刀使ト修羅   作:ひのきの棒

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第45話

 中央制御室は、ショッピングモールの内部設備にしては良くできていた。

 まず、監視カメラの設置台数。それに火災や地震を見越した設備。しかし、それら全ては結論から云えば、まったくの無用の長物と化した。

 

 何よりも、ジョーによるハッキングにより頭脳を奪わた防犯システムは、むしろ害悪にしかならない。

 

 ◇

 巨大モニターが複数映し出された。

 椅子に腰掛けながら、ジョーはナッツをぽりぽりと口に運んでいた。缶ビールを美味そうに啜り、再びナッツ。口の中で旨みが踊り、気分が高揚する。

 

 「……ハッ、ハッ、ようやく見つけたぞ、ジョー」

 

 犬の乾いた呼吸に紛れて、少年の確かな意思を感じる。

 

 回転椅子を動かし、背後を振り返ったジョー。

 

 そこには、巨大な扉の柱に背を凭れ、息を喘がす――血だるまになった百鬼丸がいた。右脇腹を抑えながら、口端から伝う血筋を手の甲で何度も拭っていた。目は爛々と輝いており、ジョーを捉えて離さない。

 

 「よく来たね、我がメシアよ。ボクは嬉しくて嬉しくて仕方ないのさ。君がここに居て、ボクを殺しにきてくれたことを!」

 

 ジョーは、白いツーピースのスーツを着ていた。まるで、お祝いでもあるのではないか?とすら思えるほどの、違和感のある服装だった。

 

 彼は口に葉巻をくわえ、紫煙を燻らせている。

 「――百鬼丸くん。君は反出生主義というのを知っているかい?」

 

 「……知らねぇよ」

 

 ぞんざいないい口を無視してジョーは続ける。

 

 「いいかい、まぁその主義を簡単に言えばね、〝生まれてくることに反対だ〟と言っているんだよ。それについてどう思うかい?」

 

 怒りの形相で睨みつけながら、相手の出方に警戒して口を閉ざす百鬼丸。

 

「……まぁ、いいさ。君の意見を知りたかったけどねぇ。だってそうだろ? 気が付けば、君は生まれた時から化物だったんだ。人間を恨みこそすれ、助ける理由なんてどこにもないじゃないか。それでも君はメシアのように人を助け続ける。……話が逸れたね。ボクはこう思うんだ。人間なんて、所詮動物なんだ。だからいくら反出生主義を唱えたところで、動物本来の子孫を残すことを本能としてDNAに刻んできたんだ。あらゆる生物は、その環境に適した形質に己を変化させてゆく。できない生き物は淘汰されていく。だから、反出生主義は確かに一面正しいが、一面間違えている。いいや、むしろ本性が動物の癖に、DNAに刻まれている本能がある癖にスカして『主義』と名乗っている方がおこがましい。確かに生まれることは苦痛だよ。辛いね。だけど、それは――所詮ボクらがお猿の延長でしかない証拠なんだ。……いいかい、反出生主義を唱えていいのは、ボクたち荒魂なんだよ。人間どもが勝手に生み出しておいて……この生み出すという営みには、そもそも必要性がない。子孫を残す? 無理だ。我々荒魂のDNAに刻まれているかい? 無いよ! ただ御刀を鍛えた時に不純物として人間どもが排出する、それがボクらの正体だ! おこがましく、そんな主義を唱える前に、君たち人間が他の動植物を食い殺しておいて、挙句その言い草。確かに生まれなければ、そんなことは起こらないだろう。でも、生命を与えられた時点で、ボクらはそこから進まないといけないんだ! それすらせずに、なにが反出生主義だ! 愚かしい! 人間の形質である所詮動物原理の批難をしたいんだろうね。だったら、思考する、という行為すらも動物的原理の上に成り立っていることを理解すべきだね」

 

 長い演説に、百鬼丸は理解できずにいた。

 

 「……お前は、人間が嫌いなんだろ? だからこうして殺してきた! なのに何を憤っているんだ?」素直な疑問だった。

 

 ジョーはビールを一口啜る。

 

 「人間が嫌い? 誰がそんなことをいったんだ? 違う、違う! 逆だよ! ボクは人間が大好きで大好きでたまらない! だから、殺したいと思っているんだ! 愛だよ、愛! 愛とはね、いいかい百鬼丸くん。愛とは相手の存在全てを無条件で肯定するって意味なんだ。だから愛とは尊いんだ! そこを勘違いしちゃいけないよ。人間は、人類は――尊いよ。人間は常に進化できる! 前へ進むことができる! 創造も破壊もできる! そうだよ、人間は素晴らしい! いつだって、前へ、前へ、進む、間違えれば引き返せる! どこにだって行けるんだ! 人類は!」

 

 腕を大きく広げて、深く呼吸する。

 ここまで潔く、二律背反した意見を述べられる狂人がいただろうか?

  

 百鬼丸は、この眼前の男はやはり普通ではないと思った。たとえ、因縁のある相手だとしても演説には一種の説得力を感じた……。

 

 「お前の意味不明な話はおれには理解できない。ただ、これだけは言える。……おれの体を返してもらうぞ、糞キチガイ野郎!」

 

 血濡れた左腕の刃を水平にジョーに合わせ、血痰を地面にペッと吐いた。口腔が切れて痛む。

 

 「ああ、神よ! もしもそんな奴がいるなら、小便を顔面にブッかけながら感謝して祈ろう! 最高だ! 我が最高の剣、ステインを打ち破り、このボクに闘いを挑む救世主に、最大の祝福を与え給え!」

 

 天井の強いライトを仰ぎ見ながら、涙に咽ぶジョー。

 

 

 ◇

 双葉は、百鬼丸の右腕の義手を握りながらSTTの隊員である田村明に肩を貸して細く長く暗い通路を歩いていた。

 

「……はぁ、はぁッ、なんで君はそんなに百鬼丸を恨むんだ?」

 明は、顔を顰めながら、しかし声は穏やかに聞いた。

 

「……」

 横顔は無表示に、口を固く結んでいた。

 

「言いたくない、のか。だけど……」

 

 

「アイツが、百鬼丸がわたしの大好きだった父を、実の父を殺したんです」

 

 「殺した? そんな――彼が、そんなことをするやつには見えない。第一、なにかしら理由があるんじゃないのか?」

 

 「――理由なんて、どうだっていい! ただ、わたしから父を奪った! それだけです」

 

 親衛隊の制服に身を包んだ双葉。

 

 「そうか、無粋だったな。すまない」

 

 「いえ、それより……百鬼丸の装着していた義手を切断された部分に当てがうだけで止血作用があると思います」

 

