刀使ト修羅   作:ひのきの棒

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第193話

 まるで抜け殻だった……。

 少年は、壁側に体重を預けて座り、完全に放心状態で口を半開きにして口端から涎を垂らしている。時折、「――どうしてだ」と同じ言葉を繰り返す。

 壊れたロボットのように、話しかけても反応が返ってこない。

 

 ――――完全に心が折れた。

 

 沙耶香は彼の様子を見ながら悟った。

 

 どれだけ身体の強力な戦士でも、「精神」の傷だけは治癒は難しい。肉体の怪我であれば、ある程度の回復の見込みはある。しかし、精神だけは別だ。

 一度でも根本から折れてしまえば他人はどうする事もできない。

 

 何度か、話しかけようと試みた沙耶香だったが、余りにも見るに堪えない百鬼丸の状態に胸が痛んだ。

 

 (――どうしよう)

 本来、他者との会話や意思疎通を苦手とする沙耶香には、今の息が詰まりそうな空間で対処のしようがなかった。

 

 ただ、体育座りをしながら百鬼丸の傍で見守ることしかできない。

 

 

 

 Ⅰ

 糸見沙耶香が渋谷巨獣事件の渦中に到着した時、現場は大規模な爆撃を受けたような瓦礫の山となっていた。余燼が燻り、ブロックのように簡単に崩されたビルの数々。人々の呻き声。

 アスファルトの溶ける不快な匂い。

 思わず鼻を袖で覆いながら歩く。

 橙色のバイザー越しに見る世界は全て現実離れした風景だった。

 すり鉢状に穴があり、そこには巨大な怪物の死骸が何者かに齧られた痕跡と共に、残っていた。

 しかし、ひと際目立つ場所があった。

 倒壊したビルの瓦礫の山の中、膝をついて天空を仰ぎ見る人影。

 「百鬼丸!?」

 沙耶香は自らにしては珍しく驚きの声をあげた。

 

 彼は、長い黒髪を乱雑に地面に垂らし、両腕に男の亡骸を抱えながら口から「ぁああああああああ」と、喉から悲痛な呻きを迸らせていた。

 

 そして、何より異様だったのが、彼を警戒するように百鬼丸を包囲するSTTの隊員たちだった。彼らは自動小銃を構え、慎重に様子を窺っている。

 なぜ、射撃しないのか?

 否、彼らは射撃をしていた。しかし、無意味だったのだろう。その証拠に、隊員たちの足元には空薬莢が無数に転がっている。

 

 上半身が半裸の少年の体の部位には、黒い獣毛が生えている。

 それらが全て、銃撃を防いだようだった。

 

 

 沙耶香は、ただその悲惨な光景を眺めることしか出来なかった。

「……百鬼丸」

と、少年の名をつぶやく。

 

 無意識に右腕を伸ばしていた。

 その肉体と戦闘センス故に、圧倒的な強さに畏怖すら覚えていた沙耶香は今、男の亡骸を抱えて慟哭する少年に、底知れない悲しさを感じた。

 

 

『おい、お嬢ちゃん。疲れてないか?』

 優しく肩を揺り動かしてくれた男は、心配そうに声をかけた。

「……ん、大丈夫」

 コクンと頷き、眠い目を擦る。

 滲む視界で、隣に座る百鬼丸を一瞥する。

 彼は相変わらず、濁った眼で自らの膝の辺りを眺めていた。

「…………。」

 悲しそうに眉をひそめ、沙耶香は立ち上がる。

 

 沙耶香を起こした男は軽く頷き、

「とにかく、逃走するための車両を変えるから、待っててくれ」 

 と、言った。

「――うん。わかった。大関…………さん、も気を付けて」

大関――と呼ばれた恰幅がよく、穏やかな顔つきの男は、一瞬、呆気にとられたような表情をしてから、「ガハハハ」と豪快に笑う。

「そうか。うん、久しぶりだな。お嬢ちゃんくらいの年ごろの娘に心配されるのは」

そう言いながら、分厚い掌で沙耶香の頭をガシガシと撫でまわす。

ふと、大関は沙耶香の後ろに居る百鬼丸に目を向け、

「……あの子も、明を失ってショックだったんだろうな。悪いが、少しここを離れるが、頼む」

心配するように言った。

「…………うん。分かった」

硬い表情で首肯する。

 

