「オーウ、大変なことになりましたネ」
エレンが頬を引きつらせながら、笑う。
完全同意しながら、
「だな……こんなときは薫に教わった通りいくぞッ!」
男らしい声で叫ぶ百鬼丸。
「逃げるんだよぉおおおおおおおおお」
盛大に叫ぶと百鬼丸は猛ダッシュする。
「まるまる、カッコ悪いデス」
エレンは呆れながら、追いかけるように《迅移》を発動させてテントから外へ出た。
夜見は逃亡者の背中を一瞥し、
「はぁ……」
躊躇なくふたりのあとを追跡した。
2
……いつの頃だろうか? 私が本気で剣術を楽しめなくなったのは。
ううん、厳密には
御前試合でもそうだった。――結局、姫和ちゃんとは決着がつけれなかったから、こうして一緒に逃げているんだ。
自分の掌を見つめながら、また「夢」の中でスッキリとするしかないかなぁ、と落ち込んでしまう。そんな今が正直、息苦しい。
「おい、どうした可奈美?」
姫和ちゃんが、怪訝に眉をひそめる。
長い間、私は考え込んだみたいだ。
「ううん、なんでもないよ。それより百鬼丸さん上手くいったのかな? 結構可愛いし男だってバレないと思うけど」
「知らん、あんな変態」
姫和はそう言いながら、そっぽを向いた。
「ねぇ、薫ちゃんはどう思う?」
私より年上なのに小さくて可愛い先輩に尋ねた。
「あ? 大丈夫だろ。あのバカエレンを連れ戻してこいってオレが命令したから大丈夫だ」
そう言いながら、薫ちゃんは不敵な笑みを浮かべた。
「――うん、そうだよね」
「なんだ、可奈美。そんなに心配か?」
「……うん、心配だよ」
咄嗟に私は嘘をついた。本当に心配しているのは、百鬼丸さんと戦えなくなることだ。実はそれを先に心配してから自分の非情さに驚いてしまった。
(でも、戦いたい……)
胸の奥の辺りが燃えるみたいに、カッ、と熱くなるのが解る。
偶然、百鬼丸さんの放った殺気の雰囲気に触れたときに、ワクワクしてしまった。それほど魅力的な強さだった。
戦いたい……戦いたい……戦って……それで勝ちたい!
拳を胸の前でぎゅっ、と握ると剣術の練習がしたくなる衝動を怺えることができた。
――ん? すごく遠くから声が聞こえる気がする。空耳かな?
でも、なんだろう。この、なんとも言い難い絶叫は……
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
雄叫びを上げながら、コチラに走ってくる緑の制服。
「えっ? ひ、百鬼丸さん!? それにエレンちゃんも!」
エレンちゃんが《迅移》を使っているのは分かった。だけど、百鬼丸さんはふつーに、全力疾走しているだけだった。……
「おい、すまん。敵に追われている!」
女装した百鬼丸さんが後ろを指差す。
凄い後ろから、親衛隊の刀使が《迅移》を使って追ってきていた。
その時、ぞくっ、と私の全身を押し包む感覚がきた。
この感覚の名前を私は知っている……「興奮」だ。親衛隊の人と戦った時もそうだったけど、ここ最近は本当に退屈しないで済む。
「任せてっ」
私は大きく返事をすると、《千鳥》の鍔を親指で弾き抜刀する。
《写シ》を体に貼って正面に御刀を構えた。
(あれが、薫ちゃんの言ってた親衛隊の三席――)
赤黒い蝶の群れが、霧みたいに溢れていた。
「可奈美、お前には二人を頼む。薫と私で足止めする」
姫和ちゃんがそう言うと、《迅移》を使って蝶の霧の中に突進した。
「――んじゃ、あのバカエレンにお灸をすえてやろうか」
二メートル超えの祢々切丸を担いだ薫ちゃんも、すぐにあとを追った。
「う、うん。分かった」
返事はしたけど、本当は戦いたかった……仕方なく御刀を鞘に収める。
「百鬼丸さん、エレンちゃん。こっちだよー」
手を振る。
「はぁ……はぁ、疲れたぞー」
木の根元に腰掛けながら百鬼丸さんが息を喘がせて言った。
「うーん、まるまるはなんで戦わなかったデスカ?」
「当たり前だろ、皐月夜見はあのテント周辺でもお構いなしに荒魂を発生させようとしてたんだぞ……奴の目に躊躇がなかった。無関係な奴も殺す目だった」
そのとき、遠くでパリィン、と硝子珠が砕けたような甲高い独特の音が響いた。
「ふたりの写シが破られた音だよ! 助けに行かないと!」
――私は手の震えが来たのに驚いた。恐怖? ううん、違う。
全身を流れる血液が沸騰しそうなほど熱いんだから。
地面を蹴った私は、もう一度《写シ》を貼り、千鳥を掴む。心臓の鼓動が自然と高まるのを感じながら。
ゆっくりとした足取りで、不気味なオーラを放つ人影。
(あれが、親衛隊の皐月夜見、さん?)
