「夜見。君は今どうしているんだ……」
獅童真希は憂いを帯びた眼差しで、東京メトロ押上駅の前で昏い空を見上げる。
「あら、いつになく感傷的ですこと」
クスクスと忍び笑いを漏らした此花寿々花は、ワインレッドの毛先を弄びながら隣に並び立つ。「――まぁ、もっともあの子みたいに騒がれても困りますけど」と、深い嘆息交じりに愚痴をこぼした寿々花の目線の先には、天才剣士と謳われた少女が不機嫌そうにチョコレート菓子を齧っていた。
「あぁあああああもぅ!! 退屈! 退屈、退屈だよぉ~!!」
両腕を伸ばして燕結芽は叫ぶ。
折神家元親衛隊の3名は東京都心での防衛戦には配備されず、いまだ避難が完了していない民間人の護衛へと回されていた。
この押上駅は、北関東へとつながる重要なルートであり、地下鉄であれば荒魂たちの攻撃を受けずにシャトル輸送できる目算だった。……
だが一点だけ問題があるとすれば、以前まで頻発していた地下からの荒魂の発生――それだけが問題であった。
そのため、地下鉄による人員輸送は行われているものの、安全を考慮して輸送数は増えない。だが、時間の経過と共に避難民の数は増えてゆく。
大規模な避難計画は頓挫した……ように見えた。ただ、一つ光明があった。
「まさか、旧軍の巨大な地下坑道がこんな時に役立つなんて……誰も考え付かなかった、なんて言うと、政府の高官から御叱りでも受けますわね」自嘲気味に呟く寿々花は、青い瞳を瞬く。
「勿論、資料は残っていますが、貴方のように実地の経験がなければ無用の長物になり果てていましたけれども――」
チラと、寿々花が隣を見ると、緑色の汚れたジャンバーを着た老人……松崎老人が背中を丸めながら、目を細めて立っている。
「戦争の時の苦労も全部無駄じゃなかった……中佐殿にこれで顔向けができる」
松崎老人は、かつての上官の眠る地下の奥深くを思い描きながら、自身が生き延びた理由に運命的な意味を感じていた。
「小娘ども、先程から話していた戦友を本当は捜したかったのだろう?」老人は、黄色く濁った眼で問いかける。
真希と寿々花は同時に顔を見合わせ、答えに窮した。
「――その様子だと、さしずめ、――刺し違える覚悟のあるモノだったんだろうな」
「「!?」」
二人は、老人に心が読まれているような不気味さを覚えた。
「解るさ。……昔はそんな連中たちの中で過ごしていたんだ。けどな、一つだけ教えてやる。小娘ども、いいか。お前たちは手を汚さなくても大丈夫だ――」
「……どうしてそう言えるんですか?」
真希は、苛立ちを堪えて尋ねる。
自分たちだって、戦友を自らの刃で傷つけたいと思った事など一度も無い。だが、状況が、立場が全てを変えてしまったのだ。苦渋の決断をここで否定されるほど、ヤワな決意ではない。
松崎老人は、小さく咳き込んでから、「――あの坊主がいる。あのバカタレは、ワシと中佐殿をもう一度引き合わせてくれた。どんな深い暗闇からでも、救ってくれる」
老人の回顧と割り切った寿々花は、
「……わたくし達は、誰かに頼って何かを得られるほど、上等な生き方はしていませんわ」強く反駁した。
「ははは、頑なだな。そうか……若者は、いいな。そうか……中佐殿もそう感じていたんだな」懐かしそうに、のどかに笑う松崎老人は、悲痛な覚悟を示す二人の刀使に対し、ただ優しく諭すように告げる。
「結局人間なんてモンは、自分たちの力でどうする事もできない出来事にブチあたるもんさ。因果応報さ、どんな事も自身に帰ってくる。だから、小娘どもはせいぜい人助けでもしてればいいのさ。――そうすりゃ、気まぐれな神様でも仏様でも希望だけは与えてくれるだろうよ。……ただ、どんな形の救いでも、それを受け入れる覚悟を持つことさ」
Ⅱ
「はやく! 弾丸が足りない! 早く補給を急げッ!!」
逼迫した前線の自衛隊隊員たちが、89式自動小銃を発砲しながら、インカムで支援を求める。
破られたバリケードから更に後退して新たに防衛網を構築した自衛隊およびSTT、刀使の混成部隊は、通常兵器の火力による斉射によって、一時的な荒魂たちの動きを止めていた。
しかし、それでも限界はある。
「うぉああああああああああああああ!!」
恐慌に駆られた若い隊員は、小銃を手放して逃げ出した。目前で幾人も屠られる映像が脳裏に焼き付き、振り絞った勇気と精神が崩壊した。
「あの馬鹿!!」
「くそっ!!」
たった一人でも抜けると、防衛網は容易く破られる。銃弾の弾幕が薄くなった箇所を見逃さない荒魂たちの列が殺到しようと迫る。
『皆さん、持ち場を動かないで!』
凄惨な戦場には場違いな少女の声と共に、銃撃する隊員たちの隙間を縫う様にして突出する素早い人影たちがあった。
《迅移》を操る速度は、七色の光を煌めかせながら、荒魂たちに向かってゆく。それまで銃撃で押さえていた動きが、少女たちの繰り出す斬撃によって一刀両断、完全に仕留めることに成功した。
錬府女学院の刀使を中心とした少女たちが、次々と挺身の覚悟で斬り込みにかかる。
まだ若い彼女たちの献身に心を打たれた人々は、まだ学生の彼女たちが誰ひとり犠牲になるべきではない……と、理性を取り戻して前線の崩壊を止めた。
