露骨な留守番命令に不満を感じないわけではなかったが、双葉は午前の書類関係の整理を終わらせると、午後から別の作業の準備をしていた。その途中、ふと執務室からみえる窓の無限に目を逸らす。
層積雲の広がる蒼穹がみえた。
折神家は舞草拠点の突入作戦の準備で大忙しだった。
今も、STTと背に印字された防弾ジャケットを羽織った厳しい機動隊員が廊下を闊歩していた。
中庭では資材物資の運搬作業の光景をみる度に、双葉に焦りを与える。
(――わたしも、本当だったらこの作戦に)
いくら悔やんでも、過ぎ去ったことは仕方ない。
「……はぁ。事務仕事か」
机の上に聳える紙の小塔群を一瞥して、呆れの息を吐き出す。これでは便利屋ではないか。せっかく親衛隊というエリート集団に選ばれたのに。
いや、本当は義兄があの拠点に居るのに……。
懊悩しながらも、根が真面目な双葉は再び執務椅子に座り、仕事を始める。
と、ボールペンを動かした矢先に扉を軽く叩く音がした。
「はい、どうぞ」
紙面に目を通しながら応じる。恐らく機動隊の人間だろうか。物資の運搬予定数や、事前連絡の類でも聞きにきたのだろう。
そう独り合点していた双葉だった。
――が、予想は裏切られた。
「やっほ~、双葉ちゃん。げんきー?」
扉の陰から姿を現したのは、第四席の燕結芽だった。
「えっ? 燕さん? どうしてここに?」
にこにこ不気味なまでの笑顔で入室する。
撫子色の髪が、ふわりと舞う。毛先は青味がかっており二層のグラデーションが綺麗に分かれていた。
小さく華奢な体つきは一二歳という年齢故である。軽い足取りで執務室の床を歩きながら双葉の問に、
「うぅ~ん、なんでだっけ?」
唇下に人差し指を当て、目線を室内に彷徨わせる。
同性からみても、本当に可愛らしいと思う。イメージでいえば小悪魔というのが適当だろう。双葉は漫然と目の前の彼女を眺めていた。
「ど、どうしたんですか? えっと、お金なら持ってませんよ……?」
カツアゲにきたのだろうか? 最近ハマっている謎のマスコットキャラ商品を揃えている結芽だから、あるいは――
怯えながらも失礼な勘違いをする双葉を見つめて、
「むぅ~、いま酷いこと考えてたでしょ?」
眉間に皺を寄せ頬を膨らませる。
「えっ? い、いえ。ぜんぜん、そんな事ないです。まさか、カツアゲにきたとか思ってません!」
あっ、マズイ。つい本音が漏れた……。双葉は後悔した。
その本人に目をやると、案の定、膨をらませて、その白い肌を薄赤くして怒っていた。年相応のあどけなさに、
(あっ、可愛いな)
と、見惚れた。
その発言に結芽は、
「そんなことしないし! せっかく出発前に謝りにきたのに!」
小さな踵を返してずんずん、大股の不機嫌な足取りで退出しようとした。
「――可愛い……っ、じゃなかった。燕さん! 待ってください。あの~、よかったら貰い物の期間限定のイチゴ味のチョコレートでも……」
双葉は執務机の脇に置かれた紙袋からお菓子の箱を取り出す。
ぴたり、と結芽の足が止まったかと思うと、そのまま一歩、二歩と後退して再び踵を返す。
「ふぅーーーん、全然お菓子に興味なんてないけど、双葉ちゃんがどうしても食べて欲しいっていうなら、せっかくだし貰ってもいいけど……?」
腕組みをし、片目を瞑り見ないように努力しているものの、もう片方の目が開かれてチラチラとお菓子の箱を窺っている。明らかに食べたそうだ。
(そういえば、動物園のうさぎの餌遣りみたい――)
可愛らしく滑稽な所作に思わず「ふっ」と噴出してしまった双葉。
「な、なに? 別に欲しくないから」
目敏く双葉の反応を察知し、必死に否定する。
「……ふふっ、あっ。えーっとですね、どーーーしても、燕さんに食べて欲しいです。美味しいらしいですよ」
高級な包装紙を破り、箱を開くと甘いイチゴとチョコレートの香りが二人の鼻腔に漂う。
「うぅ……し、仕方ないな~。そこまでいうなら食べてあげてもいいよ」
瞳を輝かせながら、結芽は双葉の傍まで近寄り口を開く。
双葉はチョコの銀紙を剥がし、
「はい、どうぞ」
そのまま、小さな口に放り込む。
(文字通り、燕の雛みたい)
もにゅ、もにゅ、と嬉しそうに咀嚼する結芽がそうみえた。
箱の半分以上を食べてから結芽は唐突に思い出したようで、
「おいしい~、じゃなかった。双葉ちゃん」
餌遣りの手を止め、
「――はい?」
正面の結芽を見据える。
「……めん」
本当に小さく微かな声で聞き取れない音量で結芽は囁く。
「えっ? すいません。もう一度お願いします」
「…………だ~か~ら~前のことはごめんなさいって言ったのぉ!」
半ばヤケクソ気味に叫ぶ。
はて、と双葉は考える。
(あ、もしかして廊下での一件かな?)
