刀使ト修羅   作:ひのきの棒

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遅くなりましたが、毎回の誤字脱字修正ならびに感想ありがとうございます!

大変助かっております。


第37話

 『ねぇ、百鬼丸さん。活人剣って、どういう意味かわかる?』

 以前、朝の鍛錬終わりに可奈美がそうきいてきた。

 汗に塗れたおれは、疲れておりノロマに首を横に振る。

 『人を活かす剣、だから活人剣なんだよ。……これには二つの意味があって、ひとつは人を生かす、っていう文字通りの意味と、もうひとつは『人を活用』すること。つまり、相手を自分の思うように動かすんだよ』

 そう言いながら、可奈美は正面に構えた木刀の切っ先をみやり軽く素振りした。

 

 ……相手を自分の思うように動かす

 

 なるほど、確かにその通りだ。

 

 だから『後の先』でも『後の後』でも、余裕で相手を倒すことができる。

 

 1

 燕結芽は焦っていた。――どれほどの強者でも、六秒以内には倒れている筈……なのに、この百鬼丸は未だ立ち続けている。

《迅移》で虹色の光彩を放つ残影が、より数を増して百鬼丸に殺到する。

 だが、いくら猛攻を仕掛けても躱され弾かれ全く攻撃が通用しない。

 

 (なんで……なんで……こんなんじゃ、全然私が凄いトコロなんて魅せれない!)

 

 時間と共に焦燥で身を焼かれそうになっていた。

 その結芽を冷静に捉えた百鬼丸はワザとらしく首を振って失望を表現する。

 「なんだ、こんなもんか。結構期待してたんだけどな、お前との戦い」

 言いながら百鬼丸は肩をすくめる。……彼は気づいていた。燕結芽という少女と出会った時から、この「天才」の弱点を。

 

 (精神に安定性がない)

 

 確かに多彩な剣技も、身軽な体も、速度も全てが「才」によって裏付けられている。だが、彼女に足らないものは不安定な精神であった。

 可奈美の言葉を借りるなら「相手を活用」しやすい、絶好のカモといえる。

 斬り合いはスポーツではない。

 負けた者が弱く、勝った者が強い。単純明快で残酷な摂理。言い逃れのできない真理。どれだけ言い訳しても、負ければ死ぬのだ。

 どんな手段を用いても「勝つ」=生きる、ことが重要なのだ。

 百鬼丸は遠慮なく、弱点を衝かせてもらうことにした。

 

 

 大粒の汗を流し、肩が不規則に上下に動く少女は普段の茶化したような余裕が無い。あるのは、凄愴な瞳の色と猛獣のように勝利に飢えた飢餓感だった。

 百鬼丸の恐怖を払い除け、なおも自己の強さのみを執拗に誇示しようとする、一種異様なまでの態度。

 

 百鬼丸は睨み合ったまま不敵に嗤う。

 「なんだ、もうおねむの時間か?」

 

 ぐっ、と結芽は柄を握る手を強くした。

 「…………」

 しかし返事をする余裕すら失われていた。

 

 刃を振れば殆どの人間が倒れ伏している、それが当たり前だった。

 だが眼前の彼――百鬼丸は微動もせず、全くの隙がない。どこから打ち込んでも、倒せるイメージが湧かないのだ。

 

 結芽は地面を蹴り上げ、ドリフトでもするように百鬼丸の周りを時計方向に移動し、側面から喉笛、肋骨、太腿を三段突いた。神速とも言うべき迅さだった。

 敢えて囮としての打ち込みだった。必ずしも仕留めれる算段はなかったが、隙をつくることならできるはずだ。僅かに生まれた隙に、渾身の剣技を叩き込む。

 

 ……が。

 

 「――ッ」

 浅縹色の瞳を動揺させ、結芽は強く下唇を噛む。

 全て百鬼丸は刀身で「突き」を受け止めていた。正確に、寸分の狂いもなく受け止めていた。

 まるで、思考を読まれているような気がした。行動の先がバレている。

 剣を合わせて楽しむ、というより百鬼丸との対決は文字通り「殺し合い」だった。鳥肌がおさまらない。こんなことは今までなかった感覚だ。

 

 「百鬼丸おにーさん……」

 「なんだ? もう怖気づいたか? だったら……」

 百鬼丸は結芽を窺うも、前髪が表情を隠しどんな状態か判断できない。

 