さらに距離を縮めると、赤黒い蝶がまるで触手のように周囲を固めていた。
「こっちだよ」
思わず叫ぶ。
ノロを操った人影がこちらに意識を向けたみたいだ。
「私が相手をする」
八相の構えで、私は挑発する。
運動靴の底を摺りながら、間合いを見極める。私が自分の得意な方法で勝つために……『後の先』をとる為に。
「お覚悟を……」
そう言いながら、私に向かって大量の赤黒い蝶が押し寄せてきた。目くらましを狙ったのだろうか? それにしては攻撃が単調すぎる。
私は千鳥をしっかりと握ると、視認できる速度でまず蝶たちを切り捌きながら、相手の出方を窺う。
わくわくする……純粋な剣術だけだと味わえないこの高揚感。
と、瞬間。
白い髪が正面から躍り出た。――しかも《写シ》なしの状態で。
「くっ!」
物凄い力の斬撃だった。私はそれを鍔で抑えるのが精一杯だった。
「もっと……もっとノロを……」
相手はそう呟きながら、生気のない瞳で私をみている。
右目の辺りから、禍々しい角のようなものが生えていた。しかも、その角は真っ赤な目玉が素早くギョロリと動いていた。
「斬れ可奈美! そいつはもう人間じゃないぞ!」
姫和ちゃんがそう叫ぶ。
ああ、そうか。あの時、姫和ちゃんが私に向かって聞いた「人を斬る覚悟があるのか?」っていう質問はこれのことだったんだ。
……でも。
五感をさらに研ぎ澄ませて、私は千鳥を振るう。
あの人の攻撃は重いけど、すごく単調でいなしやすい。それに、目隠しみたいに現れる赤黒い蝶も、パターンさえ認識すれば怖くはなかった。
右、右、左……解る、全部解る。
剣を握りながら、私は切先をガラ空きの胴体か喉元へと突き立てようとして――戸惑った。剣の速度が鈍った。覚悟が明らかに足りてなかった。
無意識に足が後ろに引いていた。
相手の刃は乱暴に千鳥の刃先を弾き、私の体ごと押し返した。
「あっ」
と、短く声をあげながら、足元から滑って倒れた。視界には、花曇りの空がみえた。
3
可奈美が、夜見との交戦中に転倒した。だが、転倒前までは完全に可奈美は圧倒していた。
百鬼丸は目を眇めながら、
「あいつには、そーゆーの、無理だからなぁ」
とぼやいた。
近くで聞いていたエレンは「まるまる?」と問たわしげな視線を投げかける。
しかし、それを敢えて無視して百鬼丸は一目散に助けに駆け出した。
(あいつらに、人殺しの後味の悪さなんか体験させたくねーよな)
脳裏には《知性体》との対決が浮かんでいた。
百鬼丸は平城学館の制服のまま、《迅移》を発動し、両腕に力をこめて肉鞘を抜く。
まるで銀翼にも似た《無銘刀》たちは、曇り空から射し込むわずかな光を反射していた。
ゆらり、と前屈みになった夜見は大の字に倒れた可奈美へ馬乗りになり、トドメを刺そうとしていた。
「この大馬鹿野郎! ノロを入れすぎだッ!」
百鬼丸は怒鳴りながら、素早く夜見の角部分を《無銘刀》で切り落とした。〇・六秒の出来事だった。
長い黒の髪を翻しながら、百鬼丸は夜見に足払いをして地面に倒した。それから、足だけで組み伏せると、暫く息を整えた。
「はぁ……はぁ……まじか、コイツ。あんだけノロを受け入れてるのに、自我を保ってやがるな……」
驚愕に目を瞠る。
夜見は荒魂の角を斬られた影響で意識を完全に失っていた。
気道を確保しながら、百鬼丸は一安心という表情で組み技を解除した。
「おい、可奈美……大丈夫か?」
義手を拾いながら、後ろを振り返る。
まだ大の字に倒れた可奈美は、しかし、〝笑って〟いた――。
今まで、死線をくぐってきた百鬼丸も一瞬の間に彼女の異常性を察知した。
(こいつ、いままで命の危険に晒されてたのに……なんつー顔してんだよ)
「おい、可奈美大丈夫か?」
「えっ? あ、ごめん。百鬼丸さん助けてくれてありがとう」
静かな興奮から覚めたように、可奈美は普段通りの顔に戻っていた。……だが、明らかに可奈美は「死闘」に対し、憧れをもつようになっていた。
しかし、その可奈美の顔近くに屈んだ百鬼丸は、彼女のおでこにデコピンを一発喰らわせた。
「いてっ、ひどいよ百鬼丸さん!」
涙目で訴えかける。
「お前はよくも悪くも純粋だからな――強すぎるんだよ、強すぎる」
可奈美に向かい、百鬼丸は苦笑いをした。
3
南伊豆沖。夕刻に空が染まる頃、巨大な水飛沫が上がった。
シーウルフ級原子力潜水艦が日本の海上に姿を現した。すでに米国で退役した潜水艦だが、「なぜか」この伊豆半島沖合を航行していた。
その潜水艦付近に停止した小型ボートがある。
「えっ!?」
可奈美と姫和は目を丸くした。
「あのー、ホントですか、これ」
百鬼丸も同様に驚いていた。
約一〇七メートルの巨体が突然眼前に現れたのだ。驚かないはずがない。
「だから言ったじゃないですカ~」
嬉しそうに笑うエレンはまるで、サプライズが成功した子供のようだった。
つい、数時間前。
「これからどうする? すぐに他の親衛隊が駆けつけるぞ」
黒くノロで濡らした地面を踏みながら、姫和は長船女学園の二人に問う。
「問題ない。エレン」
「はい、了解デス! タクシー一台至急手配願いマース」
気楽な口調でエレンは携帯端末にむかって言った。
「タクシー?」
姫和は不信な目線で周囲をみた。森の奥にまでやってくるタクシーなどあるのか? いいや、そもそも舞草はどこに自分たちを連れて行こうというのだろうか?
「なるほどな。そういう意味か」
疑問が氷解した。
そして半ば呆れたように姫和は呟いた。黒鉄に輝く体表は鯨を思わせる威容だった。潜水艦をみるのは初めてだったが、舞草の力というのは侮れないようだ、と内心納得していた。
「「舞草の拠点までお客様ご案内~」」
潜水艦に乗り込む際に、エレンと薫が声を揃えて歓迎してくれた。お友達を自宅の誕生会に迎えるノリだった。