刀使ト修羅   作:ひのきの棒

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襲撃(ASSAULT)Ⅱ

 ――秩父長瀞、宝登山神社。

 

 伝説に依れば東征に出た日本武尊が、遥拝する彼の前に東北方より猛火が進行を阻んだ。しかして突如、巨狗が現れ猛火を鎮めたという。

 これを事実として考えると、約一九〇〇年前の出来事である。関東でも有数の古い社にも「ノロ」を奉る箱が当然、ある。

 四か月前から荒魂出現の頻発する関東一円では、殊に人々が社の周りに近づくことを国が制限していた。

 

 

 行楽地の地としても賑わう山も、今は人影が見当たらない。

 穏やかな秋の澄んだ空と共に鮮烈な空気が山には満ちている。緩やかな勾配の道の上になだらかな日差しが薄い蜜色になって幾条も枝間から斜めに射し込む。

 未だ緑葉が数多く見受けられる初旬。

 

 「ん~っ、気持ちいい~っ」

 背伸びをしながら腕を伸ばすと、不意に薫風に頬を撫でられた。甘栗色の髪が頬を一瞬隠す。葉擦れの音が無数に聞こえる。

 今回の彼女の任務は簡単な周辺調査であった。――特別祭祀機動隊の指揮官も務める真庭紗南の命令により、簡単な荒魂の調査を行っていた。通常、刀使の単独調査は例がない。というのも、荒魂との戦闘は必ず多数の刀使により行われるものであり、単独であれば死傷率が跳ね上がる為である。――が。

 

 衛藤可奈美のみは例外である。

 

 彼女の強さは無類であり、刀使の長い歴史において近似の人物を挙げるのであれば、ただ一人藤原美奈都のみが当てはまる。……可奈美の母である。

 

 「えーっと、もう少しで社に到着するかな?」

 スペクトラムファインダーの画面を眺めながら、きょろきょろと周囲を見回す。特に変わった気配は無い。

 

 「…………。」

 画面をぼーっとした眼差しで見つめながら、可奈美は唐突な虚無感に襲われた。

 

 (何やってるんだろう、私……。)

 全く手応えの無い任務。虚無的な時間の数々……。

 本当は色んな刀使と手合わせをして剣術に磨きをかけたいと願っていた。勿論、世間を安心させる為の大事な刀使の仕事でる事も理解している。……理解してはいるのだが、可奈美の中では煩悶が生まれていた。

 

 『可奈美は強い……。』

 あのとき、風呂場で沙耶香がいった一言。

 

 彼女は無意識に可奈美のひた隠しにしてきた本音を見抜いていたのだった。沙耶香自身も刀使の中では有数の剣士である。しかしその彼女を以てしても尚、比肩せざる実力差があった。

 

 誰も、現在の可奈美の強さに寄り添える者が居なくなっていた。

 

 ……恐らくは、《迅移》に特別な才能を有する十条姫和でさえ。

 

 最早、この強者としての孤独と渇きを理解できる者なぞ周囲には居なくなっていたのだ。そして何より最近では、他者との齟齬を自覚しながら、自らの胸中で本当の欲望を堪える事にも限界を感じ始めていた。

 

 「…………。」

 俯く。甘栗色の長い前髪が可奈美の表情を一切覆い隠す。……サッ、と突風が路上の落ち葉を浚う。前髪が跳ね上がり、可奈美の醒め切って感情の無い表情と、光のない瞳が絹糸のような髪の間から現れた。

 

 

 澱のように心の底に蟠った鬱積が、時々どこかで爆発しそうな気がしていた。

 

 

 脳裏にふと、ある人物の名前が閃いた。

「百鬼丸、さん……か」

飢渇していた欲望に、一縷の望みのようなものが射し込む。灼熱の砂漠に水を見出した人のように淡い期待が徐々に確信を以て、期待の明瞭な輪郭を覗かせた。

 

琥珀色の瞳が次第に光を取り戻し、柔らかな下唇が朱に色づく。瑞々しい唇を撓めて、真っ直ぐ前を向く。

 ばしっ、ばしっ、と両頬を手で叩き精神を明確に保つ。弛緩していた気分を一掃した。

 

 「――よしっ、早く調査終わらせてご飯食べなきゃ!」

 普段通りの明るい顔つきになった可奈美。

 

 ピピピッ、とスペクトラムファインダーに荒魂の出没を知らせるアラームが鳴った。

 長い睫毛を瞬かせ、

 「頑張らないと」

 再び自分に言い聞かせるように呟いて、白とピンクを基調にした色合いのスニーカーを素早く走らせた。

 

 ◇

 山頂、宝登山神社に続く石階段を登り終えると、嘘のように森閑とした雰囲気に包まれていた。

 「はぁ……はぁ……って、あれ?」

 急いで階段を登ったために短い息切れをしながらも、可奈美は余りの空間の静寂さに驚いていた。

 

 (どういうことかな……?)

