ちん、と小気味の良い金属音と共に――――、刀身が納刀された。
ふわっ、と宙を舞う撫子色の繊細な髪が蛍光灯の眩い光と重なり、鮮やかな桜色の影を地面に落とした。
「あはっ、よっわーい。こんだけ数がいてもぜーーーーんぶ雑魚じゃん。あ~あ、つまんない~!」
荒魂の残骸が駅のホームに散乱する中、場違いに甘ったるい声音で不平を鳴らす少女。浅縹色の瞳は、悪戯っぽく瞬き、首を巡らせ荒魂の姿を捜す。
元折神家親衛隊の第四席。
燕結芽は、猫のように気まぐれな態度で、退屈まぎれに青いマニキュアを塗った爪を眺める。
……その圧倒的な強さを目前にした幼い少女がひとり、駅ホームの床面にへたり込んだまま見上げていた。
年の頃は6歳前後だろうか?
泣きはらして腫れた瞼を上げ、しゃくりをあげる事も忘れて結芽の背中を見ている。
「すごいっ……」
思わず、幼い少女は感嘆を漏らした。
幼い少女は、突如として駅ホームに殺到してきた荒魂たちの大挙によって混乱した駅構内で母親とはぐれ、ひとり、彷徨っていた。
見知らぬ大人たちは自らの命を守るために、幼い少女など見えないフリをして逃げ惑っていた。大声で泣き叫んでも、誰も助けてくれなかった。
手を握った母の手を捜して少女は線路を歩きながら、泣いて息を切らして歩き続けた。
ついには、荒魂たちが押し寄せたホームまで戻ってきてしまった。
自らの数倍の体積を有する巨躯を揺する荒魂たちが、溶鉱炉のような橙色の輝きを湛え、無数に跋扈していた。
――――ここで死ぬのかな?
泣き続けた少女は、本能的に悟った。
まるで、神々しい輝きを放つ異形の怪物の集まりを眺めつつ、不意にそう思った。
幼い少女は、自らの短い命に決別をつけるように、恐怖を通り越した身体の硬直で線路に立ち止まり、次々と荒魂たちの異形な頭部がこちらを覗うのを感じた。
もう、誰も助けになど来ない。もう、ここで死んでしまうのだ。
命の危機を感じた体は、先程まで興奮で火照った頬から一気に温度が下がったように冷や汗が額から流れるのを感じた。
これが、最期に見る光景だろうか? 恐ろしい怪物たちが口腔を開く、この醜悪な光景が……。
――ひゅ、
と、不意に耳元を駆け抜ける一筋の軽やかな音色が聞こえた。
それは、笛の音色にも似て高く澄んだ音階だった。
「えっ?」
耳元を過ぎゆく風圧に、思わず口から驚きの声をあげた。
透明な外気の揺らぎの後に煌めく七色の輝きが視界の端から端を移動し、巨大な荒魂たちの群れへと流れてゆく。細い雷が迸るが如く、一筋の閃光のあと、首や胴を切断される荒魂たちが、次々と悲鳴を上げながら、地面に斃れ伏してゆく。
「なに?」
泣くこともわすれて、ただ、目の前で起こっている不可思議な現象を眺めるより他なかった。
幼い少女は、やがて知る。
細い雷だと勘違いしていた筋は、剣閃であるという事実に。
荒魂から比べれば余りに頼りない刀身のシルエットが地面に影を僅かに落とし、瞬く間に荒魂たちを屠り蹂躙してゆく。
その刀の持ち主が、華奢な人影であることにも同時に知った。
「あはっ、弱い、弱い、こんだけ居るならもっと楽しませてよぉ~」
駅構内に響き渡る、ひと際目立つ笑い声。
その人影は、地面に着地しながら舞い踊るようにステップを踏み、再び荒魂たちの繰り出す攻撃を躱し、敵の胴体を足場に利用して駆け上り、空中から斬撃を振り下ろした。
鮮やかな動きに、まるで、この目の前の現実が、舞台の一幕なのでは――? と、幼い少女は勘違いしたほどだった。
最後に残った荒魂にも容赦なく、華奢な人影は優雅に立ち回り、頭上へと剣尖を突き立てた。
『ギャアアアアアアアアアアア!!』
耳を劈くほどの悲鳴が鳴り響いたあと、その余韻のように不気味な沈黙が駅ホームを満たした。
Ⅰ
(……どうしよう?)
