刀使ト修羅   作:ひのきの棒

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第227話

 狼は氷河の原野を彷徨い歩きながら、絶え間なく吹き続く吹雪の中を孤独に行く。

 後ろに残した筈の足跡さえも、鈍色の雪によって埋もれてしまう。昼間のはずだが空は暗く薄い光が射すだけ。

 それにも構わず狼は頭を下に傾け四脚を黙々と歩ませた。

 磨かれた黒曜石のような瞳は静かな気迫を湛え、力強い意志の込めた輝きが時折煌めく。

 足元を柔らかな雪の感触を確かめながら――狼はパタリと倒れた。

 腹部を貫く丸い傷口から止めどなく鮮血が溢れていた。生暖かい温度が次第に広がり、紅に染まるシミが細い足を濡らす。

 疲れ、飢えた狼は全身を小刻みに痙攣させつつも、前を向いて牙を剥いて進む意志を示した。

 ――たとえ死ぬ間際であったとしても、暗闇に閉ざされた視界の中であっても……狼は刻一刻と迫る死期の中でも行く先だけは目を逸らさずに睨み続けていた。

 

 

 

 まるで、キリマンジャロの雪に埋もれた豹のように、狼は死して尚も視線だけは動かさなかった。

 

 

 

 Ⅰ

 可奈美たち突入部隊は、各方面からのひっ迫した情勢を聞きながら、タギツヒメを討つ最後のタイミングを窺っていた。……作戦予定時間になると、S装備に身を包んだ彼女たちは目標となる高層ビル目掛けて走り出した。

 

 「薫ちゃん、突破口をお願い!」

 舞衣は肩越しに短く伝えた。

 「おう、任せろ」

 自らの背丈以上もある御刀《祢々切丸》を抜き身の状態から、進路を塞ぐ荒魂たちの群れ目掛けて打ち下ろそうとした――その時。

 「ねね~」

 それまで薫の肩に乗っていたペット扱いの荒魂ねねが飛び出した。

 「あ、おい!」

 突然の行動に困惑して焦った薫だったが、すぐに疑問が氷解した。

 ねねは元々荒魂でありながら人の世に慣れた稀有な存在である。ねねは、飛び出した瞬快に本来の巨大な大狗に似た姿に戻り、一気に駆け抜けてゆく。かつて、人家を襲い、村々で暴れまわった強大な力を発揮した。

 壁のように魑魅魍魎の荒魂たちが踏みつぶされ、モーセの海を割る場面を模倣したように見事に「道」が出来た。

 ねねが切り開いた突破口は、予想外でありながら僥倖であった。

 舞衣はすかさず、

「可奈美ちゃんは先行して。……紫様は可奈美ちゃんをお願いします」

 視線で素早く合図し、明瞭な言葉で作戦を遂行するための算段を立てる。

 現在、タギツヒメのもとに行くまで、状況を鑑みれば全員ではまず不可能だろう――とすれば個人の実力が高い可奈美と、現役最強の紫を差し向けることで対処に当たる。

 翡翠色の美しい瞳が、冷静な思考を奥底に秘めて瞬く。

 「ああ」

 紫も肯き、一人抜け出した可奈美の背中を追った。

 

 二人の姿を見送りながら、舞衣は自分たちも彼女たちの背中を守るように次の一手を打つ…………タイミングだった。

 

『衛藤さん、行かせませんよ!』

 両側に聳えるビル群の屋上から聞こえる少女の声。

「――っ!?」

 舞衣が咄嗟に視線を上げると、タギツヒメの近衛隊の隊士たちがビルの屋上から飛び降りて、先行する二人を強襲せんと行動を始めていた。

 

(まずい、このままだと可奈美ちゃんたちが……)

 舞衣は思わず歯噛みをして、彼女たちを守ろうと足に力を込めた。

 

『舞衣はそのままで待ってて!』

 

「えっ!?」

 突如、烈風のように舞衣の脇を猛烈なスピードと風圧が駆け抜けた。僅かな間だったために、咄嗟に驚きの声が洩れた。しかし、聞き覚えのある声だった。

「――沙耶香ちゃん!?」

 

 

「――どうして!? どうして邪魔するんですか? 糸見さん?」

 強襲の先頭に立った内里歩は己の渾身の斬撃を防いだのが可奈美ではなく、糸見沙耶香という少女である事に、苛立ちを覚えた。

 

 あの日、橋の上で初めて荒魂と戦闘をした時、颯爽と現れて荒魂を祓った可奈美の隣にいた少女。……歩にとっては、ただそれだけの存在。

 

 確かに剣術の腕は凄いのかもしれない。

 だが、それだけならば、他の刀使でも代えが居る存在。

 圧倒的な強さを秘めた可奈美には遠く及ばない存在――そう思っていた。

 

 「なんで邪魔するんですか!? 糸見さんじゃ今のわたしを止められませんよ?」

  半ば嘲るように言う歩は、しかし、刃を交えて感じる沙耶香の技量を認めざるを得ない。

 (前よりも断然に強くなってる?)

