刀使ト修羅   作:ひのきの棒

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第36話

 海上に面した洞窟には、停泊した原子力潜水艦《ノーチラス号》がその黒い巨体を優雅に横たえていた。

 夜の海は凪いでいる。

 この時期にしては珍しい生温い風が、汗ばんだ頬に髪先を張り付かせる。

 潮の匂いが執拗に鼻に絡みつく。天井から染み出した水滴が、時折地面にピタ、ピタ、と滴り落ち、一定のリズムを奏でている様だ。

 天井に灯る巨大な照明器で最大の明るさになるまで時間がかかるようだ。

 薄暗い中を、舞草の一行はゆく。

 

 

 

 「……くそっ」

 歩調を緩めずに米村孝子は小さく、悔恨の念を漏らした。

 あの少年――百鬼丸のいう通りに従えていれば、どれほどの事態を防げたのだろう。

 だが全てが遅すぎた。敵が迫ってようやく、事の性急性に気が付くというのはなんとも、お笑い種だ。

 御刀の柄を強く握る。

 

 

 「隊長、追っ手は未だこの地点までたどり着いていません」

 斥候に向かった部下の刀使が、早速戻って報告する。

 「ええ、分かった」

 頷いてから、奇妙な視線が奥から注がれるのが感じられた。……一体いつから居たのだろう? 蛇に睨まれたような錯覚の後、背筋が凍った。

 「誰だッ」

 自らを鼓舞して叫び、御刀を抜く構えをする。

 

 ……明らかに、折神家の尖兵であろう。

 

 朱音やフリードマン、そして六人の刀使たちがまだタラップを渡っている最中だった。ここで彼女たちは逃げ切れさえすればいい。 ――最悪の事態、それは、舞草首脳の捕縛。

 これだけは避けなければならない。……薫やエレンたち六人はまだチームとしては荒い部分はあるが、個々人は間違いなく強い。いずれ、もっとチームでも強くなるだろう。その彼女たちが残れば、まだ希望の光はある。

 

 逡巡しても始まらない、そう吹っ切ると孝子は御刀を抜いた。

 

 

 「あぁ〜あ、バレちゃった。えへっ。まだ、機動隊のおじさん達が来てないけど、別にいいよねっ。私の凄いところ、みせてあげるっ♪」

 

 隠し通路の角の陰から、すっ、とナニカが現れた。

 

 なんと華奢な影だろう――素直に、孝子は驚いた。

 「子供?」無意識に口にした。

 しかし、その孝子の言葉に気分を害したのだろう。影から次第にスポットライトを浴びるように照らされる者は、長い撫子色の髪と青色の毛先のグラデーションをふわりと大気に翻した。

 「……私、子供じゃないんだけどっ!」

 甘ったるい、子供っぽい口調。

 

 (どういうこと?)

 

 尚、闇に目を凝らすと背丈の低い少女がまるでダンスのステップでも踏むような足取りで、こちらに迫ってくる。

 

 「名前を名乗りなさいッ!」

 孝子は知らず知らず、冷や汗を頬に流していた。

 (この子は強い……)

 写シを貼った。

 

 

 剣を握る者同士ならば解る、特有の圧迫感。まだこんな幼い子が、老練した達人のような雰囲気を醸し出すとは思えない。否、信じられないのだ。しかも、明らかに実力差がある。――一種、暗澹たる気分が孝子の胸を満たす。

 

 しかし、弱音は今、必要がない。

 

 周囲を確認すると、六人の刀使がいる。勝算がないわけではない。

 孝子の反応を感じ取った少女は、嬉しそうに三日月型に口を歪め、

 「おねーさん、怖いの? だよね。折神家親衛隊第四席、燕結芽……四席でも一番強いけどね、私」

 承認欲求の強い自己紹介に、孝子は思わずイヤミの一つでも言いたくなった。

 「あら? そう。でも残念だけど荒魂に頼っているような刀使に負けはしない」

 左側をシュシュで結んだ髪が、一度揺れた。

 「――――あっそ」

 結芽が冷徹に言い放つ。

 

 その直後。

 

 

 《迅移》により加速した結芽は、孝子を除く六人の刀使を斬り伏せた。

 「くっ」

 あまりの速度に、呆気にとられていた。

 

 ――まるで燕

 

