刀使ト修羅   作:ひのきの棒

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第191話

 

「――それにしても数が多いな」

姫和は愚痴りながらも、杭を繋ぐ特殊なワイヤーロープを切断する。

『すまんね』

黒い獣姿で百鬼丸はシュンと謝る。

「……ふん、全くだ。ばか者め」

ツンとした表情で返事をする。綺麗に切り揃えられた黒髪の下にうっすら汗が滲んでいた。

(それにしても、この後はどうすべきか……)

御刀を構えつつ周囲を囲むSTTが不気味に沈黙を守っている様子に訝る姫和。しかし、現状を打破するためにも、百鬼丸の解放は最優先事項だ。

とはいえ、無数の銃口は鈍い輝きを放ちながら「何か」を待っているようだった。

(なぜだ? なぜ威嚇射撃すらもしない?)

姫和は不気味な違和感に襲われていた。視線を素早く動かして脅威となる対象を捜す。だが、STTの隊員や車両以外には何の変化もない光景だ。

 

 

かつて、都会の代名詞として謡われたスクランブル交差点も、地面が砕けて土面を露出している。高層建築群も、半壊して完全な形を保ったモノは殆ど無い。

 

 

……きっと、ここに駆け付ける前に大勢の人が亡くなったのだろう。

それを示すようにアスファルトの瓦礫には赤黒い血痕が生々しく残されていた。

姫和はサッ、と目を逸らして冷静さを取り戻す。

 

 

(なんだ、この違和感は――――先程から何か本能に…………)

軽い逡巡が彼女の脳裏を掠める。その疑問の正体こそが、真の危機だと直感した。

 

 

『姫和ちゃん!! ――――って!』

STTの人垣から聞き馴染みのある声が聞こえた。

「か、可奈美!?」

百鬼丸を救出に単独で出発した少女が、なぜか向こう側に紛れている。

バイザーに付属した通信装置に耳を澄ましたが、可奈美のS装備はバッテリー切れだろう。通信が意味をなさない。

「どうした? よく聞き取れない!」

なるべく強く叫んで促す。

 

 

『姫和ちゃん!! 上を見て!!』

可奈美がSTTの隊員たちに羽交い絞めに抑え込まれるのを避けながら腕を伸ばして、警告を発する。

 

「上、だと?」

腕の指し示す方向へと素直に視線を向ける――と、巨大な質量を有した影が空を覆うようにして崩れてきた。

 

(そうか、これが……)

 

違和感の正体だった。

亀裂の端った壁面と柱には激しく軋む音が歪に鳴り響く。いつ倒壊してもおかしくなかったのだ。鉄筋コンクリートといえども、巨獣が暴れまわり、火炎による高熱で焙られれば強度は著しく低下する。

 

バキッ、と最後の何かが切れたのを合図に、次々とビルの砕けた瓦礫が姫和と百鬼丸の捉えられている地点に殺到してきた。

 

余りにも、タイミングが良すぎる。何者かの手引きがあったのだろうか?

(いいや、そんな事を考えている暇なんてない!)

姫和は隕石にも似た瓦礫の落下より生じる風圧を感じながら、百鬼丸の方へと赴こうとした。

――視線を少年の方へと向けた時に、金色の獣の眼と出会った。

獣は――少年は静かに首を横に振った。

「おい、百鬼丸!」

声をかけようと、近寄ろうと一歩踏み出した。

 

しかし小雨のような塵煙が視界を覆い尽した。ついで、ひしゃげた鉄筋が、生き物の骨のように落ちてきた。

 

「――――くっ!!」

もう、数秒も猶予が無い。いくらS装備を着用していても、この落下物の雨には敵わない。

「なぜだ! なぜ私を阻む?」

これが誰かの手引きだとしても、運命という存在を呪わずにはいられなかった。

激しく歯ぎしりをして、巨大な崩落の雨を逃げるようにバックステップを踏んで一時的に退避行動をとった。

 

 

――直後、地震を連想させるような地響きが足元に伝わった。塵灰を舞い上げる風圧に巻き込まれながらも、姫和は衝突位置から安全であろう地点まで、退避していた。

 

まるで仕組まれたように、STTの隊員たちの包囲している場所まで姫和は逃げていた。

必死で行動したために、姫和は地面に転がりながらも、なんとか立ち上がって周りを見る。その緋色の瞳には激しい敵愾心が宿っている。

 

