タギツヒメが拠点とした高層ビルの一階エントランス部分には、歩哨の綾小路所属刀使の姿が散見された。――その内の一人、
「衛藤さん――わたし、こんなに強くなったんだよ……」
内里歩は、陶然とした口調で恍惚と喜色を湛えながら、自らを抱き寄せる。近衛隊には特別に赤いS装備が与えられている。……無論、これは負の神性を帯びたノロを原動力とする危険な装備品であるが、今のマトモな心理状況にない近衛隊の少女たちには些末な事だった。
実際、通常のS装備よりもその質力、基礎的なパフォーマンスも全て上回っていた。
「もうあの、衛藤さんに憧れていただけのわたしじゃないんですよ?」
ハイライトの消えた目で、歩は口を曲げて独り言ちる。
今日は特別の満月だ。真紅の満月だ。
「衛藤さんに早く会いたいなぁ……わたしこんなに強くなったんですよ?」
クスクスと忍び笑いを漏らしながら歩は、事前に知らされた襲撃部隊の撃退に向けて、エントランスの自動ドア出口へと軽やかな足取りで進んでゆく。
◇
轆轤家の歴史は長く、それに比して内容は色濃く血塗られた腥いものだった。
まず、この家は――世間には知られてない。
それも当然である。
朝廷から代々格式のある扱いを受けてきた折神家を「表」とするなら、それを支えるのが「裏」の柊家。まさに硬貨の表裏と言って良い。
……では、轆轤家はどうか?
結論から言えば、この家は《生贄》を捧げ続ける奴隷の家であった。
尚武の気風とは違う家柄であり、多くの人々から「寵愛」を受け、都合よく消耗される人間たちを生み出していた。
彼ら/彼女らは、まるで愛玩動物のように扱われる。それがこの家に生まれた者の宿命であった。
この轆轤家は、不思議な事に女性ばかりが生まれ、男児は、世代ごとに一人しか生まれない稀な血筋であった。――しかも、生まれつく者は皆、眉目秀麗な者ばかりで《ノロ》の体内受容量もまた普通の人間と異なり、容易に受け入れることができた。
刀使としても有用な轆轤家の者たちは、その役割を終えると妾か……侍従として名家の「持ち物」となった。
――しかも、轆轤家は現代にいたるまで近親婚を脈々と受け継ぐ歪さも持ち合わせていた。
だが、この家に生まれついた者の価値観は、一般人とは異なり、奴隷であることに誇りを感じていた。むしろ、それに反発する者を嘲笑い、蹴落とし――好んで悪環境を享受していた。
(だが、オレは違う……。)
轆轤家の現当主、轆轤秀光は己の体内に流れる忌まわしき血液を憎しみながら、その稀血を最大限に利用して生きてきた。
ファウンデーションで隠した額の十字傷を左の指先でなぞる。肌に深く刻まれた傷跡は、かつて落雷を直撃した際についた傷だった。
――我に最強の剣を与え給え
十数年前に、山奥の仏堂にて願った事があった。
その願いを叶えてくれる者ならば、神仏でなくても良い。悪魔とでも契約しようと思っていた。
――だが秀光の願いを聞き入れたのは、紛れもない《神》だった。
――その神は、確かに秀光の願いを聞き入れた。
彼の望まぬ形として。
Ⅰ
轆轤家の屋敷は、延べ約3500㎡にも及ぶ広大な敷地を都内に所有している。
この屋敷は関東大震災以後の六年後に竣工し、高橋貞太郎の設計によって15世紀ごろのイングランド・チューダー様式を取り入れた様式の建物を築造した。
鉄筋コンクリート造りの、この大規模な建築を可能にしたのも、轆轤家が奴隷の家であり、かつ、政財界に強い影響力を持った故に可能としたものである。尤も、秀光にすれば「忌まわしき血族の象徴」とも言うべき建物かもしれない。
外壁をスクラッチタイルの赤褐色と、タイル自体の表面突起に浮かび上がる溝が、建物に対し荘厳かつ重厚な印象を与えた。
遠目からは、色褪せた緑色のマンサード屋根が特徴的であった。
地上3階建て、尖塔三カ所と個人所有の豪奢な邸宅として、財閥系か華族の邸宅に比する代物になっていた。
轆轤家屋敷の広間に一脚の背もたれの長い椅子が置かれていた。
赤い絨毯の敷かれた広間には、壁に沿って緩やかなカーブをつくった折り返し階段と、経年で深い色に変色した木製の格子手摺が出迎える。
天井の暖色の点るシャンデリアが、室内の雰囲気を温かく彩った。
長方形の窓から洩れた採光は弱く斜めに日光を投げかけた。
「…………随分と遅かったじゃないか」
椅子で静かに読書をしていたスリーピーススーツ姿の男は、目線を上げて玄関に佇む人影に喋りかける。
目前の相手――――百鬼丸は、無表情にただ、秀光のみを見据えてゆっくりと歩き出す。
この場所に来るために戦闘があったのだろうか?
百鬼丸の着た上着の革ジャケットは破れている。顔や手足など目につく部分から出血や浅い裂傷が見受けられた。
「アンタを殺しにきたぞ……」感情を押し殺した声で、少年は呟く。
距離にして五メートルの距離で両者は視線を絡ませあう。
それは、ある意味では父/子であり、過去/未来の自分との邂逅だった。
秀光は驚く様子もなく、むしろ予想通りという様子で立ち上がる。彼は、百鬼丸の髪色を一瞥して、
「やはり、お前たち〝紛い物同士〟で結び付いたか。ハハ、滑稽だな」と吐き捨てた。
黒と白のグラデーションがかかった髪束が玄関扉から吹き抜ける風に煽られるたびに揺れ動き、その下から鋭い眼差しが秀光を睨み続ける。
「お前を殺す」
「………それは、オレの役割だ。お前たちのような紛い物を生み出してしまった責任がオレにはある」
そう言って、ゆっくりと足元に置いた大太刀の鞘を掴んで立ち上がる。
「オレは今まで、この一族を根絶やしにするために血族を屠ってきた。……それこそ、恨みのない者も、だ」
淡々とした調子で独白する秀光。
朱塗りの刃渡りの大きな一振りを頭上に掲げ、確かな調子で鞘から刃を引き抜く。
「殆どの人間を、この手で屠ってきた。父も母も、叔父も叔母も姪も全てだ。……そして、残ったのがお前、お前だ! 百鬼丸!! 貴様をこの地上に残す訳にはいかない」
完全に刃が露わになった状態で、剣尖を百鬼丸に向け、鞘を地面に捨てる。
「「…………」」
両者はにらみ合ったまま、動く気配がない。
過去/未来の自分が、合わせ鏡のように像を結んで佇む。両者の歩んできた人生は全く別モノでありながら、可笑しいくらいに、二人の姿は似通っていた。
百鬼丸が、先に足摺をして片足のリボルバー式加速装置の準備をする。
秀光は、それを見透かしたようにジャケットの内ポケットから円筒状のガラスケース……ノロの収められた注射器を取り出す。
「お前も、このオレも化け物だッ!! この血塗られた血筋に終止符を打つためにオレは死ぬ。その前にお前も殺さねば――轆轤家を本当の意味で終わらせることができないッ!」
口端に唾をためて怒鳴る。
首筋には幾つもの注射痕があり、皮膚が赤紫に変色していた。――だが、躊躇わずに秀光はノロを注入する。
全てを終わらせるために。