◇
ナイムネ子として美濃関にゆくまでに、時計の針を一日前に戻す。
1
「ただいま」
小屋に戻ったとき、百鬼丸は服に付着した汚れを手で払いながらしかめっ面で玄関マットを踏む。
「その刀どうしたのにいさん?」
ちょうど寝起きの双葉が驚きながら、訊ねた。
百鬼丸は頬の傷を拭いながら、「ああ」と肯く。
「これは多分おれの探していた無銘刀だ……」
「ウソ、初代百鬼丸の使ってたっていう……」
「ああ」
信じられない、とでも言いたげに双葉は百鬼丸の右手に掴まれた刀を眺める。
「そういえば、ずいぶん砂埃が服についてるけど、登山のソレじゃないよね」
敏いな、と百鬼丸は内心毒づいた。
「――さっき、敵に襲われた」
「敵? でも、全部倒したんじゃないの? 知性体以外は……」
「そういう類の奴じゃない。この次元の存在じゃない奴だ……しかも、強い」
「強い……」双葉は義兄から初めて聞く〝強い〟という言葉に動揺した。短い付き合いでも一度として相手に、そんな評価は下さなかった彼が初めて「強い」と断言した。
その実力は相当である、とみて良い。
「どんな奴だったの?」
「人を小馬鹿にしたような、性悪野郎だった」
「なんだ、戦闘時のにいさんじゃん」
「なに? おれはあんなに人が悪くないぞ。少なくとも、相手に敬意はもっている」
「はいウソ。ジョーと戦ってた時はすっごく口悪かったじゃん」
「あ、アイツは例外だ」
「いろんな人にも聞いたけど、戦ってる時結構暴言はいてるよ、にいさん」
「……はい」
しゅん、と肩身狭く百鬼丸は項垂れる。
はぁ、とため息をつきながら双葉は、
「で、どうするの? その刀、もしかしたら単なる刀かも知れないけど」
百鬼丸は顔を上げて否定する。
「有り得ない。数百年、山の上で野ざらしだった刀ならとっくに折れてる。だけどコイツは違う。キチンと形状を保っている。付属品まである程度形を保っているからな。何かしらの霊力はあるんだと思う。――それに」
「それに?」
暫し考えた様子で顎に手をあて、眉を上げる。
「それに、おれの第六感がコイツは本物だって告げる。それが一番の確証だ」
まさか、とは双葉は言わなかった。事実、百鬼丸の人間離れした能力の数々が信頼の証であるからだ。
「でもさ。でも、だよ。だったら今の赤錆だらけの状態だと使い物にならない気がするけど」
核心を衝かれて、百鬼丸は押し黙る。
(あっ、マズイ……気まずい空気になっちゃった)
慌てて双葉は、
「で、でも伍箇伝にもって行けばいいんじゃないかな? 修善とか修復とかしてもらえるかもだし」取り繕うように早口で喋る。
「伍箇伝……なるほど。ここから近いのは」
「美濃関だね」
北アルプスから近い場所は当然、岐阜の美濃関学院である。しかも、刀剣の修繕修復は伍箇伝でも随一である。
「なるほど」
「それに民間からも、特殊な刀の依頼は請け負っているみたいだし……時間はかかるけど」
「ほぉ、なぜだ?」
「だって、本来は刀使のサポートをするための学科だからね。必然的に刀使の依頼が優先されるでしょ、普通」
「そうか……じゃあ、美濃関の刀使になるしかないか」
百鬼丸の唐突な発言に双葉は絶句した。
「……………………は?」
長い時間のあとに一言、ようやく反応した。
「いや、だから刀使になれば問題なかろう」
「いやいや、問題オオアリよ! なに、刀使って女性しかなれないって知ってた?」
「当然だ」
「にいさん、男でしょ?」
「そりゃ、ち○ちんついてるからな」
「っ、そういう話じゃなくて……いゃ、そういう話だけど……」
顔を真っ赤にして双葉は百鬼丸の下品な発言に戸惑った。
(ホントにこの人はバカなんじゃないのかな?)
口には出さないが、この大馬鹿者の義兄に呆れていた。
「……じゃあ、仮にね。にいさんが刀使になれたとして、どうするの?」
「ん? 一度女装してサポートの研師を捕まえて、交渉する」
じょ、女装?
この義兄は正気だろうか?
