――太陽系の中でも「水」と呼べる豊な資源を持つのは地球だけだ。
隣から陽気な様子で、善海が言う。
冬の山から眺める星空は殊の外綺麗だった。冷たく澄んだ空気の中、呼吸するたびに白い息が目の前を過る。
「こんなに星がいっぱいあるなら、どこかに生き物はいるのかな?」
無邪気な子供の質問に暫く考え込んだ後に、
「――今現在、知的生物というのは地球以外では観測されていないな。なぁ、百鬼丸。お前は宇宙人ってやつに会ってみたいか?」
「……ううん。おれは別にいいよ。何を話していいか分からないし」
そう返事をしてからもう一度、夜空へと意識を向けた。
幼い時のおれが唯一愉しみにしていた時間だった。殆ど人前に姿を出さずに生活することが、その時のおれにとっては当たり前だった。――理由は考えなかった。
当時はそれが常識だと思っていたんだ。
『ねぇ、とおさん。一つ聞いてもいい? ――どうしておれを助けたの?』
恐る恐る聞きながら、緩慢な速度で顔を上げる。躊躇いながらも、義父である善海の表情を確認しようとして――――
1
目が醒めた。
「夢、か」
見知らぬ天井がまず目に入った。
朝の穏やかな日差しが毛布の上で斜光となって戯れている。
ふーっ、とおれは浅い息を吐く。
随分昔の事を思い出していたみたいだ。まだ、「幸せ」だった頃の記憶だ――。だが最後の一言……あんな事は一度も言った事がない。恐らく、今のおれの気持ちが勝手に入れ込んだ台詞だ。
「くそっ、なんつー夢だよ」
気分が悪い。なんでこんな時に、昔の事なんて思い出すんだ。……うん?
――そういや、ここはどこだ?
おれは、ふと周囲を確認する。
トレーラーハウスだろうか? 室内である事に間違いはない。だが、簡素というか簡易的な室内や調度品の様子から、プレハブ小屋かそれに類するものだと推測する他ない。
遮光カーテンは全開に開かれており、窓の外からは初冬の乾いて凍える風を感じた。窓の外は湖畔が望める。
霜が降りているのだろうか、薄い飴色の固い皮膜のようなモノが樹皮や地面の草などに貼りついていた。……日の光は弱く降り注いでいる。
何度か目を瞬き、昨夜の事を思い返す。
確か、ニエを吸収したあと――そうだ、沙耶香たちと合流したんだ。ええっと、それで……どうしたんだっけ?
「なんだっけ?」
必死に思い出そうと試みるも、何一つ記憶がない。否、記憶の映像が途切れているといった方が正確だ。
今もこうして寝転がっているのもベッドではなく、分厚いソファーだ。でもまあ、寝心地は最高。
(もう一度眠ってみようかな……)
体が気怠い。手や足の先端まで鉛を詰め込まれたような重さが感じられた。
「ふぁーあ、よし! 寝よう」
久々に惰眠を貪ってみたくなった。この頃のおれは戦い続きでロクに休んでいないんだ。仕方ない。うん、仕方ないんだ。
誰かに言い訳するみたいにおれは、ソファーの柔らかな感触に身を沈める。
安眠の世界へとおれは瞼を再び閉じた。――筈だった。
タイミング悪く、部屋の扉が大きくノックする音がした。
「うっす、起きてます」
結構な不機嫌声でおれはノックに返事する。
ガチャ、とドアノブの音がして、恰幅のいい男が入ってきた。
「ええっと、大関さん、ですか」
「ハハ、そうだ。そういえば百鬼丸君自身とはあまり話した事は無かったね」
人の好さそうな雰囲気の大関さんは左手に食器の乗ったトレーを持っている。
「朝食だ。食べるだろ?」
湯気の立った食器からは、食べ物の匂いがした。
「あー、頂きます」
いそいそと毛布から抜け出したおれは、たった数秒の安眠と別れを告げることにした。
2
分厚いハムを挟んだパンは網焼きの名残か、茶色い網目の模様で香ばしい匂いを漂わせる。
「これ、うまいっすね」
百鬼丸は大きく口を開いてムシャムシャと食べる。
バベキューソースのような甘辛いタレと、レタス、トマトの生野菜が咀嚼するたびに交わり、空腹の胃袋に収まってゆく。
「しかし気持ちい位によく食べてくれるな。作り甲斐があるよ」
ソファーの近くサイドテーブルの椅子に腰かけた大関は、人懐っこい熊のように背中を丸めて微笑む。
「へえ、大関さんが作ったんですか、やっぱうまいっすね」
「ハハ、ありがとう。キャンプ慣れしているから、道具さえあればマトモに食べれる食事くらいはつくれるよ。おかげで、ほら、腹がこの通りだけどね」
自らの腹をポン、と叩き大関は肩を竦める。
「へへへへ」と軽く笑ったあと、百鬼丸は真剣な表情に変わって大関を正視する。「それで今、外の世界はどーなってんですか?」
大関は大きな目玉をパチリ、と瞬き視線を宙に彷徨わせる。
まるで、何かを言うべきかどうか悩んでいる様子だった。やがて、観念したように首を横に振り、
「……ついに、タギツヒメが行動を起こした」と、一言。
それだけで、百鬼丸が社会情勢を理解するには十分だった。
「状況は最悪ですね」
「――さあ、どうかな。百鬼丸君自身に関してはそうとも言い切れないんだ」
「えっ? それっとどういう?」