 そう言いながら、双葉は見事に肩から抉られた明の右に、百鬼丸の義手を装着する。――双葉のいう通り、溢れ出る血液が留まったようだ。

 

 「なんで、君は詳しい……ッ」

 違和感の激痛を堪えて、訊ねる。

 

 「その義手を作ったのも、実父橋本善海なんです」

 

 「橋本善海!? 一時期天才学者として名を馳せた彼が?」

 

 「ええ」

 

 そうか、と明は言いながら壁に手を付いた。神経細胞が生きているようで、義手をかろうじて動かすことができた。

 

 「……オレは平気だ。それより、百鬼丸の後を追ったほうがいい」

 

 冷たく軽蔑したような眼差しで双葉は、

 「わたしがアイツを追えば、必ず殺しますよ?」

 

 ヘッ、と苦笑いしながら明はいう。

 

 「お嬢ちゃんみたいなお人好しが、そうできるならやりゃあいいさ。復讐に誰かの意見を聞く必要はない。けどな、オレをここまで連れてきてくれたってだけで、お嬢ちゃんが本当は優しい子だって分かったぜ、おじさんは」

 

 言いながら、双葉の腕から離れて、廊下の片隅にヘタりこんだ。皮膚は青白い。

 

「……なにそれ。馬鹿馬鹿しい」

 

 ぷいっ、と顔を背けて制御室に赴くため歩きだす双葉。

 

 その小さな背中を見送りながら明は、

 

「お嬢ちゃん、頑張ってこいよ!」

 精一杯叫ぶ。

 

 一切振り返らず双葉は「……必ず戻ってきますから、死なないでくださいよ」と呟いた。

 

 小走りに双葉は駆け出した。

 

 「やっぱり、君たち、兄妹だよ。血が繋がってなくても、ね」

 

 明は瞼を閉じてみた。――深い眠りにつけそうだった。

 

 

 ◇

 

 (どうやったって、ジョーの野郎の隙なんて分からねぇ……)

 苦痛に目を眇めながら、百鬼丸は必死でジョーの隙を窺う。しかし、彼は一見無防備に見えてその実、罠を張っている。それは今までの経験から知り尽くしている。

 

 そんな百鬼丸の逡巡を読み取ったジョーはせせら笑いながら、

 

 「どうした? ボクは逃げないから慌てなくていいよ。もっとも、ボクは君に簡単に殺されることを期待していないんだ。最大限の抵抗をさせてもらうよ」

 

 ジャケットを脱ぎ捨てる。

 

 ビールを飲み干して地面に転がす。

 

 ネクタイを緩め、白銀の髪を左右に手で撫で付ける。

 

 ジョーは足元に置いた、狩猟用の銃を拾い上げ百鬼丸に標的を絞る。

 

 「その離れた位置からどうする? 百鬼丸くん?」

 

 ジョーは勢いよく引き金をひいた……

 

 ――ビュン、と風を切り裂き一閃が空気をはしる。

 

 ヴェォオオン、と激しい炸裂音がした。ジョーの握る銃身の先端に、ナイフが突き刺さっていた。

 

 「ステインの野郎のナイフ、とっておいてよかったぜ」

 百鬼丸は、皮膚の破れた右腕で投擲していた。見事に銃口を二股に割っている。

 

 暴発に指を弾き飛ばされたジョーは、呆気にとられながら――「ふふふっ、いい、素晴らしい」と賛辞を送った。

 

 

 「お前を……」百鬼丸が啖呵を切ろうとした。

 

 その途中で、百鬼丸の背後に続く廊下から誰かが走ってくる音が反響していた。

 

 ◇

 

 意外にも、わたしの探していた人物の背中を簡単に見つけてしまった。

 

 乱暴に髪の毛を後ろで縛っただけの、少しだけ猫背気味の姿。

 

 わたしはこの人を知っている。ううん、昔から知っていた。

 

 この人を――わたしは殺したいと思っていた。

 

 

 ……大きな扉のすぐ傍の柱に背を預けなががら、佇む百鬼丸。

 

 わたしは足音を忍ばせて、息を潜め御刀を八相の構えにして近づく。なるべく、確実に近づき、袈裟斬りに殺す! そう決めていた。

 

 薄暗い廊下から、扉の内に入った。眩い光源がわたしの視界を眩ませた。何度か瞬きすると、制御室の奥にもう一つの影を発見した。

 

 「ジョー」

 無意識にわたしは、奴の名前を言っていた。

 

 日本中の巨大モニターをジャックして、堂々とテロを宣言した男。自身を荒魂と名乗る狂人。いま、この惨禍の原因をつくった張本人。

 

 なぜ、百鬼丸と彼がいまここに居るのか? わたしにはそれが理解できない。

 

 戸惑うわたしは、一つの視線に気がついた。

 

 「ふたば?」

 百鬼丸は驚きの表情で、こちらをみている。

 

 渇いた喉に無理やり生唾を飲み込みながら、

 

 「久しぶり、義兄さん」皮肉と、嫌悪を含めた言い方で返事をする。

 

 改めて百鬼丸をみる。上半身は殆ど黒いボロ切れのような半袖のシャツが素肌に貼り付いているような状態で、夥しく血や吐瀉物がこびりついていた。むろん、ジーンズも同様であった。

 

 ステインとの闘いがいかに壮絶だったかを物語る様子だった。

 

 「どうしてここに?」百鬼丸が動揺しながらきく。

 

 わたしはその態度に腹がたった。なぜ正直にこんな奴に言わなければならないのだろうか。仇であるコイツに!

 「――なんでもいいでしょ。わたしは、アンタを殺せればそれで十分なんだから……」

 そうか、と寂しそうに呟きながら百鬼丸は痛めているであろう右脇腹に当てていた手を放して柱の支えを振り切り直立する。

 

 「おれを殺すのは構わない。だけど、ジョーを潰してからにしてもらいたい。奴は《知性体》なんだ」

 

 腫れた左の瞼の下は細められた目が瞬く。顔も、アチコチ痣や裂傷があり、常人ならば正視に堪えないだろう。――わたしも少しだけ、コイツに憐れみを感じた。

 

 「……そんな体でできると思ってるの?」

 挑発するような口調でわたしは、百鬼丸にいう。

 

 彼――百鬼丸と《知性体》の因縁は誰よりもわたしが知っている。だから今更一々話を聞いてやる気もない。

 

 「だったら、わたしがアイツを潰せばいいんでしょ?」

 

 顎で巨大な部屋の奥のジョーに顎でしゃくり示す。

 

 途端――

 

