刀使ト修羅   作:ひのきの棒

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誤字脱字は、後々修正します! スンマセン。


あと話数の編成を変えたりしてます……スンマセン。


第46話

  百鬼丸は緩やかに息を吸う。

最早、この体に〝痛み〟というものを感知するほどの繊細さは失せていた。――それに代わって、鼓動の高鳴りと熱い闘志が燃え滾っていた。

 

 

 ゆっくりと立ち上がったジョーは、血まみれのシャツを自ら剥ぎ取るように破り捨てた。金剛力士像のように鋼の均整のとれた胴体に、背中から生えた腕たちは無骨だった……

 

 「君と遊ぶには、この腕では物足りないねぇ」

 

 言いながら、ジョーは右腕のトゲを槍状に伸ばして左手で掴む。一気に引き抜くと、そのまま一本の武器のように扱い、背に生えた全ての腕を切り離した。

 

 生きた魚が地面をのたうち回るように、厳つい腕が飛び跳ねる。

 

 「さぁ、見てくれ! 君と遊ぶための腕だ!!」

 

 肩甲骨と背骨に沿うように、鍛え抜かれた格闘家のような腕が皮膚を突き破って発生した。粘着質な液体に濡れた腕。

 

 ジョーは槍を天井に投げて、スプリンクラーを作動させる。ジリリリ、とけたたましい警告音が巨大な室内に反響する。

 

 一気に、燃えるように熱い皮膚にシャワーが降り注ぐ。百鬼丸は秀でた眉の下に滴る水を拭わず御刀を構える。奇妙に穏やかな気分。冷やされてゆく体温。柔らかな空気。まるで白い霞がかかったように、スプリンクラーが両者の間に薄い紗幕をひいた。

 

 ジョーの生えたての腕は、蛹を終え誕生したばかりのカブト虫に似ていた。下膊の輪郭がボヤける。……これが狙いだろう。

 

 両者の距離、三〇メートル。

 

 腫れてろくに見えもしない左目。右の義眼もほぼ同様である。その二つを瞑る。ただ佇む、それだけで良い。余分なことは考えない。五感を研ぎ澄ます。その一拍に第六感が宿るのだ!

 

 ヴォン、と強烈な風圧と共に弾かれる水飛沫が頬に来る。

 

 目を開き、御刀と左手の刃を自在に流す。漆黒の六槍の禍々しい穂先が全て防がれ、虚空を貫く。

 

 ジョーが「ぬゥ」と唸り繰り出す不意を衝いた二撃……すら、切り返す刃たちが斬り飛ばす。

 

 濡れた黒髪。顎を少し動かして水を振り払う。

 「ジョー、てめぇは確かに天才の学者かもしれない。けどな、いいことを教えてやる。お前は闘者じゃない。戦闘レベルはせいぜい素人だ」

 百鬼丸はふてぶてしい口調で告げる。

 

 「……そうかい」

 

 「ああ」

 

 いつの間にか、ジョーの右腕は復活していた。しかも、肘の辺りには漆黒のトゲが突き抜けていた。あそこから槍を取り出しているのだろう。

 

 「――どうした、もう終わりか?」

 

 大きく肩を上下させて息を喘がせるジョーを一瞥する。

 

 「くくっ、君はさすがに場馴れしているようだね」

 

 「当たり前だ、ガキの頃から命懸けだったんだ」

 

 「知っているよ」

 

 と、ジョーは応じた途端――

 

 

 「ごおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」

 

 渾身の叫びをあげて、無茶苦茶に八槍を多方向から繰り出すジョー。

 

 

 「へぇ」初めて表情らしい貌で呟く百鬼丸。

 

 まるで、最初から分かっていたかのように百鬼丸の足は相手に向かって進む。穂先の点が輝く。

 

 「お前にいいことを教えてやる。目くらましのつもりでスプリンクラーを使ったなら悪手だ。武器、体の動きが全部水を弾き返して軌道を教えてくれる」

 

 余裕。圧倒的王者の余裕によって齎される斬撃。

 

 気が付くと、床に全ての槍が突き刺さっていた――腕つきで。

 