 

 小型トラックの荷台の後部ハッチから冷風が吹きつける。

 夜気の匂いが感じられた。

 もう、大分時間が経過したんだ。

 沙耶香は漫然と、そう思った。

 

 

 Ⅳ

 

 オレは、これまで可愛がっていた部下を見送ってきた。

 四〇代も終わりかけの年齢になっても、自分の未熟さに嫌気がさす。特別機動隊として、オレは二〇年前の「江の島」で任務にあたっていた。

 ――この時ほどひどい状況は見たことがなかった。

まだ若かったオレは、銃を握りながらこんなにも「無力」なんだと思い知らされた。

 オレたちが本来守るべき子供に助けられている。――援護射撃とは聞こえがいいものの、豆鉄砲以下の威力しか発揮できなかった。

――人間は無力だ。

 恐らく、当時の現場にいた他の隊員や自衛隊員も同じ感想だっただろう。

 沢山の人が死んだ。

 何の罪もない人たちが大勢死んだ。一夜明ければ、被害は更に酷くなっていた。

 

 それから約二〇年後――――。

 

 

 頭のおかしなテロリストの影響で、関東のショッピングモールが占領された。

 STTの現場指揮官としてオレは、しかし部下を無残に死地に行かせる無能な男だった。

 だが、それでも事件は何とか収束した。

 

 瀕死の状態でありながら、死地から帰ってきた部下が言った。

 

『大関さんのお蔭で皆、安心できたんですよ』

 ソイツは普段、軽口を叩く皮肉屋だった。

 担架で運ばれた、この不遜な部下――――田村明は、事後処理に当たっていたオレに向かって微笑んだ。

 オレは救われた気がした。

 …………大勢の部下をむざむざ死なせた罪悪感だけでいっぱいだったオレには、確かな救いだった。

 

 

――その明が死んだ。

 

 長い付き合いだった部下が死んだ。

 だというのに、未だにそんな現実に向き合うことが出来ずにいた。

 

 

 STTを退職したあと、大関茂は知人の運送屋を手伝うことに決めた。

 人の死とは無縁の生活。

 熊のような恰幅のよい肉体を活かすことが出来る仕事は、彼のこれまでの苦悩を浄化してくれる気がした。

 

 

 小型トラックで重い荷物を運ぶ。積荷を下ろして次の現場へ。

 このサイクルが大関には合っていた。

 そんな仕事を続けて数か月が経過した。

 そんな時だった。

 かつての部下、田村明から電話が掛かってきたのは。

 

『大関、お久しぶりですね』

第一声から大らかな声だった。

「ああ、久しぶりだな。急にどうした、元気か?」

『元気、ですね。そういえば大関さん』

「うん、どうした?」

『いきなりで悪いんですけど、俺にもしもの事があれば助けて欲しい奴が一人いるんですよ』

「――――ん? なんだ縁起でもない」

『……最近の情勢は凄くキナクサイ、って世間でも思われてますよね』

「ああ、そうだな」

『俺も保険として、ですけど一応、色々と信頼できる大関さんにお話したいんですよ』

「……気味が悪いが、いいだろう。なんだ?」

『百鬼丸を覚えていますか?』

「ああ、あのショッピングモールの時の少年か。忘れるわけないだろう」

『あははは、そうですよね。――アイツ、もしアイツが窮地に陥ったら助けてやってくれませんかね?』

「ああ、それは構わんが、なぜオレに?」

『大関さんには色々と迷惑かけていて、俺は頭が上がらないんですよ。でも、それでもお願いです。俺の弟みたいな奴なんです。あんなに強いけど、ガキです。俺以外にも誰か庇護してやる大人は必要です。大関さんなら信頼できますから』

「――――」

大関は内心、買い被りすぎだ、と思った。だが真剣な口調の明は熱意が籠っていた。

「わかった。善処する。しかし、不吉なことはもう言うなよ?」 

苦笑しながら釘を刺す。

 明は電話越しに笑いながら、世間話をした。

 

 とても懐かしい気分だった。

 

『大関さん、これまでご迷惑をおかけしました』

 彼の生前の肉声が耳の奥にいつまでも、繰り返し聞こえる。

 

 

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