 「やめろッ! 絶対に奴に近づくな! お前が死ぬぞッ!」

 

 義眼の右目がわたしを射すくめる。突然むけられた剣幕にわたしは背筋が凍った錯覚がした。光の宿らない義眼の虹彩は薄い膜が眼球の上を覆うように不気味だった。昔からこの目が気味悪くて、わたしは大嫌いだった。

 

 「あっそ、だったら勝手にやれば?」

 

 わたしは気力を復活させると、喧嘩腰に言い捨てる。

 

 その言葉に表情を弛めた百鬼丸は、

 「――そっか。約束だぞ、危ないことをするなよ」

 穏やかで優しい口調でわたしに言う。

 

 苛立ちが募ってわたしは顔を逸らして一言「化物の癖に……」と囁く。彼――百鬼丸が最も気にしていることを口にできた事で、優越感が満たされる気がした。

 

 背中だけをみせた百鬼丸の表情は生憎みえない。

 

 わたしの胸には、ただ虚しさしか広がらないことに愕然とした。こんな奴にも、未だに愛着があるとでもいうのだろうか? 馬鹿馬鹿しい。

 

 

 ◇

 

 「もうお話は終わったかな? ああ、君は双葉くんだね。お久しぶりだ」

 ジョーは昔馴染みのような態度だった。

 

 乱入者に対し、しばし不機嫌だったジョーは双葉だと認めると面白そうに二人のやり取りを聞いていた。

 

 「……ま、いいだろう。さて、百鬼丸くんボクの右手はダメになった。それでも戦うかい?」

 

 「お前とはフェアプレーする気はない。とっとと殺す」

 

 百鬼丸は直立不動の侭、《迅移》の為に皮膚上へ薄白い膜を張った。《写シ》である。尋常でない精神力により、異世界の防護術の使用可能となったようである。

 

 (今の状態の奴なら、どんな手を使うか知らんが、速度で殺せる)

 

 ひとりごちに内心で呟きながら、跳ぶ。地面を離れ、一気にジョーとの距離を詰めて決着をつけようとした。

 

 事実、斜め下方になった階段を移動してすぐさまジョーの距離を縮め、左腕の届く範囲にきた! 肉厚の刃が天井から降り注ぐ光に燦き、ジョーの右肩関節を断ち斬った……

 

 迅、とジョーを斬捨てざまに横目で顔を窺った。

 

 「ははは」

 嗜虐的な笑みを頬に浮かべていた。

 (なぜだ!?)

 百鬼丸はこの余裕の意味を解しかねた。

 

 と、本能が冷たく血管を凍らせた。胃袋の底を優しく〝危機感〟という名の手が優しく撫でる感じがした。

 

 直後――百鬼丸の顔面の中心に大きな礫石ほどの拳が叩き込まれた。折れた鼻骨が皮膚を破り、外部に露出する。延髄が強く地面を打つ。

 

 「がはッ……」

 

 赤い霧に覆われた後に暗転する視野、意識を回復しても尚も白く霞んだ外界。

 

 なにが起きたか、全く理解できなかった。

 

 二重に霞む視界を必死に焦点を合わせると、ジョーのツーピーススーツの背中を破る複数の豪腕を視認した。

 

 諧謔的な口ぶりで、

 「君、百鬼丸くんに特別教えてあげよう。ボクは腕が八本あるんだ。だから一本あげてもいいのさ。――おっと!」

 

 ジョーは説明の途中で背中の腕の一本を動かし、双葉の一撃を受け止めた。

 

 「うそ……今ので、なんで判ったの……!」

 油断をしている、絶好の機会だと思った。そして予想は殆ど的中した――筈だった。だのに、こちらを一瞥もせずに刃を受け止めた。

 (有り得ない!!)

 驚愕に見張られた眼は、異形の姿をした悪魔を前に、次第に絶望へと染め上げてゆく。

 

 「邪魔だな」――と、ジョーは双葉の腹部に一撃喰らわせた。《写シ》は容易く破られ、生身になった双葉の細い首をそのまま別の豪腕が掴んで宙吊りにする。

 

 「ゴホッ……ゴホッ……」

 

 胃袋の中身を吐き出す暇もなく、強烈な握力が首を締め上げる。ミシミシ、と首の骨が軋む。

 

 息ができなくて、苦しい。

 

 酷く混濁する意識の中、双葉は右手に握る御刀を振り回そうと腕に力を入れる。

 

 「ふぅん? なるほど、なるほど、百鬼丸くん。君、この娘にアレを使ったんだね? 馬鹿だなぁ。まあ、面白い余興を思いついたぞ」

 

 双葉の右手首を軽く捻り、骨折させる。

 

 「~~~~ッ」

 声の出せない悲鳴が双葉の口端から漏れる。痛みが、裁縫針のように神経をチクチクと貫く。

 

 双葉からもぎ取った《小豆長光》を眺めたジョーは楽しげに口を歪め「百鬼丸くんよくみていろよ」と告げた。

 

 全身痺れて動けない百鬼丸は息を喘がせながら気力を振り絞り、

 

 「やめろ……ッ、やめろ、お前を……殺してやる! 双葉、双葉ッ!!」

 力の抜けてゆく筋肉を叱咤して、宙吊りの双葉へ右腕を伸ばす。

 

 それを無視してジョーは、双葉の左肩に思い切り御刀を突き刺し、捻る。ボドボド、とコップ数杯分の血液が漏れ、切っ先の刃には細く赤い糸のような血筋が絡まっていた。

 

 

 (えっ、嘘……わたし、ここで死ぬの……?)

 

 悪寒が駆け巡った。愛刀で自分は死ぬのだ。そう理解した……

 

 薄れゆく景色の中、脳裏に別の「記憶」のようなものが流れ込む気がした。

 

 

 ◇

 辺鄙な、人里から遠く離れた場所に、橋本善海の研究室があった。

 日本でも有数の頭脳といわれた彼は、つい六年前に発生した「相模湾岸大厄災」の再生治療研究により認められた。故あって彼は、孤独に研究をしていた。

 

 妻がつい先日、娘を生んだばかりだった。彼は幸せの絶頂にいた。

 

 ……この小屋の付近を流れる河は、その昔人身御供信仰のあった人々により、崇められた山の上流からきている。

 

 若い娘たちを生贄にし「巫女」として殺してきた歴史がある。

 

 因習だ、と善海は思った。

 

 所詮科学を知らなかった哀れな連中のやる馬鹿な「因習」だ、と思った。

 

 石の多い河原を歩きながら、小さな柩にも似た木舟を見つけたのは、ちょうど初夏の頃だった。ひぐらしの鳴き声を聞きながら、善海は興味本位に、長い川草の茂った岸に流れ着いた木舟を拾った。

