――百鬼丸は、無機質な表情で左義手の小さく外れた隙間に右指を指し込む。
人体から生成された脂を指先に付け、刃の表面に薄く伸ばした。
ズボンの後ろポケットに忍ばせたマッチ棒を右手で引き抜き、靴裏で素早く火を点けた。
小さな火光を刃に近寄せる。
直後――、ボゥ、という発火音と共に紅炎が刀身に纏う。
パチリ、パチリ、と炎の燐光が少年の目前に散る。
通常、荒魂にとって物理的な炎は無意味であり――何ら意味のある行為ではない。
これは、ひとえに百鬼丸なりの弔いの儀式に他ならず、拝火教であるゾロアスター教の《火葬》に倣ったものである。
……尤も、百鬼丸自身にその手の知識は無く、自然本能に依る行為だった。
「どうした、かかって来ないのか?」
真正面に佇む人型の荒魂、かつて人だった男が低く呟いた。
彼の人であった頃の名前は轆轤秀光。権謀術数の世界で、ただ孤独に復讐のみを果たすことを生きがいにした哀れな男の名前だった。
「…………お前の最期の言葉くらいは覚えておいてやるよ。何か言い残す事ははいのか?」
白と黒の髪が綯交ぜになった前髪の隠れた奥から、冷徹に底光りする瞳が、鋭く秀光を見据える。
「なんだ、もう勝った気でいるのか?」
ワザと挑発するように首を捻る秀光。彼は、そのまま《夢幻刀》を八相に構え、足裏を擦る。間合いを近づけ、距離を測った。
鋭利な鬼のような角が額から二つ生え、ギザギザに頬まで裂けた口は、最早怪物であった。口腔からは火の粉が散り、憎悪をエネルギーに燃えているようだった。
百鬼丸は、彼のオリジナル生体である秀光を前に、俯き加減に口を噛みしめる。
「おれは初めて出会った時から、アンタが悪い奴には感じられなかったんだ。……だけど、ここまで来て、今更そんな事は思わなくなったけどな。最初からおれを殺すために、結芽も他の人たちも巻き込んで殺したんだ!」
渋谷での巨獣事件がそうだ。
なんの罪もない人々が殺された……。
しかし、怯む様子もなく秀光は漆黒の硬質な皮膚に、炎の光を反射させた。
「だから何だというのだ?」
「――――おれには、さっきからその刀の……叶さんの記憶と声が流れ込んでるんだよッ! クソッ、クソッ、クソッ、気持ちよくお前をブチ殺そうとしてるのに、なんでだよォ、なんでこんな記憶が流れ込んでくるんだよォ!!」
百鬼丸は、脳内に流れ込む、たった一人の少女の記憶を共有していた。
かつて、まだ秀光が優しく人を救いたいと思っていた頃の記憶……。
初夏、大樹の幹によって座り、本を開く一人の好青年。一見すると百鬼丸と雰囲気の似ている彼は、はにかみながら、小さく手を振る。
慈愛に満ちた表情で、頭を撫でる優しい手。
――――……この思い出はすべて、轆轤叶という少女のモノだった。
百鬼丸は一度、夢幻刀の中で精神体の叶と言葉を交わした。
『……――百鬼丸くん、お願い。あの人を助けて』
それが、まるで呪いのように、否、痛切な祈りとして少年に向けられた。
(ゴメンな、叶さん、おれ頭に血がのぼってたわ…………。)
内心で反省しつつ、百鬼丸は無銘刀を頭上に掲げる。大上段に構え、過去に囚われた男を真直ぐ、睨む。
「アンタは間違えてるんだよ!!! こんな復讐みたいな事したって、叶さんは喜ばないだようがよォ!!」
百鬼丸は目端から細い涙を流し、叫ぶ。
……――だが。
秀光は「ぐっはははははっはは!!」と盛大に笑う。
「何が面白いんだよ?」困惑する百鬼丸を他所に、尚も怪物は笑う。
「いいか、小僧ッ!!! 教えてやる!! 叶が復讐を望まなかったなんて当の昔に考えていたさ! いいか、だけどなぁ、関係ないんだよ!! オレが復讐をするのはな、その相手をどれだけ失ったかという悲しみの代償行為に過ぎないんだよォ!! オレがここまで人を殺し続けたのも、オレが
秀光が、初めて本音を叫ぶ。
一拍の沈黙。
拳を強く握る百鬼丸は、
「どれだけ身勝手なんだよ、クソ野郎がァ!!」吐き捨てた。
少女の願いを踏みにじる凶悪な意志だった。
言葉は要らない。
気が付くと百鬼丸は駆け出していた。赤く分厚い絨毯を足裏に感じながら、猛烈なスピードで弾丸の如く飛び出す。
強く振り下ろした刃は、直線的な軌道を描き秀光に襲い掛かる。
秀光は完全に見切ったように足を動かし、斬撃を躱す。
脇腹が隙になっており、秀光は躊躇なく刃を打ち込む。
フワッ、と百鬼丸の体が微かに浮遊し、視界から消えた。秀光が首を巡らせると、左斜め方角から肘が迫っていた。
角の生えた頭部を思い切り、顔の真正面に打ち込まれた掣肘が勢いよく秀光の体を吹き飛ばした。
階段に勢いよく衝突し、破壊した。
バラバラと砕ける木材と石片がバラバラと舞い散る。
土埃の中から人影がフラッと立ち上がる。
「貴様に、貴様にだけは決して負けてはならんのだ! でなければ、オレがなしてきた事が無意味になるのだ!」胸を掴み、荒魂の秀光が言う。
「だったら、無意味にしてるよ!」
燃え盛る刃を振りかざし、燐光を煌めかせながら体を浮かせ、滑るように百鬼丸が斬り掛かる。
不意を衝かれた秀光が、咄嗟に左腕でガードする。
グサッ、と深く喰い込む刃から、無数の赤い細線が一瞬で腕に拡がる。
「ぐぁああああああああっ!!」
激痛、というには生温い感覚が腕を伝い、秀光に襲い掛かる。
(なんだ、これは?)
