「ええっと、君は――百鬼丸くんは、私が誰か分かるの?」
柊篝は、困惑したように尋ねる。
「はい。もう見た目でピンときました」
以前、姫和の生家へ訊ねた時に見つけた篝の遺影より若い。しかし、姫和が大切にする――写真に残された彼女の顔を見間違える訳がなかった。
「そう」篝は、心無しか優しく微笑む。
周囲に滞留する濃霧と、モノトーン調に沈む古い石階段。まるで、この空間だけは時間から切り離されている様だ。
「篝さんは、おれがどんな存在か分かるんですか?」
「ええ、君のことは御刀を通して把握しています」
そう言って、小烏丸の収まった太い鞘を目前に掲げる。
「ああ、なるほど。じゃあ、姫和のことも……」
「……はい。でも、今の私は大厄災が発生した高校生のまま。だから、少し不思議な感じがするんです」篝は右掌を眺め、儚い笑みを浮かべる。
相模湾岸で発生した荒魂による大厄災。未曾有の危機に投入された刀使たちの中で、タギツヒメたちを鎮めるために、身を挺した篝たち。
――その頃から、目前の柊篝は時間が止まっていた。
「…………。」百鬼丸は、何を言うべきか迷う。中途半端な慰めなど、今更、彼女に必要ない。
そんな少年の様子に気が付いた篝は、肩を竦める。
「気にしないで――っていうのは、無理があるかも知れないけど、これは私の役目だから」
飾ることもなく、篝はそう言った。
だから、思わず百鬼丸は首を振る。
「ちがう、全く違う! アンタらは……篝さんたちは、本当はもっと幸せになっていいだ!」
咄嗟に口をついて喋っていた。
「えっ」
妙な百鬼丸の剣幕に、篝は目を点にキョトンとする。
「役割だとか、何だとか難しい話なんておれは分からねーよ。だって馬鹿だからさ。でも、少なくともアンタたちみたいなイイ人たちが犠牲になるなんてオカシイんだ!」
どこか、苦しそうな表情を浮かべる少年の様子が、まるで自分の事のように必死に怒る少年の姿が、篝にはおかしかった。
「ふふっ、ありがとう。君にそう言って貰えただけでも本当に嬉しい」
「ちがう、ちがう、全然分かってねーよ!」
百鬼丸は強く首を横に振って否定する。……彼女の達観した考えを理解できなかった。
もっと、足掻いて欲しいとすら思っていた。もっと、苦痛や苦悩を
……なのに。
(なんで、そんなに優しく笑えるんだよッ)
内心で強く反発する。
今、目の前に居る柊篝……姫和の母は、何一つ後悔などしていない顔だった。
「おかしい……おかしいよッ」
百鬼丸は駄々っ子みたいに、首を振る。
それが余計におかしくて、篝は苦笑いを漏らす。
緋色の瞳に少年の像を映し、
「――君も私と同じじゃないかな?」核心を衝く一言を放つ。
「そ、それは…………」
「私と同じように君もタギツヒメを封じるために隠世に来た。もし、君の言葉が正しいのなら、君も本当はここに来るべき存在じゃない」
「おれはいいんだ! おれは人じゃない、おれが元の世界から消えても、誰も困らない。でも……アンタは、篝さんは違う。沢山の人が悲しむ。そこは違うだろ」
「君が消えていい存在なら、姫和も隠世まで一緒に来ないはず――」
「違う、違う! 全然違うんだ……」
篝の言葉を遮り、百鬼丸は必死に否定する。
『お前と一緒なら、永遠の時間の牢獄の中でも退屈しないで済みそうだ』
――姫和が胴体に刀身を突き刺しながら、そう言った気がする。
「――っ」
思い出して、百鬼丸は下唇を噛む。
百鬼丸の懊悩する様子を眺めながら、篝は口を再び開く。
「君が言った言葉をそのまま返せば、百鬼丸くんも優しい。だから一人で隠世に来こようと思ったんだよね?」
「…………おれは人じゃない。本来、おれが居るべき世界はここなんだ。それに、タギツヒメを体内に宿した時、本当に世界を滅ぼす気でもいたんだ」
「でも、そうしなかった……どうして?」篝が、問う。
言い淀む素振りをみせた少年は、一息ついて意を決したように頷く。
「クソみてーな世界でも、消えて欲しくない人たちが居るんだ。だから……」
だから、と言った後に言葉が続けられなかった。ふと、篝を見ると彼女は慈悲深い眼差しで百鬼丸を見詰めていた。
「私も同じ。確かに、家系の宿命で使命感もあった。でもそれ以上に、あの世界に居る友達を家族を守りたかった。だから私も君と同じ」
(そうか、最初から……)
百鬼丸は心の蟠りの理由を知った。
篝の気持ちが自分と同じ、誰かを守りたい――その後悔もないことに納得してしまった。
肩を小刻みに震わせた百鬼丸は、やがて頭を上げて大笑いする。
「やっぱり、姫和のかーちゃんには勝てねーな」
「……その実感はあんまりないんだけど、でも、君とのやりとりで感じる……
篝は、心の底から嬉しそうに言った。
だから百鬼丸は思い切り、頷く。
「ああ、可奈美も他の奴らもそうだ。姫和の周りにはいいやつが沢山いるんだぜ」
「うん、ありがとう。姫和の近くに君も居てくれて」
まだ十代の少女に似つかわしくない、柔らかく母性のある表情で再び微笑む。