刀使ト修羅   作:ひのきの棒

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第199話

 

 青い月が、高い夜空に掛かる。

 編み上げのロングブーツの分厚い靴底が孤独に鳴り響く。

 白い袈裟マントを羽織った人影がゆっくりと、廃病院のエントランスへと侵入する。薄い光に照らされた人物は――新雪のように白い肌と髪をしていた。一見して精巧な人形と見間違える程の生気の無い雰囲気。

 だが、その両目に宿る憎しみの眼差しだけが、彼を生き物だと判別させた。

 

――憎しみ

 

 凄まじい執念の目つきが、たった一人を捜していた。

 

「どこだ? ……どこに居る?」

下顎を大きく開き、吼える。

巨大な暗闇の空間に吸い込まれる声は、しかし、確実に無人であろう場所に生き物の気配を感じ取っていた。

 

 

「百鬼丸、いるんだろ? ここに隠れてお前はいいご身分だな」

首を傾けて嘲りに満ちた顔つきで、侮蔑の言葉を吐く。

背後から吹きすさぶ冬の乾いた風が、割れた窓ガラスの微粒な破片を舞い散らせる。

ニィ、と白い人物が口角を釣り上げ、更に話を続ける。

 

「お前のお仲間の……ええっと、なんだったかな。そうだ。衛藤可奈美、十条姫和を拘束しているが――お前が大人しく、オレの前に出てきたら解放するように取り計らうが――――」

首を巡らし、暗闇の中を探る。

……呼吸。

確かに此方に近づく気配を、白い侵入者は感じていた。

体重の軽い靴音から察するに、まだ幼い人間だろう。それが、二階の階段から下りてくるようだ。

ピタッ、と途中で足音が止まった。

「…………わたしが相手をする」

やや、伏目がちな沙耶香が、ポンチョレインコートの内に隠した御刀の柄巻きを握りしめる。

長い前髪から見え隠れする紫紺の瞳を上げ、硬い意志で目前の人物を見据える。

 

 

「――――糸見沙耶香、なるほど」

先程までの嘲りをたっぷり含んだ笑みを消し、真剣な表情で沙耶香に向き合う。

「……正直にいうが、君ではオレに勝てない」

言いながら、彼も袈裟マントから腕を伸ばし、一振りの野太刀を掲げる。

 

 

沙耶香の前に現れた刀はまさしく、百鬼丸が持っていたオリジナルの《無銘刀》だった。渋谷の巨獣事件によって、途中で無くしたものだと思っていた。それを、敵が既に回収していたのだ。

 

 

「大人しくしてれば、君に危害は加えない。約束しよう」穏やかで優しい口調。

背後に青い月を背負って立つ白い人影は、徐々に月の光に照らし上げられ、顔全体が露わになる。

 

「――――百鬼丸、と同じ顔」

思わず、沙耶香は呟いた。

 

瓜二つの顔だった。

白い肌、白い髪、全てが脱色されたような色である。ただし、両目の毒々しいまでの真紅だけが彼に個性を付与している。

 

「百鬼丸、そうか。君にはやはりそう見えるか」

首を小さく左右にふって「参ったな」と肩を竦めて嘆息した。

「――――さ、そこをどいて……」

沙耶香は即時、否定の首を振る。

「チッ」と苛立ちを露わにした舌打ちで、白い人影が眉間に獰猛な皺を刻む。

あくまで沙耶香とは戦いたくないらしい。その証拠に彼は刀を掲げているだけで、実力行使はしていない。

その不可解な様子に疑問を持った沙耶香だったが、不意にある事に気付いた。

「……あなたの名前、聞いていない」

双子のように百鬼丸と瓜二つな顔。雰囲気。……どことなく他人とは思えない。

敵である筈なのに、彼がどういう人物なのか気になった。

しかし、沙耶香の問いかけが予想外だったのだろう。

白い人影は強い苛立ちから一転して、「なに?」と怪訝を通り越した驚愕の反応を示した。

 

「……あなたの名前、教えて」

沙耶香は紫紺の目で、真摯な眼差しで問いかける。

 

 

 

(なんだこの娘は…………)

