タギツヒメが、世界終焉の祭儀を行う高層ビルの下階に位置するオフィス。
このフロアも全て電源が落ちており、真っ暗な中ではあるものの、幸いにも大規模な崩落はない。
……いや、窓の外から射し込む隠世の莫大なエネルギーを反映した橙色の斜光がフロアにも流れて視界の確保に繋がっていた。
このフロアも平時は、仕事に使われていたであろう机や椅子などが整然と並ぶ。
それらを横目にしながら十条姫和は、小さな吐息と共にフローリングに腰を落ち着ける。
「大丈夫……? 姫和ちゃん?」
心配そうに瞳を覗き込む可奈美。
『おい、エターナル。手を挙げろ』
可奈美のさらに背後から、薫の声が聞こえた。言われた通り左手を上げると掌に硬い感触があった。
闇に慣れた目で姫和は、掌のモノをみる。
「これは?」
「チョコミントクッキー」
姫和に近寄った沙耶香が言った。
「薫ちゃん、姫和ちゃんのために?」弾んだ声で可奈美が訊ねる。
「――用意していたワケじゃないぞ。そこから失敬してきたんだ」
そう言って薫は親指を背後に向けた。
指の方向に目線を向けると、プラスチック製の引き出しのボックスがある。
「オフィスの置き菓子?」
舞衣が首を傾げた。
気まずそうに可奈美が、「でも失敬って……」と、薫を見上げた。
「緊急事態なんだ、すこしくらい大目にみてくれるだろ――」
「……泥棒は良くない」沙耶香がすかさず反駁した。
「――……っ、」
痛い所を衝かれたように薫は渋い顔をした。
そんな二人のやりとりに舞衣は「ふふふっ」と思わず微笑む。
「はぁ、ちょっと待っていろ――」
腕を組み、彼女たちのやり取りを眺めていた折神紫は、ボックスの近くに一筆したためた。
曰く、『後日請求は折神家にするように』と。
実際問題、ここまで激しい戦いを潜り抜けた彼女たちには、休息と糖分の補給が必要だと判断したためである。
◇
休憩の終わった一行は、携帯端末で本部との連絡を繋ぐ。
天空から不気味な模様に似た隠世の光と輪郭が、次第に地上へと迫りつつある。
「――あれが落ちてきたらどうなるんですか?」
窓際に立って空を見上げる可奈美は、静かに訊ねた。
『さぁな』
スピーカーの向こう、刀使を指揮する本部の真庭紗南は一言返事をした。
「さぁな、って」
呆れたように薫が言う。
『――そう責めないでほしい』
年老いた男性の声が、スピーカーから聞こえた。
「グランパ!?」
思わず、エレンが驚愕に叫ぶ。
エレンの祖父、米国の研究者、リチャード・フリードマンが質問を引き継ぐように答える。
『君たちには申し訳ないがあらゆる手段を用いても、あの空の向こう側がどうなっているのか分からないんだ。どんな周波数の音波や電波などを用いてもね。まぁ、あらゆる方法を試みても分からないという事から、一つの結論は分かっているけどね』
「なんデスか、その結論ハ?」
食い気味にエレンが訊ねる。
『あれは、現世と隠世の境界だ』
「「――っ!?」」
一同は、その答えに絶句した。そして、窓一枚を隔てた向こうに拡がる不気味な天空の正体に意識を向ける。
「……では、あの正体は」姫和は息を呑む。
『――隠世だ。タギツヒメの目的は隠世を現世にぶつけることで、境界を取り払うこだ。例えるなら、僕らの世界が角砂糖で、隠世は荒れ狂う海さ。――その先の世界は、きっと僕らの物理法則など役に立たない。時間も空間も不確かな世界が訪れる。まさにこの世の終わりだ』
衝撃の事実に、一瞬、スピーカーの向こう側もオフィスに居る刀使の全員も無言になった。
あまりに大きすぎる現象と、世界の終焉の実像に想像の埒外から殴られたようだった。
重苦しい沈黙。
きっと、その事実に真っ先に辿り着いたフリードマンですらも、どう言って良いのか分からないだろう。
「――んじゃまあ、斬るしかないよな」
沈黙を破ったのは、薫だった。
「薫らしいシンプルな答えデス。でも、嫌いじゃナイですヨ?」
隣に立つエレンが口元を綻ばせる。
薫の言葉を受けた沙耶香も小さく頷いた。
「……最初からそのつもり」
「そうだね」舞衣も同意する。
「時間がない」
姫和は左隣の可奈美と目を合わせる。
「うん」力強く、可奈美も首肯した。
「――お前たち」
紫は目前の少女たちの決断に、あの日の光景を重ねていた――20年前。江ノ島での大厄災に赴いた当時の刀使たちの姿を。
携帯端末のスピーカーからフリードマンが、
『――忘れないでくれ。現場に居ないとはいえ、今そこに居る君たちのことを知る僕たち全ての人間が君たちと居るという事を――こと、ここに至っては、気をつけろとは言わない。だが、家に帰るまでが遠足だということを覚えていてほしい』
祖父の励ましに、エレンは「グランパ」と感激した。
