……静かに、かつ、青い炎が燃えるように可奈美の瞳が百鬼丸を真正面から見据える。
「私と剣を交えて何も感じなかった?」優しい口調。その内に秘められた厳しい思い。
「……――。」
「答えられないの?」
作り物の穏やかな表情が不気味に微笑む。
「剣ってね、正直なんだよ。鍛錬を積めば積むほど、全然自分が未熟なんだって思い知るの。それで、奥が深くてもっと、もっと知りたいと思う。剣を通して、相手の殺気も迷いも、何もかもが分かり合える。私はそう信じてる。百鬼丸は違ったのかな?」
いつの間にか呼び捨てにされていた。……それほどまでに、可奈美を怒らせていたらしい。
新雪のような――透き通った白い髪が一束、鼻筋にかかった。
「だったら……可奈美。おれを破門にでもするか?」
肩を竦め、おどけた調子で尋ねた。
(もともと、おれと可奈美は本当の師弟関係じゃない。所詮……おれがやってたのはお遊びだ)
そうだ、と自らを納得させるように百鬼丸は一人で頷く。
(幼時からおれは強かった。生きるため、信念を貫き通すため、おれは刃を振るい敵を屠ってきた。……だから誰かに剣を教わるまでもなく、おれは強かった)
『ねぇ、今楽しいでしょ?』
木刀を小気味いい音を鳴らし、可奈美が心の底から笑顔で言った。
早朝。舞草の里で行われた剣の鍛錬。
可奈美の習慣に付き合い、百鬼丸も彼女と剣を合わせていた。
まだ、朝靄が低く地面に低回する中、カン、カン、と木刀の芯から響く音だけが二人の呼気と混ざった。
「――ああ、楽しいな」
百鬼丸は無意識に、琥珀色の美しい少女の瞳に頷き返していた。
これまで、何もかもを奪うような戦い方をしてきた百鬼丸にとって、初めての経験だった。
己を高める技術のやり取り。
幾重にも浮かぶ剣筋を予測し、予測回避し、隙を狙い一撃を打ち込む。
これの繰り返しの筈だった――本当の戦闘と異なり、命を奪うことのない、生温いお遊びだと思っていた――それなのに、心底楽しい。
多彩な技を操り、心の内を見透かしたように、可奈美が仕掛ける剣技の数々を生来の勘を頼りに凌ぐ。
『うん、私も――百鬼丸さんと剣を重ねるのが楽しいよ』
……ずっと、こうしていたい。
無意識に百鬼丸は口走りそうになった。
無論、そんな事は不可能だ。体力にも気力にも限界がある。だけども、もし、叶うのであれば、彼女の可憐な剣技を受け、それを試したい。
湧き上がる情動を抑えるように百鬼丸は、息を吸った。
少女から発せられる肌の匂いが、澄んだ山の空気に混ざって鼻を刺激する。
甘く、微かに桃の香に似た匂いが鼻腔を通り抜ける。
……――こんなにも多様な剣技を披露する相手は、単なる人間の少女に過ぎない。今まで――無意識の内に侮っていた『人間』だった。
「おれも、奪うだけじゃない剣を振るうのは楽しいよ――」本音を漏らしていた。
琥珀色の、好奇心に満ちた大きな瞳が真直ぐに見つめる。
『ねぇ、今楽しい?』
「えっ?」
百鬼丸は我に返った。
いつの間にか回想していた百鬼丸は、可奈美の発した一言に意識を戻された。
同じ色、同じ両目が百鬼丸を真直ぐに見据えていた。
――――ただし、あの時とは違って涙を両目に浮かべながら。
「私はね、ぜっっっったいに破門なんかにしないよ。――」
剣を正眼に構え、琥珀色の瞳を小さく動かし、声を震わせた。
「剣を通して分かったから…………本当は臆病で、弱気で、それでも大胆にもなれる。焦りも、喜びも、全部、全部剣を通して分かったから。だからね、私……」
可奈美は一拍間を置く。握る御刀《千鳥》が赤い月に照らされ、燃えるように光る。
「私は絶対にあなたを一人になんてしないから」