一瞬言葉を失った。

これまで、そんな事を言われた事がなかった。名前なぞ所詮自分には不要な存在だと思っていた。だから、勝手に名付けられた己を示す「名前」にも愛着などなかった。

……それを幼い少女が知りたいといった。

不快感と、微かな喜びを――白い人影は感じた。

 

 

「ふざけている訳ではないのだな…………オレは、〝ニエ〟だ」

「……にえ?」

「ああ、そうだ。生贄のニエだ。オレに、いやオレたちに相応しい名前さ」

自嘲気味に言った。

沙耶香は告げられた名前を「ニエ、ニエ……」と口の中でブツブツと繰り返す。まるで忘れないように口にしているようだ。

 

「なんだ? お前には関係ないだろう」

「……ううん。わたしは知りたい。これから戦う人でも荒魂でも、自分の頭と心に刻み込んで自分の考えで先に進みたいから」

そう言いながら、スラリ、と御刀を抜き放つ。

日常的に訓練された抜刀の素早い行動には、美しさが感じられた。

《妙法村正》を正眼に構えた沙耶香は、対決姿勢を鮮明にする。

「――どうやっても動く気はない。…………そういう事か」

説得を諦めたニエは、掲げたままの刀を握り直し、柄をゆっくり掴んで乱暴に鞘から解き放つ。

刀身には毛細血管のような繊細で赤い線が幾重にも走っている。どことなく生物のような鼓動が聞こえそうなグロテスクな外見だった。

「お前がどかないなら、力づくで排除する」

冷淡に、感情を抑えた声音でニエが脅す。

常人であれば、その瞬間に生命の危機を感じて身を動かし通路をつくるだろう。あるいは、硬直してどんな反応もできない。

だが、糸見沙耶香は、そのどちらでも無い。

(…………懐かしい)

殺意に満ちた形相に対し、場違いな感想を持った。

 

沙耶香はニエの顔を見据えながら、思わず微笑が洩れた。

 

初めて百鬼丸と出会った時、刺客として可奈美たちを狙った筈だった。――しかし、百鬼丸という圧倒的な武力の存在を前にして立ち竦んだ。しかも体内にノロを宿した状態で。

闘争本能が一気に冷却され、代わりに生存本能が沙耶香の全身を駆け巡った……。

 

 

(…………あの時から)

色素の薄い髪に、割れた窓ガラスから幾条も射し込む月光が当たる。

わたしは変われただろうか?

沙耶香は自問自答する。自身の行動を全て誰かの手に委ねられてきた。他人の思い通りに動いてきた。それが苦しいとすら思わなかった。

いま、こうして自分自身の意志で、ニエの前に立ちふさがり、百鬼丸を守ろうとしている。

 

 

「…………うん」

自然と恐怖による体の震えはない。

廃病院のだだっ広いエントランスには、沙耶香とニエの二つの影だけが向かい合う。

――いずれかが倒れ、いずれかが意志を貫く。

 

二つの刃が暗闇と月光のコントラストから鮮やかに、俄かに浮かび上がる。

 

 

翡翠色の瞳が、灰色の空を見上げていた。

「――沙耶香ちゃん」

ポツり、と柳瀬舞衣はつぶやく。

巨獣事件で先行した可奈美たちを追いかけるため、舞衣たちは現場に向かった。

到着した渋谷のスクランブル交差点は戦場と変わらぬ様相を呈していた。倒壊したビルの瓦礫、巨大な地面のクレーター。怪我をした無数の人々。避難が滞る人々。

――しかし、中でも強烈な光景だったのが、瓦礫の中で埋もれた黒い獣の姿だった。

ただ一人の男性の亡骸を抱え、重苦しい灰色の空に向かい何度も咆哮する……印象的な光景だった。

舞衣が現場でその瞬間に立ち会った時、激しい鳴き声とそれを取り囲むSTTの隊員たちに包囲され銃口を構えられた異様な場面に、どうする事も出来なかった。

 

これは一体なんだろう……?