 荒魂が発生すれば、独特の金属同士を擦り合わせたような鳴き声が、まず最初に聞こえる。次いで障害となる建物や様々な遮蔽物をなぎ倒しながら進む破壊――。

 

 そのいずれもが、無い。

 

 怪訝に眉をひそめながら、小首を傾げる。

 

 不気味なほどに無音で、沈黙というのは余に無機質である。

 

 スニーカーで地面を一歩一歩確実に行きながら、可奈美は御刀を下げる銀色のホルダーへと手を伸ばした。ネジのマイナス部分に似た金属の手触りを感じ、更にその奥の《千鳥》の白い柄巻を感じた。

 

 ……手に馴染む感触。

 

 一気に抜刀して、正眼に構える。

 通常の刀身よりやや短めに拵えられた《千鳥》は、陽光に照らされ明澄な輝きを放つ。

 先程までの可愛らしい顔立ちから醸し出される甘さは消え失せ、代わって鋭い眼差しはさながら鍛え抜かれた猟犬のように尖っていた。

 

 半眼に伏せられた瞼の下の琥珀色は、社の裏手に繋がる柱の一隅へと俊敏に動いた。

 すり足に等しい要領で移動する。

 

 無風。

 

 知らず知らず、鼓動が高まる。

 

 徐々に開けた視界から、ムカデの形状を模したような荒魂の残骸が地面に巨体を広げている光景が飛び込んできた。

 

 「――――?」

 疑問が浮かんだ可奈美は、両手に込める力を強めて《千鳥》を僅かに引き寄せる。

 

 社殿の正面とは異なり裏側は鬱蒼とした樹木の影に覆われ、且つ秋の気候が持つ乾いた空気感に満ちていた。

 

 ムカデ型の荒魂の頭部の部分に、人影が認められた。

 薄暗い中、俯き右手に不思議な形状の「刀」を掴む人。

 

 「あなたはここで何をしているんですか?」

 この状況で、一般人というには余に認識が滑稽と言わざるを得ない。状況から明らかに彼が倒したので間違いない。その証拠に、刀身にはベットリとノロの毒々しいまでのオレンジ色が粘りついている。

 しかも変わった格好をしていた。上着は死装束の長い袖のものを羽織り、下は赤い襦袢を、黒い帯で腰元を締めている。厚地のズボンに厚底のブーツ。

 

 そして何よりも風貌は、放埒に伸ばした黒髪に、口元には無精ひげが生えていた。彼の眼は常人のソレとは異なり、非常に冷ややかな印象をうけた。

 

 「なんだ? 小娘」

 

 突然声をかけられたにも関わらず、男は動揺する素振りすら出さず可奈美の方向へと頭を持ち上げた。

 

 枝を離れた落ち葉たちが、紗幕のように二人の間を流れる……

 

 その瞬間、両者の視線が交錯した。

 

 (――――この人、普通じゃない)

 可奈美は理解した。

 

 荒魂よりも危うい存在と遭遇してしまった事実に……。

 

 

 

 「さぁ~て、まずどうやってお前を料理してやろうか?」

 大きく目を開いて、ジャグラーは大きく首を傾ける。

 

 

 

 侮蔑、憎悪、軽蔑、嘲笑……その他雑多な負の感情を綯交ぜにしたジャグラー。

 

 こんなにも、胸の奥底の昂ぶりを感じたのはいつぶりだ? オレに屈辱を与えた、「あの男」の悔しがる顔をみた時か? いいや違う。

 

 

 目前の少年――百鬼丸は口では強がっているものの、その実は焦燥で苦しんでいる。彼一人であれば、この状況もさほどのものではなかったに違いない。しかし背後に居る人間を庇いながら戦う……

 

 「馬鹿だなぁ。つくづく苛立たせてくれるッ」

 肚が煮えるような気分だった。所詮ザコの人間なんて放っておけば良いものを、わざわざお荷物を増やす。その行動が理解できない。

 