「…………そういう事か。お前たちはどこまで腐っているんだッ!」

右手を強く握って包囲網を構成する大人たちに叫ぶ。

 

「こんなことをして、奴が一体何をしたというんだ……」

誰に言うでもなく、俯き加減に呟く。

 

 

……深く暗い洞穴に似ている、と思った。

 おれは、熊が冬眠用に過ごす洞穴で身を潜めている。もと居た熊は既にこの世にはいない。いや、正確に言えばおれの「胃の腑」に存在している。

 熊の毛皮はおれが剥いで身に纏っていた。洞穴の主は、地面に毛皮として敷かれている。ここに来るまで、数匹の熊を狩った。

 肉も血も骨も、何もかも利用できる物は使う。

 「弱ければ死ぬだけだ……」

 狩った熊の毛皮を頭から被りながら、おれは呟く。

 

 厳冬。

 山の奥を移動すれば、野生動物と出会うなんていつもの事だ。

 おれを前にしても逃げる動物が殆どだけど。――それでもおれに襲い掛かる奴はいる。それは手負いの獣か、あるいは子供を引き連れた奴か。もしくは空腹か。

 アイツらは気性が荒くなっている。だから相手の強さを正確に測ることができない。

 襲い掛かる奴らは例外なく、おれは機械的に敵を屠る。

 血の金臭い感じが鼻の粘膜へ執拗に絡みつく。気分が悪くなりそうだ。

 それでも、おれは何も感じずに親熊を切り刻んだ。

 自分たちよりも体格の小さい人間に斬殺される。そんな光景を見た子熊たちの眼は、本能から怯え、逃げる。

 おれは自然と空腹から親熊を肉のブロックに切り分けて、熾した焚火で焙り喰らう。

 熊の肉は個体差がある。だが、例外なく臭い。アンモニアの匂いが酷い。内臓を傷つけないように気を付けても、上手くいかない。だから諦めて食べる。

 脂身と赤身の二層が明確に分離しており、歯ごたえはある。強く咀嚼して呑み込む。

 喉の渇きは獣の血液だ。生焼けの肉を頬張り、口の中に充ちる血液をゴクゴクと喉を鳴らして飲む。

 おれは、文字通り身も心も「人」ではない。

 血まみれの吐息は外気に白く色づき、鼻先を掠める。

 両腕の刀にはベットリ、血と脂がこびり付いていた。

 

 子熊たちの足跡は吹雪によって消えつつあった。追う気にはならなかった。

 腹を満たすだけなら、この親熊だけで十分だ。

 この熊の親子は食料が無く、冬眠に入れなかったんだろう。しかも、眠りに必要な洞穴すら見つけれなかった様子だった。

 (弱肉強食か)

 かつて、義父に教わった言葉だ。

 自然界では弱い生き物が強い生き物の餌になる。絶対で明解な世界の原理原則。

 おれは、今になってその言葉の意味を理解した。

 今までのおれの行為は「弱肉強食」を体現していた。べつに好きでこんな事をしている訳じゃない。だけど、腹が減れば弱い奴を食べる。――今みたいに。

 人の頃に食べた「料理」は記憶の彼方になって、もうどんな味かも忘れた。ただ、食べた、という事実だけがおれに、辛うじて「人間らしい生き方」のモデルになっていた。

 

 

 ――思い描いたのは、三人で食卓を囲む光景。

 

「そういや、さっきの親子の熊も三匹だったな……」 

 そして、おれが殺したのは親の熊。

「……っ、はははははは、まただ。また、おれは殺した! あはははは、親殺しはおれの得意技だなァ」

 灰色の天空を仰ぎ見ながら降り続く雪に顔を濡らす。牡丹雪は融けて、血の味を薄れさせてくれる気がした。

 はやく、人間の感情なんて無くなればいいと思った。

 人間になりたかった。

 でも、自然界で暮らしているなら、人間であることは邪魔だった。

 獣だ。

 おれは獣なんだから人の感情を棄てたいと思った。

 

 義父を殺害した日までは、おれは「人」に憧れていた。

――今はまったく逆だ。

 人の部分がひたすら邪魔だった。倫理観、罪悪感、後悔。そんなものが影みたいにまとわりつく。

「おれは、獣だ。――おれは獣なんだ」

 中途半端な自分という存在を明確に定義するために、おれは自己洗脳をした。

 

 

ゆっくり、おれは瞼を開ける。

「ゲホッ、ゲホッ」

華と喉に粉っぽい感じがして、おれは咽た。

(最悪だ。なんで今、あの時の気持ちを思い出したんだ……)