「無理なんだよォ!! いい加減にしてくれ、おれの正体を知っているんだよなァ!!? おれの本当の正体はなぁ、醜い醜い肉塊なんだよォ!! 分かるか、お前たちの想像している何倍も気持ちが悪いんだよ、醜くて臭くて、マトモに言葉だって喋れない! 今、こうして喋ってるのだって――赤ん坊の死体を貪ったお蔭なんだよォ!! ……何もかも、おれには、おれだって証明できるモノなんてないんだ――」
頭をぐちゃぐちゃに掻いた百鬼丸は苛立つ。
「……――初めて百鬼丸の弱音を聞けた。私たちにはいつも本音を隠して、ずっと戦ってきたんだよね」
大きな琥珀色が迷いなく正視する。
「お前らは馬鹿だ、やめろ、邪魔なんだよ! ……一人にしてくれ。お前たちの任務は世界を救うことだ。おれを殺すこと。それが世界を救うんだ」
「何度でも言うよ――私は初めてできたお馬鹿な弟子を見捨てたりしないよ。何度も何度も言い続けるから」
「ふざけるんじゃねえよ、おい! 綺麗ごとばっかり言うんじゃねえ!! 反吐が出るんだよ」
百鬼丸は、恥も外聞もなく怒鳴っていた。
(――違うんだ、本当はこんな事を言いたいワケじゃないんだよ)
己の存在を全て肯定する少女の言葉に予想以上の動揺が胸の内に拡がっていた。
「私ね……決めたんだ。全部、私の手に届く範囲のことは絶対に諦めないで助けたい。それにね――」と、一旦言葉を切り御刀の柄を握り直す。「――どんな醜い姿でも、形でも、気にしないから。だって、私に出来た初めての『弟子』だから!」
可奈美の堂々と言い放つ言葉には嘘も偽りもなく、表情には曇り一つない。
百鬼丸は生唾をのむ。
(やめろ、止めてくれ。おれの――……おれの覚悟が鈍る)
もう少しだけ、彼女たちと居たいと求めてしまう。もう少しだけ、同じ時を過ごしてみたいと欲が生まれてしまう。……――
(全部、もう捨てたんだよ――今更、何迷ってるんだよ、おれ)
両手に握った刀を百鬼丸は構え直す。
「はっはははは、お人好しだな――可奈美。もういい。全員、この場で屠ってやる。まずはお前からだ! 衛藤可奈美! お前から先に殺してやる!」
剣先を少女に向けて恫喝した。
――しかし。
可奈美は口端をにぃ、と吊り上げて笑う。
「私を剣で殺すの?」
「そうだ!」
「一回も剣で勝ったことないよね? 百鬼丸は」
楽し気に挑発した。
「――……ッ、舐めるな!! おれは、最初からお前たちなんて大嫌いだったんだ、死ぬほど嫌いだったんだ! お遊びの師弟関係なんて解消だ! 偽善者が!!」
百鬼丸は咄嗟に思いつく限りの罵倒で埋め尽くす。――最早、自分自身が何者か分からなくなっていた。
「おれがお前たちと行動していたのはな、タギツヒメを殺すための一時的な協力に過ぎなかった! 利用してやったんだよォ、分かるか、おい?」
今、こんな罵詈雑言を吐いている自分は一体どんな醜い顔をしているのだろう……百鬼丸は喋りながら、ふと、内心で思った。
「それって……」と、可奈美が口を開いて何かを言いかけた時、隣の人影が一歩前に踏み出した。
「もういい、分かった百鬼丸。お前は――最初からそういう奴だったんだな。それなら話は早い。確かにお前の言う通りだ――現状、世界を救うにはお前を倒すしかないようだ」
前髪を綺麗に切り揃えた濡羽色の長い髪を流麗に靡かせた少女――十条姫和が、独特の構えで剣先を百鬼丸に合わせる。
「お前の望み通り――ここでお前を殺す。それで満足だろう?」
冷徹に言い放つ姫和。
――彼女の本来の目的は大荒魂の討伐
それが母から受け継いだ意志なのだ……今更になって復讐の因果が巡るとはな、と姫和は内心で自嘲する。
姫和の一言に冷静さを取り戻した百鬼丸は、荒い息を落ち着け、ゆっくり頷く。
「ああ、そうだ。姫和――さぁ、時間がない。殺り合おうか」