 直後……ミチッ、と肉をしたたかに打つ音がした。百鬼丸は視線を音の方へ投げると、自らの腹部に斜め下から抉るように拳が二つ食い込んでいた。

 

 「グゴッ……」

 既に吐血し尽くした筈なのに、ドス黒い液体が口と鼻から漏れる。目の裏に火花が散る。

 

 あははは、とジョーの高い哄笑がきこえる。

 

 「そうだ、君の言うとおりだ。だから敢えてボクは不利な状況を選択した。なぜ? 簡単だよ、さっき捨てた腕を再利用したんだ! 自立した腕、最高だろ?」

 

 ――先程切り捨てた腕は、未だジョーの神経と接続されており、百鬼丸の死角から拳をいれたのだ!

 

 すぐにその腕を腹部から引き剥がして空中で切り刻む百鬼丸。

 

 「なるほどな、おれもまだまだ……かな」

 

 足元がふらつき、床へ倒れそうになる。脱水症状に、出血多量、内臓破裂寸前……数えればキリがない怪我を背負いながら、それでも尚、気力だけでこの場に立つ百鬼丸。

 

 それは己が化物だからか? 

 

 自問する百鬼丸。

 

 いいや、違う。

 

 己はたった一個のちっぽけな漢に過ぎない。けれども、漢を漢たらしめるのは、そのたった一個のちっぽけな自尊心(プライド)なのだ。これだけで十分なのだ。

 

 

 情けなくともよい、意地汚くともよい、他者に笑いものにされてもよい、だが己が守ると誓った事柄に反することは絶対に許されない! そんなことをしてまで己の生命を全うするつもりは毛頭ない! バカだと笑いたくば嗤えばよい! 愚か者と誹りたければ誹るがよい! ただ、己が信念を突き通すことをせず、一体なにが漢だろうか! 

 

 死地に活路あり

 

 百鬼丸は、わずかな逡巡から醒めた。そして悟った。まだ終わっていない。気力、気魄、魂魄、こいつらを燃料に己をすべて燃やし尽くせ、と。

 

 

 体躯が命ずるのだ!

 

 この偽物の混ざった体が、「生きろ」と命ずるのだ!

 

 (――ありがとう、とおさん)

 

 どん底でも感ぜる温かな〝偽り〟の肉体。

 

 百鬼丸は頬に微かに笑みを浮かべる。

 

 

遺伝子(ミーム)の流れが血管の中で暴走して迸る。……

 

 御刀を杖に再び膝を励まし、屈した姿勢を立て直す。

 

 「おれの体を返せ、ゴミ野郎!!」

 百鬼丸が吼える。

 全身、細胞の隅々まで余すことなく咆哮した。

 まるで燃えるように、強く激しく――

 命の輝きにすら思われるほど、百鬼丸の体躯から霊魂の妖気に満ちた青白いオーラが放出されていた。

 

 「……ったく、よ。おいおい、おれを最後まで怒らせてくれたな、この野郎」

 瞳孔がしかと敵を捉える。

 

 

 ジョーは眼前の現実に否定の首を振る。

 こんな状態で動けるはずがない、しゃべれる筈がない、意識なぞとうにあろう筈がない! 全部計算していたことと違う! こんな奴、いままでみたことがなかった!

 

 

 「ハハハハ、素晴らしいよ君は!」

 ジョーが喜びに打ち震える。

 腕で口端の血筋を拭い、百鬼丸は目を眇めて軽く笑う。

 二本の刀腕を構え、深呼吸をする。

 「があああああああははははっは」ジョーが呻く。

 腕が増えた。

 金剛力士像に似た、筋骨隆々の体に十二本の腕が拳を構え、打ち出す準備をしている。と、地面をなんとなくジョーは眺めた。

 

 その辺に落ちていた黒槍を手に取り、百鬼丸に全ての穂先や切先を向ける。

 「恐ろしいか?」

 「――いいや。全然。ぶっ殺してやりてぇな」

 「あははははっは」

 「あはははっははは」

 二人は睨み合いながら、最後の全力を振り絞る。

 

 

 《迅移》――と、云えばいいのだろうか?

