◇
京都市。某所、送電塔頂上部。
久々の外気を吸い込みながら、ステインは右手の《無銘刀》を軽くスナップを効かせた後、背中の鞘に収める。
彼の体に打ち込まれたノロは、順調に馴染んでいるようだった。それは分かる。
個性である『凝結』も変化はない。
――いや、ひとつ変わったことがある。
「おい」
後ろを振り向かずに鋭く声を掛ける。
「――はい」
すぐ背後に控えていた皐月夜見は前に歩み出る。
「アレを試す」
「承知しました」
そう言うと、夜見は自らの左腕を差し出し、〝御刀〟水神切兼光の刃先を軽く斬る。血管からは血ではなく、赤黒い無数の蝶にも似た荒魂が夜空に放たれた。
それをすかさずステインが長い舌で舐める。
まるで時間が停止したかのように、大気中に放出された夜見の荒魂たちが一斉に行動を停止させる。
「ヘッ」
短く唾を吐く。
血走った三白眼で、夜空の一隅を見つめて意識を集中させる。
――すると、それまで停止していた空中のノロたちが一斉に蝗の如く、夜闇の片隅へと殺到した。
「やはり……か」
最近になって、ようやくノロの制御ができることを知った。
いいや、正確には自分の体内を流れるノロと夜見のものだけである。
人体を介したノロは血液と容易に混ざる。すると、ステインの個性が使えるようになったという単純な理由であった。
これを発見したのは、誰であろう夜見であった。
彼女はリハビリ中のステインの命令で、個性の凝結が消失していないか試す為に自らの血液を舐めさせた。
直後、ステインの小さな瞳は赤銅色に染まり、夜見の体内から荒魂を発生させた。
過去に思いを巡らす夜見に、
「おい、どうした? なにを考えていた?」
ステインが刃物のような眼差しで夜見を睨み据える。
「……いいえ、なんでもありません。これで貴方の武器が一つ増えた、と高津学長に報告します」
白い布に隠れた眉が不機嫌に皺を刻む。
「奴に報告するのはやめろ」
「……なぜでしょうか?」
「能力を一々誰かに知られるメリットが少ない。そもそも、どこで情報が漏れるか分からない」
「……ですが」
珍しく口答えする夜見。
ステインは目を細めて嘆息する。
「今はまだ、実用段階じゃない。それでも報告するのか?」
感情のない瞳が少しだけ悲しげに伏せた。
「……分かりました。報告は先送りします」
ステインはこの皐月夜見という少女が哀れに思えていた。それは以前の彼では絶対に思わないであろう他者への関心であった。
それまでの彼は「正義」か「悪」かの二元論でしか物事を測れなかった。だが、この四ヶ月、そして百鬼丸との闘いにより、他者への関心が芽生えた。
誰かに命令されるまま行動する。どれだけ理不尽な暴力にも耐える。
傍から見れば馬鹿者にしか思えない。
(全く不気味だ……)
日々の彼女の態度は、全くなんの意識すら感じられない。不気味であり、それはまるで毒虫のように、できれば接触したくないとすら思えていた。
哀れみと、軽蔑の二律背反がステインの心中に渦巻いている。
「いつまで俺の近くにいる?」
言外に「邪魔だ」と言っていた。
しかし夜見は、
「……ご命令とあれば、いつまででも」
ややニュアンスが異なって伝わったようだった。
「…………」
ステインは今更言葉を弄して訂正する気力が失せていた。だから、
「そんなことは別にどうでもいい。……ジャグラーという男が研究所を襲いに行ったのか? 俺はいつ戦うことができる?」
話題を転換する。
昨日、夜見から聞かされた話では、異世界の来訪者の一人、ジャグラスジャグラーがノロを大量にストックしている名古屋の研究所へと赴いたと聞いた。
「……はい、研究所の襲撃は彼に一任しています。腑破十蔵の実力はタギツヒメ様との行動により実証済みですので。今回は彼の力量と能力の試験という所でしょうか」
夜風がビュ、ビュ、と冷たく吹き付ける。
夜見の白い髪が頬を隠す。毛先の黒は夜闇に溶けて見えない。
半月が空にかかっている。
星は生憎その姿を消している。
「……俺はまだ出番がないんだな?」
「はい」
「チッ」と、針金のようにチクチクと尖った箒のような髪をガリガリと掻いて首を左右に振る。苛立ちを紛らわせているようだった。
◇
研究プラントに置かれた四面体の厳重に保管された「箱」。
これは、珠鋼とノロを接近させることで反応を調べる実験の壁の役割を果たしているようだ。
『ここでは、ノロを実験材料に使っているのですか?』
と、その話を最初聞いたときの舞衣の反応は激しい憤りであった。
