上弦の月はやせ細りはしているが、なお残影を留めている。
浮揚した潜水艦は、うら寂しい港の沖合に姿を現した。
夜明け前、まだ人びとが眠りにつく頃。漁船さえ影形もない。――舞草の有する港であることはひと握りの人間しかいない。今日は特別、海上に濃霧が蟠る。
潜水艦の出入り口ハッチが重厚な音を奏でて開く。
「うぅ~ん、よく眠れマシタ~~」
甲板に出た。
金髪の華麗な線を靡かせながら、エレンは長い自慢の手足を惜しげもなく伸ばす。
海は凪いでいるが、潮の香りは濃密にする。
「へいへい、そーですか」
顔面をボコボコにされた百鬼丸はその後を、恨めしそうな顔つきで出てくる。
「あははハ……」
苦笑いしながら、エレンは頬をかるく掻く。
つい、数時間前。フリードマンと会話の終えた百鬼丸は救護所に向かい、その扉を叩いた。
「おーい、入るぞー」
ガチャン、と音をたて分厚い扉を開けた。
「……んなっ」
百鬼丸は扉前で固まった。
「あっ、まるまる! グランパとのお話は終わりましたカ?」
エレンがあぐらをかきながら、大きく手を振る。……それ自体は大した問題ではない。問題は、制服のシャツの下が何も纏っていない点だった。厳密には、豊満な胸を包帯で巻いてはいるものの、より危ない感じのする印象を受けた。
「えーっと、あああ、そ、そうだな。手当してたんだったな……」
踵を返して帰ろうとした百鬼丸。
と、
「百鬼丸さんも怪我とかはしてないの?」可奈美が背後から声をかける。
その方向に振り返る。可奈美は右足のニーソックスを脱ぎ、脛の辺りを姫和が包帯で巻いているところだった。
よく引き締まった太腿は、筋肉質だが白い柔肌で一見厳しい印象を受けない。しかし、足裏などをみると、生々しいマメやタコの潰れて消えたあとの皮膚が変色している。
余程の剣術鍛錬に時間を裂かなければこうはならない。
何よりも、剣士は下半身が重要である。見事な太刀捌きは、下半身の支えがなければ発揮されないのである。まだ少女、という年頃の可奈美は一体どれほどの研鑽を積んできたのだろうか?
百鬼丸はふと、そう思った。
「おい、先程からなぜ可奈美の足をジロジロいやらしい目でみている? 変態」
姫和が怖い顔で百鬼丸を睨めつける。
「えっ、ああ、すごく(剣術に特化した)いい足だと思って、惚れ惚れとしていたところだ」
素直な感想を述べる。
「えっ!?」
「なっ!?」
同時に驚愕する可奈美と姫和。
それを面白げにニヤつく薫。
「えぇ~っと、ありがとう?」
足を褒められた可奈美は複雑な顔だった。一方姫和はしばらく、口をパクパクとさせて、「貴様は匂いフェチだけでなく足フェチも……そこまでの変態だったとは」と呟いた。
「――ん? おれは変なことを言ったのか、チビ助?」
薫に目線をやると、
「おい、チビ助いうな、変態野郎。まぁ、それより聞いてくれ。そこのエターナルぺったん女がオレのペットのねねを虐めるんだ」
がばっ、と立ち上がった姫和は、
「おい、誰が虐めているだと?」
額に青筋を浮かべていた。
「お前だ、貧乳。なぁ、ねね」
話題を振られたねねは「ねね?」と首を傾げる仕草をした。
「貴様っ、いい加減に……」
憤る姫和をなだめようと、
「まぁまぁ、包帯の件はワタシが使いすぎたのがいけなんですカラ」
ぼよん、と包帯から溢れんばかりの乳を揺らしてエレンが擁護する。瑞々しい張りのある肌に、凶暴なまでの乳の揺れ。
薫と姫和にはないものだった……。
悲しきかな、貧乳は人にあらず、南無三。
貧乳シスターズは二人揃って「ぐぬぬ」と迫真の顔つきで巨大な胸を食い入るように、しかし仇のように睨みつけていた。
「まぁ、まぁ、落ち着け」
百鬼丸が言いながら、毛糸のように包帯で絡まったねねを地面から拾って助けてやる。
ねねの絡まった包帯はエレンの胸包帯に繋がっていた。
……と。
「わーオ」
エレンに巻かれていた包帯がまるで、林檎の皮むきのようにするする解けていった。しまいには、包帯は解けて、シャツの下は裸になってしまった。シャツには乳頭の形のいい輪郭がうっすらと、確認できた。
エレン本人は単に驚いた様子だった。
「……え、これはおれの責任か?」
このあとの展開を予想しながら、冷静に現状を分析する百鬼丸。
「貴様という奴はつくづく……」
「なぁ、ねね。その変態野郎から離れてろ」
百鬼丸は逃げ出した! 自由のため、未来のため、無実の罪から逃れるため! ……しかし、逃げきれなかった。
――このあと、無茶苦茶折檻された。
2
小型ボートに乗り換え岸に上陸する。その後、更に山々の辛なる奥地へと車で移動した。ここが一体どこなのか、それすら分からない。
舞草の拠点。
そう告げられた時、周囲を改めて見返した。
「単なる鄙びた田舎じゃないか」
と、百鬼丸はいった。
事実、舞草という秘密組織が拠点とするには余にのどかな山村だった。
「皆様ご到着されたようですね」
三〇代前半の女性の淑やかな声が聞こえた。
百鬼丸は身構えて、相手に向かい合う。
「アンタ、誰だ……?」
警戒した色を察知したのだろうか、相手は苦笑しながら、「あなた方の敵ではありませんよ」といった。
「名前は?」
「……折神朱音、そう申し上げると?」
試すように百鬼丸を見つめる朱音。
ひぅーーーーーー、と息を吐いて吸い込む。相手の思考の残滓を辿る。
一瞬の閃きの後。
「そうか」
構えを解いて肩を落とし自然体となった。
「ま、敵じゃないのは確かだ。姫和も構えを解け」
すぐ斜め後ろで《小烏丸》を構えていた姫和を、百鬼丸が制した。