 しかし、その速度は速くもあり、同時に遅くもあった。要するに時間の感覚が溶けてしまったのだ。

 百鬼丸は《無銘刀》で合計十二本の攻撃を俊敏に捌く。

 しかも、冷静かつ正確に。

 数合の打ち合い。剣戟の衝突音。止まぬ金属から生ずる火花。

 

 人間業とは思えぬ。――否、最早現在の百鬼丸は修羅である。

 

 人の道を捨て修羅と成り果て、かつ、人の業を背負うたのだ! 

 「君は最高だ、最高だ……ああ、君に殺さるならどんな手だって使おう! 全力でこい!!」

 ジョーがいう。

 

 

 「うるせぇ、ゴミ野郎」

 百鬼丸が怒鳴る。

 天稟の才能、というなら可奈美や結芽がそれに相応しい。

 

 ……そう、おれは「人」ですらないのだ。この肉体の誕生からおれは人あらざる者だった。社会から疎まれた。蔑まれた。様々な屈辱をうけた。

 だが尚、それでも尚、守りたい者たちが増えた。

 「厄介だな、感情って奴はよォ!」

 胸が高まる。現在のおれには守るべき連中がいる。それがどれほど土壇場で力をかしてくれているか分からない。

 

 

 

ただ一瞬――この一瞬だけ、おれに力をくれれば誰だっていい――おれに……おれに力をよこせッ!!!!

 

 百鬼丸は血濡れの視界を無視しながら、抜刀の要領で左腕を撃ち抜く。

「はぁ……はぁ……」

 肉を打つ質量をもった重い響きが、空間に木霊する。肉踊り血液が乱舞する。

 ジョーの丁度胸の中心部を捉えて刃は貫通していた。

 

 

 

 

この世界はいつだって残酷だ……

 おれが大事にしたいものから、おれ自身で傷つけて失ってゆく

 どんなに泣き叫んで喚いても、二度と戻ることはないと知っているのに

 

 ―でも、それでも

 

 帰らないものを待つのはおれには合わないみたいだ。

 

 

「最期だ、ジョー」

 

 因縁の相手に放つ言葉の呆気なさに、百鬼丸は我ながら驚いた。怨念のこもった一言でも言うべきなのだろうが、それすら思いつかない。――ただ、倒した。

 

 その事実が、左腕の切っ先を通してわかる。

 

 ふと、分厚い胸板から瞳を動かし、ジョーの表情をみやる。

 

 「ああ、最高だ……いままで味わったことのない歓喜と、静かな気持ちで満たされているのだ……百鬼丸くん、やはりボクに死を与えてくれる、最高のメシアだ……」

 

 穏やかな顔だった。あれほど憎んでいた男が、今、穏やかな顔つきで微笑しているのだ。大量の人間を殺しながら、ジョーという男はまるで無垢な子供のように静かだった。

 

 

 ◇

 

銀糸に似た霧雨が、百鬼丸の鼻筋から頬に垂れ流れる。

 掲げた右腕は血にまみれ、握り締められた拳は強く固く天を衝いていた。

 

 おれは勝った……勝ったんだ!

 

 眼下に倒れ伏すジョーの巨躯を一瞥する。

 「お前の青ノロをよこせッ!」

 

 百鬼丸は気力を振り絞り怒鳴る。

 胸の中心に穴の空いたジョーは口から血を噴きながら、笑う。

 「いいだろうボクは複数の知性体を備えているからね……しかし、また君は肉体と寿命を差し出すがいいのかい?」

 

 ああ、と重く頷いた。

 

 「――また君の、その肉体が対価になる」

 

 「だからなんだ。はやくよこせ。おれの肉体を奪った奴から奪い返すだけだ! おれの体をどう使うかはおれが決める!」

 

 

 「……ふふっ、そうか。……いいかい、他の知性体はもう全国津々浦々に逃げてしまった。君は彼らを含めた連中を討伐しなきゃいけなんだ。十二使徒、とも呼ぶべきボクの忠実な輩を、ね」

 

 

 「だったら、地獄の底まで追いかけてやるよ」

 

