「そんなこと、少なくとも私は望んでいません」
可奈美は断固とした口調で、秀光の思想を真っ向から否定する。
「私は皆を助けたいから剣を振るう。それだけです――」凛呼とした声音は、一切の迷いがない。
――それ故に、秀光は悲しそうな顔をした。
「あなたもそう言うんですね…………ええ、最初から想定していましたよ。あなた方がどう答えるのか。〝この手で殺めた〟刀使たちもそう言っていましたから」
俯きながら秀光は首を横に振って、肩を竦める。
「――お前は先程、私たちに危害を加えないといったばかりだが、やはりそうか」
姫和は嘲るように男を見下す。
「いいえ、それは本当です――ただ、わたくしが殺めたのは《轆轤家の刀使》ですから――」
「…………。」
姫和は無言になって、穏やかな雰囲気の男に鋭い眼差しを向ける。
「我々の一族はどういう訳か、女性ばかりが生まれましてね、男児というのは――十数年に一人だけ。轆轤家の当主は男子が担うのですが、我が一族の男児は皆短命なんですよ。だから当主以外は、男子は居ないんです」
特に悲壮な様子もなく、淡々と事実を語る。
「――でも、さっき百鬼丸さんを息子って……」可奈美が思わず割って入る。
先程、この秀光という男は《百鬼丸》という少年を息子と呼んだ。明らかな矛盾。
――しかし。
驚きに目を瞬かせた秀光は、少し考える素振りをしてからテーブルの上に置かれたガラスのコップを手に取る。光の反射具合を眺めつつ、
「奴は、実験から生まれた生物です。――わたくしの細胞と、ノロ、他に…………」
Ⅱ
深い海の底に沈んでゆく気分だ……。
糸見沙耶香は、柔らかな寝息を立てていた。いつまでも眠っていたい。だが、起きなければ――不思議な気持ちに促され、鉛のように重たい瞼を持ち上げ、ボヤけた外界の輪郭を掴もうとした。
(――――わたし、どうして?)
判然としない頭で、しばし考える。霧のかかったような思考で先程までの出来事を思い返す。
「……守る」
小さく、無意識の中から言葉が洩れた。
もう一度、強く瞬きをすると誰かが自分を抱いていることに気が付いた。
「…………百鬼丸、」
紫紺の瞳に映るのは、残忍な笑みを浮かべる少年だった。
(……違う)
しかし、沙耶香は即座に外見だけを借りた紛い物だと気付く。彼女が少年と短い時間を過ごした中で、このように醜悪な表情は一度もみせたことがない。
まだ、麻痺した体を無理やり動かそうとして――自らの喉元に御刀が突き付けられていることを確認した。
「おや、お目覚めかい。よく眠れたようだね」
沙耶香が意識を取り戻したことを発見した百鬼丸の体を操るジョーは、愛嬌よくウインクする。
しかし、彼の言葉を無視して沙耶香は周囲に視線を配る。
夜闇にも薄く発光する《ニエ》と自らを名乗った百鬼丸と瓜二つの少年……彼が、心配そうに
「……わたし、時間稼ぎできなかった」
この状況は未だに理解できないが、自身の責務を果たせなかった事だけは理解できた。それ故に、眉間に後悔の皺が刻まれる。
「いいや、糸見くん。君は優秀だよ。こうやって、ボクが演説する機会がもらえたからね。ふふっ、傑作なんだ。この百鬼丸少年はクローン体で、しかもノロと轆轤秀光、そして君にも関係の深い高津雪那の細胞も混ぜた紛い物だったんだ!! あはははは、面白いねぇ、百鬼丸はね、以前からボクの事を愚かしい化け物と罵っていたんだ! それは否定しないよ。でも残念だ、ボクはホモサピエンス。それに引き換え、この百鬼丸も、あの白い……ニエ、だったかな? 彼らは文字通り《化け物》だよぉ、おかしいねぇ!!」
嬉しそうに、ジョーが哄笑する。
耳障りな笑い声は、邪気すらない子供のような純粋さだった。だからこそ、余計に歪で、鼓膜にも粘つくような笑い声が響く。
『もうヤメロ!! お前に何が解るんだッ!!』
ニエが、紅の瞳に凝縮された殺意と――――自分自身の存在すら恨み、悲しむような感情を露わにしていた。
それを、ジョーはせせら笑う。
「へぇ、別に興味なんてないよ。分かりたくもない。大体だね、自分自身が辛い、辛い、分かって欲しいなんて馬鹿げているよ。気持ちの悪い。そんなに話を聞いて欲しいなら、対価でも支払いなよ。だーれも、他人は君たちに興味なんてないよ……ああ、すまない。訂正しよう。実験モルモットとしては大変に貴重だ。ぜひ、お話を聞かせてくれたまえ」
首を傾け、ジョーは御刀を僅かに動かす。――と、同時だった。
「――ッ」
声にならない悲鳴が、一瞬だけ沙耶香の口から無意識に洩れた。
「ああ、すまない。楽しくてつい殺しそうになった。悪いね」
細く白い沙耶香の首に薄く針のような傷跡ができた。赤い線から血の雫が刃の上に伝う。それをジョーは指先で拭い、口に含む。
「堪らないね、人を傷つけるのは」
『キサマぁああああああああああああああああああ』
ニエの激怒した咆哮が周りにこだまする。衝撃波のような壮絶な音の威嚇である。
それに呼応するように、
「――――このクズやろう!!」
大関が精一杯の怒声を背後から浴びせる。背後でジョーの様子を窺っていた「味方」である筈の人間たちも、明らかな敵意を向けていた。
