「貴女には斥候の役割のみを与えたはずです、双葉」
皐月夜見が咎めるように言いつけた。
山中の遊歩道の途中で合流した双葉は、先程起こった事の顛末を話した。
――すると、夜見は、
「ええ、全部知っています。貴女に貸した荒魂も貴女が暴走しないように監視するために放ったものですから。それに、あの大猪の荒魂も〝こちら〟で放ったものですから」
冷然と言う夜見。その顔を見つめながら双葉は小さく息を吐く。
「そう、だよね。席次を与えられてないわたしには、そういう対応だよね……」
事実を認識し直してわずかな感傷に浸る。
だが、夜見は静かに首を振る。
「いいえ。貴女はよくやっている方です」
「でも、力だって全然足りてないのに……」
「親衛隊でも、あのお三方は特別です。それより、少し休息をとった後、再び斥候と偵察の仕事に戻ってもらいます」
「え? あ、はい」
ぽかーん、としたまま双葉は頷いた。
(夜見さんは慰めてくれたの、かな?)
改めてまじまじと夜見をみる。
「……?」
首を傾げて、双葉の視線の意味を解しかねる様子だった。
2
祢々切丸の巨大な刀身が地面を容赦なく削り取った。
「うぉらーっ」
そんな掛け声と共に打ち出される質量のある攻撃は、土埃を上げながら襲いかかる。
(正直、ボロボロの奴を痛めつける趣味はないんだよなぁ……)
心の中で薫は毒づく。
ちら、と横のエレンをみると彼女もどうやら同じ心境らしい。
「なぁ、お前。ほんとに辞めにしないか?」
再三の忠告である。
しかし、痩身の少年は首を振り両手を構える。見たところ武器らしいものはひとつも所持していない。
「全力でこい。じゃないと、君たちを壊す可能性がある」
百鬼丸の挑発に薫はカチンときた。
「ほぉー、そんなボロボロの奴に心配されるとは、随分舐められたもんだな。なぁ、エレン」
「薫……」
困ったように肩をすくめて、御刀を構えるエレン。
(だが、百鬼丸のいうとおり奴の実力は本物らしいな)
薫は歯噛みした。百鬼丸から放たれる周囲のオーラは、対峙した者にしか分からない。彼の極限にまで張られたテンションは危うさすら感じられた。
「全力で行くぞエレン」
その指示と共に、エレンが素早く反応した。
S装備によって飛躍的に向上した運動能力を活かして、百鬼丸の背後をとった。微動すらしない百鬼丸。
《写シ》を貼れない一般人相手には格闘術による気絶を優先させるべきだ、とエレンは考えた。
甲冑で云えば籠手に当たる、腕を覆うS装備のオレンジ色のパーツが色濃く輝いた。
その長い手足を鞭のようにしならせて百鬼丸の顎を狙う。脳震盪を起こそうとした……が、
「甘いよ、お姉さん」
目を眇めながら、百鬼丸は嗤う。
それは覚悟の不足故の嘲笑だろうか? 或は、判断力の鈍りを嘲笑ったのだろうか?
エレンの蹴り出した右足を左手で掴むと軽々と人間ひとりを投げ飛ばした。
「えっ!?」
突然に全身を襲う風圧。
木々の間を縫うようにエレンは豪華な金髪を靡かせながら、飛ばされた。
「う、嘘だろッ」薫は思わず声が出た。
S装備を着用した人間を片手で軽々と……それも、攻撃をまるで読んでいたかのように対処した。
(まずいな……)
二対一の優位を失い、ひとりで近距離に秀でた相手と闘うのは得策ではない。それは薫自身がよく理解している。
しかし百鬼丸は尚、不動。
「気味が悪いな」
本音が漏れる。つまりS装備の優位すら無い状況だった。
「ねね~っ!!」
薫の頭上で威嚇の鳴き声を上げるねね。
「はぁ~、お前って奴はスケベなくせに……まあいい。やれるだけやろうか」
祢々切丸を八相の構えにすると、薫は敵との距離を目視で測る。
六メートルあるかどうか。
約二メートル一六センチの祢々切丸でも距離が足らない。とはいえ、こちら側から動けば隙が生じ、やられるのがオチだ。いくらS装備で身体強化されていても、所詮百鬼丸相手には付け焼刃だ。
そう結論づけると、
「おい、今更ビビってんのか?」
挑発。
いくらなんでも安っぽい手だと彼女自身も思う。しかしそれより他に手が無い。
