刀使ト修羅   作:ひのきの棒

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第247話

ぴちょん、ぴちょん、

……水滴の落ちる音が聞こえた。

すぐに水面に波紋の拡がるイメージが頭に浮かぶ。

 

少年は義眼の片目を開く。視界はボヤけているが、物理的な外界の認識を行う事が可能となった。

だが、

(――妙だ)

と、百鬼丸は思った。

音も、感触も、匂いも、血の味も、視界も全てが消えてゆく気がした。

頭の中が冷たく冴える――。

(また、この感覚だ)

危機に瀕した際に必ず、冷静になる感覚。

……知っている、いや、知り過ぎている程に知っていた。

 

……だが、なぜ今?

少年は訝る。

すでに勝ち筋は潰されており、最早、死ぬこと以外に選択肢の無き状態で「覚醒」したのか?

 

 

『オマエガ、弱イ、カラダ……』

たどたどしい口調で、囁く低い声。

 

――――黒い獣の姿が、少年の背後に忍び寄り憎悪の強い声音で言う。

『オマエハ、ナニモ、守レナイ。弱イカラダ』

(――おれは、弱い)

タギツヒメの近寄る足音を聞きながら、茫然と狂暴な本能の言葉に耳を傾ける。

『オマエハ、コレマデ、ナニモ、守ラナカッタ、ヨワイ、ヨワイ、存在ダ』

涎を含んだ囁きに、狂暴な本性の暴発を感じ取った――。

(こいつに身を任せるか?)

そうすれば、或いは勝つ未来が見えるのかも知れない。

右手に握った《無銘刀》の等身から放たれる真紅の光が、尚も強まる。

――……動くならば今だ。

百鬼丸は、無意識に口端を曲げ鋭く尖った歯を剥き出しにする。

 上唇に伝う血液が口腔に流れこむ。 

 金臭い味が、一気に舌先を伝い味覚を刺激した。

 ククク、と喉を震わす笑い声が少年の口から洩れる。久々の血の味だ。

 ――……己の獣性に身を任せよう

 半眼になった百鬼丸の義眼は、暗く濁る。

 もう、勝つ以外に己の存在意義はないのだ――。恰好をつけていれば世界は破滅する。

 

 

 ぴちょん、ぴちょん、

……水滴の落ちる音が聞こえた。

すぐに水面に波紋の拡がるイメージが頭に浮かぶ。

 

 

 『お前、成長したな。背丈も伸びて…………、お前の姿を見れてよかったよ!』

 

 幻夢刀の――たとえ、空想の世界だとしても、義父の善海が最後にかけた言葉。

 不意に、百鬼丸は大切な一言を思い返す。

 急速に理性が獣性を抑え、昂る気分が落ち着く。

 (おれの姿は……たとえ醜くても、とおさんは許してくれるだろうけど、違うよな)

 ガリッ、と刀を杖代わりに地面に突き刺して立ち上がる。

 白と黒の綯交ぜになった前髪をかき上げ、痛む全身を何度も叱咤する。肋骨は大分ヘシ折れているだろう。臓物も無事かどうか分からない。

 脳みそからアドレナリンが溢れて痛みが沈静しているだけかも知れない。

 理由なぞ、どうでもいい。

 

 

――……百鬼丸さん、剣を持つ時はね? 無心になるつもりで握ること。そうすれば、どんな時でも対応ができるんだ。ね、やってみて?

 

 

 無心。

 (……――そうだな)

 息を抜いて肩を落としてゆく。

 体から湯気が出る。鼻を抜ける金臭い血の匂いと、崩落したコンクリートの塵が鼻を刺激した。

 たとえ、どんな未来予知の能力があろうとも、百鬼丸自身が次の行動を知らなければ、気楽でいい。

……――どうせ、クソッたれな運命は〝神のみぞ知る〟だろ?

百鬼丸は意地悪くほくそ笑み、タギツヒメを見据える。

 

 

 

 この男の気配が変わった――?

 タギツヒメは、軽い興味を惹かれた。

 先程までは手負いの獣という程度の認識だったのが、いつの間にか、たった数十秒の間に変わった。

 (出来損ない風情が小癪な)

 更に冷徹な目で百鬼丸を睨む。

 タギツヒメは、未来予知の能力を発動させたまま、百鬼丸の攻撃を予期する。

 ……しかし、たった3パターンしか浮かばず、それ以上に意味はなかった。

 どの攻撃も同確率で、一つに絞ることができない。

 「ふむ?」

 初めて、タギツヒメは首を傾げた。

 

 百鬼丸は飛び出した。

 自分が風の中の一つになるように、炎の中の一つのように、光の粒の一つのように、突き進む。 

 やや下段に構えた剣を双つ、構えたタギツヒメはすでに未来予知の能力で攻撃を見切っている。

 だが、躊躇なく向かってくる少年の行動が……理解できなかった。

 

 百鬼丸は目を瞑ったまま、大宇宙の中に放り投げられたような気分でいた。

 《心眼》でみる世界は、常に孤独であった。

 ―――――。

 ――――――――。

 ―――――。

 目前には、女神、タギツヒメが待ち構えている。

 彼女からは幾つもの細い光の筋が伸びている。

 ほど良い緊張感が筋肉繊維の一本、一本に漲った。

 