 

 中には絹の布に覆われたこけしのような人形と、ふた振りの日本刀が収められていた。しかし、その日本刀は、木舟が浸水寸前だった為に、水に浸かり半分ほどが赤錆になっていた。

 

 そして肝心の人形を触った。――その感触は、人間の皮膚そっくりな材質で、再生医療を生業にしている善海でも驚くほどの精巧さであった。

 

 

 黒々とした穴が丸い頭部に穿たれて黒々としている。

 

 『ぎゃーっ、ぎゃー』

 

 善海の脳内に直接、赤子の泣き声がきこえた。突然のことに動揺した善海は、周囲を確認した。だが、なにもなかった。

 

 『ぎゃーっ、ぎゃーっ』

 

 手元の、小さなこけしに目をやった。黒い穴だと思っていた一つの穴が動いていた。

 「まさか、そんな……」

 

 言葉を失った。これが人間だとでもいうのだろうか? そんなことは……

 

 「いいや、待て。確か……」

 善海は記憶を手繰り、古い書庫の中に民間伝承をおさめた古書を思い出した。そこに記されていたのは、戦国時代に流浪した琵琶法師が口伝で語り継いだ物語があった筈だ。

 

 その琵琶法師曰く、魑魅魍魎が跋扈する世にあって、人々を助け、敵を容赦なく切り伏せた者の名――そうだ、〝百鬼丸〟だ! 彼もまた、誕生の瞬間からこのような境遇だった! まさか、そんな偶然があろう筈がない! 善海は懊悩した。

 

 (だが、もし本当ならば、なんて残酷な運命だろう!)

 

 この手元の肉感のあるこけしの赤子を哀れに思った。

 

 善海はふた振りの日本刀と、赤子を自らの研究小屋に連れ帰ることにした。

 

 ◇

 やはり、善海の予想通り、このこけしは紛れもなく人間だった。

 

 最初こそ不気味だった、四肢も、目鼻口もない「妖怪」にみえた。だが、そんな恐れは本当に最初だけだった。

 

 お椀に粉ミルクを入れ、ぬるま湯で溶かしたものを赤子に飲ませてやる。善海は、腕に抱いた赤子がゆっくりと飲み干してゆく様を見つめながら、我が娘を重ねた。この子もまた、誰かの子であるに違いない。善海には愛着が芽生えた。

 

 

 それから時間を待たず、この赤子には超能力があると知った。

 

 脳内に直接語りかけるテレパシーによって、自らの言葉を伝えたのである。思えば、最初の泣き声も、このテレパシーによるものだった。

 

 「お前はなんて不運な奴なんだろう」善海は、赤子の頭を撫でた。

 この赤子は、善海に懐いていた。

 彼がどこにゆく時でも必ず後を追った。イモムシのように、惨めな動作で動きながら必死に追いかけた。

 

 善海がまた、飯を与える時、必ずその指に頬擦りをして感謝した。

 

 単身、山奥に篭もり研究をしていた彼にすれば実子よりも長い時間を、過ごしてきた。

 

 「お前の名前はやはり百鬼丸だ。かつていた、その人の名前がふさわしい。お前は人を救う強い人間になって欲しい」

 

 

 その赤子は、確かに外見は他の子とは異なる。だが、確かにある肌の温もりはまごう事なき人間だった。

 

 「お前を少なくとも、人間らしくしてやりたいなぁ」

 

 善海は赤子の頬を撫でた。

 

 『ぼくを、人間に……』

 

 脳内に直接、言葉がきた。

 

「お前、喋るのか?」

 

 赤子の顔を覗いても、全く変化がない。しかし確かにこの脳内の声はいつも聞いてきたものだった。

 

 『うん、とおさんの話している言葉で全部覚えた』

 

 「まさか、ありえん……いいや、でも……そうか! 百鬼丸! お前を今から人並の肉体を与えてやりたい! どうだ?」

 

 善海の言葉の意味までは理解できない赤子は、

 『よく分からないけど、そのほうがとおさんは嬉しい?』

 「ああ、お前をからず立派にしてやる」 

 善海の熱意に促されてた。

 

 ――分かったよ、とおさん

 

 ◇

 その日から善海は昼夜を問わず、自身の再生医療の知識と、それ以外の知識を総動員して百鬼丸に最高の肉体を与える作業を開始した。

 

 そんな時だった、善海はアメリカの科学者レイリー・ブラッド・ジョーと名乗る隠世の研究者と出会ったのは。

 

 彼はワザワザ、辺鄙な山小屋まできて善海に様々な助言を与えた

 

 「貴方は聡明だ。ボクの次にね」

 四〇代ほどの、顔立ちのよい西欧人は笑った。

 

 「貴方のおかげで、加速装置や、様々なことが理解できました。でもなぜそこまで親切にして下さるのですか?」

 

 彼、ジョーは無償で全ての知識を善海に与えた。その知識は現世の人知を超えたものだった。それを上手く言語化したジョーは本物の天才と言える。

 

 「ボクにはね、色々とやるべきことがあるんだ。そのために君を利用しているんだよ」悪戯っ子のように舌を出して山小屋を立ち去った。

 

 

 善海は不眠不休で、完成させた人工器官を濃緑位の液体水槽のガラス越しに眺めた。

 

 そして赤子の百鬼丸に全身麻酔をかけて、手術を開始した。山小屋は、手術室も併設していた。

 

 長い、長い時間を有した手術も無事に終わった。

 

 人工筋肉や活性細胞の皮膚、脚部の加速装置に、両腕の仕込み刀は、刀鍛冶に頼み込んでサイズを縮めた《無銘刀》だった。この刀は百鬼丸と共に流された時に一緒に納められていたものだ。

 

 

 ◇

 再び目覚めた時、百鬼丸は他の子供と遜色のない外見になっていた。

 

 『とおさん……』

 

 手術台で仰向けになった百鬼丸は、腕を伸ばした。

 

 『すごく体が重たい』

 

 その一言に、

 

 「当たり前だ百鬼丸。お前は今から練習をするんだ。人間らしく動く練習を」

 

 善海は厳しく言いつけた。

 

 その言葉通り、百鬼丸は重たい手足を自由に使えるように練習した。いつも、砂利の庭先を気の遠くなるような痛みに耐えながら歩いた。転んでは立ち上がり、転んでは立ち上がり、朝日が昇るときから、影が濃くなる夕暮れまで、泥砂にまみれながら必死になった。

 

 

 その成果があって、すぐに歩けるようになった。

 

