刀使ト修羅   作:ひのきの棒

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その男、名を『ステイン』

 

血だ。血液の濃密な金臭い香りが鼻腔に充満している。

 

 深夜、裏路地に設置された弱い街灯に照らされた一個の影が俄かに動き出す。その闇に濡れた顔をゆっくりと光側へと向ける。顔は包帯に巻かれ、血の様に赤いバンダナとマフラーが夜闇の中からでも目立った。

 

 細く長い裏路地の舗道と、壁面間に伸びる無数の排気管が延々と張り巡らされており、闇に蠢く鋼鉄の血管のように不気味だった。管の内一本が破れているようだ。シュ、シュ、と間欠泉の如く噴出するスチームは霧に似て、且つドブに混ざった白い蒸気が強く周囲に四散した。

 

 男は笑う。

 

 鋭利な顎から出した舌を引っ込め口を苦く歪める。

 

 「ヘッ……チッ、糞め」

 

 取り繕った空笑いを消し、代わってやり場の無い怒りがふつふつ男の胸中を犯す。雑魚相手に一瞬でも期待した自分が馬鹿馬鹿しく思えた。

 

 ――彼の名は『ステイン』

 

 ヒーロー殺しとして名を馳せた男である。その独特な思想哲学が他のヴィランと彼を区別させた。

 

 ステインの思想とは即ち「真のヒーロー」を求める事であり、常に他利的行為こそがヒーローたらしめる真理だと考えていた。だが、昨今のヒーローと呼ばれる連中は自己的な行為原理に依って働くに過ぎない愚者ばかり。

 

 金儲けにかまけるヒーロー達。

 

 彼……ステインがこの現状を看過する筈がないことは明白だった。

 

 ホウキを逆立てた様な髪をかき上げ、

 

 「潰す……俺の理想の為に、死ねッ」

 

 マフラーを風に靡かせ吐き捨てるようにしてステインは言う。彼の足元に血まみれで身を伏せたヒーローのひとりが呻きながら辛うじて呼吸をしている。

 

 先程、偶然遭遇したヒーローは名乗りって攻撃を仕掛けてきた。が、もう名前は覚えていない。一分も経過せずステインは叩き伏せた。……今、屈み込んで首をひと捻りしてやれば軽く死ぬだろう。

 

 だがこんな奴の命を奪う程格は落ちてはいない、そして何より余りの弱さに興が削がれた――そう戒める様、ステインは鋭い眼で足元を一瞥すると即軍用ブーツの踵を返した。

 

 放置しても勝手に死ぬ。

 

 最早、足元のヒーローは活動すること自体難しいだろう。それで十分だ。これで偽物は『死んだ』

 

 と、背中を向けたステインは数歩進んだ所で立ち止まる。同時に肩を大きく震わせ、

 

 「本当のヒーローはいねェのかッ!」

 

 壁面を左の拳で叩き思わず叫んだ。壁に無数の亀裂が奔る。

 

これまで手にかけてきたヒーローの殆どが出来損ないの紛い物ばかりだった。右手の太刀を背中の鞘に戻すと、長い舌で先程舐めとった血の不味さを思う。

 

 (俺を倒す本当のヒーローが欲しいッ……)

 

 ステインは心底自身の求めるヒーローを渇望した。ふと、目を細めて天を見る。

 

 綿雲が点在して浮かぶ夜空に、不気味なほど真紅に染まる三日月が掛かっていた。

 

 と、彼の背後五メートル後ろに直径1・8メートルほどの黒々とした「穴」が出現していた。空中に浮遊する球体のように裏路地の路上に、今、存在する。

 

 「アア? なんだ、この穴は?」

 

 普段の彼であれば、絶対にこの「穴」に興味なぞ持たないだろう。……だがこの日の彼は違っていた。理由は明白で、雑魚の相手に疲れてしまった。何の信念もなく、また理想に伴う実力のない連中が騙る「正義のヒーロー」という偶像に。

 

 だから、戯れにステインは「穴」を潜った。

 

 一歩、また一歩と確実に進み、穴の深部にまでゆき――やがて、世界から姿を消した。

 

 

 

 2

 前代未聞の御前試合中に起こった、刃傷沙汰事件。

 

 その当事者である十条姫和と、同伴する衛藤可奈美。ふたりはひたすら逃げていた。

 

 姫和は先程《折神家》の当主、折神紫にひと太刀浴びせようとしたのだ。当然、日本中から二人を捜索する手が伸びていた。

 

 「……なぜ、追ってくる?」

 

 不機嫌に姫和が吐き捨てる。

 

 一方、冷たい言葉を天真爛漫な笑みで受け流しながら可奈美が、

 

 「だって、なにか理由がありそうだし――あっ、そうだ! お腹減らない?」

 

 微笑んだ。

 

 なんだこんな時に、と姫和が言いかけたとき、奇妙な違和感を感じた。今度は並走する可奈美が、

 

 「どーしたの?」

 

 怪訝に眉をひそめ訊ねる。

 

 「いいや、なんでもない……とにかく休息できる場所までいくぞ」

 

 「うん!」

 

 

 二人の少女の影は街中へと溶けてゆく。

 

 

 3

 

 「チッ、どーなってんだこれ?」

 

 百鬼丸は御前試合の開催されている折神家の巨大な施設の御門前に居た。いや、正しくは彷徨っていたと言う他ない。周囲には折神家の私設親衛隊の連中や、警察、機動隊が周囲を固めている。しかも、伍箇伝の生徒たちもチラホラと門の周辺に居る。

 