「あっ、アル中か……」
妙に納得顔の双葉に、
「おい! 今大変失礼なこと考えただろ!? いいか、おれは大真面目なんだ! なにせ、一度女装して潜入したこともあるのだ」
エッヘン、と胸を張りながら威張る。
「えぇーー」
目を細めて胡散臭い、と言いたげに双葉は訝る。
「まぁ、待っていろ。うーん、化粧品なんぞもっていないが……」
「一度、下山して生活必需品と一緒に買ってくれば?」
「お前の化粧道具を貸してくれないか?」
「いや。そもそも、登山に持っていくわけないでしょ」
「そりゃそうか」
百鬼丸は小屋の外に駐車しているバイクで下山しようと、再び踵を返して扉を押そうとした。
「あ、待って。にいさんひとりで行かせると酒を買いそうだからわたしも一緒にいく」
「あははは、まさか」
「……それに、お酒の原材料を買って密造しそうだし」
双葉がキッチンに一瞥すると、コメや芋などの汁が滴る透明な容器が大量に置いてあった。
ギクッ、と身を固くした百鬼丸。
「わかった?」
笑顔だった。
怖かった。だから百鬼丸は「う、うん」と素直に同意した。
◇
「では、これからにいさんの女装を行います」
買い物を終えた二人は再び小屋に戻り、リビングのテーブルで小さな鏡を置いた。周囲には化粧品が無数に林立している。双葉は手術の執刀医の如く両手を上げて百鬼丸の背後に佇む。
「う、うむ。頼む」
硬い声で百鬼丸が肯く。
小さな鏡には、百鬼丸の顔が反映していた。
「そういえば、にいさんの顔って結構改造しやすいもんね」
双葉は化粧水を掌でなじませながら、いう。
「まぁ、おれは、ほとんど改造人間だしな」
ふっ、と双葉は兄の発言に笑った。
「ゴホン――じゃあ、いきます」
◇
百鬼丸が再び目を醒ますと、鏡には少女が映っていた。
「オヤ? ふむ」
腕組みしながら百鬼丸は鏡を睨む。
「どーして睨むの」
若干疲れたような顔で双葉がいう。
「中々上出来だ」
百鬼丸の賞賛に、
「でしょ。正直こんなに改造しやすい顔だと思わなかったからね。外面は完全に美少女だからね」
「なるほど」
「それににいさん、元々髪が長いから女の子っぽいし。それに義眼側は髪の毛で隠せるもん」
左右で若干目の大きさが異なるのも、義眼と肉眼の差である。
「ふむ、ふむ」
「あとは美濃関の制服だけだけど……アテがあるから」
「アテ?」
「累さん、って知ってるでしょ?」
「ああ、お世話になったぞ」
可奈美、姫和と共に逃走中に世話になった人物である。
「あの人に連絡して、なんとか今日中に間に合わせるから、あとは」
「あとは?」
「その声」
声? と百鬼丸は首を傾げる。
「そう。どっから聞いても完全に男でしょ?」
――ああ、と合点がいった百鬼丸は目を瞑る。
『こんな感じでいかかでしょうか?』
と、ソプラノボイスの軽やかな声に変化した。
「…………えっ、うそ」
「ホントですよ。もともと、テレパシーで会話してますから、どんな人物の声にでも変化させられるんです」
心なしか口調まで変化している、と双葉は思った。
(しかも、顔と声が一致してるからゴツイ骨格体さえ見えなければ完全に女の子だ)
双葉のいかがわしい妄想のスイッチが入りかけた。
(まずっ……色々と今のわたしは危ない)
必死で頭を振る。
「ごほん、ごほん。分かりました。それじゃ、美濃関の制服が届いたら出発だね」
「うむ」
「そういえば、なんて偽名にするの?」
ふむ? と片方の眉根を上げた百鬼丸。
「決まっている。以前、エレンを助けるときに薫と一緒に考えたんだ」
「へぇー。どんなの?」
「ナイムネ子だ」
「……どうしてそうなったの?」
「姫和の平城の制服を借りた際に命名したんだ。素晴らしいだろう?」
どうだ? と同意でも欲しそうに百鬼丸はいう。
「えっと、率直に言ってダサい」
なんだと!!
と、百鬼丸は驚いた顔をした。
「いかんのか?」
「いかんでしょ。バレバレよ、バレバレ。偽名だって言ってるようなもんじゃない」
ふーむ、と百鬼丸は再び腕組みした。
「おかしいな。此花某には通じたのになぁ」
「えっ、此花って、寿々花さんのこと?」
む? と百鬼丸は反応した。
「そうだ」
「…………ウソでしょ」
あの理知的で合理主義で、分析眼のある此花寿々花が義兄のアホ過ぎる偽装に騙されるとは到底思えなかったからである。
「信じて頂けませんか?」
百鬼丸は女の声音で、上目遣いでいう。
明らかに顔と体のミスマッチ感が否めないが、双葉は思わず「うっ」と興奮した。
(マズイ、このままだと新しい扉を開いちゃう)
「わかった、わかったから!! 信じるよ。でも、明日出発でしょ?」
「うむ」
「だったらさ、わたしは一度関東に帰って真庭本部長に、にいさんが見つかったって連絡するね」
「そうか」
「あっ、でもくれぐれも、無茶しないでよ?」
双葉は釘を刺した。そうでもしないと、この義兄は無茶しかしないのである。
「おう、任せろ」
サムズアップして満面の笑みで応じる百鬼丸。
……のち、この約束が簡単に破られることを双葉はまだ知らない。
「約束だからね」
「おう、約束だ」
◇
「柳瀬さん、お願いがあるのですが今お時間よろしいでしょうか?」
百鬼丸――改め、ナイムネ子がいう。
下校中の生徒をかき分け、舞衣に声をかけた。
突然現れた謎の少女に驚き、明らかに不審げな眼差しで眺める舞衣。
「……あの、どちら様でしょうか?」
醒めた調子で、尋ねる。
「少しお耳を貸していただけますか?」
不審な少女に警戒心を保ったままの舞衣は、
「どうしてでしょうか?」
身構える。
そんな様子からナイムネ子は、
(ありゃ、警戒されたな)
と、困った。
……しょうがない、と思い切った。
「おれだ、舞衣。百鬼丸だ」
小声で、後ろにいる服部達夫にバレないよう細心の注意を払い、伝えた。
「えっ? ――百鬼丸さんなんですか!?」
舞衣は思わず声を上げてしまった。
「しーっ、しーっ」
「む、むぐっ」
慌てて舞衣の唇に人差し指を当てるムネ子。柔らかな唇は湿っており、微かな弾性で指が押し返される気だした。鮮やかな下唇から熱い吐息を感じた。
思いのほか気持ちのいい感触に戸惑いながらムネ子は、
「と、とにかく事情を説明させてくれ」
頬に冷や汗を流しながら、少女の声でいう。