 言葉も、テレパシーを使いながら、口を人間と同様に動かしていかにも声帯から音を出しているように訓練した。

 

 季節が四つ巡った――。

 

 気がついたときには、百鬼丸は完全に体を使いこなしていた。

 

 「よくやったな、百鬼丸」

 善海は陰ながら百鬼丸を支えていた。何度も手助けすることを躊躇して心を鬼にして百鬼丸を信じた。その結果、彼は普通の子供以上な身体と頭脳を勝ち得た。

 

 「とおさん、ありがとう」

 子供の声だが、大人びた口調がいかにも不釣り合いだった。

 「ああ、お前のためにできることを全部やった」

 

 「――とおさん。なんでぼくの腕に刀があるの?」

 

 人よりも長い手を義眼で眺めながら、百鬼丸はいう。確かに、普通の子供のようにするならば、刀は不要である。

 

 しかし。

 

 「いいか百鬼丸。お前は普通の子供じゃない。――お前を襲う荒魂っていう怪異と戦わなければならないんだ」

 

 「どうして?」

 

 「お前の体を狙って食べにくるんだ。オレも本気にしていなかったが、ジョーという偉い人が教えてくれた。確かに、ここは人里から離れているが、最近は荒魂が人間を襲う事件も多発している。それに……」

 

 と、善海が小屋の奥から持ち出したのは、橋本家伝来の御刀『小豆長光』だった。

 

 「この御刀がお前に反応するんだ。普通、刀使にしか反応しないんだが……あの人の言葉もそうだが、なにより御刀がお前に興味があるらしい。だから、もし襲われるようなことがあれば、自衛できる手段があればいいと思ったんだ」

 

 聴き終わってから、

 

 「――ぼくが、荒魂をやっけるの?」

 

 「そうだ」

 

 「どうして?」

 

 「お前は、人を助けるんだ。誰より人の痛みを知っているお前が、人を助けるのさ。強い奴はその力を困ったり弱ったりしている人間に使うべきなんだ」

 

 小さな百鬼丸の肩に善海の肉厚な掌が置かれた。

 優しく強い眼差しを注がれた百鬼丸は強く頷いた。

 

 「わかった。ぼくは、誰かを助けられる人になる!」

 

 ◇

 

 五つ目の初夏を迎えた百鬼丸は、あるとき小屋に訪れた女の子に驚いた。

 

 朝に車で山を降りた善海は夕方、小屋に再び戻ってきたとき、ひとりの女の子を連れてきた。

 

 「とおさん? この子は?」

 

 善海の足にしがみつき、隠れた女の子は百鬼丸を睨んでいた。

 

 「この子は双葉。実のオレの娘だ」善海が困ったようにいう。

 

 優しく双葉の頭を撫でる善海を眺めながら、百鬼丸は胸が痛んだ。ぼくは、偽物なんだ――。底の無い悲しみが心を蝕んだ。

 

 「お父さん」

 舌っ足らずな声で、善海を見上げる双葉。

 

 「ん? どうした?」

 

 「この子、へん! なんか気持ち悪い」

 

 言い終わると、指をしゃぶる。

 

 「おい、双葉! 謝りなさい! お前の兄さんになる人になんて事をいうんだ!」

 

 「やだ、こんな変な人お兄ちゃんじゃないもん!」

 

 「ぼくは変じゃない!」

 

 「へん!」

 

 「変じゃない! 甘えん坊!」

 

 善海の足の陰に隠れた双葉は、むっ、とした様子で百鬼丸に近づいた。

 

 「甘えん坊じゃないもん! ばか!」

 

 「ばかっていった方がばか」

 

 「…………双葉、ばかじゃないもん」

 

 大きな瞳に涙を溜めて、「ばかじゃないもん」と呟きながら大泣きし始めた。

 

 これが、兄妹二人の最悪の出会いだった。

 

 ◇

 

 善海は、それから数日で仲良くなった兄妹が庭先で戯れる様子を小屋の窓から眺めるようになっていた。

 

 病弱だった妻が、数日前に亡くなった。娘を押し付けて五年もここで別の赤子を育てていた贖罪の意識があった。娘も妻が亡くなったときは、ふさぎ込んでいたが、百鬼丸と一緒に生活するようになって、明るさを取り戻したようだった。

 

 

 「まるで、本当の兄妹だな」

 

 双葉を精神的に支えてくれるように、百鬼丸に兄という役割を押し付けたのだが、あの子は賢い。その役割を全うしてくれていた。

 

 

 

 「ねぇ、おにーちゃん! おにーちゃん! あにアレ? うんち? うんち?」

 

 木の梢のセミの抜け殻を指差しながら、双葉はジャンプする。

 

 「違うよ双葉、セミの抜け殻」

 「セミ? セミって?」

 

 「ミーン、ミーン、とかジジジ、とかうるさい虫」

 

 「ふぅーん、そっか。なんでも知ってるんだね。おにーちゃん!」

 

 「そうかな」

 

 「うん! おにーちゃん、足はやいしなんでも知ってるし!」

 

 出会ったときとは違う、尊敬の眼差しで双葉は百鬼丸を慕っていた。

 

 だからどこに行くときも百鬼丸の後を追って歩いた双葉。服の裾を握って、絶対に離れないようにする妹を煩わしく感じるときもあった百鬼丸は、しかし善海の教えを守った。

 

 自分より弱い人間や困っている人間を助ける。

 

 そして、自分は兄だ。

 

 決して血が繋がらなくてもこの妹を守らなければならないと誓っていた。

 

 

 ◇

 ――だから、あの日がきた時にこの幸せな時間が崩れ去るんだと悟った。

 

 あれは冬だった。

 

 双葉が突然熱を出して寝込んだ。風邪だろうと百鬼丸は思っていた。だけど違った。診察する善海の顔に苦悩の色が刻まれるのが見て取れた。

 

 「とおさん。双葉は大丈夫だよね?」

 双葉の部屋にお粥を運んだ百鬼丸はきいた。

 

 善海は振り返らず一言、

 「ああ、大丈夫だ。必ずオレがこの命に代えても助ける」

 そう呟いた。

 あとで百鬼丸は知った。双葉は、風邪ではなかった。

 

 百鬼丸は孤独を埋めるために、独学で闘いを学んだ。冬の自然界は様々な闘いが繰り広げられている。それを学びながら、百鬼丸は雪原の中で必死に腕を振るい、自己を高めた。以前なら百鬼丸がひとりで冬の外を出歩くことを怒った善海も、現在は研究室にこもっている。双葉は全然よくならなかった。

 

 