 「なァ、なんでだ? なんで〝お前ら〟はいつもそーーーやって愚かな行動ばかりするんだ? 教えてくれよ」

 ジャグラーは人を小馬鹿にした薄笑いを潜めて、静かな怒りの口調と共に吐き出す。

 

 「なに言ってるんだ、お前……」

 唐突な変わりように、戸惑いながらも、百鬼丸は冷静さを保ち左腕を噛んで首を真横に振り抜く。スラリ、と銀色の輝きが現れた。

 

 

 「ふぅーーーーーっ、クソッ。やるしかねぇよな……」

 美濃関学院の女子制服を身にまとった百鬼丸。

 

 赤いプリーツスカートを翻す。同じく赤い制服の襟に付着した埃を右手で払いながら、首を回して体勢を整える。

 

 目の前に僅か数十メートルしか離れていない状況で、巨体を揺らす怪物。

 

 真正面からやり合う以外に方法が見当たらない。相手の具体的な能力も分からないままやり合うハメになっていた。

 

 (ちょーーーーーっと、キツイかなぁ……。)

 

 ……いいや、嘘だ。認めよう。本当は滅茶苦茶にピンチだ。そんでもって、打開策が無い。にじり寄る怪物の醜悪な雁首が上下に揺れる。クソッ、クソッ、クソッ。

 

 ローファーの靴底を擦って加速の準備体勢を整える。

 

 ちらり、と背後を窺う。エントランス部分と管理棟を繋ぐ通路。非常時に避難できるよう床面にハッチがあり、垂直上に梯子があった――

 

 (まぁ、これで逃げてくれるだろうな。問題は時間だ……)

 

 スーツの男、ジャグラーは交戦する意思がないようだ。

 

 「おい、どうした? もう最期の懺悔は終わったか? まだ時間が欲しいなら、泣きついて頼めば許してやるぞ。あっははははは」

 

 「ああ、どーも。クソみてーに待っててくれたお陰で、テメェの吠え面かかせる算段ができたよ。ああ、そうそう。サビ刀で十分だったぜ、お前なんか」

 

 ――ビュン

 

  と、百鬼丸の頬の皮膚が浅く削られて針形の傷ができた。ツツ、と血が流れた。凶暴な風の正体は、ジャグラーの持つ「刀」のようだった。

 四足歩行の怪物の傍でこめかみに青筋を浮かべながら、ひき攣った顔で睨みつけている。

 

 百鬼丸は不敵な笑みを口元に零す。

 

 「チッ」ジャグラーは気がついた。安い挑発に乗ったのだ、と。〝あの男〟ならば絶対にやらないであろう行為。しかしこの少年は平然と挑発し相手の思考を乱す。

 

 (こんなガキを相手に……)

 

 「いけ、アイツの人生を終わらせろッ」

 ジャグラーはキングザウルス三世に命ずる。黒い牛革のような皮膚が蠢動する。

 

 

 ――まず、負けない。

 

 と、ジャグラーは計算していた。彼にとって予想外なことはいくつかあった。その一つは本来的に怪獣の性質が変わっているということである。元の世界では倍以上の大きさがあった怪獣が、どうやらこの世界ではサイズが限定されるらしい。物理的制約があるようだ。察するに「この世」と「隠世」という二つの世界の干渉によって、異物である怪獣は物理的な制約を受けるのだろう。でなければ、それ以上の巨体では自重(内蔵の重量)によって、自然と歩行が困難になり、死んでしまう。

そしてもう一つ――キングザウルス三世は、本来ウランが主食である。しかし、この世界では負の神性「ノロ」を求めている。推測だがノロによってこの世界に顕現できているのだろう。従って、火炎の際に生ずる放射能は発生せず、単なる高火力の火に過ぎなくなった。

 

 

 そもそも、キングザウルス三世は前世では正面以外の……つまり死角となる上部から攻撃を受けて死んだ。しかし、この研究所の廊下は大規模な機材搬入を想定している為、二〇メートル四方で、このサイズならばキングザウルス三世も動くことが可能であった。

 

 (これで、上部や下部からの攻撃はできない。それに正面で対峙をせざるを得なくなったワケだ……。)

 

 完全に弱点は封じた。

 

 

 ゆっくりと、百鬼丸を窺う。

 

 

 「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 

 ありったけの雄叫びで、百鬼丸は飛び出した。

 

