「確か、お前たち刀使には〝写シ〟という術があるそうだが…………成程、斬ってみればわかるか」
十臓は語りながら、ジリジリと足摺をして間合いを測る。
「……………。」
肩を落として力を抜き、可奈美は頭の中で十臓の体に透明な正中線を描く。
物心ついた頃から握ってきた刀は、体の一部のように思ってきた。強くなることが楽しかった。それ以上に、学べば学ぶほどに奥深さにのめり込んでいた。
――――そして、気が付くと周りに同じ景色を見てくれる『人』は居なくなっていた。
十臓の言う通り、これまで物足りなさだけが募る日もあった。
そのたびに、心が未熟だからもっと精神を鍛えないと…………そうやって自分を誤魔化してきた。
正眼に構えたまま、赤いプリーツスカートの端がヒラりと風に舞う。健康的な太腿を包むニーハイは、肉感的のあるシルエットを露わにした。
図らずも、可奈美は今、この瞬間を本能で楽しんでいた。否定した言葉さえ忘れるほどの皮膚がヒリつくような刺激、命のやり取り。生/死……その向こう岸に見える、本当の高み。
――――氷雨がいつの間にか、雪片に変わっていた。
ひんやり、可奈美の紅潮した頬に雪の結晶が舞い落ち、溶けた。
吐息を白く染め、視界が微かに霞む。
『――――ゆくぞッ』
十臓が肚の底から吼える。
眼にも止まらぬ速さで斬り掛かる。かなりの距離があるが、十臓は気にせず崩落しかけた足場を一直線に進む。まるで、平坦な道のように…………。
間合いが詰まる中、十臓は足元のコンクリートブロックを蹴り飛ばし、粉々に破壊した。その瞬間、薄い煙幕のようなものが漂った。
(目だけじゃ…………視界ばっかり頼ってちゃダメだ)
咄嗟に可奈美は、警戒状態から距離をとるために後ろに軽く跳ぶ。
――――しかし。
煙幕を破るように真っすぐ前から十臓は思い切り真横に一閃、斬撃を放つ。
薙ぎ払われた剣跡は可奈美の右腕を思い切り斬り飛ばした。
「…………ッ、」
思わず顔を顰め、激痛に呻く声を押し殺した。
『迅移』を用いて高速で十臓から距離をとり、一旦『写シ』を解除する。呼気を整え、再び体に透明な膜のように分身となる〝写シ〟を貼る。
「はぁっ、はっ」
写シは、精神力も体力も大幅に消耗する。その代わりに攻撃を受けても、大抵のモノであれば身代わりとなって、攻撃を受けてくれる。
優れた刀使ほど、写シを何度も使うことができる。
知識としては、十臓も知っている。
首を傾げて白い目を妖しく光らせ、
「ほぉ、これが写シ――――か。手応えが中途半端だな。肉を切った感触は一瞬だけ、と。ふはははは、面白い。しかし、本物のその柔肌を貫き、斬り裂く。その時のお前の顔はどう歪む? 絶望か? それとも、虚無か? 可奈美? お前は、何故強い?」
『裏正』を握り直して十臓が問う。
嫌悪に満ちた眼差しで可奈美は息を呑む。
美濃関の制服の赤い襟が背中で小さくはためく。オレンジ色の紐タイも同様に左右に激しく揺れた。
衛藤可奈美は、生まれて初めて『憎悪』と『嫌悪』、そして圧倒的な『満足感』という味わったことのない感情に振り回されていた。
これほどまでに絶対の『悪』で、圧倒的な強さを誇る存在を他に知らなかった。
「ハハハハハ!」
哄笑するように十臓は再び斬り掛かる。
可奈美は正眼から十臓の剣を受け止めようとした――――しかし、裏正の太刀筋は稲妻の如く反対の方向から可奈美の体を斜めに斬り裂く。
(影抜きッ!!)
古武術における一太刀が二つの軌道を描くように見せる技。
可奈美も確かに、古文書などで読んだ記憶はある。しかし、実際に高度な技を実際に体験するとは思わなかった。
妖刀『裏正』に斬られた衝撃以上に、少女は不思議なまでの気分の高揚を感じていた。
剣術と言っても、既に失伝したものも数多い。それは、ひとえに、奥義などが口伝えでのみ少人数に行われてきたことに理由がある。
余談である。
明治初年、嘉納治五郎などが柔術や古武術を編纂し、体系化するまでは失われつつあった武道も、西洋方式の「マニュアル化」と体系化を行ったことが現代の柔道というスポーツの発展に貢献したと言われている。それと同様、西洋化において、古武術、剣術、などの武術は時代遅れの風化しつつある技術であった。
しかし、古文書だけでは、図画だけではわからなかった、神速の太刀捌きに可奈美は言いようもない感動を味わっていた。
それは、戦乱の時代の荒々しい武術の一端に触れた、その高揚である。……人生を剣に捧げた者でなければ分からない、一種の高度な感動である。
「―――――ほぉ、お前、笑うか」
十臓は、斬った手応えの無さに軽い失望を感じながらも、目前の少女が目を輝かせ、刀を握り直す様子を面白げに眺める。
「くっはははは、お前にはつくづく驚かされるな」
「――――怒ってるんだよ」
努めて声を低く、冷静にいう。
「ほぉ、ではお前は怒ると笑うのか。それはいいことだ」皮肉っぽい口調で応じる。
「――――影抜き、でしょ」
「ふむ、そうか。あの一瞬で理解したか。成程、お前は本物だ。女にしておくのが残念だと思っていたが、これは俺の誤りだ。――――お前は剣士だ。紛れもない、本物だ」
可奈美の眼は、S字に似た剣の軌道を捉えていた。
ツツ、と頬と左太腿を、針のような切り傷から血が流れる。
手の甲で血を拭い、再び『写シ』を貼る。
全身が粟立つような、快楽のような波を感じ、更に可奈美の感覚は研ぎ澄まされ、冴えわたる。
「お前、まだ笑うか…………女というのは恐ろしいな」
十臓は言葉とは裏腹に大上段に構える。
対する可奈美は脇構え――――という、最下段に構え左肩を敵に晒す一見して隙の多いスタイルをとった。
(さっきの影抜き――――柄を持つ手の距離が近かった。…………どうやって、あの一瞬で切り返ししたんだろう。多分、…………うん。やってみよう)
形の良い眉が動く。
斬り合いは次の次で終わります。すまぬ。