「新陰流」ともいう。
ここでは、柳生新陰流と書く。
この流派の特徴は、一言でいえば「
必然、まず相手が動かねば話にならぬ。
つまり、斬り合いにおいて〝後の先〟を狙う時――――「相手を掌で動かす」ように誘導する高度な技術も要求された。
相手を利用する技、すなわち活人剣…………といった。柳生新陰流はこの点を極めることを重視するため、肉体だけでなく精神においても高度な精錬が求められた。
武術性だけでなく精神への錬磨。
かつて、幕府の剣術指南役として栄えた「天下の剣」と言われた所以の一端である。
Ⅰ
「ククッ、やはりだッ! 俺を捕縛した…………柳生! その剣は柳生だ! くくくっ、俺はつくづく運があるッ! あの日、あの時、俺は死ねなかったッッ!! 斬り合いで死ねない汚名を雪ぐことも出来ずに外道の身に堕ちた。だが、その雪辱を晴らすときがきたッ! 衛藤可奈美! お前を切り殺して、柳生との因縁を終わらせるぞッ!」
十臓は激しい感情の昂りを露わにしながら、『裏正』を振るう。
彼の剣はまさしく荒々しい殺人剣だった。
己が動き、相手を打ち倒し、斬り裂く。
「――――くっ!?」
圧倒的な膂力で受け止められた一撃に、可奈美は短い驚愕を吐息と共に漏らしながら、十臓の膝を蹴って地面に着地する。
片目を眇めつつ、正眼の構えをとる。
(この人、やっぱり強いっ――――。)
可奈美は内心で驚嘆しながら、その邪悪さの籠った重い一撃に両手が痺れていた。
「あの神社以来の再会か…………もはや懐かしいとも思えん。今、斬り合いができる喜びが勝っているからだッ! 数百年待った。この日が来るのを待ち続けた」
感動に打ち震えるように十臓は、八相の構えで少女剣士を迎える。
最早、百鬼丸の存在など歯牙にもかけない様子だった。
「さて、どちらが先に死ぬか。あるいはどちらも死ぬのか。くくくっ、たまらん。さぁ、いくぞッ!!」
怒号のような叫びと同時に、十臓の体が弾かれたように飛び出した。
――――ガキッ、
と青い火花が金属同士の衝突と共に、激しく散った。
『裏正』の刃が、御刀の『千鳥』に襲い掛かる。
人ではない存在故のありえない筋力を駆使した斬撃は、駆け出したスピードの乗った重さを同時に刃に伝える。十代の少女であれば受け止めることはおろか、避けることも出来ない。
しかし、可奈美の華奢な体は十臓の重厚な斬撃を、まるで風に吹かれた柳の葉の如く受け流した。
――――輪之太刀、である。
柳生新陰流の真骨頂ともいえる技であり、腕や肘を回すことで剣の軌道が「輪」を描き、かつ身体を反対方向に動かすことにより、相手の斬撃を受け流し、かつ、輪を描き終わる結点から反撃を行う「攻守一体」のスタイル。
容易にいなされた十臓は、しかし、驚きよりも、その懐かしい太刀筋を喜ぶ。
「そうだ、その剣だ!」
いいながら、首筋に襲い掛かる『千鳥』の斬撃をすぐさま後ろに回した刃で受け止め、はじき返す。
「真正面から柳生の剣を滅ぼす。どれだけ待ち望んだか…………」
しみじみと呟く。
あの月夜の橋で出会った男。彼が、人斬りに堕ちた十臓の人生に終止符を打った。
「もっとだ、可奈美。俺を楽しませてくれェ」不気味な笑い声と共に、十臓は剣を握り直し間合いを測る。
ふーっ、と血色のよい淡紅色の唇から柔らかな息を吐く可奈美。
橙色のバイザーの奥、大きな目は冷静に十臓を捉えている。動き自体は単調である。しかし、その鬼気迫る剣撃と、反撃に即座に対応する能力。――――厄介な相手だ、と内心で思う。
(ううん、違う。この人は多分、人を殺すのに無駄な技は全部捨てたんだ)
剣に天凛の才を持つ少女は分析する。
以前の斬り合いと合わせて考えれば解りやすい。
剣術といえども、戦場で用いられてきた「実用的」な側面と、天下泰平な時代において盛んになった「形式的」な技。本来、人を〝殺す〟ためだけではない技術――――、それらを切り捨て、自ずから殺人剣のみを究めんとする意志。