 戸惑った歩は、首を横に振って冷静さを回復させた。

 

 奇襲を防いだ当の沙耶香は、

 「……可奈美、行って」

 一切可奈美の方に振り返らずに告げた。

 『沙耶香ちゃん――、ありがとう』

 遠くで可奈美が手を振り、そのままタギツヒメの下まで駆けてゆく。

 二人のやり取りを間近で見た歩は眉間に深い皺を刻み、

 「ちっ、邪魔なんですよ! 糸見さんだって分かるでしょ? 衛藤さんは別格の強さ! だからわたしも追いつくために強くなったんですよ? ……あなたみたいにノロから逃げなかった!」

 「………………。」

 沈痛な面持ちで沙耶香は切り結んだ刃を弾き、間合いをつくる。

 その反応が、沙耶香にとって後ろめたさに繋がっただろうか? 類推する歩はワザと口端を歪めて、「どうしたんですか? やっぱり図星だったんですか?」挑発した。

 

 沙耶香は正眼の構えをとった状態で、「ふーっ」と肩から余計な力を抜いて歩を真正面から捉える。

 「……歩は、強くなってどうしたいの?」

 「えっ?」

 予想外の言葉に、歩は咄嗟に反論することが出来なかった。

 「認めてもらうんですよ、衛藤さんに。あなたよりもわたしが強いってことを!」

 

 「……その先は?」

 

 「ちっ、何なんですか? 禅問答なら――」

 「……違う。今の歩、強いかも知れないけど、辛そう」

 

 たった一言。

 

 内里歩という少女の胸の奥を、たった一言が楔のように深く核心を穿つ。

 

 「――辛いかどうかなんて糸見さんに関係ないですよね? 負けおしみなら聞きませんよ?」

 思わず怒鳴っていた。手が震えていた。

 だが、歩の動揺を感じ取っていた沙耶香は、

 「……強さは確かに必要だけど、強すぎると悲しいから」

 穏やかな口調で諭すように言いながら目を細める。

 「……強すぎると、きっと、いつか疲れる」

 「あははは、何言ってるんですか? 糸見さんはもう自分に敵が居ないッて思ってるんですか?」

 「…………違う、わたしの事じゃない。百鬼丸が、そうだった。強すぎて――強いのにずっと寂しそうだった。誰も周りに居なかった」

 たった数日だけ彼と過ごして理解した。

 誰しも強さに憧れる。それは確かに間違いではない。

 だが、時として圧倒的過ぎる力には――必ず孤独が伴う。

 強すぎるが故に、異質な存在となり、人間社会に適応できず孤独に過ごしていた。

 

 それが強さを手に入れた者の末路なのだろうか?

 沙耶香は、誰よりも強いはずの少年を、守りたいと思った。

 

 

 「ワケが分かりませんよ! だったら、ずっと弱いままでいればいいんですか? そんなの傲慢ですよ!」歩は、これまでの己の存在を否定された様な気になった。

 ……どんな思いでノロを受け入れたと思っているのだ!

 血反吐を吐いてでも、剣術の鍛錬に食らいついても――それでも埋めきれない実力差に打ちひしがれていた。

 

 「憧れるのがそんなに悪いことなんですか? 弱いことがいいことなんですか? フザけないで下さい!」

 《迅移》を発動し、再び沙耶香へと左袈裟斬を放つ。

 「――ッ」

 予想以上に重い一撃に、沙耶香は顔を歪める。

 「あははは、どうしたんですか、さっきから偉そうに言ってましたけど、そんな実力じゃ、わたしに負けますよ?」

 気分が高揚していた。歩は、錬府女学院の天才剣士を謳われた少女を圧倒しているのだ。そんな優越感が、更に斬りつける刃に力が籠る。

 幾つも弾ける刃の火花に照らされる。

 「…………だったら、どうして歩は泣いてるの?」

 「は?」

 S装備のバイザー越しに沙耶香の紫紺色の双眸が、慈悲を湛えながら歩の目を見返していた。

 自然と、歩の頬を伝い顎まで滴る透明な流れが、地面のアスファルトに落ちた。

 「――――もういいですよ、終わらせましょうよ! 糸見さんッ!」

 迅移によって、高速のステップを踏んだ歩は、猛烈な太刀筋を次々と繰り出す。

 (右、右、もう一度右――に見せかけて左)