 「百鬼丸おにーさん、最っ高ッっっっ!!」

 見上げた彼女の顔は喜びに彩られ、再び平晴眼に構える。

 この平晴眼は、天然理心流の基本の構えであり突き技が崩された後にも対応できるものである。

 結芽は、突き技を撥ね退けられた。通常であれば命がない。

 確かに剣士としてのプライドは傷つけられた。――だが、それ以上に百鬼丸の強さに打ち震えていた。

 剣から伝う百鬼丸の意思。

 五感を刺激するほどの強烈な気魄。

 有り体に言えば、結芽は百鬼丸の「力」に屈服させられていた。しかも、悔しさはなく寧ろこの時間を長く共有したいとすら思っていた。折神紫とは異なる強さの持ち主。

 

 その彼は、

 「は?」

 当惑していた。

 流石にこの反応は百鬼丸も予想していなかった。写シを剥がしてプライドをへし折るくらいのことを考えていたが……

 (こんな剣術馬鹿は美奈都と可奈美くらいしか思いつかん)

 みれば見る程、確かにあの親子にどことなく雰囲気が似ている気がする。

 「なんでお前退かないんだ?」

 思わず、訊ねた。

 

 頬を薄赤く染めながら、八重歯をのぞかせて微笑する。

 「だって、こんなに凄い百鬼丸おにーさんを倒したら、私本当に強いって示せるでしょ?

そしたら、みんなに褒めてもらえる――みんなの記憶に〝私〟を刻めるんだよ」

 結芽の狂気じみた眼差しの中に、激しい覚悟が宿っていた。

 

 ――ああ、そうか

 

 百鬼丸は毒気を抜かれた。

 (こいつも、おれと……修羅道の中にいるんだ)

 その宿業を背負う彼女が、急に哀れに思えた。彼女を支える「才」には理由がある。元々生まれ持った「才能」にくわえ、彼女の力はより先鋭化し研ぎ澄まされていったのだ。

 

 

 「ねぇ、百鬼丸おにーさん。もっと、しようよっ!」

 白のニーハイタイツに泥を点々と汚しながら、息を弾ませている。

 

 「なぁ、クソガキ――お前の名前、もう一度教えてくれるか?」

 突然の言葉に結芽はキョトン、と目を丸くした。

 ――それから「ふっ、あははははは〜、なにそれ〜。……いいよ。何回でも教えてあげる。折神家親衛隊第四席。燕結芽。もちろん、一番強いのが私」細い指先で自らを指差す。

 

 「燕結芽。そうか、覚えた。――そして結芽に謝る。お前は本当にいい剣士だ。これからも強くなれるだろう。だが、悪いがここは、おれが勝たせてもらう」

 言いながら、亀裂の入った刀を地面に投げ捨て、両腕関節に巻いた包帯をスルスルと解いて、片方ずつ犬歯で噛む。

 両腕から、刀身が現れた。

 妖気の漂う腕の刀たち。

 

 「なにそれ〜、すっっごい!」

 興奮した眼差しで結芽は足を擦る。片方腕が外れるのは知っていた。だが両腕とは知らなかった。

 

 百鬼丸は脇を締めて、上膊を胴体に密着させて体をコンパクトに畳む。腰の重心位置を落とし、膝を軽く曲げた。――本来的に言えば、百鬼丸は剣士というより拳士という方が正しいかもしれない。彼の戦闘スタイルは拳士的な戦い方に剣士の型を流用したオリジナルのものである。

 だから、剣士の可奈美も戸惑っていた。

 

 靴先で立つ。

 下腹部に力を込めると、百鬼丸は弾かれるように動き出した。

『先の先』の真髄を発揮するためである。

 左右交互に繰り出す銀閃が瞬き続け、青い月光の加護を受け刀身は自在に輝く。

 

 「百鬼丸おにーさん、最高、最高サイコーーーっ」

 御刀で百鬼丸の攻撃を受けながら結芽は叫ぶ。剣戟の火花が、激しさ苛烈さをまして弾け飛び、両者の間に線香花火にも似たもので彩を加える。

 

 「よくここまで防げるな」

 素直に百鬼丸は褒める。木々がざわめき、付近の海嘯が鳴り響く。夜陰は重苦しい雲を押しのけ、月は天に尚も昇っている。

 