腑破十臓の剣とは、まさしく邪悪に満ちたものである。
「――――せない」
無意識に可奈美は呟く。
「どうした? ああ、そうか! 俺が斬り掛かればもっと、お前の本性を暴き出せるなァ!」
左上段から斜めに振り下ろす一撃。
可奈美は、更に体重の乗った剣を受けながら、苦し気な表情から再び「許せない」とつぶやいた。
「どうした? 何が不満だ?」
「剣術をこうやって人を殺すためだけに使うなんて許せないっ!」
「アハハハ! そうか! 確かにそうだな! ……だが、神社であった日、お前もまた満足そうな顔をしていたがなァ。本質は同じだ。所詮、なんと取り繕っても人殺しの技術。それは俺が戦場で学んだ」
真紅の顔面が、鍔迫り合いをする可奈美の顔と距離を縮めながら言い放つ。
――――くっ、と呻き可奈美は輪之太刀で十臓の攻撃を捌こうと試みる。…………しかし、十臓の脅威的な動体視力によって、太刀筋を読んでいたように、可奈美の細い首筋を狙う突きが繰り出された。
つま先で距離をつくり、上体を逸らして剣尖を避けた。
その侭、可奈美は柳生新陰流の約114種ある技の基本形を組み合わせた反撃を行う。幼少の頃から母を師匠として、体に染み込ませた動き。洗練された武術の動きは、時に舞踊の如く目に映る。
刀使の一説には、巫女が荒魂を祓う理由として「剣を舞うように」使い神事のひとつとして行ったことに由来するという。
真偽のほどはともかく、可奈美の
手首、肩、と千鳥の刃が当たった――――筈だった。
「硬っ!」思わず、柄を通して掌に伝う感触で分かる。
荒魂とも違う感覚。千鳥の刃は浅くしか傷を入れることが出来ず、十臓の硬い外骨格は細い筋が刻むだけ。
(もっと深く)
すぐに、平静を保ち十臓の斬返しに対応する。
「そうだァ! 可奈美、俺によく傷をつけてくれた! 待っていた! これだ!」
傷を付けられたことが嬉しいようで、彼は更に気分が高揚している。真横に大きく一閃を引くと、可奈美から距離をとり、腕を前に伸ばして拳の握る。
「お前ならば、俺を最高の斬り合いの場所に連れていってくれる! あの日、島原以来戦が終わり、俺は天を恨んだ。――――ああ、だが間違いだ。今なら、外道に堕ちた今なら、心の底から天に感謝しよう!」
氷雨の降りしきる中、拍手喝采を求める演者のように両腕を広げ、雨を受け入れる。
「お前はさっき、許せないと言ったな」
「…………うん、言ったよ。そうやって殺人剣だけを究めようとする一面的なやり方は、私嫌いだから」
可奈美にしては珍しい、冷えた口調で告げる。
「成程、しかしお前の剣は正直だな。先程から俺には伝わってくるぞ。〝楽しい〟〝たまらない〟とな。もっと斬り合いたい。違うか?」
「――――ッ、そんなこと」
と、言いかけたところで可奈美はハッ、と息を呑む。
いまの自分は、惑わされているのだ。
(未熟だな、私)
柳生新陰流は、……………危うく思う、打ちを急く、防ぐ、三つを病とした。
斬り合いにおいて、かつ、
心理的に優位が保てない場合は、反撃を狙うことは不可能。当然の帰結である。
従って、剣術の腕と共に、心の鍛錬もまた、肝要になる。
心臓は早鐘のように打つにも関わらず、日々の鍛錬の成果だろう。
可奈美は琥珀色の瞳を半眼に、普段通りの冷静さを
一気に落ち着きを取り戻した。
「…………そうかも知れない。あなたが言うみたいなことを思ってたかも知れない」
無意識に固くなっていた体を意識して力を抜く。……自らの深層心理の欲望に向き合うことで、それを認めることで、自分の弱さを見詰め直す。
わずか、十四の少女が己の本性を悟り、弱さと対峙した。
「ふっ、いい面構えだ」
十臓はその成長速度に目を瞠りつつ、彼女を切り裂く算段をする。
「堪らないなぁ……もっと、斬り合いたい」
顔の横に水平に刃を構える――――霞の構えをとり、十臓は、足裏を擦って準備をする。
もうあきらめた。年内は無理じゃ。すまんの。