 予め動きを知っているように、沙耶香はすべての攻撃を完璧に捌いていた。

「なんで、どうして?」

 悲嘆と絶望の滲んだ声音で歩は呟く。

 上段、下段、突き、全ての攻撃が容赦なく防がれる。半歩の距離で交わされる刃の応酬は、完全に沙耶香が支配していた。

「どうして、追いつけないの?」

 虚勢の剥がれた歩の本心からの言葉が、喉の奥から搾るように口から溢れた。

 

 紫紺色の目が、真直ぐに焦燥に駆られた歩を見据えていた。

「……今度はわたしが救う番」

 沙耶香が確かな覚悟をもって、斬り返した刀を更に機敏に反転させ、歩の御刀の鎺を巻き込み器用に宙へと刀身を浮かせる。

「――しまっ!!」

 一瞬の攻防戦の最中に油断は命取りである。

 大きく上段へと逃げた御刀の軌道が、歩の視界を横切る。

 自らの腕の裏に隠れた華奢な影が低く、脇構えから、「……そんな魂の籠ってない剣じゃ何も斬れないッ!!」と告げると同時に一気に剣閃が左斜めから斬り上げられる。

 《写シ》を貼った体であるものの、情け容赦ない美しい太刀筋に斬られた歩は、かつて一度、可奈美と刃を交えた瞬間を反芻していた。

 

『全部この刃に込めたから』

 可奈美の声が蘇った。

 

 

その時は何一つ分からなかった言葉の意味が、ようやく納得がいった。

「ああ、そっか……わたし、馬鹿だな」

空回りの努力によって、禁呪によって常人では到達できない領域にまで来てしまった。だが、その矛盾と破綻を――頭ではなく身体によって理解した。

受けた斬撃で軽く宙に浮いた上半身は、力の萎えた足元から崩れるように歩は地面へと倒れる。完膚なきまでに叩きのめされた。――完敗である。

……だが、不思議と後悔も屈辱も感じなかった。

どこか、心が満たされない感覚に囚われていた歩は初めて、温かな感情と共に安堵感に包まれた。

 薄れゆく視界の中で、沙耶香の足元がみえる。

「ようやく分かった気がします」満足したように言い残して、気絶した。

 

 

 何かを悟って掴んだ内里歩を眺めていた沙耶香は、小さく頷いた。

「……あなたにもきっと、伝わるはずだから。この気持ちが」

 胸の前で小さく拳を握り、語りかける。

 その眼差しはどこまでも優しく、深い愛情に充ちていた。

 かつて、ノロを受け入れ可奈美たちを襲撃した際に、渾身の一撃を喰らった沙耶香もまた、歩と同じ存在だった。

 空っぽだと思っていた自分に、剣を握る意味を教えてくれた可奈美から受け継いだ思いを、目前の内里歩という少女へと手渡す。

 

 

 

 Ⅲ

 「うぉららああああああああああ!!」

 長い馬の尻尾に似た後ろ髪を翻して真横に一閃、薙ぐ。

 スパークが弾けたように刃同士が繊細な火花を散らす。

 「どうした、そんなものか?」

 荒魂と化した秀光は、せせら笑いながら百鬼丸の攻撃を捌く。

 落下したシャンデリアの残骸を踏み散らして、秀光は華麗に攻撃を避けた。

 無銘刀が繰り出す狂暴な乱れ突きを、的確に弾き、点の攻撃を線の斬撃によって反撃する。

 風にそよぐ葉群れの様に柔らかく、撫でるように太刀筋を百鬼丸の胴体へと繰り出す。

 

「――しまっ」

 宙に浮いた百鬼丸の体は非常に不安定で、体の均衡も崩れている。「なーんてな」

 百鬼丸の奥の手である加速装置のリボルバーが回転し、白煙を巻き上げ更に一段高く空中に飛び上がり、左腕を伸ばして天井の梁を掴む。

 ぶら下がったまま、秀光を見下す。

 