「当然っ、もっともっと遊ぼーよ」

 褒められたことが嬉しいのか、結芽は華麗な足さばきで体勢を変えながら百鬼丸との戦いを楽しんでいる。

 

 純粋な闘争本能が、二人を更に深い場所へと導く。修羅道をゆく者同士の意気投合。

 

 人の世に生きるには、不要なまでの欲求。

 

 それを今、全力でぶちまけている。

 

 自然と百鬼丸も愉快な気分になっていた。

 

 「――そろそろ終わらせるぞッ」

 百鬼丸は腕を広げ、「大」の字に体をひらくと一気に《迅移》を用い両腕を交え、結芽を通過して遥か後方にまで突き抜けた。

 陽炎のような揺めきが、外気を乱す。

 

 百鬼丸が振り返ると、渾身の一撃を寸前で受け流した結芽が佇んでいた。

 

 「えへへっ、どーおっ? 私凄いでしょ? もっともっともっと……ゴボッッ」

 と、言葉の途中で吐血した。それも、生々しい嘔吐にも似た音。胃袋でも全部吐き出すように結芽の小さな口から鮮血が地面を濡らした。

 

 「!?」

 百鬼丸は急な事態に、身を固くした。

 

 結芽の体から写シは剥がれ、地面にへたり込んだ。身を丸めて激しく咳き込む。

 「お、おい! 大丈夫か? って、大丈夫な筈ないだろっ、おれのクソボケ」

 構えを解き、地面に転がした義手で腕を戻すと、結芽との距離を縮めた。

 

 「――ゴボッ、ゲホッ……百鬼丸おにーさん……近づかないで……ゲホッ、ゲホッ」

 激しく咽せながら、結芽は憎々しいげな眼差しで百鬼丸を制止する。

 

 「な、なに言ってんだ馬鹿。はやく医者にみせないと……」

 すると、大きく頭を振り拒絶する。繊細な撫子色の髪が、ふわっ、と地面に揺めき琴糸のような毛が一本一本収束してゆく。

 「……お願いだからゴホッ……百鬼丸おにーさんと……もっと戦わせてッッ」

 吐血しながら、何度も口を手の甲で拭い懇願する。

 

 「なんで、そこまでするんだ――」

 激痛に顔を歪める少女を凝視しながら訊ねる。彼女を、そうまでして突き動かす信念が理解できなかった。

 

 しかし結芽は声にならない掠れた声で、

 

 ……私には剣しかないから

 

 微かに血に濡れた唇を動かし、必死に伝える。

 

 孤独の影が支配した結芽の表情。しかし、その絶望の中にあっても彼女は御刀を大事そうに抱え、離さない。それが唯一の希望の光でもあるように。

 

 「…………結芽、お前は本当にクソ馬鹿だ」

 百鬼丸は口を真一文字に結んで、大股で歩き出す。

 

 

 来ないで、と胸の痛みを堪えながら鋭い視線を向ける結芽。まるで、他者の同情など欲しくないような態度。

 

 ――その態度を、百鬼丸は知っていた。

 

 そうだったんだな……

 

 「お前も修羅道の側だったんだな。本当似てるよ、おれたち。お前はおれだ」

 紛れもなく、百鬼丸自身の頑なさだった。哀れで滑稽で、それでも必死な部分が百鬼丸には痛いほど理解できた。

 

 「もっと、もっと……はぁ……はぁ、ッ、私の凄いところを……みせなきゃ、嫌なの」

 涙が目端に滲み、可愛らしい鼻を赤くさせながら、水っ洟が流れている。

 立ち止まった百鬼丸は少し困ったような微笑を湛え、屈むと義手の親指で口端の血筋を拭ってやる。

 

 

 「ああ、お前は凄い。絶対にこれからも、結芽を誰かの記憶に刻むことができるだろーな」

 

 戦いの中でしか、自己証明をする術を知らなかった馬鹿者。

 他者の優しさを足蹴にする馬鹿者。

 誰かの優しい眼差しを跳ね除ける馬鹿者。

 

 できるなら、助けてやりたい気がしていた。他人事には思えなかった。でも今はやるべきことが山積みだ。

 

 ――だから。

 

 「また今度やろうな。それまでおやすみなさい、だ」

 結芽の華奢な肩を優しく叩き、朦朧と百鬼丸を見るため持ち上げた生気の失せたような青白い頬を撫でる。

 