曰く、刀使とは本来は巫女であり――負の神性であっても、否、古来日本では畏れ敬うことは同一である。ゆえに「ノロ」も敬う対象であらねばならない、という彼女の思想からすれば到底看過できるものではなかったのだろう。
しかし、その不満にフリードマンは答える。
ノロとは意識があり、自我がある。薫のペット「ねね」、「タギツヒメ」がその良い例であろう。祀られることは即ち無視である。
ノロの根源的な意識には〝寂しさ〟があるのだという。
寂しさは「穢」を生む。
常にノロに対し関心を示している、ということを人間側からアプローチする方法があるのだ……とフリードマンはいう。舞草の里での祭祀を例に挙げて。
「ノロはなにをそんなに寂しがっているんですか?」
真摯な眼差しの舞衣がいう。
「彼らは珠鋼を求めているんだよ。人の手によって無理やり分離させられた分身をね」
あの四角い箱では、ノロに珠鋼を近づけ穢を浄化できるかの実験を行っている。事実、時間と距離に比例して穢を浄化している。……だが、一度分離されたノロと珠鋼は二度と再結合しない。
「社に奉られるだけじゃなく、ほかにもっといい方法がないか探しているんだよ。ほら、あの今実験をしていた箱の中……仮にニモと名づけているんだ。寂しがり屋のニモ。もし、ニモの声が聞こえれば、どうするのがベストなのか教えて欲しいんだ」
フリードマンの言葉を引き継ぐように、
「私はその話を聞いてここへの出資を決めた」
孝則は静かだが断固とした意思を口にした。
「…………。」
煩悶の耐えぬ、浮かぬ顔つきで舞衣はガラス越しの「箱」を凝視していた。
それは今まで「刀使」としての考え――ひいては価値観を揺さぶられる事柄であり、なにより父の普段見えぬ一面を垣間見た戸惑いもあった。
◇
一旦は舞衣、エレンと別れた百鬼丸は、エントランス部で二人の後ろ姿を見送りながら、
「しかし、本当によろしいんですか……」
フリードマンに《無銘刀》を手渡しながら聞いた。
彼は漆塗りの鞘から赤錆だらけの刀身を抜き出し、興味深げに眺める。数百年も雨風にさらされた金属がマトモな形状を保つことに興味をもったらしい。刀身をしげしげと見つめながら、
「ああ、構わないよ。君の――ええっと、刀使の頼みだからね」
眼鏡をかけ直しながらフリードマンは快く引き受けた。
彼女たちと一緒に行動しなかったのは、ムネ子の正体を知る二人……エレンと舞衣がいると、大人たち三人と色々話しづらいのが主な理由である。
「それにしても、エレンさんがここにいらっしゃるのは、何故でしょう?」
隣にいたエレンの父、公威に問う。
苦笑いを浮かべながら、
「実は最近、ノロの強奪が相次いでいるらしいんだ。それで、護衛に、ね」
「でしたら、美濃関が一番近い――ああ、なるほど」
ムネ子はいいながら悟った。
このような施設の場合、選ぶ側は管理者……つまり、フリードマンなどに権利が発生する。身内の久々の再開を意図してエレンを刀使として指名したのだと合点がいった。
その素早い理解に、フリードマンは柔和な笑みを示す。
「君は理解が早い方だね。でも、それは一面とても危うい。もうひとり君のような少年を知っているが、彼も自分がなんでもできると思って、全てを背負う傾向があるんだ」
「……へぇ、そのような方が」
渋面を必死に抑えながらムネ子は目線をフリードマンから逸らす。
「西洋の言葉にはね。神は才人に暇を与えない、というものがある。……才能というのは、ギフトとも言うが、そのギフトは必ずしも与えられた人間を幸せにはしないだろう。……っと、アハハ、喋り過ぎたかな。ちょっと、この刀を分析機に――」
言葉を言い切る前に、激しい揺れと火災報知のジリリリリリというけたたましいベルが鼓膜をつんざいた。
「な、なんだ?」
公威は驚愕の眼差しで、天井付近に設置されたモニターをみる。
研究所のちょうど真東の棟から警告マークが表示されていた。……しかも、その距離はこのエントランス部分からほど近い。
焦りを堪えながら、公威は白衣の襟に付けた小型マイクで、
「東側近くの職員は急いで身の安全を確保してくれ。訓練ではない」
館内全てに設置されたスピーカーを通して伝える。
エントランスから遥か下を覗いていたムネ子が、
「フリードマンさん。ここから急いで逃げろ。危ない……」
少女……の声でなく、百鬼丸自身の声で冷静に告げる。
「そ、その声は……百鬼丸くんか? いいや、そうか。分かった」