御刀ですらない刀が、何故このような力を発揮するのだろうか? 初めて対峙して解る事があるのだ、と男は驚愕した。
まるで、存在そのものを喰い尽すような惨い力だ。
「なんで、刃でガードしないんだよ?」
グッ、と力を入れて腕を切り落とそうとする百鬼丸が言う。
「一応、貴様のッ、情報は、得ていたッ! まさか、これほど禍々しい力だとは思わなんだがな」
「――もし、夢幻刀で防いでたらソイツを喰い尽すからな!」
冷酷な宣言。
「ははははっ、貴様は――――オレよりも化け物だ!」
「ああ、そうだ!! アンタが叶さんを庇うなんてよォ!!」
戦闘で興奮しながら百鬼丸が腕を遂に切り落とした。ゴトッ、と質量のある音が聞こえた。
最初から、勝負など着いていた……。
《無銘刀》という、禍々しい刀を前にして、秀光は如何なる武器を使おうとも、勝利する事など出来なかったのだ。
彼の選んだ夢幻刀であれば、彼の命運は決まっていたのだ。
――――あの人を救って!
切なる少女の願いを、百鬼丸は叶える時が来た。
左腕の無い人型荒魂は、完全に動きを停止させた。百鬼丸の宣言によって、既に戦意は喪失していた。右手に握った刀を動かす気配は無く、迫りくる刃を受け入れようと百鬼丸の攻撃を待ち受けていた。
カチッ、と硬い音が響く。
秀光の右手首が切り落とされた。ゴトッ、と床面に落下すると、瞬時に百鬼丸がつま先で掬いあげて手元に引き寄せる。《夢幻刀》を手にした百鬼丸は、鮮やかな剣技によって、秀光の首を刎ねた。
ポーン、と勢いよく跳ねた頭部が地面におちてゴロゴロ転がる。
美しい虹の残像を煌めかせながら夢幻刀は光を放ち、まさに力を発揮した。
百鬼丸は、長い前髪で隠れた顔で転がる頭部を一瞥する。
「……アンタがその武器を選んだ瞬間から負けが決まってたんだよ。なぁ、どうしてだよ――」
百鬼丸は、切り落とした首から意識を胴体へ戻し、腹部へと深々と突き刺す。
刀の鍔辺りまで深く喰い込んだ刀身が、轆轤秀光だった胴体と一体化した。
――――長髪の奥に隠れた百鬼丸の顔は、酷く歪んでいた。
悲しみを堪えていたのだ。
秀光の記憶が、感情が流れ込む。
否応なく体感させられる走馬灯の数々。
「どうしてだよォ!!! くそっ、なんでそんなに人を大事に想えるなら、もっと他の方法で力を使わなかったんだよ…………」
純真で、一片の曇りもない少女を救いたい。ただそれだけいの想い。
轆轤秀光という――――、哀れな道化師の最期。
『……百鬼丸、お前の――記憶か』
共有されたのは、何も百鬼丸だけではなかった。
秀光もまた、同様に百鬼丸のこれまでの経験を追体験したのだ。
転がる首から、薄れゆく意識の根源が百鬼丸の脳内に響く。
『……――オレがしてきた事は間違えていた。そんな事は知っていた。だから、裁かれたかった。この、復讐鬼と化したオレを。まさか、出来損ないのお前に殺されるとはな。っ、はははは。……なぜだ、なぜ、お前は夢幻刀で首を刎ねた?』
秀光の視点からは、少年の足元しか見えない。
地面に切先の向けられた刀身を眺めながら素直な疑問を口にする。
「……アンタを救って欲しいって、叶さんに言われたんだよ。この刀なら幸せに死ぬことが出来るんだよな? ……アンタにはお似合いだよ」
斬られた者は、その欲望や夢見た幸せを感じながら深い眠りと共に、死する夢幻刀。荒魂となった秀光を斃すにはうってつけの刀だった。
『そうか…………貴様を恨んでいたオレは間違いだったんだな』
「――今から死ぬ野郎が何言うんだよ」
ふっ、と内心で秀光は笑う。