燕結芽は、頬を掻いて困っていた。
彼女は独断専行で、命令を無視して駅のホームまで来てしまっていた。
つい、十数分前。
押上駅に突如として荒魂が押し寄せている連絡が入った時、咄嗟に単独で出撃していた。
徒歩で地下坑道を歩いていた先遣隊の護衛をしておきながら、任務放棄であったのは百も承知だった。――しかし、悪いとは一切思わなかった。
インカムから伝えられた知らせでは、避難がまだ完了しておらず、逃げ遅れた人々の確認がとれてない。
幸いにも、護衛していた先遣隊は無事に目的地まで到着した頃だった。戻る道すがら、現場に急行する事も可能だった。――しかし、元折神家の親衛隊という肩書のために、結芽を含む三人には救援の命令は下されなかった。
『こんな数、普通の刀使だったら間違いなく終わりですわね』
ボソッと寿々花が呟いた。
全く同意だ、とでもいう風に硬い表情で頷く真希。
『――じゃあ、見捨てるの?』
結芽は、純粋な疑問を口にした。
『そうじゃない。……だが』
真希が反論しようとしたとき、結芽の表情を一瞥して苦笑いを漏らした。
『こんなに遊び相手がいるのに、我慢なんてできないよね?』
やれやれ、といった風に真希は頭を掻いて寿々花と顔を見合わせる。
『――まったく、命令無視のあとの言い訳は大変なんですのよ?』
ワイレンレッドの緩やかなウェーブを描く髪を、人差し指で弄びながら寿々花が微笑む。
それが合図だった。
気が付くと、バッ、と地面を蹴って結芽は飛び出していた。
……結果として一人の少女の命を救うことができた。それは良い。問題は――。
(わたし、泣いてる小さい子と遊んだことないよぉ~)
内心で結芽は頭を抱えてしまった。
荒魂たちを討伐したあと、自らの背中を凝視する幼い少女の視線を感じながら、どう接すれば良いか思案していた。
ねぇ、お菓子たべる?
何かゲームでもする?
…………どれも、この場で和ませるに足りるような提案ではない気がした。
「…………」
「…………」
ふたりの少女は、奇妙な沈黙の中にいた。
結芽は猫目のような浅縹色の瞳をチラチラと動かして、幼い少女を確認する。
地面にへたり込んだままの少女は、茫然としながら結芽の背中を凝視したままだ。
(気まずいけど――)
意を決した結芽は踵を返して背後を振り向く。
「――ね、ねぇ」
上擦った声と引き攣った笑顔で結芽は舌を縺れさせる。
「はっ、はいっ!?」
幼い少女は身を竦ませて返事をする。すっかり怯えきっているようだった。
(どうしよう……こんな時、真希おねーさんだったら? 寿々花おねーさんだったら?)
しかし、どちらも参考にはならなそうだ、と咄嗟に判断した。そしてもう一人だけ、思い当たる人物の横顔が脳裏に浮かぶ。
(――百鬼丸おにーさんなら)
自然と口元が綻び微笑を浮かべる。
「ねぇ、立てる?」
そう言って、結芽は手を差し伸べる。
あの日、舞草の拠点を襲撃した時には恐ろしかった少年が、一転して命を救ってくれたときに差し伸べてくれた表情と声音を思い出して。
大丈夫だよって、教えてあげるために手を指し伸ばす。
「う、うん……」
怯えてはいるものの、幼い少女は頷いて結芽の手を握った。極度の緊張で冷たくなった指先の温度を感じながら、結芽は初めて自らよりも幼い命を救った事実を実感した。
「ね、ねえ!」幼い少女は泣きはらした顔を上げて、結芽を正視する。
「なに?」
気まずそうに返事をした。
「ありがとう! おねーちゃん!」
精一杯の大きな声で幼い少女が感謝を伝えた。その純粋で曇りのない眼差しが、結芽を射抜いた。
「おねーちゃん、すっっごくカッコよかったよ!」
興奮気味に語る少女は、とても眩しかった。
「えっ?」
思わず、結芽は聞き返した。
「だからね、おねーちゃんありがとう!」
おねーちゃん、というのはわたし(結芽)の事だろうか? 一瞬だけ思考が停止した。その後にくる、不思議なむず痒さに結芽は視線を彷徨わせながら、俯いた。
「べっ、別に――ただ荒魂を斃したかっただけだから!」
紅潮する自らの頬の温度を、結芽は確かに感じながら口をもにゅもにゅとさせる。
――――わたしの凄いところ、魅せてあげる!