 百鬼丸は仰向けに倒れたジョーの真上から見下ろし、敢然と言い放つ。

 

 

 よろしい、それがジョーの最期の言葉だった。

 

 彼の計画である「聖地化」とは、未完成による完成というものだった。荒魂が自治権を獲得しようとして、敗北した。その事実さえあればよかったのだ。争いの火種はいつも人の成し遂げるという意思による行動力により実現されるのだから。

 想像力の余白を残すことは、「完全な完成品」であっても「未完成による完成」に劣るのだから……

 

 ◇

 

 既に生気の失せた青白い肌は蝋人形のようだった。……双葉は虫の息である。

 彼女もまた、人工の雨に濡れながら、今、あの世へと向かおうとしていた。

 

 (あぁ……わたし、死んじゃうんだな……もっと、にいさんと話たかったかも……)

 

 重く瞼が下がろうとしていた……

 

 

 ―――誰かが、双葉の近くにかがみ込んだ。

 

 「双葉、もう一回、兄妹をやり直したいんだ、おれ。今度はキチンとしたやり方で、な。五年前の青ノロが切れる頃だったみたいだから、タイミングは最高だな。――できれば、お前は普通に生きて、普通に暮らして欲しいんだ。双葉」

 百鬼丸は優しい声音で、いう。

 

 彼の手元には、自らの肉体を奪った《荒魂》である知性体の穢を切り払った青ノロの詰まった注射器を持っていた。

 

 ――対価は君の肉体と寿命

 

 ジョーはそういった。

 

 そんなこと全然恐ろしいとも思わない。だけど、可奈美たちや双葉たちと共に過ごす時間に短い限りとなる。それだけが心残りだった。

 

 「またな、いまはおやすみだ……双葉」

 

 

 百鬼丸は双葉の首筋に注射器を打った。

 

 ◇

 

 午後七時四十六分――

 

 現場指揮、大関のもとに一報がもたらされた。

 

 彼は肉厚の下顎を持ち上げ、

 

 「分かった、これより最終段階の制圧に向かう。テロリスト首魁、レイリー・ブラッド・ジョーは死んだ! 」

 

 STT隊員と刀使の無線に繋がっていた。

 

 総勢五四〇〇人のSTT隊員たちと刀使は一斉に制圧行動に移った。その五分後、今度は荒魂を引き寄せ続けた区画から、その存在の消滅を示す情報がスベクトラムファインダーに表示された。

 

 美炎たち調査隊の面々は〝スルガ〟討伐に成功したのだ。

 

 長い一日は集結した……かにみえた。

 

 だが、今一方では別の事件が進行していた。

 

 可奈美たち六人による、折神家への襲撃である。

 

 ◇

 

 マスコミは前代未聞の大量虐殺事件を報道するために周辺に群がっていたが、別の情報――つまり、折神朱音が横須賀港にて出頭すると言うのであった。

 

 これには青天の霹靂であった。

 

 マスコミは今回の虐殺事件で報道規制が厳しくなることを知っていたため、大衆の関心事の一つ……御前試合にて折神家当主を襲った刀使を匿った元凶である朱音をさらし者にする算段であった。

 

 

 半分の報道陣がすぐに、横須賀港へと向かった。

 

 しかし、正直な話をすればこんな鼻酸極まる現場なぞだれも報道したくない、否、現状伝えられる情報がない以上、朱音の出頭というスクープでごまかすつもりだったのだ。

 

 

 「まったく、奴らが気の移ろい安い連中でよかったよ」

 大関は苦笑いしながら、机を挟んだ相手……木寅ミルヤにいう。

 

 彼女は目を細めながら、

 「ええ、ですがはやく事件の収束をしなければ」

 

 言いながら、痛む脾腹を抑える。ミルヤ自身、「スルガ」との一戦で怪我をしたのだ。調査隊の他の面々も同じだ。しかし、高い指揮能力を有するミルヤが、双葉の欠けた現在刀使の指揮を執っているのだ。

 

 「本当は怪我をしている君の助けを借りるつもりはなかったんだが……」大関が口ごもる。

 

