双葉との電話が終わった後、
「あら、切れてしまいましたわね」
ワザとらしく、携帯端末から耳を離して肩を竦める。
此花寿々花は意地悪な笑みを頬に浮かべながらベッドの隣の人物に言った。
寿々花の視線の先の人物は、
「むぅ~~~~っ、寿々花おねーさんの意地悪っ!!」
白く柔らかな頬を膨らませ不機嫌を示した。
先程まで会話をしていた双葉に、伝えなくてもいい『百鬼丸に執着している』という言葉で、燕結芽はすっかり狼狽えてしまった。
「あら、ではわたくしの推測は間違いで?」
試すように寿々花は目を細める。こんな表情をするときは決まって、確信のあるときだけである。
それを知っているからこそ、結芽は反論すらできず、
「むぅぅぅぅっ!!」
細い眉を怒らせながら、目端に悔しい涙を浮かべる。
百鬼丸から貰った本革製の上着の袖を強く握り締めながら、
「ちがうもん……」
たった一言だけ、小さく口を尖らせて結芽は否定した。……明らかに、意固地になっている証拠であった。
(少々、おふざけが過ぎましたわね)
寿々花は息を吐きながら、
「すいませんわ、結芽」
優しく微笑み撫子色の髪を撫でる。擽ったそうに目を瞑りながら結芽は俯いた。
「……ただ、お礼が言いたかっただけだもん」
「…………。」
あの日の夜、結芽の命は風前の灯であった。ギリギリのところを、百鬼丸が自らの『肉体』と『寿命』を対価に燕結芽という少女の命を救った。
双葉から百鬼丸の代償について後日聞かされた話である。
百鬼丸はあの夜、自らの右目を抉り出した。――殆ど敵対している相手に、なんの躊躇もなく。
寿々花自身、獅童真希と共にその現場に居合わせた。
彼のぶっきらぼうであるが、芯のある態度や生き様に感化されたのかもしれない。……自己犠牲とも異なる、百鬼丸という人間性を寿々花自身も知りたくなった。
ただ、百鬼丸の「与える」という行為が眩しすぎて、自責の念を強めた真希の横顔を追憶していた。
(真希さんはあまりに、真っ直ぐ過ぎですわ)
もうひとりの少女、獅童真希は百鬼丸という存在を目の前にして己の行動を問い直すように、姿を消していた。
ノロを受け入れ、親衛隊第一席として働いた。それが大荒魂「タギツヒメ」の手足となっているとも知らずに。
その事実を知った直後、真希は責任を感じながら一人行方をくらました。
「一体なにをしているのやら……」
寿々花はつぶやきながら、ワインレッドの毛先を人差し指で弄ぶ。かつてのライバルであり、特別な関係の少女について考えるのを一旦やめて、周りを見回す。
――研究病棟の一室、ノロと人体の融合した状態から治癒を目的とした被験者として彼女は現在、臨床実験を行っている。
日々の苦痛は、寿々花にとってさほどのものではない。
ただ、折神家親衛隊としてまた皆が顔を合わせることを望みにしながら過ごしている。
「なぜ、人は与えられたもので満足できないんでしょうね……」
心の声が零れるように呟いた。まるで自戒の念でも篭っているような口調だった。
ノロを受け入れ、より強い敵を倒す。
それが、ひいては他者の……多数の幸福に繋がるのだと信じて行動していた。だけれども結局、そうはならなかった。
人は禁忌と知りながら、その誘惑には勝てない。古代、神話の頃から散々語り継がれた教訓ではないか。
この、目の前の結芽だってそうだ。あのまま死んで荒魂化していれば、自分たちの手でけじめをつける他なかった。そんな危ない橋を渡るのは、もう真っ平御免だ。……寿々花は複雑な表情で結芽を見詰めていた。
「寿々花おねーさん?」
顔を上げた結芽は、不審そうな目つきで寿々花を見返していた。