 天空から舞い降りる黒い灰がチラと鼻先を掠める。構わず突き進み耳元を過ぎる笛の音色に似た風音が速度を増す。

 

「くたばれぇ!!」

後ろ足を伸ばして、体を更に前進させた。一度は防がれた抜刀術の一撃を再び浴びせるため、半身で刀身を覆い隠す。

 

 

興覚めした表情で、

「――馬鹿正直に貴様の攻撃なぞ受ける必要もない」

 嘲笑うように告げるタギツヒメ。

 

 

 女神は、少年の渾身の一撃から遁れるように隠世へと潜る《迅移》を発動。現世からの攻撃を軽くいなすように移動し、あとは背後からでも反撃の刃を喰らわせば良い。

 …………そう、判断した。

 

 

 

『おめぇも、性格わるいなァ……だから最高なんだよォ!!』

 背後からの声。

「!?」

 タギツヒメは、咄嗟に双つの刃を重ねて防御の姿勢をとる。

 迅移で加速した世界に、『隠世』という別次元の空間に突如現れた少年――百鬼丸。彼は御刀を持っていない筈だった。だのに、何故?

 

「お前があのまま、おれの一撃を受けていればお前は負けなかったんだよォ!」

 ニタニタと狂暴な笑みを浮かべて、右足を高く上げて踵落としを繰り出した。重い鉈を振り下ろすように、刃の隙を縫ってタギツヒメの頭上に激しい衝撃が加わる。

 

「……ッ!?」

 重い一撃をうけた女神は、あろうことか、踵落としに弾かれた体が現世へと引き戻された。

 高層ビルの屋上で無残に地面に転がった女神はすぐさま立ち上がり、

「貴様、一体何をした!?」

 動揺を抑えることができず、はじめて感情を発露させた様子でタギツヒメが叫ぶ。

 《迅移》を駆使した百鬼丸は、悠然と女神の真正面へと姿を現す。

 「お前は、隠世に潜った時点で未来予知の能力の使用をやめた。だから……この二振りの刀の存在を忘れてたんだよ」

 そう言って、百鬼丸は両手に握った刀を背後の紅月と重なるように頭上高く掲げた。

 

 

 タギツヒメは目を細める。

 それは、紛れもない《無銘刀》だった――しかし、百鬼丸が先程使っていた武器とは違う。

「貴様、それは――」大きく目を瞠った。

 明らかに動揺が頂点に達している。

 

「……そーだよォ、お前の読み通りだ。ステインが持ってたんだろ、この武器。地面に落ちてたのを拝借して使ったんだ。……この刀は、赤羽刀で――轆轤家の刀使だった人たちの血肉が混ざった……腐った刀だよな。だからおれは、この刀の力を100パーセント引き出すことができた。それだけだ!!」

 

 

 百鬼丸は宿敵ステインと、己の呪われた出自の元凶である轆轤家の刀に、結果的に救われるハメになった。

 全ての因果が、まさにこの時のために収束するように手元に収まっている気がした。

 (これまでの腐った運命が味方になるなんてな)

 自嘲気味に鼻を鳴らす。

 

 タギツヒメは尚も、現実を受け止めきれずにいた。

 ――――。

 ―――――――。

 ――――。

 

 百鬼丸は、すかさず《迅移》を発動し相手との距離を詰める。

 「――――っ」

 タギツヒメは、頭を上げて覆いかぶさる人影に頭をあげた。

 電光石火の勢いで迷いなく、トドメを刺すために双つの無銘刀を振り上げ、女神の両肩を串刺しにする。

 杭を打ち込まれたように地面に刀身が肩を貫く。

 見事な手際にタギツヒメは思わず、目前の少年に感嘆した。――そして、

(我はどこで間違えたのだ)

 今、まさに腰に佩いた剣を抜刀しようとする少年を眺める。

 

 「――――すべて終わらせる筈だった」

 タギツヒメは、ポツリと呟く。

 「…………そんなことさせねーよ」

 言いながら素早く腕を振り抜き、タギツヒメの頭上に繋がる橙色の光線を断ち切った。

 隠世との接続が寸断された。

 世界の終焉を迎える筈だった、その唯一の手段が今、消えた。

 

 返す刀でタギツヒメの首元に刃を翳す。

 「どうした、はやく斬らぬのか?」

 まるで、斬り刻んでほしいとでも言いたげな口調で、挑発する女神。

 

 

 「殺す、か。……――お前の最期の狙いはそれだな? おれがこのままお前をブチ殺せば、お前の四散したノロの影響で再び隠世に繋げて世界を終焉に導く。そんな算段でもしてるんだろ?」

  諦めきったように、タギツヒメの橙色の瞳が瞬く。

 「そこまで読んでおったか……心眼の力、か」

 「ああ」

 「――ではどうする? 貴様の宿願である我の討伐は叶わず、しかも世界の崩壊の時間が多少延びただけ。どうする?」

 

 

 

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