「君は、まあ全国指名手配された逃走犯なんだが――今はタギツヒメの命令で、国内の主な捜査機関やらは折神紫を捜しているね。だからコチラ側の捜査網がかなり手薄になっているんだ」
「というか、ここってどこなんですか?」
「ここ? あ、そうか。君はずっと眠っていたからね。ここは舞草の協力者が提供してくれた別荘だよ」
なるほど、と頷いた百鬼丸。
ふと、近くの壁に立てかけた《無銘刀》に目線を合わせる。刀身は白い包帯で巻き、隠している。代用となる鞘が見つかるまでの措置だ。
「……あの刀、迂闊に触ると死にますよ」
あの刀の狂暴さは誰よりも知っている百鬼丸だからこそ注意喚起する。かの魔剣は冗談抜きで悪鬼羅刹の血を吸い、魔に魅入られた危うい代物なのだ。
「ほほう、ならばあとであの娘に伝えておくよ」
「娘? ――そういや沙耶香はどこですか? 大関さんにも沙耶香にもお礼言いたくて」
「オレにお礼はいいよ。勝手にやったことだし……何より、田村から頼まれていたんだ。君にもしもの事があれば助けて欲しいってね」
「田村さんが…………へっ、あの人は相当なお人好しですね」
「ハハ、そうだな」
「あと、大関さんも」
「オレもか? そりゃどーも」
暫く黙り込む二人。冬の朝は気温も氷点下の前後を推移し、安定しない。冷たい空気の満ちた空間は、今の彼らの心象によく似て空虚だった。
「……沙耶香ちゃんなら、素振りでもしていると思うよ」
ポツリと思い出したように大関が言った。
「大関さんはこれからどうします?」
「どうする、とは?」
「おれを助けてくれたことは本当に感謝してますよ。それでも、普通の生活に……もし、戻れるなら――おれと行動する危ない橋は渡ったら駄目だ。死にますよ」
「……そうだな。そりゃ、怖いな。死にたくはないな。ただ、だからと言って若者だけが戦うなんてのも可笑しな話だ」
「それは……本人が望んで戦うなら話は別ですよ」
「――――君は刀使が自分たちは好きで戦ってるから構うな、と言っても助けるだろ?」
「――――」
「君と同じなんだよ。理屈じゃないんだ。ココだ」
そう言って、大関は己の胸の辺りに親指を突き立てる。
「もう、誰も死んで欲しくないんですよ。……」
ぐっ、と拳を握って俯く百鬼丸。それは、これまでの後悔と罪悪感の連続の果て、彼が搾り出した叫びのような本音だった。
「その誰もって中に、君自身は入っているのか?」
「……おれは関係ないですよ。だって強いですから」ニッ、と口角を釣り上げて悪戯っ子のように破顔する。
大関はその大言壮語を吐く少年をマジマジと見る。
「傲慢というか不遜というか……いいや。それが実際に出来てしまうから、か」
「ええ、多分今のおれは弱くないですね」
「だとしても、君が傷つくと悲しむ人も居るはずさ」
「――そうだといいですけどね。まぁ、おれは元々バラバラ人間ですから、傷ならとっくの昔についてますよ、あはははは」
ジョークのつもりで放った一言は、大関にはウケなかったらしい。神妙な面持ちで百鬼丸と目を合わせた。
「それと同じつまらん冗談を、あの娘にも言ってあげなさい」
やれやれ、と疲れた様子で大関は席を立ち、扉の方に「早く入ってきたらどうだい?」と声をかけた。
「うん?」
百鬼丸は怪訝に眉をしかめて大関の肩越しに扉の方を覗う。華奢な人影がピョコンと動いた気がした。
「…………百鬼丸、」
か細い声量で名を呼ぶのが聞こえた。
「おう、おれだぞ」
気軽に右手を挙げて応じる。
色素の薄い髪がピョコン、と跳ねて、動揺しているようにみえた。
両手の指をモジモジと絡み合わせ、視線は落ち着かないように左右に動く。
「……おはよう」
ようやく思いついた言葉は、それだけだった。
暫く百鬼丸は何か用事があるのかと思って固唾を呑んで待っていたが、特に何も言わないために「おおう、おはようございます」と慌てて取り繕ったように挨拶を返す。
「そういやさ、沙耶香。お前にも伝えてなかったな」
「……なにが?」
「お礼だよ。お前に守ってもらってたんだよな、おれ。サンキューな」
親指を勢いよく立てた。
思い切り破顔してみせる少年の表情には一片の曇りもなく、年相応の十代の幼さが垣間見えた気がした。
その屈託のない笑顔に、思わず沙耶香は「くすっ」と口元を綻ばせる。
「……うん、どういたしまして」
3
その日、日本のテレビ、ネットを含むメディアは一つの会見を速報として取り上げた。
内閣官房長官が定例会見で用いる部屋を貸し切り、そこにまるで玉座のような椅子が一つ用意されていた。――それだけでも異様な光景である。しかし、その椅子に傲然と座る人影は更に異彩を放っていた。
無数の報道カメラに投影された、その人影は憂鬱そうに肘をつき、
『我の名はタギツヒメ。お前たち人間がいう所の荒魂である――』
堂々と宣言した。
橙色の溶鉱炉のように燃える瞳が、カメラを通して人間たちを見下すような眼差しを向けた。
純白としか形容できない髪と肌。すべてが薄光に包まれており、文字通り〝神々しさ〟を体現している。
『我は人間との共存を望み、ここに居る』
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