確かに驚きはしたが、実際に親衛隊内で最弱は自分だ。結芽の言うとおりだ。そう納得しているから、悔しさこそあるものの恨みはない。それに泣いている場面を思い出す方が恥ずかしくて、何を言われたか正直きちんと覚えてない。
「ああ、前のことだったら全然気にしてません。むしろ事実ですから、もっと頑張ろうって思いました」
結芽はふと、双葉の首筋に青痣に似た注射痕を視認した。
「……ふ~ん、そっか」
急に瞳は暗く表情は翳る。
「はい、そうです」明るくいう双葉。
「……ねぇ、双葉ちゃん。私たち、もう戻れないよ」
珍しく、結芽が後ろ向きな発言をした。
「ええ? そうですね」
「――でも、他に方法がなかったら、選ぶしかないよね」
まるでなにかを確認するように、強く念押しするようにいう。
「そうですね……」
深い虚無感の張り付いた表情の結芽。
らしくない結芽に少し憤りを覚えた双葉は、
「あっ、謝りにきて下さったなら、ひとつわたしのお願いきいてくれますか?」
結芽の小さな両手をとり、握る。
「……なぁに~」
反応の薄い顔で、双葉を見返す。
「えーっと、ですね。五分間だけ頭なでなでしていいですか?」
「どうして?」
「なんとなく?」
えぇ~、と結芽は渋面をつくったものの拒絶はしなかった。
以前のことで言いすぎた、と自覚しているのか、双葉の要求を呑んだ様子である。
「…………いいよ、別に」
俯き、素早く双葉の手元からお菓子箱をひったくると、むしゃむしゃと食べはじめた。
「では、遠慮なく!」
堂々と宣言して双葉は柔らかな撫子色の髪を撫で始めた。枝毛もないなめらかな手触りで、指の間から砂のようにサラサラと髪束が流れてゆく。
「最高っ」
ニヤケながら呟いた。
このあと、結芽を抱きしめ、ぬいぐるみ扱いをして至福の五分間を味わった。……当然そのあと本人に滅茶苦茶、怒られた。
結芽の帰り際にふと、
「そういえば、久々の出撃大丈夫ですか?」双葉は尋ねた。
彼女の体では、正直長期移動もままならないではないのか、心配や不安がよぎった。
しかし扉の陰から結芽は頭の覗かせて、
「うん♪ ぜんぜん大丈夫~♪ もしかしたら、双葉ちゃんの百鬼丸おにーさんを倒しちゃうかも~」
にひひ、と口を曲げて快活に笑った。
その言葉に双葉は一瞬驚いたが、すぐに平常心を取り戻し、
「……そうだと嬉しいですけど、兄は、百鬼丸は強いですよ。たぶん、本気の百鬼丸は強いです」
偽らざる答えだった。
キョトン、とした結芽は瞬きをするとシュシュで結んだ髪を揺らめかせ、
「へぇ~、じゃあ百鬼丸おにーさんを倒したら皆は褒めてくれるかなぁ? 前に戦ったけど、正直私が本気出したらスグ倒しちゃうかも~」
「――ええ。皆さん褒めてくれると思います。頑張って下さい」
わかったーー、と元気に扉から出ていく結芽。その小さな背中を見送りながら双葉は冷たい醒めた目で暫くその場に佇んだ。
(にいさんはわたしが必ず……)
拳を強く握った。
2
「……んで、なにか用事か、チビ助」
百鬼丸は不貞腐れていた。
「あ? チビ助いうな、殺すぞ」
「あー、はいはい、分かりました。それより、薫はあれか? 今度は年長組かな?」
「おい、もういちど言ってみろ、祢々切丸のサビにしてやるからな、オイ待ってろ!」
うぉりゃーーと怒鳴りながら、拳を握り腕をブンブンと回して突撃する薫の薄桃色の頭を掴んで、