百鬼丸は鼻の無い顔で笑うと、
「分かった。いくぞ――」
と、厚い靴底で地面を蹴り上げた。
異様な加速だった。
真正面から向かってくる筈の百鬼丸の姿は、その速度の疾さ故に体の輪郭線全てが荒く変化し、目視での距離を見誤らせた。
「くっ、きぇーーーーーッ」
切羽詰まった薫は祢々切丸を予定よりはやく振り下ろした。今度の掛け声は薬丸自顕流の特徴である「猿叫」であった。その名のとおり、猿の叫び声に似た掛け声と共に必殺の一撃を与える為であった。
上手くゆけば百鬼丸にダメージを与えられるだろう。
が、一瞬で肝心な百鬼丸の姿が四散した。
振り下ろした祢々切丸を持つ手に更に加重のかかるのが分かった。
「んなっ!?」
祢々切丸の巨大な刃の上に百鬼丸は佇み、地面と接触するタイミングで駆け出し、薫へ攻撃を加えようとしていた――刹那。
「まだ終わりじゃないデス~!」
明るい声と共に、弾丸の如く一閃の煌きが薫と百鬼丸の間を遮った。
「え、エレン!」
頼もしい長身の少女は肩越しに、
「遅れマシター」
ペロ、と舌を出す。
「ったく、おせえよ」
祢々切丸を再び持ち上げ、再戦を開始しようとした。
だが無情にもS装備の可動限界時間が近づいてしまった。予想以上の出力を強いられたようで、バイザーにも警告マークが表示される。
「ちっ、とっとと決めるぞ」
「了解、薫っ~」
弾んだ声でエレンが応じる。
百鬼丸は一旦背後へ飛びのき体勢を整える。
オレンジ色の軌跡を大気中に描いた薫とエレンのふたりは、左右から同時に攻撃を仕掛けるようだった。
(そう来たか)
百鬼丸は首をひねり、左腕に意識を集中させると《迅移》を使用した。
「なっ!?」
「ワーオ!」
ふたりは驚いた。刀使にしか使えない《迅移》を軽々と使用してのけたのだから。
「しょうがない、S装備をパージするぞ」薫が素早く指示する。
その直後――事件は起こった。
S装備をパージしたあと身軽になった二人。
そこでまず、祢々切丸を百鬼丸に投げた薫は、その場で崩れるようにして尻餅をついた。
生身で《迅移》を使用した百鬼丸はギリギリの所で二メートルの長物を躱すのが精一杯だった。
「隙アリィーーー」
エレンがそれを見逃さず、一気に斬りかかる。
だが…………思った以上にエレンの肉体にも疲労が溜まっていたらしい。薫と動揺にエレンもまた急速に衰える筋力を自覚した。
「あっ……」
中腰のまま肩で息をした百鬼丸に自然覆いかぶさる形でエレンは倒れ込んだ。
このとき、百鬼丸の人生でも有数の命の危機が生じた。
すなわち、《乳殺》である。
――説明しよう、乳殺とは古代中国から伝来した最古の暗殺術のひとつである。男が仰向けになった状態で豊満な女性の胸のどちらかでまず、鼻と口の呼吸器官を閉塞させ、残りの片乳で喉を圧迫する。そのことにより、一分半以内に呼吸困難に陥る。乳殺はその使用される胸が大きければ大きいほど、威力を増す。即ち、胸の圧力と地球の重力にしたがって威力は二乗されるのだ! この技はおもに室町時代末期の戦乱時代に使用された! とくに、くノ一の閨房術として知られるのだ。巨乳にのみ許された技であり、貧乳には不可能である。すなわち、貧乳は人にあらず!(民民書房より引用「四〇〇年の閨房術《乳殺》の歴史について」)
この《乳殺》を喰らった百鬼丸は苦しさに呻いた。
まず、鼻のない三角の鼻の孔にエレンの乳がジャストフィットし、さらになお余りある胸の弾力が口の半分を塞ぎ、もう片方の乳がさらに半分の口と喉を圧迫した。
「oh…、すいまセン」
イテテ、としたたかに百鬼丸の上に倒れ込んだために、膝など数箇所をぶつけた。
「ダズゲデ……」
胸の下から声が聞こえる。
「あっ、」
エレンは制服の布越しに伝う微動が、胸部全体を擽られるような感覚に陥り、艶かしい声をあげた。
それを遠くで見ていた薫は一言、
「こいつ、このまま倒せるんじゃね?」
と呟いた。
事実、百鬼丸はあと数秒であの世行きとなる所だった。そして、以後百鬼丸は巨乳恐怖症を患うことになった。