黒雲から稲妻が青紫に閃き、腹の底に響く雷鳴が地面に轟く。
先程まで粉雪の舞っていた状況から氷雨に戻った。――――細い雨滴に顔を濡らして百鬼丸は、殺意の高い眼光でもう一度、首のない胴体に刃を突き立てる。
…………癖だ。
おれは、殺したことを確かめるために、何度も刃を刺して確認してしまう。
長い舌を出し、乾いた呼吸で十臓が死んだことを確かめる。手応えは確かにあった。それは、この世から「何かを奪った」という実感である。
不思議と、屠った後悔は無く、奇妙な達成感だけが湧いてきた。
人体模型と甲冑の融合した純白の肉体は、死を迎えたことを知らせるように、塵灰のように粉っぽく空気に乗って崩れてゆく。
握っていた敵の刀もいつの間にか、砂が手の間から洩れるように跡形もなく消えていた。
「――――――どうして百鬼丸さんが手を汚すの?」
目を大きく見開いた可奈美は、十臓の喉元に切先を突き付けた状態のまま、一切の動作をせず、両手で強く柄を握りしめる。その眼差しは、憐れみと悲しみに満ちていた。
Ⅰ
「――――世の中には、絶対の悪ってのが居るんだ。絶対に――――この世に居ちゃあいけない存在ってのが居るんだ。」自らに重ねるように、牙を噛みしめながら呻くように言った。
雷鳴が雲間に迸り、太い轟音が空に這いまわる。
「そんなことないよ。だって――――」
「何も感じないんだ」
「えっ?」
百鬼丸は金色の視線を下に向けて、
「こうやって憎い敵をブチ殺しても、罪悪感も、喪失感もねぇんだ」
――――この醜い姿も、敵を容赦なく屠る姿も見られたくなかった。
何よりも、誰よりも、見られたくない相手を前にして、…………それでも殺した。
瓦礫の地面に力なく膝を屈しながら百鬼丸は、両手で顔を覆って人の顔面骨格とかけ離れた獣の頭部を可奈美から隠すように手を動かす。
「……ごめん。トモダチって言ってくれたのに――――」
下顎から涎を垂らして詫びる。
なにも無かったんだ…………おれが生きるために『刀使を守る』そう言って、誤魔化してきたんだ。そうじゃなきゃ、おれはとっくに、心がぶっ壊れてたんだ。
なにか、なんでもいいんだ――――縋れるものが欲しかったんだ。
だから、おれの記憶の中で唯一優しくしてくれた人たちに恩を返すことを生きがいに決めた。
『殺すことに後悔なんてしてない。…………でも、ごめん。可奈美、おれはお前たちとトモダチにはなれない。おれといれば、お前たちは不幸になる。なにより、血に汚れたおれとお前たちは一緒にいちゃダメなんだ』
膝を屈した百鬼丸は、懺悔するように瓦礫の地面で頭を抱えながら震えた。
チン、と金属の小気味よく鳴る音がした。――――剣を収めた音だろうか?
グルル、と低く唸る声が百鬼丸の喉から洩れた。すでに自分自身が獣として、慣れはじめていることを自覚した。
「――――…………大丈夫だから。怖がらないで。ありがとう百鬼丸さん。私を守ってくれて」
優しい声音で同じ目線に姿勢を低く、少女の細い腕で抱き寄せた。
金属質なアマーの隙間から感じられる人間の肌。
甘い匂いが敏感な鼻腔に充ちる。これまで、血と死の匂いに慣れた嗅覚には衝撃だった。
動揺して思わず、
『違う! おれが殺したいからブチ殺した! ――――本当なんだ…………。全部、全部、全部!!! おれが奪う!』
吼えた。
「…………ごめんね。いままで、百鬼丸さんに全部私たちが背負わせてたんだよね」
『思いあがるなッ! お前らなんて関係ない! おれは強いから敵をブチ殺す! 腹が減れば命を奪う! おれの体を取り戻すために戦う! 神がなんだ! 社会がなんだ! おれには関係がない。おれはやりたいように生きる!』
言葉が激しくなるに比例して、可奈美の腕は強く抱擁した。
「…………じゃあ、どうして?」
『――――なんだ』
「どうして、百鬼丸さんは泣いてるの?」
『えっ?』
黒い獣毛に覆われた指の間から透明なものが溢れていた。
「私が一緒に背負うよ。百鬼丸さんが嫌だって言っても、友達だから」
耳元で、小さい子供に諭すように優しく囁く。
『おれはこの先も、奪う! ――――』
「それでも、諦めないよ」
高く澄んだ声。――――取り戻した『耳』で聞く人の温かな言葉が、いままでバラバラに砕ける寸前だった精神に染み込む。
『…………ヘッ、悪くないな』
「――――うん?」
『…………肉体を奪い返して、こうやって、本物の鼻で匂いを嗅いで、声を聴いて。こんなに当たり前の器官が揃っていくのも悪くないな』