 「……うん」

 涙を目一杯に溜めたものが、大粒の雫になり、瞼を嬉しそうに閉じる。

 荒く膨らんだ胸郭も、穏やかに正常な動きを取り戻した。

 

 百鬼丸は一度地面に俯きながら、吐血された血の量に驚き、溜息をついた。

 

 「……さて、これからどーしたもんかね」

 

 眠る結芽の指先の爪を月光に透かした。青いマニキュアをしていた。百鬼丸は爪が薄く肌の気色の悪さに、彼女の病状の重さをしった。

 

 2

 百鬼丸は山を下っていた。

 背中には、穏やかな寝息をたてる燕結芽を担いで。

 

 結局、舞草の里は放棄することにした。村で右往左往していた恩田累を見つけると、百鬼丸は、『マイクロバスを動かせるか?』と訊ねた。

 『うん。動かせるけど……なんで?』

 『今から指示するルートで、怪我した舞草の刀使を引き連れて逃げてくれ。このルートなら車両でも行ける。もうそろそろ、機動隊が再攻撃を仕掛ける』

 戸惑いながらも、首肯した累は不意に百鬼丸の背中に居る小さな襲撃者をみつけた。

 『その子って親衛隊の制服着てるけど……』

 『親衛隊のやつだ。今から、おれはコイツを運ぶ。だから、はやくしてください』

 そう言い残して、百鬼丸は混乱する村人をかき分け、獣道に向かって歩き出した。

 

 あとに残された累は、

 『えぇー!? またこんな役割―――!?』

 頭を抱え、累は己の不運を呪った。

 

 

 3

 燕結芽がいったい、いつ頃から自分が「普通と違う」のだと自覚したのだろうか。御刀に最年少で選ばれた時だろうか? それとも、通っていた道場で年上の子に何度も勝った時だろうか? ……いいや、多分両親が、そんな結芽を褒めてくれて、優しく抱きしめてくれた時だ。抱きしめられながら、耳元で「あなたは特別な子供」だと伝えてくれたときだった。その時は嬉しくして仕方がなかった。

 

 剣術の試合で勝てば、年上の子やその親、師範も驚愕し、感嘆し、口々に「特別な子」「神童」「天才」という言葉が鼓膜に踊った。

 

 ――私は特別なんだ

 

 だから、剣を握るのが楽しかった。みんなが笑顔だった。うれしくてたまらなかった。

 

 あれは、特別な祭事のときだったと思う。

 大きな神社で、奉られた御刀に触れた時、自分の中にナニカが流れ込んでくるような奇妙な感覚がした。気が付くと、体に薄白い膜みたいな、温かな感じがした。

 見物人を含める人々は、びっくりしていた――それが、御刀《ニッカリ青江》との出会いだった。

 嬉しくて後ろを振り向くと、パパもママも笑顔だった。

 だから、私はもっと嬉しくなった。

 

 それから私は、綾小路武芸学舎に入学した。

 最年少で入学した。……刀使になれた。

 ――だけど、そこまでしか幸せが続かなかった。

 

 入学式が終わって、いつものように大人たちに囲まれていた。みんなが、自分をみてくれている。傍らに立つパパもママも「自慢の娘」「この子は大事にしたい」と話していた。

 校内に咲き誇る桜の巨木から、淡い花弁の吹雪が空気に浚われて遠くの景色に溶けてゆく。

 ぼんやり、それを眺めていた。

 唐突に肺が苦しく、錐で突かれたように鋭い痛みにとらわれた。気が付くと、喉をせり上がる熱い感じがして、トロリと血を吐いていた。最初は驚きよりも、「これは一体なんだろう?」という疑問だった。

 朦朧とする視界。みんなの影が大きく揺れて、消えてゆく気がした。

 

 

 目を醒ますと、知らない白い天井と照明が眩かった。腕を点滴で繋がれ、心電図の耳障りな音が大きくきこえた。

 気だるくても無理して頭を動かした。

 (そっか。私、倒れたんだ)

 乾いた唇で、パパとママを呼んだ。小さな病室には誰の気配もしなかった。窓の外はとっくに夜だった。……夜に、家以外でお泊りするのは初めてだったから、少し楽しみにしていたのかもしれない。