エレン以外の少女たちも皆、家族や友人、親しかった人々のことを思い浮かべる。
家に必ず帰ってこい――、フリードマンのかけた強い思いが感じられた。
刀使、六人の少女たちは屋上階に繋がる階段を見上げた。暗闇の蟠った空間には不気味なまでの静けさが落ちていた。
「……」
沙耶香は紫紺の瞳を瞬き、隣の舞衣と顔を合わせる。
頷きあい、真っ先に飛び出した。いまの彼女たちに言葉はいらない。
それに続いて、舞衣も後を追う。
◇
通信を終えてから、鎌倉の本部の指令室に詰めていた真庭紗南と美濃関の学長、羽島江麻は沈痛な面持ちで真っ暗な端末画面を見ていた。
「辛いものね、送り出す側というのは」
江麻は疲れたように息を漏らす。
「ええ、けど、きっとあの娘たちはそう思っていないでしょう。……20年前の私たちのように」
紗南は当時を反芻する。
かの大厄災において、最も危険な領域まで進んでいった当時の自分たち――その光景を思い返して、可奈美たち六人の心情を察する。
大人はただ送り出すことしか出来なかった。……――今は自分たちがその「大人」の側に立った。
もう、してあげられることは何もない。
けれども、無事に帰ってきて欲しい――その願いはフリードマンと同じだ。
「帰ってくる場所を守るのが私たちの役割だから」
紗南は、困難に立ち向かう少女たちの居場所を守れる最善を尽くすために、自分たちの戦いをしよう。そう誓った。
◇
「姫和ちゃん」
階段の前で、可奈美と姫和は上を見上げる。
「ああ、行こう。全てを終わらせるために」
可奈美の右手が姫和の左手を優しく握る。
「――そして、皆で帰ってくるために、ね?」
明るい笑顔で可奈美は笑いかける。
向日葵の咲いたような笑顔に、姫和も思わず微笑する。
「ああ、そうだな」
姫和は、己を助け出してくれた少女の言葉に勇気づけられた。
――……帰る、その居場所に可奈美たちは居てくれるだろう。だから自己犠牲ではなく、皆で帰る――そう決意を固めた。
Ⅱ
益子薫は、己の目を疑った。
屋上にはタギツヒメが居た「はず」だった。
――だのに、最早女神の姿はない。
「おい、どういう事だよ、これ……」
そう言ってから自分の声が震えている事に気が付いた。
『……どうしたの、薫ちゃん?』
最後尾の可奈美たちが到着した。
可奈美たちの気配を感じた薫が肩越しに、皮肉っぽい笑みを零す。
「ワケがわからねーよ!! なんだよ、これ」
現実を受け止めきれない、そう言いたげに首を振る。
その隣――――、糸見沙耶香も同様に真正面に佇む人物に釘付けになっていた。
「……どうして、そこに居るの? なんで、そんな姿になっているの? 〝百鬼丸〟?」
震える唇から、目前に佇む人影へ……――よく見知った人物に声をかける。
ようやく到着した可奈美と姫和は、仲間たちの間を縫って前に出る。
屋上のヘリポートの真中で、孤独に佇み、天空を見上げる真っ白に発光する長髪の少年――まごう事なき、見知った少年……百鬼丸の姿を認めた。
「……なに、してるの?」
可奈美も息が詰まるような錯覚がした。
嫌な想像が頭の中を駆け巡る。
だが、その不吉な妄想を追い払おうと、強張った顔を必死に緩めて笑いかけようとした。
……だが。
百鬼丸は、天空から目線を少女たちの方へとむけた。
「ああ、遅かったな。全部、全部終わったよ――」
どこまでも優しい声音で、百鬼丸は微笑を浮かべる。
「おい、百鬼丸!! お前、なんだその姿は!?」
可奈美の隣から抜け出すように、一歩踏み出した姫和が激情を剥き出しにして怒鳴る。
一瞬、キョトン、とした表情をした百鬼丸は、「ああ」と何かを納得したように頷く。
「ごめんな、タギツヒメはもうおれが倒したんだ。――それで」
「それで、お前が取り込んだのかッ!!」
姫和は、心臓の音が煩いくらいに鳴り響くのを自覚しながら更に声を荒らげる。
獰猛な皺を眉間に刻んだ姫和を見返しながら、優しく、どこまでも慈愛に満ちた瞳で首肯する百鬼丸。
「ああ、そうだ。……――だから、さ。お願いがあるんだ」
不快な直感が、可奈美の頭の中に泡のように浮かぶ。
(いやだ、聞きたくない)
無意識に可奈美は頭を振っていた。
『なぁ、頼む――お前たちでおれをブチ殺してくれ。それで、世界を救うんだ。今のおれだと、タギツヒメの影響で反撃しちまうけど、許してな。でもお前たちの連携ならきっとおれを殺せる』
「ふざけるんじゃね!! お前はオレたちを舐めてるのか!?」
淡々と事務的な口調で告げる百鬼丸の言葉を遮り、薫が少年を睨む。
困ったように首を傾げながら百鬼丸は肩を竦める。
「頼む、世界がもうすぐ終わっちまう。だからその前に大事な人たちを救って欲しいんだ。――世界を救って、英雄になってくれ」
ラスボスは主人公。可奈美たちが討伐するのは、コイツ。