刀使ト修羅   作:ひのきの棒

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第238話

赤く巨大な満月が中空に掛かっている……。

冬の時季だというのにも関わらず、まして高層ビルの屋上だと不思議と寒さは感じられない。

 

 紡錘形の頭部の先端から眩い一筋の光が天空へと接続されている……。

 体が薄く発光したタギツヒメは、「現世」と「隠世」の二つを融合させようとしていた――今の彼女は、見方によっては荘厳と形容できたであろう。

 だが、いま宿願が達成されようという段になっても、女神の顔に喜びはない。

 それに周囲を守った近衛隊の姿はなく、タギツヒメはひとり、『隠世』が浸食する天空を一瞥する。この段階において、もはや近衛隊の役割も終えている。彼女たちは屋上に侵入者を入れないための布石ともいえた。――……ただ、一人「百鬼丸」という少年の存在において有用な布石だ。

 ふと、女神は背後に忍び寄る二つの気配を察知した……。

「何用か――」タギツヒメは誰何した。

 その気配からも既に、二つの人影の正体を看過している。……だが敢えて名前を言わなかったのは茶番のためだった。彼女の望む世界崩壊の前の小さな余興。その程度の認識だった。

 

 背後に立つ人物は立ち止まって剣を正眼に構え、

「――返してもらうよ、小烏丸」芯の通った声で告げる。

 ……声の主、可奈美は緊張で高鳴る心臓の鼓動を敢えて無視する。――平常心。圧倒的な敵を前にしても、剣術の基礎である「冷静であること」を意識する。

 それでも。

 失った姫和の面影が唐突に脳裏に浮かび、チクリと胸が痛む。――だが形見となる御刀だけは取り返す。切なる願いを支えに、可奈美は冷水のように冴えた気持ちで、タギツヒメを見据える。

 最新式のS装備を身に纏った少女は、栗色の髪を吹き荒れる風に任せて大きく目を開いた。

 

 ――この世の終焉

 

 それを具現化するように、真紅の満月が昇った空と『隠世』の異空間が雲間から確認できた。

 「……なんて事だ」

 可奈美の隣に立つ女性――折神紫は、改めて世界が崩壊する光景を目の当たりにして眉を顰める。ある意味では、この原因の一端を担った己に対する叱責も混ざったような呟き。

 紫の携える二振りの御刀が、決着をつける為に臨戦態勢に構えをとる。

 新旧最強の刀使がいま、世界に破滅を齎そうとする女神と対峙している。

 激しいビル風は異常現象によって止み、遮る物が一切ない視界の中、二人と一柱の視線が交錯する。

 

 

 ◇

 その頃、自衛隊が揃えた03式中距離地対空誘導弾のミサイルが白い噴射煙を巻き上げながら『隠世』へと撃たれた。――……しかし、数発のミサイルも、水面に沈み込むように忽然と姿を消した。……まるで異世界に呑み込まれたように。

 異常な事態を前に、攻撃を行った自衛隊隊員たちは固唾を呑んで見上げる。

『人間がこの現象に立ち向かう方法はない』

 誰も言わないが、誰もが思ったこと。

 もはや、通常兵器による攻撃などでは対処の仕方がない。厳然たる事実が人々に突き付けられた。――絶望というよりも、観念したような気分が攻撃部隊の人々に伝播する。

 世界崩壊のタイムリミットはもうすぐだろう。

 まるで、砂の器に水を注ぐように無意味だと知っていても、自衛隊員たちに課せられた任務は「攻撃命令」を忠実に守ること。

 彼らは、次弾装填のため黙々と作業を始める。……どれだけ無意味だと思っても、最期まで足掻くことを辞めない。

 それだけが彼らに残された矜持だった。

 

 

 Ⅰ

 「はぁ……はぁ……ッ、最悪だなオイ」

 微かに口端を歪めて、自嘲気味に首を横に振る百鬼丸。

 血の染みついたスカーフ布の奥には、鈍痛と激痛が交互に波のように押し寄せる。

 長い廊下を歩き終え、屋上に通じる階段を見上げると、非常灯の明かりに照らし出された人影……冥加刀使と化した綾小路の少女たちが、百鬼丸の行方を塞ぐように立っていた。

 (厄介だな)

 思わず、内心で吐き捨てた。

 無銘刀の餌食にするのはタギツヒメ以外に居ない。

 彼女たちを、この刃の下に斬り伏せる選択肢など――ない。

 ……だが、百鬼丸は知らない。可奈美と紫が屋上まで駆けのぼった非常階段がある事に。肉眼さえあれば、順路が書かれた案内標識を発見できただろう。

 しかも非常階段側に配置された冥加刀使たちは可奈美たちによって斃されている。

 だが、今の百鬼丸には人やモノの大まかな位置までは把握できても、外界を正確に認識するだけの能力はなかった。

 ゆえに、タギツヒメの最短ルートである階段の踊り場へとたどり着いてしまった。

(参ったね)