 孤独な時間を過ごした記憶が、意識を一瞬失ったことで強烈に甦っていた。

「イテテテ」

 腕や背中を動かすと激痛が走る。視線を己の肉体に這わせると、躰を貫いていた杭は瓦礫の雨でグニャグニャになって、いつの間にか何本か抜けていた。ワイヤーロープも、瓦礫の隙間で千切れている。

「げほっ、タイミングいいなオイ」思わず苦笑いを漏らした。

改めて体中を動かして点検する。黒い体毛は一切傷ついてない。相当に防御力が高いみたいだ。

(姫和もこっちに向かおうとしてたな……)

記憶が途切れる寸前の光景が鮮明に思い浮かぶ。

 

――可奈美といい姫和といい、自己犠牲大好き人間なのかなアイツラ。

内心でお人好しな少女たちに軽く毒づく。

 

 

「……っと」

おれは、いまさらになって思い出した。

「明さん、生きてますか?」

ビルの崩落寸前に、おれと一番近い距離にいた明さんだけは逃げることが不可能だった。「早く安全な場所に逃げてくれ」と、強く促しても明さんは無視してロープを切る作業を辞めなかった。

 

『お前を見捨てたら、俺は何のためにこんなマヌケな事したの分からなくなるだろうがッ!』と怒鳴り返された。

 

 ……まさか、瓦礫が倒壊する寸前まで作業を続けるとは思わなかったが。

 

咄嗟に、多少自由になった体で明さんを瓦礫から守るために覆いかぶさって凌ぐことにした。

 瓦礫程度で、自分(百鬼丸)は死なない確信があった。

 

 

「……よォ、百鬼丸。悪いな。お前ばっかり。ったく、どっちが助けに来たか分からないな。ハハハ」弱々しく笑う明さんは、普段通りの調子だ。

 

「待っててくださいね。今、この瓦礫をどかしますから」

 おれの背中に巨大な壁面が当たっている。

「――ったく」

こんなモンでおれが死ぬ訳がない。獣の姿の今、それを実感している。

背中の筋肉に意識を集中して一気に力を背後にかける。すると、自然に壁面がグググ、と動きだす感覚がした。邪魔だな、と思いながら両肘を何度も背中の瓦礫に叩きつけて砕く。

 

 

 バキッ、バキッ、と氷を砕くみたいに簡単にヒビが入る。

「――あああああああ、邪魔くせぇ!!」

おれは、片肘で巨大な瓦礫を支え、ガラ空きの片腕は振り向きざまに、思い切り引き絞った拳で叩きつける。

 一気に瓦礫がバラバラと盛大な音を立てて崩れていく。

「なんだ、簡単じゃねーか」

おれは牙を剥いてわらう。……つくづく、人間からかけ離れた容貌だと自覚する。

 

完全な暗闇から解放されたことで、灰色の空が目に映った。

 

「――さぁ、明さん。久々の外ですよ」

おれは冗談っぽく言って明さんの方をみた。

 

「なぁ、百鬼丸。ありがとうな。俺はお前のお蔭で今まで自分の見失ってた自分を見つけることが出来たんだ」

擦れた声で明さんが喋る。

「どうしたんですか? 早く出ましょうよ。ああ、そうか。自力で出れないんですよね。手を貸しますよ」

おれはそう言って、明さんの腕を掴んで引っ張ろうとした。

 

 

――――――そして、気が付いた。

 

 明さんの腹部の半分が失われていることに。

 

「えっ? あれ? なんで? おれは確かに明さんの上に……」

 

「アア、すまん。百鬼丸。もう少し大きい声でしゃべってくれ。耳が少し遠いんだ。……わりぃな。ジジイみたいなコト言ってな。まだ俺30代だぜ? へへ、すまんな。せっかくお前が守ってくれたのに。人間ってのは、脆いんだなぁ」

 

 …………どうして? なんで、おれは一体何を間違えた? ――――おれは、どこから何をしたんだ? ……――――

 

「なぁ、百鬼丸。わりぃな。役に立てなくてな」

 

「し、静かにしてくれ。まだ間に合う。おれが、そう、おれが何とかするからさ、待っててくれよ?」

 

力なく微笑む明さんは、おれの顔を見返しながら、

「ゲホッ、もういい。お前はいつも、そうだ。…………頼みがある」

血泡を口端から思うさま吐き出して、弱い視線でいう。

「な、なんですか?」

「たばこ、吸いたいんだ。本当は禁止なんだが、ポケットに一本お守り代わりに入れてんだ。吸わせてくれ」

 小刻みに震える人差し指を立て、ジェスチャーする。

 

