「かあさん?」
篝は、困惑した。
突然に目の前の少女からそう呼ばれたのだ。隠世の柊篝は江ノ島で発生した大厄災の頃から年齢は十代のまま変わっていない。
同じ年頃のような少女が咄嗟に口を突いて出た言葉が、よほど意外だったらしく、暫く篝は「ええっと……」と何を言うべきか悩んでいた。
その様子を見てとった姫和は、深く深呼吸する。
同じ真紅の瞳を合わせ、
「あなたの……柊篝の娘です!」
思い切り大きな声で告げた。
「えっ……」
尚も困惑する篝をよそに、姫和は嬉しいのか悲しいのか……自分でもよく分からない感情に陥っていた。
◇
「ふーん、ここが可奈美の家なんだ」
まるで他人事のように、藤原美奈都は、しみじみ呟いた。
一軒家の居間に置かれたテーブルを挟んで、娘である衛藤可奈美は嬉しそうに若き日の母を眺める。
無論、夢で何度も会ってはいるものの、隠世で会うとは思ってもみなかったらしい。
普段よりも明るい表情で、
「おか……師匠は知らないよね。お父さんと結婚してこの家に来て、それでお兄ちゃんと私が生まれたんだよ」
手短に伝える可奈美。若い頃の母は、「えぇ、想像したくないぃ」と、珍しく戸惑った様子だった。
――先程、改めて二人はこれまでの経緯を簡単に踏まえた自己紹介を躱していた。それは問題なく行われたのだが……。
しかし、可奈美が名前を名乗った時に、
『衛藤――ってまさか、あの!?」
と、大仰に美奈都は驚愕していた。
改めて未来の娘から聞かされる話を聞きながら、
「あ~、信じたくないなぁ……あんな奴と結婚とかぁ……」
羞恥とか恥辱に耐えるような、普段の美奈都ならば絶対にしない表情を浮かべ、可奈美から顔を逸らし悶絶していた。
そんな母の様子を眺めながら、
「お父さんのこと、昔から知ってたの?」
純粋な疑問を口にする。可奈美自身、両親の出逢った詳しい経緯までは聞いた事がなかった。
「あ~」
言葉を濁そうと口ごもる。
「ねぇ、教えて」可奈美は、琥珀色の大きな瞳を輝かせて尋ねた。
「うぅ……」
その他人とは思えない眼差しに根負けし、頬を軽く掻きながら「昔からの腐れ縁だよ」とポツリ呟く。
「何がどうなってあんな奴と」
と、盛大にボヤいた。
夢で剣の稽古をする凛々しい姿とはかけ離れた、年相応の美奈都の反応に思わず可奈美は口が緩む。
「きっと、奇跡の大逆転があったんだよ。お父さんとお母さんラブラブだったもん」
容赦なく、未来のふたりの姿を可奈美は告げた。
「うげぇ……」
吐きそうな呻き声をあげて、美奈都は更に悶絶する。
そんな様子を見ながら可奈美は、
「あはははは。やっぱり、変な感じ」
藤原美奈都と言う、母と同じ人間であるハズなのに、こうして年齢の近い母と話すのが、やはり不思議な気分だった。
しかし、美奈都は冷静さを取り戻して、改めてテーブルの向かい側に座る可奈美の顔を見詰める。
「……でも、そのお蔭で可奈美が生まれてくれたんだよね」
同じ琥珀色の目で、親子の視線が絡んだ。
「そうだよ」
ここに居る母は、厳密に言えば可奈美の知る母ではない――けれど、その姿、言葉、想い、全てが自分の母だと思わせてくれた。
「だったら、まぁ、いいか!」
割り切ったように、美奈都は言った。
「ふっ、あははは。相変わらず軽いなー」可奈美は軽くツッコんだ。
昔から母の割り切りの良さを、今、この瞬間に感じた。久々の親子での会話は楽しいはずなのに、どこか切なかった。
◇
畳の敷き詰められた広い部屋。広々とした和室の空間に向かい合う二つの影。
「あの……あなたは大災厄の時点での母ですから、私の知る母とは別人なのですが……歳の近い者に突然母なんて呼ばれて混乱させ……」
先程から要領を得ない説明を続ける十条姫和は、若い母親の姿に驚きつつも、隠世にきた経緯を説明していた。
普段ならばもっと、明確に要領よく話せるはずだ。姫和は、自分の情けなさに臍を噛みながらも、必死に言葉を紡ぐ。
そんな姫和の内心を知ってか知らずか、
「……小烏丸」と、静かに一言だけ篝が呟いた。
「えっ?」
傍に置いた御刀《小烏丸》の鞘に篝は手を置いた。
「貴女も小烏丸に選ばれたのね」
そう言って、鞘の表面を撫でる。
何気ない一言だけで、姫和には十分だった。
「……私は正式な手続きではなく、元の時間の貴女……母から受け継ぎました。それと」
と、言いつつ懐からスペクトラム計を取り出し、篝に手渡した。
「これは、私が使っていた……」
「はい」
「紫様の御傍にお仕えする際に実家から持ってきたものだったの……同じ小烏丸が二振り。恐らく、貴女の方が本物で私のモノは偽物。隠世の幽霊みたいなものね……私と同じように現世に非ざるもの」
篝は、どこか納得のいったように微笑を浮かべた。
「現世に非ざるもの……」
姫和は、その言葉を以前にも聞いていた。
――記憶の糸を必死で手繰る。
(そうだ!)
あの時、折神家の屋敷に突入した場面だった。
『千鳥と小烏丸、まるで藤原美奈都と柊篝の如く、現世に非ざるもの』
その瞬間、姫和は、目前の母の存在とこれまでの違和感の正体を掴んだ気がした。