自嘲気味につぶやく。――――すでに自らの意志で捨て去った肉体の部位に思いを馳せながら、どうして自分が人間になりたかったのかを改めて思いだした。
(こうやって、人の傍に居たかったんだ……。)
ゆっくりと、固く顔を覆っていた手を下ろして天空を仰ぎ見る。曇り空に、無数の雨粒が黒く毛深い頬を濡らしてゆく。吐息が白く目前を染める。
『――――可奈美、ありがとう。おれは、許されたかったんだ。こうやって、誰かにおれが存在していてもいいって許して欲しかったんだ』
――――いつか来る『罰』に怯えながら生きていた。それでも、誰かに懺悔して許して欲しかった。〝ここに居ていい〟と言って欲しかった。
可奈美は抱きしめていた腕を緩め、両指を頭の方に伸ばす。
シュルシュル、と紐の解ける音がした。
黒い紐のリボンを百鬼丸の右手首に巻き付けて、固く結ぶ。
「百鬼丸さん、約束してくれるかな?」
『約束……?』
「うん。どんな姿でも、どんなに自分が分からなくなっても、それでも、私が……私たちは一緒だってこと。覚えておいて欲しいんだ。そのための……ええっと、おまじない? かな。う~ん、とにかく! 約束だから」
普段の、太陽みたいに明るい様子で、可奈美は百鬼丸の目前にズイッ、と顔を寄せていった。
『――――約束。ああ、する』
「じゃあ指切りね!」
『――――指切り?』
「うん! 約束だから小指出して」
促されるままに、太い小指を差し出す。――――相変わらず不格好だ。口を釣り上げて皮肉っぽく嗤う。
しかし、少女は化け物の指に臆することも嫌悪を示すこともなく、自らの細く白い指を絡める。
「――――約束。絶対に忘れないでね」
『…………アア』
「絶対に、絶対に百鬼丸さんは一人じゃないから」
――――――と、百鬼丸は鋭敏な本能が危機を察知した。
『どけッ!!』
「――――えっ!?」
結んだ小指を解き、咄嗟に少女を両腕で弾き飛ばし、接近する尖った音に百鬼丸は身を晒す。咄嗟の出来事に、可奈美は呆気にとられた様子で百鬼丸を見上げる。
『グゥヴォォオオオオオオオオオオオオ!!』
四方から打ち込まれた〝杭〟が容赦なく四肢と胴体を貫く。太いワイヤーロープに繋がれた杭は、肉体を貫くと同時に傘のように開き、容易に抜けないように工夫されていた。
血泡を口角から噴き出し、百鬼丸は周囲を威嚇するように視線を巡らす。
特殊車両が半径数十メートルに囲む。さらに、円陣で包囲するようにSTTの隊員たちがシールドを構え、無数の銃口で油断した百鬼丸を狙う。
『――――目標の固定に成功』
『刀使一名の安全を確保次第、早急に排除』
百鬼丸の鋭敏な耳には、ノイズ交じりの音声が届いていた。
(へっ、どうせこうなるんだ……………。)
妙に冷静な頭で、自身の血飛沫に濡れた眼を瞬き、少女の居る方に目をやる。
「百鬼丸さん?…………」
いまだ目の前の現実を受け入れられないようで、可奈美は、目を瞠りながら手を百鬼丸に伸ばそうとしていた。
『――――近づくなッ!!! …………所詮人間だな。ったく、くせぇ、牝の匂いが感染るッ! 邪魔だ、どこかに行けッ!!』
怒鳴り、可奈美に吼える。
深々と筋肉に喰い込んだ杭を掴み、引き抜こうと試みる。
(お前は、おれと一緒には居たらダメだ)
「そんな、どうして…………」
悲痛な表情で、絶望を口からつぶやく。
胸の奥が締め付けられるような感覚に陥った。百鬼丸は初めて、人の温かさを近い距離で教えてくれた人間を、自分の腕で遠ざけることに、強い罪悪感を感じながら、それでも覚悟を決める。
『お前がいると、おれはおかしくなるッ!』
残忍な笑みを浮かべ、左腕を伸ばして可奈美の首を掴んで宙に吊り上げ、睨む。
「――――っ!!!」
突然の行動に、少女は衝撃と、苦悶に顔を歪める。
『…………頼む、最後のお願いだ。お前はもっと、多くの人を守れる奴だ。だから、純粋な剣を、おれなんかで意志を濁らせないでくれ。トモダチとしてのお願いだ』
湿った囁きで百鬼丸は、最後に人間味のある顔つきで、可奈美に囁いた。――――直後、百鬼丸は腕を大きく振ってSTTの隊員たちの方角に華奢な少女を投げ飛ばす。
金色の瞳を閉じ、己を許し、慈悲を与えてくれた刀使に「――――ありがとうな」と胸に刻むように独り言を漏らした。――――感謝するのは場違いかも知れないが、それでも、己を受け入れてくれた相手に溢れる温かな気持ちを伝えたいと思っていた。
数か所に喰い込む『杭』は、百鬼丸の体内から溢れる血液に濡れていた。
『人間さまと同じ血の色か………ヘヘッ』