 ふっ、と柔らかな笑みを零すミルヤ。

 「いいえ、この人数の刀使に指示を与えられる機会も稀ですので、一度経験してみたいと思っていました」

 

 「そうか……いいや、本当に助かる」

 

 と、野営本部で軽口の応酬がいくつかあった後。

 

 不意に、その入口に駆け込む人影があった。

 

 「どうした?」

 

 救護班の腕章をしたSTTの隊員が慌てて野営本部にきたのだ。その彼は、息をつまらせながら、

 

 「大関指揮官、先行して突入したD班、田村明が生存していました!」

 

 そう伝えた。

 

 「まさか! 全員もう助からないと思っていたのだが…そうか」

 

 「――それから」

 

 言葉を遮られた大関は、しかしこの若い隊員を窘めず、先を促す。

 

 「それから、刀使の指揮中行方不明となった親衛隊橋本双葉、生存確認。現在、医療班が保護しています……そして……」

 

 野営本部の出入り口付近に立つ救護班の若い隊員を押しのける血まみれの腕が現れた。

 

 「あとは……はぁ……はぁ……おれが説明する、サンキュー」

 

 そう言いつけて、隊員を追い返す不敵な声。

 

傲慢そのものと言い添えてもいいかも知れない。

 

 「その声……まさか、百鬼丸さん!?」

 ミルヤは痛みを忘れて、座っていたパイプ椅子から飛び上がった。

 

 正体を暴かれた相手は、「へへっ、さっすがー」と軽い態度で応じる。

 

 「……はぁ、……はぁ……悪いんだけど、お願いがあんだわ」百鬼丸が苦しそうに出入り口から姿を現した。

 

 全身血まみれで、赤黒く皮膚が破れて変色している。顔は最初にみた時より倍ちかく腫れ上がって、鼻など皮膚を貫通して骨が見えている。――否、よくみると骨が露出しているところなんていくらでも散見された。

 

 「ば、ばかですか貴方は!! はやく治療を受けないと……!!」

 

 ミルヤは机を叩き、無惨な様子に注意を促す。今まで様々な闘いで怪我をみてきたつもりだったが、これほど酷い状況 (しかも意識があって歩いている)なんて生まれて初めてだ!

 

 それでも、当の本人は他者の心配を意にも介さず、言葉を続ける。

 

 「――おれを、折神家の屋敷に連れてってくれ」

 

 百鬼丸の話の意味を理解できなかった。

 

 大関とミルヤは顔を見合わせる。

 

 「君、百鬼丸くんかい? バカなことはやめてはやく治療を……」

 

 「バカじゃねぇ!! おれを……連れていけって言ってんだ、ボケ!!」

 

 どこまでも真剣な百鬼丸。だれの言葉にも耳を貸すつもりはないらしい。

 

 本当は彼を止めなければいけない筈なのだ。本当は、彼をはや本格的な治療を施すことが最重要な課題である筈だ。

 

 ……でも。

 

 この少年の意思は硬い。純粋で、みている方が痛々しいくらいにまっすぐなんだ。

 

 きっと、自分はどうかしたのだろう。ミルヤは自嘲気味に鼻を鳴らす。

 

 「……分かりました」

 

 「ちょっ、本気かい! 木寅ミルヤくん!」大関は慌てた。

 

 「ええ、本気です……ただし、百鬼丸さん。ひとつ約束して下さい」

 

 俯いた百鬼丸は「あ?」と顎をあげる。

 

 

 「絶対に生きて皆のもとまで帰ってきて下さいね。――それが約束できるなら、今からドクターヘリを準備します」

 

 ミルヤはメガネを中指で持ち上げ、爽やかな諦めの表示を浮かべた。……この少年の望みを叶えてやりたくなったのだ。

 

 

 

 

 ◇

 

 可奈美たちが折神家襲撃する三時間前。

 

 ステインは仰臥していた。

 

 百鬼丸に敗れた後双葉と明も去り、ひとりになった……。

 

 

 彼は仰向けになり、夜雨の去ったあとの澄んだ星空を眺めていた。

 ステンドグラスの裂け目から、雨の残りが滴り落ちる。

 

 (負けた、か)

 

 これほどまでに、渇望していた殺し合いにすら今は興味が失せている。

 

 俺の生きる理由は偽物のヒーローを殺すことだった。

 あの百鬼丸という少年は英雄である。間違いがない。だが、現在はもう脱力感が満ちてこれから、どうするかなんて考えられなかった。

 本物に倒されて、満足した……

 

 〝満足〟

 

 本当にそうだろうか?

