篠突く雨が社の本殿戸や軒を激しく打ち付け、固い音が室内に反響した。その雨の中、壮年の男が重い戸の錠を壊し乱暴に開いた。
ぐっしょり、と濡れた顔を更に雨に濡れた手で拭う。
その爛々とした眼を動かし、懐中電灯の粉っぽい灯りで本殿を照らしだした。
幾つもの小さな箱形がそこに安置されていた。
――ノロ、と呼ばれるものを封じ込める為の箱である。本来は日本津々浦々で保管されているのだが、この社では四十八も置かれていた。
ノロとは珠鋼を精製する過程で生ずる負の神性を帯びた不純物。また、ノロは一箇所に集中することで結合し、『荒魂』と化す。早い話が、化物と成り果てる。
「それが、四十八もある……」
男は唸った。その、一種壮観な光景にしばらく、生唾を呑み眺めていた。
汚れた靴のまま、男は本殿の中央に座り、
「聞け、ノロ……いや、古の呪われし神よ!」
ピカッ、と雷鳴が迸った。青白い光が一瞬戸口から夥しく這入りこんだ。
「我が生命をかけて最高のひと振りを創造させ給えッ! 願わくば……」
再び激しい雷霆が轟き渡り、肝底を震わせた。男の願いは掻き消えた。
しかし、一向に心が動じる様子もなく喋り続けた。
「我が肉体、その他全てをくれてやろう! どうだ?」
蒸し暑い暗闇は、嘘のように、しんっ、と静寂を湛えていた――いや、正確に云えば外の礫に似た雨音だけが聞こえた。
「ふっ、これでは不服か? では、我が子供の肉体をくれてやる? どうだ?」
ドドドドドッ、とそれまでに比類ない激音と共に本殿はまるで昼間のような明るさに包まれ、封印の箱たちが暗部から現れ、再び闇中に沈んだ。
男は目を瞠り、
「あははっは、そうか! 分かった! では今度生まれる子を供物としよう!」
狂った顔に、喜悦が満ちた。
と、同時であった。
この狂乱人の頭上に、天井を破る稲妻が落ちた。
再び彼が目覚めたとき、額には十字の印が刻まれていた。
「なんだ、この傷は?」
指で何度も傷をなぞりながら、狼狽した。
思わず箱たちの方向に振り返った。丹塗の上品な入れ物たちは、ただ無表情に並ぶだけである。しかし、それでも飽き足らず、凝視した。
「そうか! 契約は成立したな……はははっはは」
突然脳内に声がした。
『タギツヒメ――我が名はタギツヒメ。貴様はよくよく、この名を覚えておくがよい……』
男は自然とその声を受け入れ、そして深く首肯する。
悪魔と契約した男はしばらくそのまま、笑っていた――
外界の雨は尚も降り、尚止む気配がない。
1
初春の黄昏時。
はぁ、はぁ、と短い間隔で吐かれる呼気。上下に揺れる艶やかな黒髪。
「――っ、なんでっ」
戦慄する脣で、少女は無意識に呟いた。
……その日、六角清香は己の不幸を呪わずにはいれなかった。
景観を隔てる三笠山の中腹に突如、荒魂が発生。それと共に、『平城学館』の刀使に討伐の出動命令が下った。その日の当直は清香と他二名。事前情報によれば、簡単な任務になる筈だった。
……ハズだった。
小型の荒魂が数匹と聞いていたが、
「全然違うっ」
夕暮れの射す鬱蒼とした森には死へ誘う気配に満ちている。
清香の目前には大蛇の如き荒魂が、群立する樹木を薙ぎ倒しながら暴れていた。目測でも十メートルはゆうに超えている。しかも、相手までの距離は約三〇メートルしかない。その距離が、恐怖心を加速させ、脂汗と吐き気が絶え間なく湧き上がった。
不意に、清香は視線を周囲に移す。ボトルグリーンの制服を身に纏う少女達が二人、地面に転がっている。彼女たちは無論、清香の同僚であり同じ討伐隊であった。しかし、現在はボロボロの状態である。攻撃をうけたようだが幸い、《写シ》を張っていた為、生命の危機は無い。
が、気絶をしていれば《写シ》を張る事は不可能。
(どうすれば……)
季節は春だが、ガタガタと柄を握る手が定まらない。
自分が二人を助けねば、彼女たちは死ぬだろう。しかも、巨大な荒魂相手にしながら上手く立ち回らなければならない。――戦闘の下手くそな自分が……
清香の視界が次第に涙に滲み、御刀を握る両手が小刻みに震えて気を抜けば足元から崩れ落ちそうだ。
荒魂は上体を起こし、周りを窺っている様子だった。夕日に当たる荒魂の巨体に刻まれた割れ目は、まるで溶鉱炉から生まれたばかりの橙色のように輝き、鮮烈だった。
息を呑む。
とにかく、二人を助けてとりあえず本部と連絡をしなければ……と、清香は考え海老茶色のローファーを半歩退かせた。
と、耳ざとく荒魂がはるか下の小柄な少女の姿を捉える。
「……ひっ」
心臓が凍る。巨頭を大きく擡げた荒魂は、その凶悪な口を開いて、曲げた様にみえた。まるでちっぽけな人間を嘲笑ってるかのようにさえ、みえた。
清香は、目のない怪物と目線が合った気がした。
それと同時に、大蛇の荒魂は一矢の如く、健気に佇む少女へと殺到した。
『ゴゴオオオオオオオオオオオオ』
その時、初めて荒魂の声を聞いた。まるで、列車の通過したのかと錯覚され、足が萎えた。昨夜の雨に泥濘んだ地面に足と尻を汚す。
次々と涙が零れて頬を濡らしながら、
「あぁ……」死を覚悟した清香は、「……ぃや」
数語呟き、目を瞑る。清香は短い生涯を後悔した――ハズだった。
「ヴぉおおおおおおおおおおおおおおおお」
二度目の耳をつんざく音は、空気を切り裂く悲鳴だった。
(えっ? 悲鳴?)
どうして自分がそう思ったのだろう?
湿った長い睫毛を開くと、大蛇の荒魂が巨頭の半分が削られており、激痛に驚き天空を仰ぎ見ている。
「うそっ……」
息ができなくなった。有り得ない、あの猛烈な速度で一体誰がどうやって?
しかし、その疑問はすぐに氷解した。
真横に人の気配がする。そちらに小頭を向けると、
少年がいた。
「よォ、お姉さん。元気か?」場違いに飄々とした声。
乱雑に伸びた髪、ボロボロの着物姿、長い手足。場違いな時代劇の格好はコスプレだろうか。それとも、何かしらの事情が……
「ん? 錯乱してるのか?」
不思議な少年が乱雑な前髪を手で払い、不敵な面構えを出す。
「えっ?」清香は少年の顔をみた瞬間、刀使の直感からか、その全てがどこか人間味を感じなかった。
「あ、あの……貴方は?」
小さな声で訊く。
「あ、おれ? おれは百鬼丸だ」
そう、少年は名乗った。