一進一退の攻防戦が、大手町を中心にして繰り広げられていた。
Ⅲ
自衛隊の天幕が並べられた前線基地は妙に静かだった。
タギツヒメを直接討つための突入部隊の準備が整った直後の、いわば嵐の前の静けさに似ていた。
林立する高層ビル群の中でもひと際高いビルの屋上から、天空に向かって稲妻のような形の光線が延びていた。
「まるで世界の終わりのようデスネ」
エレンは率直な感想を言った。
「オレらが負ければ本当にそうばるだろう――」
隣で小柄な少女――薫が、気楽そうに……しかし、逃げようもない現実である事を語った。
翡翠色の美しい瞳が一瞬だけ青く染まる。
《明眼》を発動した舞衣は、あの橙色の稲妻が走るビルの頂部にタギツヒメが居ることを確認した。
「あそこにタギツヒメが……」
討伐対象である首魁が居る方角を睨み、舞衣は容易に近寄れる距離でない事に歯噛みする。
そんな舞衣の言葉に触発されるように、可奈美も一棟のビルを見詰めた。
「見ててね姫和ちゃん。……必ず小烏丸だけは取り戻すから」
右腰に佩いた《千鳥》の白い柄に触れた。親友の手を取れなかった後悔と共に、親友の愛刀だけはせめて取り戻したい。そんな切なる願いに突き動かされるように、可奈美は真直ぐに前だけを見据える。
横目で可奈美の決意を確認した舞衣は、突入部隊の前線指揮官を任せられていた。その指揮官としての責務を果たすべく、翡翠色の瞳に決意を宿す。
「みんな、この戦いで私たちがやるべき事は……」
「分かってるよ。今更言われるまでもない」
間髪を入れず、舞衣の言葉を遮るように薫が全面同意を示す。薫は隣の長身の親友に目線を送る。
それに気づいたエレンも釣られて、
「皆、同じ意見デス」
明るく返事した。最早、この突入部隊に参加する者に生半可な覚悟で挑むものなど居ない。
「……二人ともありがとう。うん、わかった。ねぇ、可奈美ちゃん。私たちが可奈美ちゃんの道を切り拓きます」
舞衣の真剣な表情が真直ぐに可奈美を見据える。
「舞衣ちゃん。みんなもありがとう」
可奈美は、この作戦の中でも要石となるべき存在である。彼女だけがタギツヒメに対し対抗手段を持っていた。だからこそ、最も危険な部隊へと志願した。
……友の愛刀を取り戻し、せめてもの償いとする思いを込めて。
「カナミン。プレゼントもありマス」
エレンはそう言ってスカートのポケットから携帯端末を取り出す。
画面には《特別稀少研究棟》と表示された文字と共に、『ねぇ、聞こえる? みんな』と女性の声がスピーカーから洩れた。
「累さん!?」
可奈美は思わず、素っ頓狂な反応をした。
これまでの逃走劇に手助けをしてくれた美濃関のOGである恩田累が、通話を繋いでいた。
『早速だけと受け取って。私たちからのプレゼント』
と、言った直後――――直角に飛行する紡錘形の物体が幾つも暗い空を彩り、地面へと真直ぐに落下した。その衝撃は凄まじく、爆撃を受けた跡のように、周囲に派手な土埃と衝撃を与えながら着地した。
耳を劈くような着地にも関わらず、可奈美は喜色に充ちた様子で「ストームアーマーですか?」と問うた。
ストームアーマとは、刀使が本来以上の能力を発揮するために開発された、鎧のような存在である。通称S装備と呼ばれたこの鎧は、人体への負担軽減、並びに基礎能力のバックアップが目的とされていた。
『左様。ただし従来のストームアーマではない』
初老の男性の声に聞き覚えがある。
「フリードマンさん!!」
可奈美は、エレンの祖父である米国の優秀な研究者である老人の名を口にした。
『稼働時間を大幅に改善した新型さ』
従来のS装備の難点は稼働時間になった。電力による稼働には限界があった。……開発当初はノロを用いたS装備の開発も行われいたが、着用者の暴走という結末に至ったため、電力による稼働としていた。
――そのS装備の使用限界時間が延びたことは、素直に作戦の成功率を上げることに直結した。
『皆、無事に帰ってきてね。そしたらスイーツでも奢るから』
累の激励に触発された突入部隊の面々は「「「「はい!」」」」と、勢いよく返事をした。
最悪な盤面をひっくり返す起死回生の一手、その一手のための布石が集まりつつある。そんな確かな希望の糸が見え始めていた。
「――――私も微力ながらお前たちに加勢する」
と、可奈美たちの背後から現れた人物が、姿を見せた。
……刀使の中でも最強の称号を名実共に示す女性、折神紫が白いパンツスーツ姿で少女たちの前に出てきた。
かつて、敵対していたハズの存在が今、こうして共に敵を打ち破ろうとしていた。
「タギツヒメと決着をつけるために来た…………」
切れ長な眦に憂いを帯びながら、紫は呟く。
可奈美はただ無言で、母の戦友であり、タギツヒメの暴走を孤独に抑え込んでいた女性に向かい合い、微笑を零しながら無言で頷く。
二〇年前、江ノ島で発生した厄災の再現はさせない。
かつて、ふたりの親友を生贄に捧げた紫は、二度と過ちを犯さぬように――
親友を眼の前で失った可奈美は己の死力を尽くして友の想いを取り戻すように――
ふたりの視線は交錯する。