 

 俺はまだ、こうして生きているではないか? 俺が望んでいたのはあくまで「殺されること」だ。

 

 だのに、生きている……否、生かされたのだ!

 

 敵に温情を施されたのだ!

 

 それは堪らなく、悔しい。屈辱だ。

 

 「もう一度、だ」

 

 ――未だ、執着の炎の残滓が三白眼の奥で燻りをみせている。

 

 その時だった。

 

 こと、こと、こと……靴音が近寄ってきた。

 

 「アア? 誰だ?」

 この状況で襲われれば、死ぬしかない。覚悟はしている。

 

 夜闇から、

 「……皐月夜見。親衛隊の三席です」

 表情の無い少女が呟いた。

 

 「俺に何の用だ?」

 

 沈黙。

 

 闇の中、不気味なほど気配を感じない。ステインは胡乱な目で声の方向へ意識を投げた。

 永遠にも等しい沈黙のあと、

 「貴方の力が必要です」 夜見はいう。

 

 「俺の力? ハッ、ご覧の有様でか?」

 「ええ」

 (コイツ、馬鹿じゃねぇのか)

 ステインは揶揄ってやろうと思った。

 

 

 「俺は悪だッ! どんな奴でも俺が気に入らなければ粛清対象だ! 殺し尽くしてやる!」

 「ええ」

 「お前もだ! 俺は、この世界にとっての毒だ! 化物だ! 世界から拒絶された獣だ!」

 「――ええ、でしょうね」

 「そんな俺を受け入れるのか?」

 

 闇から浮かび上がった少女――皐月夜見の赤銅色の瞳が地面に転がるステインを見下げる。

 「構いません。私はとうに人間には戻れなくなったのですから……貴方が望めばどんな代償も払いましょう」

 ――思わず、

 「正気か、お前」

 そう聞かずにはいれなかった。

 「正気です……それに」

 と、言葉を一旦区切る。

 口元が妖しく歪み、

 「それに私は、もう、とうに〝毒〟を受けいれていますので。〝あの方〟の今後の計画に貴方の力が必要です。それでは不服ですか?」

 

 迷いのない声音でステインを翻弄する夜見。

 「へっ」――と口を歪めてステインは睨む。「だったら、お前は一体俺になにを差し出す? アア?」

 

 そうですね、と呟きながら親衛隊の制服上着のボタンを胸元から一つ、二つ、外す。シャツから豊かな胸部だと思われる女性的丸味が露出された。

 

 「私はあの方のためなら、この身も魂も、すべて貴方に――すべて捧げます。それでは不服でしょうか?」

 

 彼女の、どこにも嘘偽りを感じ取ることができなかった。ステインはこの、狂った少女を見上げた。

 

 「お前は正気じゃない」

 

 「ええ」

 

 星空から月光が一筋、床面に射し込む。

 

 白い頭髪の毛先はすこしだけ黒い。表情筋の衰えた顔。

 

 しかし、このどん底の中で見上げる少女はひどく美しくみえた。

 

 (これも余興か……死に場所を失った俺の……)

 

 長い舌を伸ばして、

 

 「いいか、覚えておけ! 俺はステインッ! ヒーロー殺しのステインだッッ! 」

 

 血走った目で夜見を捉える。

 

 「――ええ」

 

 契約は成立した。

 

 夜見は携帯端末で何かを囁いた後、すぐに折神家屋敷に戻るように靴の踵を返した。

 

 

 ◇

 

 無意識の淵から目覚めた双葉は、じんわりと重い肉体の感覺に縛られている気がした。虚ろな目で、隣をみると、簡易ベッドの上で同じく呼吸器をつけた男……確か、ステインの近くで腕を切断された男性だ。その彼も、生きている。

 

 (なんで……わたし生きてるんだろう……)