「おお、こええな」
口端を曲げる百鬼丸。
暫く両者は睨みあったあと、
「……んで、すまん。だから何か用事あるんだろ? すまん」
百鬼丸が詫びた。
ふんっ、と百鬼丸の手を払い除け腕組みをする薫。
「そうだな。連日里の近くで歩き回る男がいて、そいつは建築資材と巨岩を道の端に集めてるって噂になってんだ。だからオレが様子をみにきたってワケだ。……まぁ、犯人はお前って分かりきってたけどな」
鼻を膨らませ堂々と胸を張る。
ありゃー、と百鬼丸は頭をガシガシと掻いて苦笑いする。
「――んで、一体どう言う料簡なんだ? これは? どーせ、お前のことだ。何も考えてないわけはないんだろ?」
チラ、と横目で百鬼丸を窺う。
顎を触りながら百鬼丸は首を傾げる。
「うーん、まぁ、色々だ」
思わず薫はカチン、ときた。
「おい、お前いまの状況わかってるのか? 舞草の里は、半分以上が民間人だ。舞草の里であることを知らない人も多い。ただでさえ隠さないといけない事が多いのに――それにお前だって、人に白い目で見られるのは嫌だろ?」
まくし立てて言う薫は、普段の気だるげな雰囲気ではなく、真剣味をおびていた。
たじろぎながら、百鬼丸は「まぁ、まぁ」と手で制する。
「――悪いがいまは言えないし、おれの勝手な憶測だけで周りを混乱させたくない。それに、おれは人に嫌われるのには慣れてるからな、あははは」
ヘラヘラとした言い方。薫は、眉間に皺を刻み思い切り腕を伸ばして百鬼丸の胸倉を掴んだ。
「おいコラ、お前なんでヘラヘラしてんだ! ……お前のやっていることは多分オレには分からないけど、お前なりの考えがあるなら、オレはフォローする。――だけどな、お前がオレたちのためにやってて、そんでお前だけ悪者扱いされてて気分が悪いんだ! それにヘラヘラして、挙句に『人に嫌われても構わない』だ。ボケ! かっこつけすぎだ! ……いいか、二度とそんな愛想笑いするな」
吐き捨てた薫は、きっ、と百鬼丸を睨んだ。
「……おう」
気まずい顔で百鬼丸は頷く。
百鬼丸は思い出していた。
九歳のころから、人里に現れた荒魂を退治してきたことを。正体がバレないようにマントローブで姿を隠しながら人目を避けて退治してきた。――だが、人が襲われる場面に幾度も遭遇してきた。その度に無慈悲に荒魂を討伐してきた。
……だが、助けたはずの人々は百鬼丸に礼や感謝を述べるどころか、口々に「化物」や「気味が悪い」「荒魂を引き連れてきた張本人」などと陰口を叩かれ、挙句、犯人扱いとして通報もうけてきた。酷いときには、人々に石を投げつけられることもあり、唾を吐きつけられた。
そのときは、正直なんの為に人を助けたのか分からなくなり、憔悴した。ひどく虚しく、自暴自棄になった。
……確かにおれは化物なのかもしれない
手も足も、全て偽物だ。目も耳も無い。
だけど、「心」は普通の人間と変わらないはずなのに……幼い百鬼丸は嘆いた。
だが、涙は出なかった。いいや、出せなかった。涙腺が機能しなかった。ただ、嘆いた。声帯が無いから、心の底から哭くしかなかった。
それでも、人を助ける為に荒魂の退治を辞めなかった。
誰かが傷つけられるのを、黙って見ていれるほど冷淡になりきれなかったのかもしれない。あるいは、真の大馬鹿者なのかもしれない。――多分後者だ。
その偽物の体が無意識に動いていた。