 「……――――。こんな時まで、ですか?」

 「頼むよ」と、擦れた声で言った。

 おれは明さんのポケットからビニールに巻かれた煙草を取り出して、包装を剥がし銜えさせた。

 ガチガチ、と寒そうに震えた明さんは銜えた煙草を落としそうだった。おれは、煙草を支えながら、明さんの次の言葉を待つ。

 「火、ないか」

 「……――ありますよ。怪物を燃やした時に持ってた燐寸(マッチ)ですけど」冷静さを意識しながらおれは喋る。でも駄目だ。声が震える。

 破れたズボンに幸い残っていた燐寸の箱を触る。中身は全部粉々に砕けていた。獣の武骨な指先に、着火剤の赤燐を付着させ、爪先でコンクリート破片を傷つける。

 ポッ、と爪先に火が点る。

 煙草の先端に火を移すと、暫くして紫煙が燻った。

 

 細く長い煙筋が上空へと昇ってゆく。

 おれは、ただその煙の行方を茫然としながら眺めていた。

 

 「――――お前も俺と同じだ。ゲホッ、っ、でも、まだガキだ。強くてもな。お前をロクに守れない大人だった。――……ッッ、アァ、すまん。でも、お前は無事だ。俺のことで気に病むな。背負うな。頼りない人間で済まない」

 そう言いながら明さんは弱々しく拳を握りおれの胸板を小突く。

 「この右腕もお前のお蔭だ。――――お前は誰よりも優しい。化け物じゃない。それは俺だけじゃない。さっきの娘たちだって―――――」

 途中から明さんは声を発さなくなった。

 ――――……………。

 …………――――。

 ………―――――………………。

 おれは、この不気味な沈黙の正体を知っている。あまりに呆気なく、唐突にやってくる者の正体を。

 「死」

 たった一つ、それだけが思い当たった。

「明さん。返事できますか? 無理なら、こっちでどうにかします。大丈夫ですよ。おれ、何とかしますから」

 現実感がない。

 余りにもあっけない別れに、おれは目の前の現実が分からなくなっていた。

 明さんの心臓に耳を当てて音を聴く。

 無音。

 肋骨の内部に収まった心臓は動いている時の音をしていなかった。

 

 ……明さんの顔を見るのが怖かった。

 違う、と思いたかった。

 しかし、明さんはもしかしたら冗談で黙っているだけかも知れない。

 ゆっくり、首を動かして明さんの顔を見る。

 

 顔はのっぺりしていた。

 目には光が消えて、ゼラチン質の塊という感じがした。口は半開きで、煙草の煙だけが外気に漂っている。

 剃り残しの無精ひげ。口端から涎が垂れている。

 

 

 「明さん……っ、明さんッ」

 奥歯を強く噛みしめておれは、呼びかける。

 

 無意味だと理性では知っているが、それでも愚かな行為を繰り返さずにはいられなかった。

 

 ポタ、ポタ、とおれの足を濡らす粘ついた感覚に今更気付いた。

 目線を下にやると、明さんの腹部から溢れた血液がおれの太腿を濡らしていた。

 

「あぁああああああああああああああああああああああ!!! ぁ、ああああ、あああああああああああああああああああああああああああ」

 

 なんでだ!? なんでいつもこうなる? 

 おれを認めてくれた人たちはいつもおれの前から消えてゆく。いつもそうだ。居なくらないで欲しい人たちから死んでゆく。

 おれに関わったばっかりに皆、みんな、死んでゆく。

 もういやだ、もう、いやだ、……………どうすればいい? もう、いやだ。もう、おれはこの地上に存在したくない。消えるべき生き物だったんだ。

 ……可奈美も、姫和も、他の連中も、いずれ死んでしまう。

 

 

 

 「あああああああああああ、殺してくれ、はやくおれを、誰か、おれを、おれを!」

 

 ……手が重い。

 おれの手は明さんの血液に満遍なく濡れて、赤く染まっていた。いつの間にか、黒い体毛は消えていた。おれは、人の肌色で、ひたすら明さんを両腕で抱きしめていた。

 「いやだ、なんでいつも、おれの前から消えるんだ……」

 足元から力が抜けた。

 

 

 ――――おれの目の前は真っ暗になった。

 

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