『……――オレが恨んでいたのは、お前じゃない。お前の中に映る過去のオレだったんだ。ソイツが許せなかったんだ。……今更許せとも、何ともいわん。だが、これだけは言わせてくれ』
首から顔を逸らした百鬼丸が深呼吸しながら、
「――――なんだよ」訊ねる。
首の無い胴体が、不意に動き、
『…………――行け、息子よ』
切断された左腕を伸ばして扉の方角を指さす。
言い終えた秀光の胴体は膝からガクリ、と人形の様に崩れ落ちた。
次第に秀光の視界は、紅蓮の焔に包まれ、激しく燃え盛る中から別の景色が浮かぶ。目前には華奢な少女の姿が見え始めていた。……これは、幻だ。そう自覚しながらも、その近づく相手が誰なのか、秀光は、もう随分前から知っていた。
◇
……――思えば、御門実篤という地下の番人に興味を持ったのも、己と同じ境遇だったからだろう。
オレは、轆轤家の秘密の一つに、地下に虜囚の如く自罰する男の存在を聞いていた。
第二次世界大戦の頃から居るソイツの話は、ある程度、本家から知らされていた。だが、実際にオレが実篤と言われた石像……いや、『人間』を地下で見た時、彼が背負う業の深さと、深い悲しみに共感した。
「まるで、アンタはオレみたいだ」
地下で暴れまわる荒魂たちを不眠不休で半世紀以上も戦い、防ぐ酔狂な男に向かって、オレは言った。
愛した女を失い、それでも地上の人間どもの為に戦う、それだけは理解できなかったが……。
普段、無口な実篤という男は、現在地下の番人を自称し、永遠にも等しい時間を過ごすのだろう。滑稽だ。
だが、それでもオレは、彼に語り掛けたかった。
「オレはアンタみたいに無様な最期は遂げないだろうな」
挑発のつもりで、大柄な石像の背中に向かい言った。
肩越しに振り向いた実篤は、ただ、一言だけ「貴様の一族には昔、哀れな男がいた。秀馬といった。――あの時の目を小生は忘れない。今のお前とそっくりだ」
ただ、それだけの言葉をオレに残した。
――随分時間が経ってから、もう一度会いにこよう。
それから長い歳月を経て、オレは百鬼丸を殺すために、地下へおびき寄せた。この番人にオレの過去である百鬼丸を殺してもらうのだ。
……だが、上手くはいかなかった。
御門実篤という男は、百鬼丸の手によって葬られた。
どこか、その報告を聞きながら安堵した自分に気付いた時、オレは彼が半身のような存在なのだと気付かされた。
そうだ、オレはいつも失ってから大切なものに気付くんだ。
暗くなる視界、滑落する意識――。結局、オレはキャッチャーになることは出来なかった。
◇
馥郁たる緑の匂いが、鼻を打つ。
夕焼けの茜色に染まる空と、黄金色に実ったライ麦の畑が目前に拡がっていた。涼やかな風が頬を撫で行く。
腰まである麦の穂が秀光を囲む。
「ふふふ、なんだ。オレの方が子供か」
肩を竦め、秀光は自嘲する。
ふと、トントン、と肩を叩く気配に気づいた。
首を後ろに回すと、背丈の一回り低い麦わら帽子を被った人影が居た。
「――問題です、わたしは誰でしょうか?」
「………………」
その懐かしい声音を、秀光は知っていた。
「――――誰か、もう忘れた気もする」
震える声で、必死のジョークをかます。
「……ねぇ、知ってる? 子供たちが崖から落ちないように抱きしめる役目の人をなんて言うのか?」
「ああ、キャッチャーだ」
「正解」
「…………そうか、お前がなったのか。〝叶〟」
「うん、そうだよ。秀光おじさんが子供だからね――」
そういって、白く細い腕を差し出して、叶は顔を上げた。
夏のひまわりのような眩しい笑顔に、秀光はゆっくりとその手を取った……。
とじとも終わってしまった……悲しいですね。
朗読劇、楽しみですねー。