 

余りに現実離れした世界に、頭での整理が追い付かず、結果として呑気なほどの感想だけが彼女の思考を一時的に中断させた。

 

『……舞衣、わたし行かなきゃ』

隣に並んだ幼い少女が、ふいに言った。

『えっ……?』

『……百鬼丸が泣いているから、行かなきゃ』

『百鬼丸さんって…………』

呆気に取られて沙耶香を一瞥すると、少女は無言で黒い獣を指さした。

『…………誰かが困っていたら助けたい』

朴訥な声音だが、芯の強い言葉で沙耶香は先を歩き出した。

『ま、待って沙耶香ちゃん!』

そういって、沙耶香の手首を掴む。

今、あの場に乱入すれば間違いなくSTTの構える銃口の被害を被るだろう。いくら刀使が異能の力を有するとはいえ、限界がある。しかも人間を傷つけることは出来ない。もっと合理的な方法がある筈だ、それを考えてからでも遅くはない――。

(違う)

クレバーな舞衣の頭は、瞬時に現場の様子から安全な方法を導きだそうとしていた。しかし――違う。

本音は違うのだ。

『お願い沙耶香ちゃん、危ないことをしないで』

情けないかもしれない発言だった。確かに百鬼丸を救うことに異論はない。だが、あの黒い化け物が果たして彼である証拠がどこにある?

訳も分からない存在に近づき、沙耶香が傷つくのが怖い。

妹みたいに可愛くて、自分を慕ってくれる少女を危険に晒したくない。

(私、卑怯だ……)

下唇を噛みながら、己の汚さを自覚した。

そんな舞衣の苦悩を読み取ったのだろうか。

沙耶香がふっ、と口元を綻ばせる。

『……舞衣、あの時、わたしが初めて電話して逃げ出した夜、嬉しかった』

『えっ?』

『…………わたしが、困ってどうしようもない時に、舞衣に優しく抱きしめられてクッキーを食べた時にわかった。…………誰か助けてくれる人が欲しかったって』

目を細めて沙耶香が続ける。

『……多分いま、百鬼丸には誰かが必要。あの時、わたしが舞衣にしてもらったみたいに』

少し前の過去を思い返しながら沙耶香は自らの手首を掴む舞衣の手に、優しく片方の手を重ねた。

『……今度はわたしが誰かを助ける。……いま、わたしはそうしたい』

無表情で喜怒哀楽が分かりにくい少女は、慈しみを湛えた眼差しで舞衣を見返す。

 

 

『………舞衣』

『――――』

初めて見せる様子に戸惑いながらも、掴んだ手から力が抜けてゆく気がした。

『…………舞衣、行ってくる』

 

 

 

「どーしまシタ?」

気が付くと、隣で古波蔵エレンが舞衣(自分)の顔を真横から覗き込んでいた。

「……えっ、あ、ううん。ちょっと今、沙耶香ちゃんの事を考えてたから」

「あー、あいつらなら大丈夫だろ」

と、目線を下に落とすと益子薫が頭の後ろで指を組んで呑気な口調でいう。

「そう、だよね。………はぁ」

「おいおい、なんでそんな深刻そうな溜息つくんだよ?」薫が上目遣いに尋ねる。

「沙耶香ちゃんをあの時、私の勝手な気持ちで引き留めちゃって……」

「ああ、そんな事か。――いいか、それが普通なんだ。いや、知り合いをみすみす危ない橋を渡らせるような奴らなんてロクでなしだ。あのババアみたいにな!」

薫は冗談交じりの口ぶりで、舞衣を元気づけようとしているのが解った。

「いいか。オレたちは待つ。可奈美たちも沙耶香たちも戻ってこれるような場所を誰かが守らないといけない。それは今残ったオレたちにしか出来ないことだ。わかるよな?」

と、同意を求めるように親指を立てて舞衣を励ます。

「……うん。そうだね。可奈美ちゃんたちも、沙耶香ちゃんたちも戻ってこられる場所を私たちが守る。そうだね。ありがとう」

「マイマイもあんまり心配せずに気楽ニ帰りをまちまショ~♪」

パッと陽気で眩い程の笑顔でエレンが声をかける。

 

「……うん。皆でもう一度会うために頑張ろうね」

誰にでもない自身に言い聞かせるように舞衣は、灰色の空を見上げて決意を示した。

 

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