 だけど、その日パパとママは病室に来なかった。

 来るのは、お医者さんと看護師さんだけ。あとは誰もきてくれなかった。多分、みんな忙しいんだ。そう、言い聞かせていた。

 パパもママも忙しいんだ。でも、はやく会いたいなぁ、と窓の外をみていた。時々病室の扉に通る人影に期待もした。

 何時間も、何日も、何週間も待っていた。

 きっと、次は来る。……ううん。違う。忙しいんだ。

 

 「はやく会いたいなぁ……」

 誰かに聞かれても、恥ずかしくないように小さく呟いた。ママは「結芽も、もう小さい子じゃないんだから」って言うかもしれないから誰にも聞かれないように呟いた。

 

 でも、それでも誰も来なかった。

 あんなに、褒めてくれた道場の師範も、友達も、御刀のときに驚いていた大人の人たちも……それにパパもママも誰も、誰も来なかった。

 「……会いたいよぉっ」

 寂しくて、涙が溢れた。今まで我慢してきた。でも我慢できなかった。萎えた腕で顔を覆って泣いていた。どうして誰もきてくれないんだろう?

 あんなに褒めてくれたのに、みんな居ない。

 「うぅ……ひっぐ……なんで……」

 なんで、誰もいないの? このまま死んじゃうの?

 まだまだしたい事がたくさんあったのに……

 

 気が付くと、いつも寂しくて泣いていた。

 

 泣いて、泣いて、泣いて……それでも、誰も私を気にかけてくれる人なんていなかった。

 

 「疲れちゃった」

 

 気力を失っていた。どれだけ願っても、もう誰も来てくれない。会いたかったパパもママも私を捨てたんだ。なんとなく気がついていたけど、いつも隠していた。

 

 それから、死の恐怖が襲ってきた。

 死が怖くて、でも逃げれなくて寂しくて怖くなった。でも泣けなかった。もう涙が涸れてた。

 

 灰色の毎日がやってくる。

 まるで、水を含んだ真綿でじわじわと首を締められるみたいに、そんな日々が怖かった。時計の針が動くのが怖かった。この針が、寿命を刻む音に聞こえた。

 

 無理やり死から考えを逸らしても、結局、死の恐怖から逃げられなかった。気が付くと夜も朝も怖かった。

 

 

 ……段々と、考えることが苦痛になっていた。ベッドでいつも起きるか寝ているか分からない曖昧な意識の時間だけが増えた。

 晴れた青い空が、病室の窓に広がっていた。私は無意識に腕を伸ばしていた。絶対に届くはずがない空。もう一度だけ、外に出ることができたら、きっと、鳥みたいに動けるのに。まだまだやりたい事がたくさんあるのに……

 

 そんな時だった。

 

 珍しく、お医者さん以外の人の気配がした。

 

 私が少し頭を動かすと、すごく綺麗で御刀をふた振り下げた鋭い眼差しの女の人が、ベッドの近くに立ってた。

 『選べ。お前はこのまま朽ち果て誰からの記憶からも消えるのか、それとも刹那の輝きでもお前を見捨てた者たちに焼き付けるか……』

 そう言って差し出したのは、濃いオレンジ色の小さくて透明な筒だった。

 

 迷わなかった。それがどんなものでも、私は自由になりたかった。

 そして、絶対に私を捨てたみんなと……パパ、ママの記憶に焼き付けるために、ノロを受け入れた。

 

 死んじゃってもいい。でもその前に、誰からも忘れられる前に私は、生きていた証拠をこの世界に残したかった。

 

 

 4

 百鬼丸は結芽を背負いながら、下山していた。夜目は必要なく、全て感覚で障害物や地形を把握している。

 

 先ほどから、強烈な思念が百鬼丸の『心眼』に介入して強制的に結芽の記憶を追体験させられていた。

 

 全てを知ったあと、百鬼丸は肩越しに穏やかな寝息をたてる結芽の顔を窺った。

 「なんつー気持ちよさそうに寝てやがんだよ」

 口元が綻ぶ。

 本革の上着を寒くないように結芽の体に羽織らせている。しかも百鬼丸自身が体温が高く、夜山の冷気は気にならないはずだ。

 「うぅん……パパ……ママ……」

 寝言だろうか。結芽は百鬼丸のいかつい背中に顔を埋めながら、小さくつぶやいた。

 

 「こんなんじゃ、本気でお前と戦えねーぞ、おれ」

 ずり落ちそうな華奢な体を、背負いなおす。

 