 生憎、この施設の内部へゆくには、多くの人間の目を掻い潜って行かねばならない。

 

 「はて、困った……」

 

 いや、百鬼丸は右の言葉を吐きながら、その実大して困った様子でもない。ただ面倒だなぁ、という単純な意味合いであるようだ。

 

 と、そんな彼に対して突如凛々しい声で、

 

 「おい、そこの奇妙な着物のお前、そこで何をしている?」

 

 百鬼丸は呼ばれた。

 

 キョロキョロ、周囲をワザとらしく見るも無意味だった。

 

 「そこの挙動不審なお前だ!」

 

 「おれ?」

 

 「それ以外に誰がいる?」

 

 尊大に腕組みをする、猛禽類に似た鋭い眼光の少女が機動隊の隊員を抜け、足早にやって来る。

 

 香染に近い髪色をした少女だった。冷徹な印象を与える顔も、もう少し柔和さがあれば良いものも、険しさ故に王子と形容するに相応しい風体である。更に、白い上着の羽織り下から出た腕は筋肉質で良く引き締まっている。

 

 だが、どんな外面かも頓着せず、

 

 「アンタ誰?」百鬼丸は問う。

 

 一瞬、無礼な態度により、不機嫌に目を細めたが息をひとつ飲み気持ちを鎮め、

 

 「折神家親衛隊第一席、獅童真希だ」

 

 身に纏う錆利休色の親衛隊制服には、塵一つ付着していない。余程の自負心と誇りがあるようだ。

 

 「へー、んなことより十条姫和って奴知ってるか?」

 

 真希の表情は呆気にとられた様子だった。

 

 「なぜ、今奴の名を口にする? もしや、連中の関係者か?」

 

 「おれが一々知るかよ」

 

 ふぅ、と呼気を整えると真希は御刀に手をかける。

 

 「民間人にこんな手を使いたくなかったが、もう一度訊く。十条姫和に何か関係しているのだな?」

 

 (関係って、そりゃタギツヒメについて聞きたいしなぁ……)

 

 「ま、多分そうだろうな」

 

 鋭い眼光はより一層強さを増し、口は真一文字に結ばれる。

 

 「……分かった。その返事だけで十分だ。貴様を半殺しにしてから事情を聞こう」

 

 そう言うが早いか、全身が透明な膜に包まれ……かつ親指で鍔を弾き、正眼に構える。

 

 「へぇー、御刀ってそう使うのな。なんだっけ、ああ《写シ》だったな」

 

 と、百鬼丸は真面目な顔つきで頷く。まるで、馬鹿にされているように真希は感じられた。

 「もう御託は十分だ。……黙れ」

 

 白い敷石の玉砂利が真希の足元から四散する。

 

 《迅移》即ち、高速移動により百鬼丸の背後に回り込み、峰で一撃加える……筈だった。

 

 「な、馬鹿なッ!」

 

 異常な加速に乗った視線、その前から百鬼丸の姿が忽然と消えた。

 

 冷や汗が真希の頬を滑り、虚空を斬る刀身は外気を大きく流れる。

 

 「あははは、可愛いもんだな刀使も……」

 

 前のめりになった真希のすぐ真下、百鬼丸は屈み込み、右の掌底を突き上げ顎を撃ち抜く。激しい脳失神が、真希を襲う。

 

 《写シ》を貼っていなければ、最悪死んでいただろう。

 

 「――っ!?」

 

 否、写シが剥がれている! パリィン、という甲高い硝子の玉が砕けるに似た音が響く。真希がそれに気がついた時、意識は朦朧として視界は霞んでいた。

 

 全身を覆った《写シ》は消滅していた。

 

 

 4

 

 その場で真希を気絶させた百鬼丸は、今の一瞬で彼女を倒したことを遠巻きの人垣が気づかない間に退散したいと思った。

 

 心を静め、周りの人々の意識へと集中する。

 

 ……無反応。

 

 まだ、誰も先程の事態を把握していないようだった。

 

 一応の確認のため、地面に丸まった真希の脈をとり、頬や首筋などを数箇所ほど触診した。恐らく、彼女が起きてしまえば面倒事になるだろう事は容易に想像がついた。

 

 

 「ま、こんなもんだろ。多分ここに十条姫和はいないようだから、探すしかないなぁ」

 

 百鬼丸は憮然と佇み、肩をすくめて歩き出そうとした――

 

 

 「おぉ~、おにーさん、すっっっごく強そうっ♪ ね、勝負しよ~よ~っ」

 

 甘ったるい声が、百鬼丸を呼び止める。

 

 背後を振り返る。だが、人の影も形もない。

 

 「ん?」

 

 返事をする暇もなく、唐突に前方から胴を薙ぎ払う刃が、素早く百鬼丸めがけ奇襲をかけた。

 

 はぁ、いい加減にしてくれ……と言いたげな顔で攻者の方角を見やる。

 

 「えへへっ、すごーいっ、どうやって死角から察知できたのかなー♪」

 

 近い距離からくる反応。強烈な一撃を放つ人間にはそぐわない、弾んだ声音で尋ねる。

 

 すごーく、嫌な予感を感じながらも、しかし一応聞かねばなるまい。そう決心し、

 

 「キミは誰だ?」

 

 頬に冷や汗を流しながら言った。

 

 えへっ、と嬉しそうに熱い息を洩らし、

 

 「燕結芽――折神家親衛隊第四席だよ。あ、四席でも一番強いけどね~」

 

 背筋がぞくり、とする程の甘く、そして毒々しい雰囲気が漂っていた。

 

 

  

 

 

 

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