 そう、あの自由に外気を滑空する燕に似ていた。

 孝子の視界には、あの小さな襲撃者は映らない。全身の血管が凍る気がした。 

 気が付くと、結芽の刃は背後から一突きで肩甲骨の間から胸郭を貫いていた。

 

 

 「ぐっ……」

 激痛に悶絶しながら目を後ろに動かす。しかし、そこに敵の姿は無い。

 灼けるような感覚は続いて腹部を襲った。前方に刃を突き立てられていた。孝子が呻く暇もなく、今度は真横から強烈なひと突き。

 

 合計で三度の突き技を喰らった。

 

 疾すぎて認識すら追いつかない。

 気が付くと、膝から地面に崩れ落ちていた。

 孝子は次第に朦朧としてゆく意識の中、

 『私、戦いに荒魂なんて使ってないもん。―ー全部、私の実力だから』

 憎しみきった両眼を細め、御刀の刃を孝子自身の肉体から引き抜く光景。

 

 『神社に残ってた、おねーさんたちの中でも、この人まだマシだったかな』

 そう言うと、足元に捨てていた御刀を握り、ワザと孝子の目の前に転がした。

 

 (あれは……聡美の……御刀?)

 急速に力が萎えて《写シ》が剥がれると同時に意識を失う。

 

 俯いた結芽は、巨大スクリューの回転する音に注意を向けた。

 既に《ノーチラス号》は遠く海へと沈んでいた。

 ワザと逃がしたとはいえ、鬱屈の澱が胸に溜まる感覚がして不完全燃焼だった。

 

 

 

 

 2

 百鬼丸は、神社に倒れた聡美を含む刀使たちを発見した。

 疲れを振り払うように節々に力を込めて、精神を明瞭に保つ。

 「はぁ……はぁ……なんだ、これ?」

 渇いた喉に生唾を呑み込む。

 この村には誰ひとり近づけていない筈である。一体どこから侵入を……?

 と、遠ざかりつつあるプロペラのローター音を夜空の片隅にみつけた。

 「チッ、クソッ」

 天空に吼えた。激昂が細胞の全てから湧き上がる。

 庫裏でみつけた村の古地図に記された、いくつかの脱出ルートを教えるためにこの神社を集合地点に決めたのだが、無駄となってしまった。

 (誰だ? 誰が……)

 荒い神経を研ぎ澄ますように、目を閉じる。肩を上下に大きく、珠の汗を流したままにする。

 

 ――ノロの残滓?

 

 ああ、成程。これは、おれが探知していたノロを受け入れた奴の匂いだ。

 百鬼丸は冷静な頭で現状を理解した。

 「絶対に潰す」

 鋭い歯を剥いて、左腰に佩いた通常の刀を掴み、ノロの匂う方角へと駆け出した。

 (あのヘリは誰かを探している……)

 岸壁に沿ってサーチライトを当てているようだった。

 ――海だ

 古地図には洞窟があった。

 もはや迷う必要すらなかった。

 

 

 

 

 3

 「あぁ〜つまんない〜。千鳥のおねーさんとも戦えばよかったぁ〜」

 倦怠感が結芽に鬱屈とした感情を募らせる。

 周囲に倒れ伏す長船――否、舞草の刀使たちには興味もくれず歩き出す。

 と、その時だった。

 結芽の胸――肺に錐で突かれたような痛みがはしり、喉を遡行して「ぐ、ゲッホッ……」と血塊を吐瀉した。

 コンクリートの地面には血の染みが広がった。 

 憎々しげにそれを眺め、靴で踏んづける。

 「……まだ、まだ私の凄いところ全然みんなに見せつけれてないもん――」

 口端に垂れた血筋を手の甲で拭う。

 煌々と灯る照明器が眩く、天井を不意に見上げる。

 白。

 視界一面が真っ白だった。

 どことなく似ている気がした。あの「病室」に。

 

 

 

 ヘリを探して、結芽は洞窟を出て再び地上の社殿に繋がる崖に沿った道を歩く。穏やかだった風も波も、荒々しくなり結芽の頬に海水の飛沫を数滴当てた。

 (まだ。まだ死ねない。もっと、もっと強い人と戦って勝たないと)

 胸に秘した悲愴なまでの思いを一つ抱え、一歩一歩と石段を上がる。

 登り終わると、鬱蒼と茂る林道が広がっていた。

 あとはもと来た道順通りにゆけば良い筈だった……

 

 

 だが、社殿に続く道の奥には「誰か」の影が一個ある。

 

 