つい前までなら自分勝手に戦って、『誰か』の記憶に残るように剣を振っていただろう。
それが、自己中心的な行動だと理解していても、命の短さを感じて追い立てられた、一種の足掻きだったかもしれない。……あの時の自分を否定するつもりはない。
……だけど、こうやって目の前の助けた少女に感謝をされる。それが溜まらず、嬉しかった。
「おねーちゃん、名前なんていうの?」
幼い少女がたずねた。
「わたし? 燕結芽……一番つよい刀使だから!」
結芽は思わず名乗ってから頭を上げて、恥ずかしさを隠すように胸を張った。
しかし、幼い少女は憧憬の眼差しでキラキラとした瞳で結芽を見上げる。
「うん、結芽おねーちゃん、すっごくカッコよくて綺麗だったよ!」
「えっ? 綺麗? かっこいい?」
可愛らしい、と形容される事が多い結芽だったが、初めて褒められる言葉の数々に、ドギマギしてしまった。
「あのね、あのね、わたしもいつかね、結芽おねーちゃんみたいにね、カッコいい刀使になりたい!」
小さな拳を必死に握って熱烈に結芽に語り掛ける少女。
この、自分よりも小さな子供が――わたしに憧れている?
――あの狭い病室で、ただ死が訪れることを待つ絶望の日々からは想像もつかなかった事だった。
これまでは、ただ戦うことが楽しくて、周りが見えなかった。
それでもいいと思っていた。
大人たちは、何だかんだと言って説教してきたけど、それも面倒で真面目に聞いてこなかった。――だって、わたしは最強だからどうでもいい。
――結芽をしっかりと認めてくれる人は必ず現れる筈だ
不意を衝いて、少年の……百鬼丸の言葉が甦る。トクン、と心臓が跳ね上がった気がした。いつ、言われたのかも覚えてはない。けれれども、何気ない言葉から人を想う気持ちが感じられた。
(百鬼丸おにーさんって、どうしてわたしの事解るのかな?)
気を抜いたら泣きそうになった結芽は、深呼吸を一つして、幼い少女の頭に手を乗せる。
「だったら、たっっっくさん、剣の練習しないと! ま、わたしは最強だから関係ないけど!」不遜な口調で言ってから、思わず笑みがこぼれた。
「すっごいね、結芽おねーちゃん!」
その純真な顔は、かつて病を患う前の自身(結芽)の幼き面影と重なった。
一瞬、大きく目を瞠った結芽だったが、大人びた微笑みを浮かべて頷く。
「はやく皆の所に戻ろっか?」
繋いだ手を再び強く握って、幼い少女を促す。
「うん!」
「怪我とかないよね?」
「うん! 平気だよ結芽おねーちゃん!」
おねーちゃん呼びが嬉しくて、結芽は緩みそうな頬を必死に堪えて手を繋いで線路を歩き出した。闇が深部まで続いているものの、怖くはなかった。
この娘はわたしが守るから全然怖くない。
そんな不思議な気持ちが結芽の胸に溢れて、これまで味わったことのない幸せな感情で一杯だった。
つばくろーの一つの成長の過程とか楽しそう? という浅はかな考えですが、こんな未来もあればいいなーという妄想。