 ◇

 春が訪れたとき、再びあのジョーという男が小屋にやってきた。

 

 百鬼丸はこの男がなんとなく、嫌いなのに懐かしい気分がしていた。まるで他人とは思えない気持ちだった。

 

 ジョーと善海は研究室で長い時間会話していたようだった。

 

 そのジョーが帰り際、百鬼丸を一瞥し、

 

 「君には、期待しているよ」

 と、ウィンクした。

 

 その意味がその時は分からなかった。

 

 

 その日の夜に久しぶりに善海と向かい合わせでシチューを食べていた百鬼丸。

 

 「……なぁ、百鬼丸。お前に頼みがあるんだ」

 

 久しぶりにみた義父の顔はやせ衰え、凄愴な容貌をしていた。

 

 「うん、なんでもやる」

 

 「お前が頑張ってくれれば、双葉は助かるかも知れないんだ!」

 

 「うん、双葉を助ける!」

 

 シチューを食べ終わったあと、百鬼丸は双葉の部屋に向かった。

 

 

 小さな寝息が聞こえる。

 高熱を解熱剤で抑えているのだろう。上気した丸いほっぺたの双葉を見つめながら、幼い手で百鬼丸は彼女の頭を撫でる。

 

 「――双葉、お兄ちゃん頑張るからな、待ってろよ」

 

 ◇

 

 翌日、百鬼丸は自身の異常な認知センサーを発揮し、荒魂を探した。この山奥には無数の荒魂がいた。しかも、現在進行形で人里に攻撃を加えようとしていた。

 

 百鬼丸は駆け出した! 

 

 鬱蒼と生い茂る針葉樹の森を抜け、ほど近い村に出た。

 

 案の定、四脚の獣の荒魂が民家を焼き払いながら、暴れていた。

 

 幼い百鬼丸は震える指先を制止しながら、腕に隠した刃を抜いて闘いを挑んだ。本当は怖くて怖くて仕方ないのに、双葉や善海の喜ぶ顔を思い浮かべると自然とその恐怖は薄らいだ。

 

 「うぉおおおおお」

 

 四脚の荒魂は簡単に百鬼丸の攻撃を避けて、逆に強烈な尻尾の一撃を与えた。

 

 激しい衝撃で気を失いそうになりながら、燃え盛る人家を背景に百鬼丸は立ち上がる。

 

 「負けるもんか! お前なんかに負けるもんか!」

 

 銀刃を振りかざしながら、戦う。

 

 百鬼丸は獣の顎貫き、地面に組み伏せる。

 

 「まだだ!」

 背中に担いだ、身の丈ほどの御刀『小豆長光』を鞘から引き抜き、胴体に突き刺した。

 

 ギャオオオオオ、という悲鳴をあげながら荒魂は消滅した。

 

 御刀と《無銘刀》に切り払われたあとには、ノロが残されていた。

 

 ◇

 

 家に戻り、善海にノロの入った透明な入れ物を渡した。

 百鬼丸は日に日にやせ衰える善海を不安げな眼差しで見つめながら、その人の変わったような目に睨まれた。

 「よし、この調子だ百鬼丸!」

 

 ボロボロの姿の百鬼丸を気に掛かる素振りも見せず、ノロのアンプルを眺めていた。なにかに憑依されているみたいだった。

 

 百鬼丸は悲しくなったが、それでも善海を慕っていた。この体をくれて、生きる道しるべを与えてくれた善海を本当の父だと思っていた。

 

 ふと、廊下の角に隠れた人影を見つけた。

 

 「双葉、調子はいいのか?」

 

 おずおず、と角の陰から出てきた双葉は熱で真っ赤になった顔で姿を現した。

 

 「……うん、平気。おにーちゃん。ぼろぼろ。だいじょうぶ?」呂律の回ってない口ぶりで聞いてきた。

 

 「うん、大丈夫。ぼくは強いから。双葉のおにーちゃんだからな」

 

 強がっていた。子供のちっぽけな……それでも、確かな強がりだった。

 

 「うん、双葉のおにーちゃんは強いもん」

 

 ぼーっ、とした目線をしながらも双葉は頷いた。

 

 ◇

 何度も荒魂を退治する度に、命の危機を掻い潜るたびに、自分が成長していくのが分かった百鬼丸。

 

 人々に正体がバレないようにマントで姿を隠し、人里に現れる荒魂を退治した。みんなの為に戦っていることが、寂しい毎日に勇気を与えてくれる気がした――

 

 けれど、人々は逆にマント姿の百鬼丸をが荒魂を引き連れる元凶だと思い込んだ。皆、百鬼丸が姿を現す度に石を投げたり、罵声を浴びせたりした。

 

 (……化物なんかじゃない!)

 

 泣きながらも、荒魂を退治し続けた。

 

 胸が張り裂けそうな思いを堪えて、刃を振るう。その先に妹の為になるのだと信じて。

 

 日に日に弱ってゆく双葉が、一向によくならないことに、百鬼丸はとっくに気がついていた。

 

 

 確か九歳の時だったと思う。

 

 いつものように、人里に現れた荒魂を退治しようと駆けつけた時、若い女の人たちが御刀を構えながら、荒魂と戦っていた。

 

 百鬼丸は身を隠しながら、闘いの行方を見守っていた。

 

 五人いる女の人たちは、大きな体のクマみたいな荒魂相手に苦戦していた。三体を相手にしているからだろうか?

 

 皆、顔が青ざめていた。

 

 よく見ると、大勢の荒魂が女の人たちを囲んでいた。

 

 百鬼丸は、いてもたってもいられず、御刀と左手の刃を抜き、駆け出した!

 三〇秒もせずに、全ての荒魂を退治した。多くのノロが地面に揺れた。気が付くと、全身にノロを付着させていた。

 

 人里を背中にした女の人たちは、自分たちを「刀使」だと名乗った。

 

 「ねぇ、そこの小さいマントの人。ありがとうね。わたし達を助けてくれて」

 

 刀使のうちの誰かが、百鬼丸にそう語りかけた。

 

 初めて感謝される言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなる気がした。

 

 「あ、ねぇ待ってよ! ……聞いてくれないか。あ、でも、無理しちゃダメだよ。……って、いくら弱いわたし達に言われなくても分かってるよね」

 

 喋りかける彼女たちを無関心に装いながら、嬉しくてにやける顔をフードに隠して走り出した。

 

 その背後では村人たちが「さすが刀使さんだ」「あなたたちが来てくれてよかった!」と口々にはやし立てる声が聞こえたが、そんなものはどうでもよかった。

 

 ただ、自分を認めてくれた人がいた、それだけでよかった。

 