だが、そんな敵意すら無視してジョーは首を捻る。
「しかし、自分の辛い過去があれば誰かに同情してもらおうと話始めるのは現代人の流行なのかな? まぁ、どっちでもいいか。――っと、ヒヒ、そうか」
何かを察したジョーは、狂人の振る舞いと顔つきから、次第に笑みを消してゆく。
「――――いやに遅かったじゃないか。ボクにここまで狂わせておいて、ようやく現実に帰ってくる気になったのか」
誰にいうのでもない――否、たった一人に喋る。
「……?」
間近の距離にいた沙耶香だけは、そのひとりの囁き声を聞いていた。しかし彼が何を言っているのか内容までは理解できなかった。
辛うじて聞き取れた部分は「――もう、二度と逃げないでくれたまえ。ボクは君というモルモットに興味があるのだからね」と、優しげに語るジョーの言葉だった。
百鬼丸の頭が深く、垂れた。操り人形の糸が切れたようにガク、と重力に従い全身が地面に倒れ込む。夜闇に落ちてゆくように、全身が激しい音を立てた。
「……百鬼丸っ!?」
自らの首筋の傷を忘れ、沙耶香は倒れ込んだ少年を抱きかかえようとした。――だが。
数度の呼吸音。
「ゲホッ、ゲホッ」と激しく咳き込む。
少年の小刻みに震える――
「ごめん、遅くなった」
弱々しく動かした右腕が、慣れない動きで彷徨う。
地面から無理やり体を引き剥がしつつ、緩慢な動作で少年は立ち上がろうと試みている。
「傷――悪かったな。このクソッたれに……」
温かな掌で、沙耶香の頬と頭を無造作に撫でる。恐らく、無事を確かめようと無意識の行動だろう。
「…………。」
紫紺の目は、少年から聞こえた声に安堵した。久々に聞いた彼の「声」は先程までの「誰か」とは異なる――年相応の少年のモノであり、どこまでも不愛想で、どこか親しみのあるものだった。
「……うん、遅い」
沙耶香は、自分でも想定をしない返事をしていた。
――これが怒りだろうか?
ふと、彼女はそう思う。
随分と長い時間、彼と離れていた気がする。本当は彼を守りながらこの先の事を考えて心細くなったりした……そんな不満を目前の彼に言いたくなった。
だがそれ以上に、嬉しかった。
「あはは、すいません。――申し訳ない」
頭を強く左右に振って、百鬼丸は辛そうに立ち上がる。
夜の森がザザザ、と怪物の鳴き声のように葉擦れの音をたてる。夜気の立ち込めた冬の空気が凍てつくようだ。
……だが、血管から全身を巡る体が熱い。
久方ぶりの自らの体は不思議な気分だ。生きているという事が実感できる。
「スマン」と、申し訳なさそうに少年がいう。
「……うん」
色素の薄く長い前髪の間には、確かに――百鬼丸が居た。
月の夜。
雲が素早く流れ去り、廃病院の駐車場には蜜色の光が満ちた。
「やっぱり、痛いよな」
少年が振り返る。
「……えっ?」
「傷だよ。泣くほど痛いよな、スマン」
目を伏せ、百鬼丸が謝る。
彼は一体なにを言っているのだろう? 不思議に思いながら、沙耶香は両頬に手を当て、熱い雫が頬を伝うのを知った。
目端が滲んで、視界を歪ませている。
……どうして?
……これは何?
困惑する少女に、少年は目を合わせ「スグに手当てしてくれ」と再び謝罪する。
……………ちがう
そう言いたかった。でも、何も言葉が出てこなかった。
ただ、月光に照らされた少年が、余りに恰好が良かった。慈愛に満ちた彼の表情は、これまでに見た人間よりも、人間らしく――どこまでも孤独な存在で、強く前に進もうとする生き様を魅せられているようだった。
「あと、御刀を少しだけ借りるな」
くしゃくしゃ、と沙耶香の柔らかな髪の毛を揉むように撫でて歩きだす。
――――と、沙耶香は百鬼丸の手首に靡く物体に視線が吸い寄せられた。
少年も、右腕の物体を発見した。
自らの手首に巻かれた黒い帯……可奈美が髪を結んでいたリボンであった。
(アイツにも悪いことしたな……)
遠い場所に居る少女にも内心で詫びながら固く結ばれたリボンを解き、長い後ろ髪を乱暴に束ねる。
――少年は深呼吸をしながら、自身と瓜二つの存在……『ニエ』と対峙する。
「――――なんだッ、今更茶番か!? つくづく腹の立つ存在だな。…………お前が憎い、全部を手に入れたお前が! 出来損ないの分際でッ!! 先に言っておく! お前は絶対に俺には勝てない! これは絶対だ!」
ニエは真紅の瞳から獰猛な意志を、射抜くように百鬼丸に合わせる。
百鬼丸はこめかみの部分を指で叩き、
「――ああ、だろうな。おれもそう思う。自然と理解しちまうんだな。お前には勝てないって……」同意する。
「調子に乗るな! お前は…………出来損ないなんだ!」
「……知ってるよ」
「あははは、そうか、クローンにすらなれないゴミの分際でなぁ!?」
「――全部思い出したんだ。おれ」
挑発するように語るニエを穏やかな表情で見つめながら、百鬼丸はうなづく。だが、一切歩みを止めることなく百鬼丸はニエを見据える。
「でもさ、やるよ。かかってこいよ、ニエ。おれを殺してみろよ」
話だけを進めます。クオリティは無視です、スイマセン。