 空中から一気に打ち出す一撃。

 

 左腕の《無銘刀》を思い切りキングザウルス三世の角の間……即ち、眉間を貫く予定であった。

 

 

 予定であった。

 

 

 だが、そうはならなかった。

 

 

 「なにッ……」

 咄嗟に百鬼丸は驚愕を洩らす。

 

 金色の怪獣の双眸がギロリ、と百鬼丸の像を映した。

 

 バチチチチ、とスパークするような響きと共に虹色の半透明な燐光が怪獣の頭部を面状に広がっていた。

 

 「なんだこれはッッ」ーーいくら力を込めても、貫くことは愚か刃が弾かれそうになるのを堪えるだけで精一杯だ。

 

 「あはははっは、おい! さっきの威勢はどうした? ――ん?」

 耳をワザと前に出して挑発するジャグラー。意趣返しができて、スッキリしているようだった。

 

 

 「くっ!!」

 

 焦りが百鬼丸の胸を満たす。

 

 (やっべーーーな、おい)

 

 これまでに戦ってきたどの相手とも違う。異端、異物、どの言葉にも当てはまって、どの概念にも当てはまらない。

 

 『グォオオオオオオオオオオオオ』

 

 キングザウルス三世が吠える。

 

 大型機材のスピーカーを耳元で鳴らされたような迫力があった。臭い粘液の口腔を真っ赤にして開き、更に叫ぶ。

 

 『グォオオオオオオオオオオオオ』

 

 透明な障壁は尚、斥力を強めて《無銘刀》を弾き返した。

 

 そして、四足の股の間から器用に自らの長い尻尾を突き出して、百鬼丸へとブチ当てる。

 

 

 「ぐほっ………ゴボッ」

 

 胴体の真ん中にヒットした。盛大に口から鮮血を吐き出して床面に撒き散らす。そのまま地面に転がり、人形のように百鬼丸は動かなくなった。

 

 

 (どーなってんだ、オイ)

 痺れる頭と白く霞む視界の焦点が絞れるまで、待ちながら微かに頭を持ち上げる。

 

 右手の《無銘刀》は、ハッタリであった。そもそも、こんな刀に心の底から期待なんてしていない。――何より、威力偵察のつもりだった一撃から思わぬ反撃を喰らうハメになった。

 

 転がったままの百鬼丸を見下しながら、

 「もうオワリか? なぁ?」

 喜悦に染まった表情。ジャグラーの端整な顔立ちは歪んでいた。「……まぁ、いい。その不愉快なツラをさっさと消せ」

 瞬間に切り替えて、隣のキングザウルス三世に止めを刺すよう指示する。

 

 

 グォオオオオオオオオオオオオ、と反応する。

 

 

 「ちっと、マズイかな」

 力の抜ける脚を励ましながら、百鬼丸は立ち上がる。

 

 ふと背後に、フリードマンたちの気配が無くなっていた。恐らく無事に逃げることができたのだろう。

 

 (よかった……。)

 

 安堵を覚えながら、目を眇めて怪獣を見返す。

 

 

 (ここで、加速か? それとも――)

 

 僅かな間の逡巡――

 

 

 

 

 『百鬼丸さんっ!!』

 

 『まるまるっ、助太刀デース』

 

 聞き覚えのある声がした。

 

 バッ、とその方角へ頭をやる。

 

 

 エントランスから斜め上の階の研究棟、その共通回廊に貼られた窓ガラスから舞衣とエレンの姿があった。

 

 「ば、ばか! 早く逃げろ――」百鬼丸は思わず怒鳴る。

 

 

 ――と。

 

 『バカは百鬼丸さんですッ!』

 舞衣は鋭く言い返した。

 

 

 「……え?」

 

 初めて聞く舞衣の怒り。

 

 「昨日、私に言いましたよね? 〝刀使なんていらない〟って。今からその言葉が間違いだったと訂正してもらいます。いいですか?」

 丁寧な口調で怒っていた。

 

 「ま、マイマイ?」

 

 隣に居たエレンも口をポカンと開け驚き舞衣を窺う。

 

 その有無を言わさない圧力に思わず百鬼丸は頷いていた。その間の抜けた表情が余程おかしかったのだろう。舞衣は不意に口元を綻ばせる。それから、笑いを消して、

 

 「――任務を開始します」

 

  真剣な声音で、翡翠色の美しい眼に薄青の光を煌めかせた……。

 

 

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