百鬼丸は謗られる覚悟で、次々と討伐した。
案の定、人々の無知と悪意に晒された。
それでも、誰かが死ぬより、よっぽどマシだと思った。
胸に標榜したのはいつも養父の口癖の「誰かを助けれるなら助けるべきだ」という言葉だった。傷ついた時はいつも胸の辺を掴んで、この言葉を口ずさむ。
――それが唯一、「化物」である自分ができる、「人間」らしく、「人間」でいられる方法だったからだ。
「おい、大丈夫か……?」
心配そうに薫が百鬼丸を見上げる。少し言いすぎた、と小声で反省していた。
過去の苦い経験に顔を歪めていた百鬼丸は取り繕うように笑う。
「お、おう元気! 全然元気だぜ!」
薫は百鬼丸の隠し事をしていることに気がついたが、深い個人的な問題だと認識したように「はぁ~」と大きく溜息をつく。
頭の後ろをガシガシと掻いた。
それからおもむろに、
「――あ~、えーっと、オレの、益子の家について聞いてくれ」
薫が話しを切り出す。
「益子家は代々この荒魂の〝ねね〟を使役してきた。んで、オレのポリシーは荒魂だからと言ってただ斬ることを良しとしない」
「なんでだ? 荒魂は始末すべきだろ?」
「じゃあ、お前はねねを斬るのか?」
百鬼丸は足元のねねを眺める。
「――」
躊躇の色を読み取った薫は優しく微笑む。
「いくら荒魂でも、色んなやつがいる。人に害をなす奴もいればねねみたいに無害――いいや、コイツはスケベだから有害か」
すかさず足元のねねが、「ねね!」と抗議の怒りを示す。
ふっ、と笑いながら薫は続ける。
「オレが言いたいのは、自分で考えろってことだ」
百鬼丸の脳裏には、養父を刺した時の事を思い出していた。
「――もし、もしも殺したくない相手でもそうなった場合は? 薫はどうする?」
目を細め、
「斬る。……仮にもし、ねねが荒魂として人々に害をなすなら、オレがこの手でけじめをつけないといけない。仮に、だがな。――でも今まで益子の刀使はそうして大切だったモノも斬ってきた」
「辛くはないのか? せっかく仲良くなれるかもしれない荒魂とも、そのけじめを自分自身でつけないといけない……ってのは」
薫は手を開き、百鬼丸にかざす。
「……だからこそ、生ぬるい『自分で考える』ってことが実践できんだ。いいか、理想論は机上の空論じゃダメなんだ。全部自分で背負う。その覚悟があって、初めて生ぬるい理想論を掲げられるんだ」
百鬼丸は初めて、自分がしてきた事の意味のひとつを知った気がした。
「……そうか。おれは、おれも……」
両手のひらの義手をぐっ、と力を込めて握り締める。
「薫、ありがとな。散々茶化してすまない。おれが進む道のヒントになった気がする。そして、救われた。ありがとうな」
「お、おう。なんだ急に」
初めて薫、と名前で呼ばれた気がして驚いた。
「よし、お礼だ。高い高いしてやるぞ」
「――ちょっ」
戸惑う薫を無視して百鬼丸は薫の両脇を掴んで「高い高いー」と宙に浮かせて上下させてやった。
「ば、ばかやめろ」
顔を赤くして薫は抗議した。
「遠慮すんなよ」
「してないぞ、ボケ」
むきーっ、と敵意をむき出しにしながら薫は怒っていた。
だが対面する百鬼丸の顔が爽やかで、落ち着いているのを認めると、少しだけ安堵した。まだ隠し事を打ちあけない奴だけど、それでも彼なりに苦労しているのだ。
薫は肩を竦めて、小さく「ばかだな、お前」と微笑した。