白髪を掻きながら古波蔵夫妻と孝則に目配せする。イマイチ、まだ理解の追いついていない大人たちを尻目に百鬼丸は眼差しを鋭く、緊張を漲らせる。
「緊急避難のために、一度共通の回廊を使おう」
公威はほうけから醒めたように、スライド式の扉に手をかけ……
「危ないッ、伏せろッ!!」
百鬼丸が叫びながら、飛び出して公威の胸ぐらを掴んで床面に転がし伏せさせた。
直後――扉から火炎の熱が圧し、空気を一気に灼熱へと変えた。
◇
視界を紅蓮の炎が目一杯に染め上げる。八〇〇度近くの灼熱が一瞬にして廊下を満たす。呼吸すらままならない――まるで、ボイラーの中に叩き込まれたかのように息苦しい。
照り返す残照だけでも、ヒリヒリと皮膚が灼けるように熱い。
扉は跡形もなく熔けて飴細工のようになっていた。
たっぷり三〇秒経過した後、
「ゲホッ、ゲホッ、大丈夫か……?」
ムネ子……改め百鬼丸は背後を振り返りながら訊ねる。
「ああ」
孝則、ジャクリーンが床に伏せており、フリードマンは目で頷く。
どうやら、無事らしい。全員が火柱の射線上に居なかったことが幸いした。
(よかった……)
安堵しながら、百鬼丸は火炎の来た方角の廊下に眼をやる。
噴射された火炎は消え失せ、黒煙が濛々と空気に立ち込める。……遅れて、ジリィィィ、と廊下側の火災報知機のベルと共にスプリンクラーが作動する。天井から無数の水霧が噴出した。
コツ、コツ、と硬い靴音を鳴らしながらフロックコートを羽織った男が悠然と廊下を歩いて来る。
「ハハハハハ、へぇ、ここが……ノロを大量に貯蔵している研究所、か」
首を巡らしながら、愉快そうに手を叩く。
その男のすぐ背後からノソリ、ノソリ、と地鳴りが絶えず響き渡る。
その化物は荒魂とは異なる、異形の怪物であった。
剥き出しの牙から、唾液の粘着質な糸が口腔に満ちて床面に滴り落ちる。細長い瞳孔が獲物を探すようにしばらく周囲を見回した後、眼前に佇む人影へと意識を向けた。
金色の細長い瞳が、百鬼丸の姿を映し、激しい敵愾心を募らせた。
「なんだ、お前」
不機嫌そうに鼻を鳴らして苛立つ。
荒魂とは違う――否、比較にならない強さを感じる。そればかりではない。先程の火炎といい、動きといい、荒魂の同系統の怪物として認識してはいけないだろう。
「ああ、またアナタでしたか。ええっと……名前は、確か……百鬼丸。だったかな?」
一瞬で百鬼丸の女装を見破り、悦に入っているジャグラー。
黒いシックなスーツの両ポケットに手を入れて、あの特有の小馬鹿にした態度で悠然と歩く。
(くそッ、また奴か……しかも、今回は化物を引き連れてきやがって……ックソッ)
冷や汗が百鬼丸の頬を伝う。
流石に万全の装備でない状態でジャグラーと戦うのは難しい。ただでさえ、無銘刀は左腕の一本だけなのだから……。
ふと意識が地面に転がった《無銘刀》に流れる。
カチャ、カチャ、カチャ、と鞘に収まった《無銘刀》が小刻みに激しく動き出した。思わず手を伸ばして柄を握る。……掴む掌がじんわりと熱くなってゆく。鳴り止まぬ鍔。
まるで、この狭い檻から出たがっているようだ。
(――暴れん坊ですな)
内心、嬉しく笑いながら百鬼丸は組紐で結んだ鞘と柄を歯で無理やり解き、その侭噛んで漆塗りの鞘を引き抜く。
赤錆だらけの不格好な刀身が、金属の粉を振り撒きながら外気に触れる。
「なんのつもりだ? そんな錆刀なんか持ち出して? あぁ?」
おちょくられていると思ったのだろう、ジャグラーは激昂しながら叫ぶ。
首を傾げながら、
「さぁ? どうだろうな。おれもよくわからんが、コイツが出たがっていたから出したまでだ」
笑う。
以前のお返しとばかりに、目一杯馬鹿にした顔でジャグラーに答える。
「貴様ッ」
我慢の限界に達した。ジャグラーは額に青筋を浮かべて睨む。
「キングザウルス三世、全てを焼き尽くせッ!」
ジャグラーは命ずる。
黒く分厚い皮膚の怪獣は、目測から一五メートルほどある。その巨体を、四足の脚でノソリ、ノソリと胴体を揺さぶる。長い尻尾を揺らめかせ、まるで我が物顔で研究所を闊歩した。
首は長く特徴的な頭部の二本の尖角は白い。背中から尻尾にかけて扇状のヒレを靡かせる。
廊下を含め、至る箇所で炎が燻っている。
「へぇ、来るのか? いいけどよォ」
言いながら、《無銘刀》を縛っていた組紐を後ろ髪を束ねる為に利用して、乱雑に纏める。頭を微動させて体勢を整える。
「――んじゃ、悪いけど時間稼ぐから逃げてくれ」
肩越しに、転がる大人たちへ言う。
「百鬼丸くん……」
初めてフリードマンは百鬼丸の瞳に焦りの色をみた。