落ち着いた室内の調度品に囲まれた空間の最奥に、執務机があった。
マホガニー材の机上には、クリップ留めされた資料の紙束が積まれている。背後の大窓から射し込む冬の午後の日差しが、物憂く室内に流れ込む。
白のレディーススーツに身を包む高津雪那は、毒々しいルージュの唇に親指を銜え、強く噛みしめていた。
(なんだこれは……? どういう事だ?)
刀剣類管理局の維新派を標榜し、運動を主導する彼女にとって、支援者である筈の轆轤秀光の行動が常軌を逸しているように思えてならない。
渋谷のスクランブル交差点にて怪獣を出現させ、人々を殺させる。
事件自体は、あの忌々しい――――百鬼丸という少年が「怪獣を食い殺す」ことで解決した。
――――しかし。
最早、政治上の綱引きであるとか、主導権を握るとかでは測れない〝虐殺〟だった。
「あの男と組んでいてはまずい。いずれこちらにも責任が及ぶ…………」
雪那の手元にタブレット端末が置かれている。その画面にワイドショーで饒舌を振るう俳優のように容姿の整った男――――轆轤秀光。
彼の言葉は理路整然としており、この緊急事態にも対応しているかのように「演出して」いた。
「……私だけでもヒメの宿願を成就しなければいけない。そう、そうよ! あの男は勝手にすればいい! ……私はあくまでヒメの忠実な配下。ふふっ、それだけの事じゃない」
美人、と形容して良い筈の雪那の表情は神経質な焦りや怒り、怯えといった負の感情に塗れていた。
Ⅰ
大衆飯店の前に、小型トラックが停車している。
時刻は午後5時。
通常であれば、準備中の札が玄関先にかけたれている時間だが、店の奥では人気配がする。
「久しぶりですね」
大関は恰幅の良い腹をゆすって笑う。
厨房の奥で椅子代わりのクーラーボックスに座り、新聞を広げて読む店主がジロリ、と目線を向けた。
「――――ああ、アンタか」
「ええ、最近はご無沙汰しておりました。懐かしいですね」
「……開店時間はもう少し先だぞ」
「そうですね、今日はチョットだけ込み入った事情がありまして――――」
「ム?」白い片眉をあげた店主は、怪訝そうに首を傾げる。
「ある少年を匿っていまして……逃走用の車を貸して下さいませんか?」
単刀直入に大関は話を切り出す。
店主は別に驚く素振りも見せず、静かに数秒考えて「――だったら、その坊主をここに呼べ」と言った。
店主は、頑固な人物として有名だった。
そもそも、彼は大衆飯店を開く前は、自衛隊員として活躍していた。
勿論、約二〇年前の「江の島」の事件にも出動していた。
いわば、大関とは古馴染みだった。
「――――そうしたいですが、ソイツは、その……心が粉々に砕けているんですよ。明、オレの部下で、よくココにも食べにきてた田村明って奴に可愛がられてた奴が居たんですよ。ソイツが死んで……その少年も、喪失感で一杯な感じで」
大関は事のあらましを語った。
話を聞き終わった店主は、しかし表情を一切変えずに「呼ぶんだ」と言った。
「…………分かりました」不承不承といった感じで大関は頷いた。
◇
店に入ってきた百鬼丸は、大関に背負われていた。
ただし片足だけは地面を引きずる恰好だった。金属の重厚な音が地面に接する地面から聞こえる。……店主は、彼の足が義足であることを理解した。
「その子か?」
店主はぶっきらぼうに言いながら立ち上がり、百鬼丸に近づいた。
「――ええ」
百鬼丸を手近な椅子に座らせて、大関は疲れた声を漏らす。
「この坊主は一度、明と一緒に来た子だな」
と、店主は言いながらベタベタと百鬼丸の顔を触る。
完全に焦点を合わせない両方の瞳。片方の義眼――――どこか違和感を覚えた。厨房の奥に仕舞っていたゴム手袋を取りに戻り、百鬼丸の顔を触診する。
「ム?」
店主の皺だらけの指が少年の瞼を開かせた。
(こいつ、自分で目玉を抉り出した痕跡があるな……)
自衛隊で衛生隊の経験がある店主は、瞼の内側が爪のような傷跡があることを確認した。
百鬼丸は口を半開きに、涎を顎まで垂らしていた。
「大関さん、この子をどこに逃がすつもりなんだ?」
「…………正直、分かりません。いずれ捕まると思います。でも彼をこのまま放置することは――明との約束を破ることになるので」
「そうか……分かった。裏にワンボックスを停めてある。ソレを使え」
「すいません、恩に着ます」
「……しかし、この子は正直、正気に戻るとは思えない。完全に精神が崩壊している」
店主は小さく溜息をついて首を振る。
『……………本当?』
店主の背後からか細い少女の声が聞こえた。
「!?」