 ――刀使

 

 覚えておこう。

 

 幼い百鬼丸は熱い鼓動を感じながら、胸を強く掴んだ。

 

 

 ◇

 

 小屋に帰ると、善海が玄関先で出迎えた。

 

 「なぁ、百鬼丸。ついにとおさん、完成させたぞ! ああぁ、最高だ! ついに研究が報われるんだ!」

 

 異様な様相の善海に、ただ唖然とするしかない百鬼丸。

 

 「……どうしたの、とおさん?」

 

 「とおさん、決めたよ……双葉を救うって」

 

 「う、うん」

 

 「だからジョーさんに、《知性体》のアンプルノロアンプルを分けてもらったんだ」

 

 善海の手には、ノロのアンプルの入った注射器があった。

 

 「どうするのとおさん?」

 

 「決まってるだろッ!」

 

 自らの首筋に注射器を打ち込む。

 

 

 善海の目の色が赤銅色に変化した! 最早、目前の相手は父ではなく、単なる荒魂と化していった。

 

 うそだ、うそだ、ねぇ、とおさん!

 

 叫ぶ暇すら与えてもらえなかった。

 

 

 「ああああああああ、最高だ! 百鬼丸、手始めにお前を……」

 

 善海は近づく。恐ろしい形相で、百鬼丸に近づく。

 

 「嘘だ、うそだよとおさん!」

 

 あの優しい面影を失った善海を見つめながら、首を振って現実を否定する。

 

 ……と、その時だった。

 

 「…………うぅん、お父さん? おにーちゃん?」

 

 長患いの双葉は、ふらつきながら、目を擦って廊下から玄関先までやってきた。大きな物音が気になったのだろう。

 

 「く、来るな双葉ッ!!」

 

 警告虚しく、荒魂となった善海は振り返り、双葉に向かって駆け出した。そして自らの娘を押し倒し、小さな細い首を絞める。

 

 

 「アハハハハハア、人間を喰らってやろうか。アア? 生きた人間だ!」

 

 百鬼丸は躊躇しなかった!

 

 背中に担いだ御刀を引き抜き、一気に大きな背中の善海に突き刺す。

 

 普段退治する荒魂と異なり、肉の繊維質な感触が柄を伝う。ついで、尚暴れる善海の腹部に自らの左手を口で引き抜き、突き刺す。

 

 「死ね、死ね、死ねッ、荒魂めッ!」

 

 血まみれでのたうち回る善海を、流せない涙を堪えて、突き刺し続ける。あれほど愛した義父をこの手をかけて汚していたのだ!

 

 馬乗りの父の血を浴びた双葉は、そのまま気を失った。

 

 ◇

 

 「――百鬼丸か」

 正気を取り戻した善海は呻くように、いった。

 

 「うん」

 

 「お前に頼みがある」

 「うん」

 

 「――オレの体内にある《知性体》のノロアンプルを取り出して双葉に注射して欲しい」

 

 「助かるの、双葉?」

 

 苦悶に顔を歪めながら、躊躇いがちにいう。

 

 「知性体とは、ジョーさんの言葉によれば、百鬼丸……お前の肉体を奪った荒魂らしいな。そいつを誰かに注射する、ってことはお前の肉体が一時的に失なわれるゴホッ、……ゴホッ、らしい」

 

 バン、とドアを蹴破る音がした。

 

 背後を振り返る百鬼丸。

 

 そこには、ジョーと名乗った、白銀の髪の男が立っていた。

 

 これで現状が把握できた。この男がすべてを仕組んでいた。だから、今タイミングよく出てきたのだ。

 

 「それはボクが説明しよう。隠世と現世を繋ぐ特異体質の君、百鬼丸くんの肉体の一部は非常にレアな存在なんだ。だからこの世の摂理を超越する。ただ、代償もある。もしかりに誰かの命を救うために寿命を与えれば、その肉体は……そうさね、この世の座標値を固定し続ける意味も込めて五年、五年だ。《知性体》のノロアンプルを打ち込む代わりに五年寿命を与えれる。だが代償は君の寿命と肉体だよ。百鬼丸くん。それでも、君は双葉ちゃんを救いたいかね? まあ、安心していいよ。もし、病が治る方法がなければ、五年以内だったら青ノロのアンプルを取り出せる。逆に言えば、五年過ぎれば君の寿命は削れる。肉体は戻らない。どうだい?」

 

 ジョーの試すように嗤う顔に見下されながら、百鬼丸は怒りと動揺の綯交ぜになった視線で頷く。

 

 「やってやる! やる! 双葉におれの寿命でも、肉体でもやる! だから、だから――」

 

 百鬼丸は迷いなく答えた。しかも「その方法を教えろ」とジョーを怒鳴りつけた。

 

 

 「いいだろう、若きメシアよ。君の為に教えよう。まず、御刀でノロを取り出し、《無銘刀》で穢のみを払う。そうすると、青いノロが生まれる。それを注射器で打ち込むのだ。簡単だろう」

 

 百鬼丸は前方に視線をやる。すでに虫の息の善海が微かに眉をひそめる。

 

 「すまない……許してくれ……双葉のために、お前を、百鬼丸をこんな形で利用する、汚いオレを……いいや、恨んでくれていい……だから……双葉を」

 

 涙ながらに最後の意思を伝える善海。

 

 それは、肉体すべてが戻らない可能性を暗示していた。そして寿命を削るリスクを犯すことすら示唆していた。

 

 ……だが、そのすべてを受け入れて百鬼丸は頷いた。

 

 「とおさん、ありがとうございました。おれに体と名前、そして愛情をくれて……」

 

 そう言いながら、百鬼丸は廊下の壁に凭れたせた善海の鳩尾を御刀で貫き、ノロを排出させる。そののち、左手の無銘刀でオレンジ色のノロを斬り払い、穢のみを浄化した。

 

 ……強い人間は誰かの為に力を使う

 

 その言葉が蘇り、百鬼丸は強く祈った。もし自分が強い「人間」ならば、双葉を助けてやりたい! と。

 

 ◇

 

 双葉が目覚めた時、血まみれに刀傷を負った父善海を小さな体で背負い引き釣り、歩き出す百鬼丸を見つけた!

 

 「……なんで、おにーちゃん。なんで?」

 

 「…………」

 

 無言で歩み去る百鬼丸。

 

 理由のない怒りが胸底に湧いてきた。

 

 「人殺し! お父さんを返して! 人殺し!」

 

 咽び泣きながら、双葉は遠ざかる百鬼丸に怨嗟を吐き出し続けた。

 

 

 2

 

 

 (どうして、なんでこんな前のことが……?)