 (――一かバチの賭けだな)

 

 

 刀圏を利用した――抜刀術。

 

 これまで習った技を組み合わせ、落下速度に合わせて予知能力を封じる。

 設定した範囲を必ず「斬る」ことの出来る『刀圏』と、攻撃の手段を隠す『抜刀術』によって決める。

 

 (よし、決まりだな)

 百鬼丸は即断すると、梁から手を離して落下した。

 浮遊する体を器用に体勢を変えて、無銘刀を鞘に収め、人型荒魂と化した秀光を睨む。イメージする。円形の透明な範囲を連想し、――以前、成功したように鍔に指をかけて空中から半身を逸らして瞬発的な力を開放する。

 (できる、出来る、できるッ!!)

 左手の親指が鍔を弾き、七色に輝く剣閃が秀光に降りかかる。

 

 

 「――……ッ、」

 人外の化け物になった秀光の顔に表情筋は無い。しかし、彼の挙措から焦っている事だけはわかる。

 咄嗟に構えた刀で百鬼丸の一撃を防ぐ――予定だった。

 だが、圧倒的な膂力から撃ち放つ剣の閃きを防ぐことなど不可能だった。

 秀光の刀がバキィ、と鈍い音を響かせ深い亀裂と共に真っ二つに刀身が折れた。

 (よしっ、手応えありッ!)

 百鬼丸はしっかりと両目で、秀光を睨み据えながら、武器を破壊した事を理解した。勢いそのままに秀光の右方から胸板にかけて、刃が浅く喰いこむ。

 「しねぇええええええええええ!!!」

 真紅の闘気を纏いながら百鬼丸は叫ぶ。

 あと、ここで少し押し込めば轆轤秀光という男を屠ることが出来るのだ。

 

 ……出来る、その筈だった。

 

 

 「くっ、ははははは、百鬼丸、お前が馬鹿で助かったよ」

 「なっ!!」

 両手で、百鬼丸の握る無銘刀の腕を掴んでいた。

 「――チッ!! あ……?」

 苛立ち紛れに、更に力を込めて片腕で刃を押し込もうとした矢先……少年は腹部に違和感を覚えた。

 灼けるような熱さが肚を貫いている。

 無意識に目線が腹部にいく。

 あろうことか、『幻夢』と刻印された刀身が百鬼丸の腹部の中心を正確に貫いていた。

「……なんでだ?」

「くくっ、ははは。お前は馬鹿だ。オレが何の用意もなくキサマを待つはずがなかろう!」

 言いながら、秀光は高くあげた左足をゆっくりと下げた。

 シャンデリアの残骸から見えにくい場所、赤い絨毯の真下には、細長い破れた痕跡があった。

「てめぇ……」

 百鬼丸は気付いた。

 この男は、本来の刀を絨毯下に入れ替えて隠し、タイミングを見計らって片足で掬いあげて一撃を加える。

「ゴボッ、ぶヴぁえぇ」

 血泡が止めどなく喉の奥からせり上がってくる。熱い液体が口から溢れ出した。ゴボゴボ喉の半ばで鳴り、窒息しそうだ。

 

 そんな様子を眺めた秀光は愉快そうに肩を竦めて、

 「一つ、いいことを教えてやる。この刀で斬られた奴は幸せだ。――欲望が叶うのだからな」嘲るように言って、秀光は高らかに哄笑した。

 

 

 ――……なんだとこの野郎、いますぐ返り討ちにしてやる!

 そう意気込みながらも、次第に薄れゆく視界と、霞む視界から遁れるように強く意識を持つように踏ん張る。しかし、いくら意識を保っても、激痛と、貫く刃の効果だろうか――強烈な眠気に襲われた。

 苦痛と睡魔が混在して、百鬼丸は自然と意識を失った。

 

 

 

 Ⅳ

 爽やかな風が頬を撫でる……。

 新緑の香が鼻を擽った。

 暖かな日差しが、頭上を照らす。

 (……なんだ?)

 百鬼丸は、深い微睡みから少しずつ覚醒したように薄く目を開いた。

 見渡す限りの草原が視界いっぱいに拡がっていた。雲一つ無い青空は、絵具のように鮮やかだった。

 「おれ、さっきまで戦ってたんだよな?」

 息を吐きながら、突然の変化に理解が及ばない。

 

 『おい、百鬼丸!』

 どこか、呼ぶ声が聞こえる。

 

 

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