「いいえ、何でもありませんわ」
首を振って否定しながら、ふと、夜見の後ろ姿を思い出していた。
誰よりも、ノロを受け入れ、まるで自らの肉体を道具のように酷使する少女。普段は無口で無表情。だが、それでも深く付き合えば彼女なりの優しさに触れてきた、と思っていた矢先である。
真希と共に、皐月夜見もまた姿を消してしまった。
あれだけ、ノロのアンプルを摂取してしまえば、尋常ではない苦しみが日々精神も肉体も蝕むだろう。それは寿々花自身、身を持って体験していた。
「ノブレス・オブリージュ(高貴なるものは、それ故の責務を果たす)」
無意識に、毛先を弄びながら口走っていた。
……此花家は代々続く名家であった。
彼女は物心つく頃から、上流階級の生き方を仕込まれてきた。中でも、西洋の概念でいうところのノブレス・オブリージュは、幼い寿々花にとって強い影響を与えた。
高貴なる階級に属する人間は、社会に自発的に還元する行為をすべきである、という考えであった。
人は社会的な動物である。
人が獣と違うのは、他者のために無心や打算なく、何かを与えられる――それゆえ、持つ者は持たざる者に与える。だから人は尊く、ひいては上流階級というのはノブレス・オブリージュによって高貴なる存在たらしめるのである。
(まさか、こんな時に思い出すなんて、考えもしませんでしたわ)
昔からの教育で染み付いた考えに苦笑いする寿々花。――それから、
「結芽は、ノロを受け入れたことに悔いはなくて?」
思わず、そう訊いていた。
愚問かも知れない。けれども、知りたかった。
「どーしたの、寿々花おねーさん?」
長い睫毛の下、浅縹色の瞳を瞬かせながら結芽は訝しむ。
「ただ、聞きたかっただけですわ」
寿々花の他意のない言葉。
う~ん、と唸りながら結芽はサッ、と口を三日月型に曲げる。
「ぜ~んぜんっ! だって、そのおかげで親衛隊のみんなにも会えたしっ!!」
喜色に満ちた満面の笑みを浮かべる。
「……だって、あのとき紫様にノロをもらってなかったら、私のすごいところだって、誰にも見てもらえなかったもん」
その結芽の発言の重さを、改めて寿々花は感じた。
死病に冒されながら、それでも自分の意思を貫こうと懸命にもがいていた結芽。
「それに、百鬼丸おにーさんみたいな強い人にも会えたから悔いなんてないよっ!」
言いながら、本革の上着の襟を立てて、顔をうずめる。ボロボロで、汗など汚れが染み付いた上着を大事そうに纏う結芽。その両頬は微かな熱を帯びて朱色に染まっていた。
以前、何度かクリーニングなどで綺麗にするよう注意したが、頑としてそれを拒んだ。
「結芽にとっては、〝強い〟ということが重要なようですわね」
呆れともつかぬ言い方で嘆息する寿々花。
「うん! ――でも」
と、言いかけて口を噤む結芽。
それだけじゃない、と言いたかったのかも知れない。そんなことは寿々花だって百も承知だ。カマをかけたくなったのかもしれない。
「ふふふっ」
自らの悪癖を嘲りを込めて笑いながら、しかし、敢えてその先の言葉を促さずに寿々花はもう一度、可愛らしい妹のような存在――燕結芽の頭を優しく、確かに撫でる。
(きっと、結芽にも単なる力の強さ、という以上に何かを与えたのでしょうね、百鬼丸という少年は。わたくしたちが、決してこの子に教えてあげられなかった大切な事を……)
それに、過ぎた過失を今更消すことはできやしない。
「……願わくば、わたくしのしていることが誰かの役に立つのならば、それがわたくしなりの、せめてもの贖罪になるのですから」
「?」
不思議そうに寿々花の言葉に疑問符を頭の上に浮かべる結芽だった。