 「お前も、助けられたらいいなぁ……とか思うのは傲慢かね」

 独り言を口にする。

 確かに彼女は敵だ。しかも、ノロを体内に受け入れている。でも、どうしても、境遇を知ってしまった。燕結芽はもはや他人ではなくなった。まして、戦う敵として認識できなくなってしまった。

 

 甘い、と言われればそれまでだ。

 「おれもまだまだ修行が足りんのですかね」

 天を仰ぎ見る。闇の色が衰退した、青味かった昏い空だった。

 

 百鬼丸は麓にいる、「もうひとり」のノロの気配を感じ取っていた。

 恐らく相手も百鬼丸を捕捉しているだろう。

 (それでいい)

 百鬼丸はほくそ笑む。それが狙いだった。

 

 九十九折のアスファルト舗道に出た。そこには案の定、一個の影が佇んでいた。

 

 「よォ、お久しぶりだな。皐月夜見」

 百鬼丸は気安く呼びかける。

 

 闇の中からでも解るその強烈なノロを周囲に蔓延らせる気配。点滅する外灯に照らされた夜見は、無表情に百鬼丸を見返す。……見返しながら、御刀を抜き、自らの手首を切ろうとしていた。

 

 「なぁ、皐月夜見。おれと取引しないか?」

 

 「……? どういう意味でしょうか?」

 御刀を止めて、百鬼丸を見据える。

 

 へっ、と笑い、

 「だから取引だ。おれと、舞草の刀使たちを見逃せ。その代わりにコイツ……燕結芽をそちらに引き渡す。どうだ?」

 

 「なぜ、そんなことを私に?」

 淡々とした声音に硬いものが混じる。

 

 「決まってるだろ。いい加減おれも疲れた。現状、お前と戦っても勝てるか微妙だ。だからおれと、舞草の負傷した刀使たちを見逃せ」

 

 「私にそんな権限はありません。残念ですが……」

 

 「だったら、おれをここで殺すか? そうならはやく殺してるよな。でも、お前の握る刃の手が止まってるけどな」

 

 「……」

 無表情に御刀をみる夜見。

 

 「もし、アンタで判断できないなら折神紫にでも連絡してみろ。ダメならここで、燕結芽をアレコレしちまうけどな」

 半ば脅しだった。

 

 夜見は一切表情を変えることはなかったが、周囲に侍らせた荒魂たちの動きを統制しているようにみえた。どうやら、百鬼丸の脅しは効いたようだった。

 

 「――分かりました。では、紫様にうかがいます」

 携帯端末を取り出し、機械的な喋りで応答する。

 

 時間はかからず、通話を終えた夜見は再び百鬼丸に視線を投げかける。

 

 「貴方の要求を全面に受けるように、と命を受けました。ですので、燕さんを返してもらう代わりに貴方と舞草の刀使がこの捜索範囲を離れるまではこちらから手出しはしません。元々、狙いは十条姫和と衛藤可奈美の捕縛ですので」

 

 生気のない口調だった。

 

 「ああ、そりゃよかった。助かる。んじゃ、早速返すわ」

 背負っていた結芽を一度、ゆっくり地面に下ろし、それからお姫様抱っこの抱え方でで夜見に渡そうとした。

 

 「ん? コイツ、おれの上着から手離さないぞ……ぐっぬぬ」

 羽織らせていた本革の上着を細い指が強く握りしめていた。眉をピクピクと動かし、結芽を睨む百鬼丸。

 「これお気に入りなんだぞ……って、まあいいや。やるよ」

 眠っている結芽に語りかけると、そのまま夜見に渡した。

 

 胸元に帰ってきた結芽を眺めていた夜見。普段の無表情さの中に、どこか安堵の色が混ざっている雰囲気があった。

 

 それを一瞥しながら、百鬼丸は、ボロボロのズボンと黒いタンクトップの背中を向けて歩き出した。

 「――んじゃ、そのガキんちょによろしくな。起きたら伝えてくれ。また今度、戦おうぜって」

 ブラブラと手を振ってその場を後にする百鬼丸。

 

 夜の道の果てに姿が消えるまでしばらく夜見は佇んでいた。

 

 胸元ですぅーっ、すぅーっ、と結芽の幸せそうな寝息だけが聞こえている。

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