男は、《血》に敏感だった。
箒を逆立てたような剛直な髪質は、針金を連想させた。
彼の背中には黒瑪瑙色の鞘をクロスさせ、邪悪な刀を収めている。
夜。
肌寒い気温にも関わらず、男はノースリーブで、鍛え抜かれた両腕に青筋の血管を走らせた。
「フゥウウウ」
息を吐き出す。
目元を覆う布に、鋭い三白眼。
――――ステインは、驚異的な身体能力によって次々と「ヒーロー」を闇に屠ってきた。
偽善は最大の冒涜であり、「善」も「悪」も純粋でなくてはいけない。
彼は一個の思想犯である。
「……どうしました?」
皐月夜見が訊ねる。
ふたりは、東京駅の近くに拠点を構える「刀剣類管理局維新派」のホテル前にいた。
明治期に思いを馳せるデザインのモダン建築、東京駅の赤レンガの風情を無視して、ステインは荒々しい昂る気分を抑え込む。
まるで空腹の猛獣だった。
駅周辺には、近衛隊を名乗る綾小路の刀使たちが警備にあたっていた。
なんでも都内は厳戒態勢に入っているらしい。
こんなことは、戦前の226事件以来だとメディアで噂された。
「――百鬼丸の行方は分かっているのか?」
ステインは紅の小さな瞳を動かし、きいた。
「現段階では何も分かっていません。ですが、今の貴方に課せられた任務は百鬼丸と戦う事ではありません」
「――分かっている」
「……ですが、いずれタギツヒメ討伐を名目に彼は奇襲を仕掛ける可能性もあります。焦る必要はないかと」夜見は冷静にステインを宥める。
腕組みをしたステインが、首元の赤い布を風に靡かせる。
Ⅰ
『刀使二名の身柄を拘束完了。これより、護送車にて移送する』
運転席から運転手の隊員の声が聞こえる。
これから、可奈美と姫和はSTTの拠点で取り調べを受ける。――主に、百鬼丸を助けた事による内容が中心になるだろう。
護送車の長椅子に腰かけた可奈美は、取り上げられた御刀の無い腰元に無意識に手をやる。……普段の癖が抜けない、と肩を竦めて自嘲気味に苦笑いを浮かべる。
「可奈美、どうして単独で行動した」
姫和も、覇気のない調子で尋ねた。
「……うん、どうしてだろうね。ごめんね、私も分からないんだ。躰が勝手にうごいちゃった。でも、皆を危険に巻き込んじゃってごめんね」
薄い表情で謝罪を口にする。
「馬鹿者。それは今更だ。それに私も、お前に迷惑をかけている。それはお互い様だ」
「あはは」
「――んなっ、なにが面白い?」
「ううん、何でもないよ」
「……そうか」
「……うん」
ふたりは、自らの足元に目線を向けていた。
「ねえ、姫和ちゃん」
「どうした?」
「私たち、百鬼丸さんに何ができたのかな?」
そう言いながら可奈美は首元を指先でなぞる。――獣化した百鬼丸が、可奈美を投げ飛ばす際に掴まれた首。
手加減をしたのだろう。圧迫痕は一切なく、傷すら一つもない。
「…………わからない」
「私ね、百鬼丸さんの事を知りたいと思った。だけど、やっぱり駄目だった。でもね」
言葉を一旦区切り、可奈美は上を向いて「はぁーっ」と細い吐息をつく。
「私のこと、友達って言ってくれたんだ。初めて友達って呼んでくれたんだ。おかしいよね、私たちの関係なんて凄く曖昧なのに、それでも百鬼丸さんは友達って言葉を使ってくれて、私は凄く嬉しかったんだ。胸の底から温かくなってね、もう一回だけ友達って言って欲しかったんだ。――――」
無理やりに微笑む。
「――だけど、本当に友達が困ってる時に何も出来なかった」
可奈美の瞼の裏には、百鬼丸が抱きかかえたSTTの隊員。少年を真っ先に助けようと駆け付けた男。
――大切な人の死。
己の肉体を傷つけられるよりも深く、鈍く、少年は傷を負った。
そんな時に、一緒に寄り添う事すらままならない状態に可奈美は無力感を抱えていた。
「……私は本当に友達って言えるかな? 百鬼丸さんが嬉しそうに言ってくれた友達でいられるのかな」力なく言う可奈美。
琥珀色の瞳は、輝きが失われていた。
「――――私にも難しいことはいえない。なにせ、お前と同じだからな、私も奴を救えなかったんだ」
歯噛みしながらグッと握る右手を見詰める。
「……そんなことないよ。姫和ちゃんは百鬼丸さんを助けるために頑張ったよ」
「ふっ、それは買い被りだ。私も結局奴を助け出せなかった。結果は同じなんだ」
「……そっか」可奈美はボンヤりとした目線で、返事をした。
「「………………。」」
護送車は既にエンジンを唸らせて、出発していた。
瓦礫の渋谷を抜けて被害の少ない湾岸方面へと進路を決めて走行する。
金網のついた車窓は脱出できないよう工夫されていた。
車に揺られながら可奈美がふと口を開く。
「ねぇ、姫和ちゃん。ひとつ聞いてもいいかな?」
「なんだ?」
「姫和ちゃんにとって、百鬼丸さんはどんな存在なの?」