驚いて振り返ると、小動物のような色素の薄い髪の少女が不安げな眼差しで店主を見上げている。
「お嬢ちゃんは付き添いか」
店主は腰元の御刀を一瞥して、彼女が刀使であることを理解した。
「……うん」
「残念だがこうなると、どんな頑強な兵士でも立ち直れない」
「……前みたいに、話もできない?」
「――個人差はあるだろうが、こんな様子はよっぽどだ。残念だが――」
店主の言葉を聞き終わる前に沙耶香は俯き加減に歩き出す。
椅子に座った百鬼丸の両肩を掴む。
「…………もし、百鬼丸が前みたいに話が出来なくても、元に戻らなくてもいい。わたしが守り抜く」
「「――――――。」」
大関と店主は、断固とした沙耶香の決意に悲痛なまでの〝献身〟さを感じた。
しかし、その理由までは理解できなかった。
Ⅱ
「私は…………分からない。少なくとも、私にとって百鬼丸は友達という印象よりも――――戦友という方が近いのかもしれない」
姫和は手元に視線を落としながら言った。
母を奪ったと思っていた折神紫を討つために生きていた。
その目的が消滅し、代わりに三女神の争いに巻き込まれている。
かつて母を苦しめ、笑顔を奪った『大荒魂』の張本人たちの争いに――未だに巻き込まれている。
母は立派な刀使だった。
その命を捧げ、生涯を使命に費やした。
大事な役目だ。だが、頭で理解していても感情では納得していなかった。
…………だから、あの夜――百鬼丸と共に実家に戻った時の夜に本音を包み隠さずに語った。
不思議と、これまで誰にも語ったことの無い内心を喋っていた。
多分、同じ悩みを抱えた者だと、姫和は無意識に感じていた。
可奈美はその言葉を聞いて一言「……そっか」と返事をした。
――――同じ運命という残酷な軛に支配さいれた者同士でしか分からない事がある。
それは姫和と百鬼丸の間でしか通じない感覚なのかもしれない。
「私も可奈美……お前と同じなんだ。アイツの事なんて一切、知りもしなかった。他人のことなんて今まで考えてなかった。アイツの事もそうだ。きっと、私たちのために色々と裏で何かをしていたのかも知れない」
「姫和ちゃんは百鬼丸さんと友達にならないの?」
「……どうだろうな? 私はアイツと深い所で関わり合うことを避けてたんだ。本当の自分では、アイツとは一緒に居ることが出来ない。私は刀使。アイツはアイツ。別々の道にいるからこそ、一緒に行動できた気がするんだ」
(姫和ちゃんも、百鬼丸さんもただ不器用なだけじゃないかな?)
と、可奈美は内心で思った。
三人で旅をしていた時、似た者同士だと思う瞬間はあった。
困難の続く短い旅路の中でも、あの時間を「楽しかった」と言った百鬼丸の言葉に嘘はないと可奈美は思う。
「――――ねぇ、姫和ちゃん。もしもさ、こんな大変なことが全部終わって――それで遊びに行けるとしたら……どこがいいかな?」
突然の可奈美の発言に、姫和は戸惑った。
「……どうしたんだ急に?」
「ねぇ、どこがいいかな?」
嬉しそうに尋ねる可奈美は、普段通りの明るい声音だった。
(お前のそういう所に私は救われているのかもな…………)
護送車の背もたれに体を預けて、姫和は瞑目する。
「そうだな……海、にでも行くか」
「海? どこの?」
「全部が始まった場所だ。私たちが出会って、別れた――――」
「「江の島」」
二人の声が揃った。
姫和が驚いて顔を上げた。
「…………今度はさ、皆で遊ぼうね! きっと、これから先に悲しいことも苦しいこともあるかもだけど……それでも、きっと楽しいことってあるから!」
可奈美はまるで自身に言い聞かせるように言って、琥珀色の瞳を潤ませる。
「渋谷でね、ひとりの女の子を守ったんだ。……その女の子がね、私が護送車に乗せられる前に近寄ってきてくれて、アメを一個くれたんだ」
「ふっ、そうか。子供に好かれるとはお前らしいな」
「えへへ、そうかな。……それでね、これまで『強さ』って何かな? ってモヤモヤしてたことが晴れたんだ。守る、私は刀使だから皆を守る! それが私の剣だから」
剣士の孤独を受け入れ、その先にある道を目指す可奈美。
余りにも眩しい彼女の態度に、姫和は置いていかれるような気がした。
ふと、姫和は可奈美を眺めながら〝あること〟に気付いた。
「――可奈美、お前の髪を束ねていた黒いリボンはどうした?」
「えっ?」唐突な質問に可奈美は素っ頓狂な声をあげる。
自分の髪を軽く触りながら照れたように、
「百鬼丸さんにあげたよ。…………少しでも、私たちの事覚えてくれたらいいなー、って」
微笑んだ可奈美は、もう一度天井を見る。
「大丈夫だから――百鬼丸さんと繋がっているハズだから」