 頭をポリポリと掻いて深く溜息をつく。

 顎を上げて少女たちの方角を向いた。

 だが幸いなことに、その順路標識の存在を知らなかったことが、彼にとってはある意味救いだった。

 

 ――人は、〝知らなければ〟不幸を感じることがないのだから。

 

 「さて、どうするかな?」

 困ったように苦笑いして、百鬼丸は考える。

 彼女たちが自分を普通に通してくれる筈がない。

 ……だが、大丈夫だ――。

 百鬼丸は内心で己を奮い立たせる。

 これまで背負ってきたものと、これから背負うもの。彼がこれまで辿ってきた困難な道に比べれば、これほどの事は問題ではない。

 胸を軽く右手で叩き、

(――いけるよな、おれたち)

 友に語りかけるように、この肉体を構成する者たちに語り掛ける。この体はもう、一人だけのモノじゃない。

 どれだけ歪な経緯を辿ろうとも、今、この瞬間、立っている「百鬼丸」という少年は間違いなく存在しており、これから起こる悲しみの連鎖を断ち切るのだ。

「止まれないからさ、悪いけどそこ通らせてもらうよ」

 両足を軽く屈めて加速装置を起動する。

 

 

「ここは……?」

 私が目覚めると、誰かの手が握られていました。

 霞む視界から手の方へ意識を向けると「あの方」――いいえ、高津学長が私の顔を窺っていました。とても憔悴しきった表情で。

「お、おきたのか――夜見」

 小さな光が灯されたように雪那の瞳に生気が戻る。

「どうして高津学長が私の手を?」

 それに、私はノロを体内へ多量に摂取しています。……死んでいるか、荒魂化してもおかしくない状況のはずですが……。

 

 

 まだ判然としない意識の中、夜見は痛む上半身を起こし、自分が大きなベッドに寝かされている事に気付いた。

 それから、頭部の違和感……額から生えた角に触れる。

 (やはり、荒魂化しているのですね)

 夜見は悟った。二度と元の体に戻れないことを。

 だが、それにしても違和感が残る。なぜ、まだこうして理性を保っていられるのか? しかも、荒魂に呑み込まれるような独特の感覚が無い。

 静かに混乱している夜見を眺めた雪那は、

 「あなたは暫く大丈夫よ…………あの子がどうにかしてくれたんですもの」

 あの子、と雪那の口走った言葉に違和感を覚えながらも、夜見は「はい」と黙って頷いた。

 それから、夜見は次第に思考力が回復するにつれて、先程まで百鬼丸が居たことに気が付いた。混濁した意識の中でも彼の声だけは明確に聞き取れた。

 「あの方……百鬼丸さんは」

 首を巡らし、少年の姿を捜してみた。だが、真っ暗な寝室には夜見と雪那の姿のみだった。

 

 その時だった。

 夜見の手を握る雪那の手が微かに震えた。

 「……私は愚かだったわ。どうして――どうして、私があの子の代わりに何もかも不運を受けてやれないのか――……悔しいの」

 誰に言うでもなく、雪那は涙痕の残る頬に、窓から射し込む月光に照らされた孤独な表情を浮かべた。

 「私がこれまでしてきた事の報いは全て受け入れるわ。……それでも、あの子だけは救ってあげてほしい。それだけなの……ずっと、私が捜していた私の掛け替えのない子が、どうして……もう自分の馬鹿さが嫌になるわ。……いつも、大切なものって失ってから気付く事があるって誰かに忠告されたのに――――どうしても気付けずにいた。それでも」

 言いながら顔を上げ、夜見を真正面から向き合う。

 「あなただけは、なんとか失う前に見つけることができたわ。あの子が残してくれた……大切なもの」

 絆。

 どれだけ歪な関係だったとしても、雪那と夜見は、その歪な関係の細い「絆」という細い糸よって繋がっていた。

 「だけど……ごめんなさい。今だけは、あの子がここに居てくれたら――そう思わずには居られないの」

 体全体が小刻みに震えて、嗚咽が口から洩れる。

 「……高津学長」

 彼女の話は、脈略がなく理解しがたい。それでも、恐らく百鬼丸が雪那にとって大切な存在だったのだろう――そう推論した夜見は、雪那の握った手をゆっくり解き、

 「……高津学長、私も一緒に貴女の罪を背負います。だから…………泣かないで下さい」

 荒魂化した右腕と怪我だらけの左腕を大きく開いて雪那を抱きしめる。

 夜見は初めて、忠義からではなく、これが本音だと自身でも解る確かな声音で囁いた。

 「――夜見」

 泣きはらして赤くなった目で、夜見の手を強く握る。

 何度も手放してきた人との絆と縁を…………雪那は、もう一度だけ握ることができた。

 

 

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