 

 力の抜けた手で、半月状に喰い破られた腹部を触ってみる。とくに、怪我は……ない。ただ、今は右目に包帯を巻かれて、視界が判然としない。

 

 「おにーちゃん……」

 

 双葉は薄れゆく意識をなんとか繋ぎ留めながら、義兄百鬼丸を探した。けれども、周囲は大勢の怪我をした人々で溢れており、どこにもその姿を認めることはできない。御刀で傷つけられた左肩は痛みがない。――しかし、その肝心の御刀が無い。

 

 (そっか、おにーちゃん。まだ戦うんだね)

 

 百鬼丸は未だ、誰かの為に刃を振るうのだろう。それは嬉しくもあり、すこしだけ寂しくもあった。

 

 ――命を救ってくれた兄は、間違いなく双葉のヒーローだった。

 

 (かっこつけすぎ……)

 

 苦笑いともつかない態度で小さく鼻を鳴らす。

 

 どこまでもお人好しで、それでいて誰よりも優しい彼に、今度会ったら文句でも言ってやろう。そして、絶対にお礼を言うんだ。

 

 ありがとう、おにーちゃん。

 

 

 ってね。

 

 逡巡しながら、双葉は深い眠りについた。

 

 

 ◇

 ドクターヘリの中では、百鬼丸に簡易的な治療が施されていた。

 「はっきり言いますけど、百鬼丸さん。貴方はいつ死んでもおかしくない状況だって、理解してますよね?」

 救護をする男性が、ローター音にまけない大声で怒鳴る。

 

 百鬼丸は横になりながら、顔を背ける。

 

 まったく、と言いながら男は手際よく百鬼丸の怪我を塞ぎ止血した。

 

 彼の右手には御刀(小豆長光)が握られていた。

 

 (双葉、すまん。すこし借りる)

 

 「折神家までどれくらい時間が?」百鬼丸が訊ねる。

 

 「あと一時間二〇分。それまでおとなしくしていて下さいよ」

 

 ――はいはい。百鬼丸は素直にその命令に従うことにして瞼を閉じた。

 

 ヘリは夜雲を突き抜けて、折神家へと赴いていた。

 

 すべての始まりの地であり、すべての可能性の交差地点であり、そして終わりの地である場所に。

 

 

 ◇

 可奈美たちが折神家に突入する、一〇分前。

 世間は、折神朱音の告発に再びの衝撃を受けていた。

 

 奇しくも同日、大規模殺人テロが実行されたばかりである。当初、朱音たちが今回の大規模テロに関与しているのでは……世間ではそう騒がれていた。

 

 「くそッ、くそッ、忌々しい……折神朱音!! 紫様に楯突くとは……!」

 親指を噛みながら、鎌府学長高津雪那は憎悪した。

 

 屋敷の待合室。本来であれば、政治家などの偉い立場の人間が利用するのだが、雪那はそんなことには頓着せず利用している。

 

 折角、ここまで計画が円滑に進んでいたのにジョーと名乗る狂人が情勢を狂わせた。しかもそのせいで鎌府の刀使が、朱音の捕縛に使えず、雪那自身も折神家屋敷から動けずにいた。

 

 「あの出来損ないは一体なにをしているんだ……!」

 

 毒々しいまでの紅をした唇を釣り上げた。

 

 コンコン、と重い扉を叩いたあと入室したのは、どこかへ姿を消していた夜見だった。

 

 「こんな大事なときにキサマは一体なにをしていたんだ!」

 大股の足取りで扉の夜見に寄ると、打擲を浴びせた。

 

 赤く染まった頬で夜見は静かに「申し訳ございません」と謝る。

 

 「いいか、お前は出来損ないの無能なんだ、せめて私の言うことを聞いて動けばいいの! ……イヤミのひとつでも言えばどう?」

 

 「……。」

 

 「チッ、薄気味悪い……まぁ、いいわ。お前みたいなのでも手駒として利用する。そして……あぁ、沙耶香。あなたを迎えに行くからね」

 

 まるで母親のように自愛に満ちた口調で、雪那は待合室の窓に視線を流す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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