 

 困惑した双葉。

 

 ジョーの豪腕はいつの間にか解かれ、地面にヘタりこんでいた。

 

 

 五年前の失われていた記憶が補完するように、すべて理解してしまった。

 

 

 「なんで、わたし……おにーちゃんとの記憶まで、大切な事まで忘れてたんだろう……」

痛む左肩を抑えながら、双葉は呆然と呟く。

 

 

 「アハハハ、そうか。思い出したんだな。いいことを教えてやろう」ジョーは興がのったように饒舌に語る。

 

 「君の御刀《小豆長光》が、記憶を封じたんだよ! そして、君の記憶の封印を開く鍵はこの御刀さ! そこの百鬼丸くんが細工でもしたのだろうね!」

 

 痛む左肩を庇いながら立ち上がる双葉。

 

 仰向けで血まみれになりながら、虚ろな表情の百鬼丸。

 

 

 

 

 「――なんで、なんで!」

 

 どうしてこんな事をしたんだろうか?

 

 ハッ、と明らかにばかにしたように嘲るジョー。

 

 「ボクは分からないけど、君に罪の意識を与えたくない……とか、下らない理由だろうね。馬鹿馬鹿しい」

 

 彼――百鬼丸が去り際に残した唯一の父の形見、《小豆長光》を頼りに今まで復讐を誓って生きてきた……その生きる意味すら、義兄に与えられていたのだ!

 

 

 

 ジョーは軽蔑しきった眼差しで切り取られた右肩から禍々しいトゲのような硬質な物体を生み出していた。

 

 

 

 

 

 「まず、百鬼丸くんから死んでもらおうか。さようなら」

 醒めた口調で躊躇なく、地面に横たわる百鬼丸に殺到した!

 

 

 

 

 ◇

 気絶しかかった百鬼丸は、殺到するトゲを眺めながら、自分が死ぬのだと理解して覚悟した。

 

瞼を閉じて、死を待った。

――――熱い血潮が顔を濡らす。

 

えっ?

 

痛みの感覺がなく、目を開く。

 

 眼前には、大の字で百鬼丸の前に立って自らを盾にする双葉の姿があった。

 

 双葉の右の目と脾腹が、槍に酷似した黒刺に刺し貫かれていた。

 しかし、それでも尚も体を大の字に広げ、背後の百鬼丸を庇っていた。

 「……おい、やめろ……やめろッ! 双葉ッ、なにしてんだよぉおおおおお」

 地面に這いつくばったまま、百鬼丸は腹の底から怒鳴る。

 ――だが、激痛を堪えながら肩越しに双葉ははにかむ。

 「えへへっ……にいさん……ごめんね……ずっと、ずっと恨んでて……わたしを守ってくれる為にずっと、ずーっと、守ってくれてたんだよね。あの時から……ありがとう」

 か細くなる声。それでも必死に絞り出している。

 「だから、今度はわたしがにいさんを守る番なんだって……だから、勝ってよ……ずっと、ずっとわたしのにいさんでいてね」

 途切れ途切れの言葉から、紡がれる双葉の本心。左目から一筋、涙がこぼれる。

 

 「ふ た ば?」

 百鬼丸は呆然と義妹に視線を注ぐ。

 

 黒刺は引き抜かれ、その反動で大きく地面に崩れる双葉。

 空中には薔薇の花弁に似た血飛沫が漂う。

 どさり、という音で弾かれたように百鬼丸は無心で動き出した。

 地面に伏した双葉の濡れた頬を撫でる。

 「なんで……どうして、こんなことを……」

 黒々と貫通した空洞の右眼窩をみつめる百鬼丸。

 小さく口元を歪め、

 「もう一度、昔みたいに……戻りたいから……」

 「ああ……」

 「にいさんは……きっと、多くの人を助けてくれる……わたしみたいに……」

 「ああ……」

 だから、勝って――

 そう呟いた気がしたが、双葉の声は掠れて聞こえない。

 そして、ゆっくりと持ち上げられた右手に掴まれたひと振りの『御刀』

 双葉の目が訴えている――この御刀を使え、と。

 百鬼丸はその御刀と双葉の手を同時に包んだ。

 

 背後で「あはははっはは」と下品に嗤う。

 「それで、美しいお別れはおしまいか? あぁ?」

 喉の奥でくつくつ、と未だ嘲笑が収まらないようだった。

 

 俯いた顔をあげ、立ち上がる百鬼丸。彼の顔には一切の表情が無い。まるで悟りを開いたような、しかし、周囲に纏うオーラは透明で――鋭く冷たい。

 凍えるほどに冷たい。

 

 

 

 

 

 (先程とは雰囲気が違う……)

 ジョーはは初めて焦った。

 「ハッタリだろうが――」

 と、ジョーはそこで言葉を中断した。否、させられたのだ。

 「ひゃ…………?」

 耳が削ぎ落とされている! 痛みすら感じる暇がない? ジョーは混乱した。

 突風が彼の頬を掠めた。

 斜め後ろから気配。

 「貴様は斬る。確実に仕留める……!」

 肚を震わす激情。

 百鬼丸の双眸から真っ赤な光が宿り、それが動くたびに紅い残光の尾を曳く――。

 「今のは警告だ。次は仕留める」

 未だ余力を残す百鬼丸にイラついたジョーは、

 「よろしいいいいいいいいいいいい」

 大量の黒刺を剣山のように百鬼丸に殺到させる。隙間なく密集した刺の壁。

 「しねえええええええ」

 男は勝利を確信した。視界を覆うほどの刺。これで生きているはずがない。

 ニチャ、と歯をチラつかせた。

 

 ……終わりか? 

 

 背後からの問いかけ。

 「なに?」

 素っ頓狂に口を開くジョー。

 首を後ろにやろうとねじり、大きく頭部が天井に跳ね上がった。一拍遅れて、首は切断されたことを思い出したかのように、大量の鮮血を噴射させた。

 ホースで撒いたように周囲に血が飛び散る。

 その紅に横顔を濡らしながら、百鬼丸は冷徹な目で前を見据える。首なしの胴体が足元に転がった。下に一瞥して、

 「大人しくしてろ、クズ野郎」

 血痕を斬り払い、納刀する。

 

 

 しかし、刎ねた首から再び頭部が生えてくる。

 

 

 「最高だ、最高だ! ボクを切り刻むまで終わりはないよ! 百鬼丸くん! その妹が死ぬ前に雌雄を決しようではないか!」

 

 百鬼丸は冴えた眼で、

 

 「上等だクズ」

 

 血痰を吐き捨て手の甲で口元を拭う。

 

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