 結芽は目を眇め、口を釣り上げる。

 自然と足取りが速まる。

 「そこにいるのは誰かなぁ〜?」

 青い月光が数条、地面に射して闇中に薄いヴェールを曳く。涼やかな風が妙に熱っぽい頬を鎮めてくれて心地よい。

 

 

 「――――よォ、クソガキ。久しぶりだな」

 

 肩の位置を思い切り落とし、直立する男。

 

 雲間が移ろい、斜光が彼の顔を照らし出す。

 

 結芽は知っている。

 チグハグな印象だが、そう悪くない顔立ち。乱雑な前髪から覗く不気味な瞳たち。うしろ髪もまた乱雑に結っているだけだ。

 その顔を、結芽は知っている。あの日、御門の前で一度だけ刃を交えた関係……。痺れるような感覚。あの日、あの時、あの瞬間だけは自分自身が生きているのだと実感を与えてくれた大切な人。

 

 「百鬼丸おにーさん、久しぶり♪」

 声が自然と弾むのが自分でも理解できた。

 橙と黄の二色のグラデーションを絶妙に織り交ぜた鞘を触りながら、高まる衝動を堪える。

 ゆら、ゆら、と御刀にぶら下げたマスコットが揺れる。

 「百鬼丸おにーさんと本気で戦えるか心配だったけど、その必要はなさそうだねっ」

 相手を見据えるその視線には、喜びが溢れていた。

 

 

 百鬼丸は刀使にしか使えない《写シ》を体表に薄白く貼っていた。

 上半身を裸体が晒しているが、名工が刻んだ彫刻の如く筋肉が闇の中にも浮き彫りとなっていた。周囲に漂う気魄が、余人には計り知れぬ圧力を放っていた。

 

 

 ……その彼がなぜ、《写シ》を使えるのか理由は、結芽には分からない。けれども、理由なんてどうでもいい。ただ心置きなく斬り合いたいだけなのだ。

 

 

 「ねぇ、百鬼丸おにーさん。本気できて……」

 哀愁と艶やかさを綯交ぜにした湿った声音で、結芽は誘う。――誘いながら、御刀の唾を親指で弾き、《ニッカリ青江》をヘソの位置に留めて、刀身を真横にする。

 

 

 彼……百鬼丸はただ無表情に、秀でた眉を落とし、単なる普通の刀を抜く。

 以前戦った時は、左腕の刀もあった筈だ。

 結芽にはあの時の、強烈な印象が忘れ難かった。

 「ねぇ、本気出さないと私すぐおにーさん倒しちゃうよ」

 林道に激しい風が吹き抜けた。木々のざわめきが、馬群の嘶きのようにすら聞こえ、耳を聾する。

 

 

 ニィ、と口角をあげて百鬼丸は初めて表情らしい表情を頬に浮かべた。

 「こいよ、クソガキ。なんならノロの力でも取り込んでからにするか?」

 嘲笑するようにいう百鬼丸。

 

 (まただ……また……)

 

 

 結芽は、激しい憤りに駆られた。

 「ねぇ、何度も言ってるけど私ノロの力なんて戦いの中で一ミリも使ってないんだけどッッ!!」

 胆から絞り出すように怒りをぶちまける。

 少女の中で、何らかの糸が切れた。

 

 《写シ》を貼った。

 

 

 両脚が、地面を蹴る……というより、飛ぶように加速する。《迅移》といえども、限度がある。深さもそうだが、その加速に対応できる巧妙な体捌き。

 小さな燕が、一気に両者を隔てる七〇メートルを縮める。

 

 

 右足を軸に、百鬼丸の左側面に回った結芽はそのまま背後を取るか、このまま貫くかの位置にいた。

 

 ――が。

 

 百鬼丸はただ嘲笑う。

 まるで、最初からその位置を把握していたように。

 

 御刀ですらない刀が結芽の目前に一閃、青稲妻のような斬撃が迸る。

 剛腕から打ち放たれる一撃は重く疾く《ニッカリ青江》を易々と弾き、結芽の体を吹き飛ばす。

 数メートル飛ばされながらも、なんとか靴底で地面にブレーキをかける。

 

 「うそっ……」咄嗟に驚愕が漏れた。

 結芽は眼前に佇む百鬼丸の認識を間違えていたらしい。――彼は、人ではない。

 

 「どうした? こいよ?」

 鋭利に細められた目が、結芽を捉えて離さない。

 

 




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