刀使ト修羅   作:ひのきの棒

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第70話

 獣道から登山道に接続する細路まで出ると、既に日没の刻限に迫っていた――。九十九折のアスファルト舗道には未だ日ざかりの余熱が保たれていた。暗く青味がかった空は、透明な星の輝きが点在している。

 「……なぁ、百鬼丸。お前はこの四か月間なにをやってたんだ?」

 薫が頭の後ろで組んだ手を解き、首を後ろにやる。

 「おれか? おれは《無銘刀》を探していた」

 「はぁ? 《無銘刀》か? もう持ってるだろ、んなもん」

 「――あ、違う、違う。左腕のコレの事じゃない。初代の……百鬼丸が持っていた方の無銘刀だ。ホレ、今おれの左腰に佩いているコレがその《無銘刀》だ」

 薫は「どれだよ?」とつぶやきながら、薄闇に目を細めると、確かに黒瑪瑙色の幅の太い鞘があった。

 「へぇ、そんじゃ見つかってよかったな」

 「まぁな。でも、コイツは厄介な代物でな」

 「どういう意味でだ?」

 しばらく視線を宙に浮かせ、思案顔をする百鬼丸。それから、

 「簡単にいえば、コイツは妖魔の血を吸わないとダメな刀だな」

 まさか、そんな馬鹿な……とでも言いたげな表情になる薫。しかしそれを無視して百鬼丸は言葉を続ける。

 

 「なんつーのかな。つまりさ、最初コイツは赤錆だらけのナマクラ刀だったんだ。だけど、例の怪獣が現れてから異変が始まりやがった。そんで、怪獣の血液を吸った頃にはほとんど別物って言っても過言じゃない位に切れ味が鋭くなった。思うに、コイツは、何千何万っていう妖魔を斬り伏せたおかげで、妖刀の類になったんだと思う。……しかも、斬れば斬るほど鋭さが増していくみたいだ。血肉だけじゃねぇ、単に妖魔のいる空気だけでも反応して鋭利になる。恐ろしいヤツだよ」

 

 目線を落としながら、過日の戦闘を反芻する。

 

 「なるほどな。確かにお前のいう通りかもしんねーな、そいつは」

 刀使の用いる《御刀》とは性質を大きく異にする刀――《無銘刀》。その真価を知らされた薫は一つの疑問に思い至る。

 「そういや、初代百鬼丸って言ったな。どういうことだ? お前の前にもいたのか?」

 

 「ああ、おれの先代……って言っても、勝手におれが二代目を自称してるだけなんだがな。でも間違いなく戦国時代におれと同じ境遇の武芸者が存在していた。それだけは間違いない。四十八箇所を化物に喰われた男――百鬼丸。おれはそいつの名前を頂いて、こうして生きてる」

 

 「そうか……」

 その話は初耳だった。彼……百鬼丸は未だ多くを薫をはじめ他の五人にも語っていない。敢えて聞かずにいた部分もあった。それが優しさだと思っていたからだ。

 (だけど、オレは――)

 知りたいと思った。益子薫は、人よりも他人の感情の機微に敏い。ゆえに、一見雑な性格に見られるのは他者が気を使わなくて済むように、敢えて「怠け者」を演じている側面もある。(だが半分は、生来の怠け者である部分もあるのだが……。)

 「なぁ、百鬼丸――」

 「ん? なんだ?」

 温泉街までは徒歩で三十分ほどかかる。薄暗い道路には等間隔で立つ電柱の蛍光灯が斜めに射して、光の紗幕を曳いている。

 「小腹減らないか?」

 「おお、そうだな」

 ――んじゃ、あそこに寄ろうか。と、薫が指差したのは、ポツンと一軒山腹に鎮座するコンビニだった。眩しいくらいに光を放つ店舗を指しながら、

 「少しは奢ってやるよ」

 口端を釣ってウィンクした。

 

 

 ◇

 「ねね?」

 薫の頭に乗っかったねねが不思議そうに顔をする。

 「おい、ねね」

 「ねね?」

 主人の二度目の問に更に大きく首を傾けた。

 「やっちまった……宿に財布を置いてきちまったみたいだ」

 会計レジの前で、薫はスカートのポケットをまさぐりながら蒼白な顔でつぶやいた。ヘンな汗が薫の頬を大量に流れる。

 「あの~、このまま会計を続けてもよろしいでしょうか?」

 五十代の男性店員が気まずそうな口調で訊ねる。

 ピクッ、と小さな肩をはね上げた薫は――

 「あ、あはは……ま、待ってくれ。すぐに取りに帰って……って、それだとサッサと帰った方が賢明だよなぁ」

 じゃあ、いいや。と、会計を諦めた薫がふと外に目をやると、自動ドア付近で祢々切丸を担いだ百鬼丸が、なにかを察したのだろう。二メートル近い御刀を地面に置き、店内に颯爽と入ってきた。

 「お金がないのか?」

 「ああ、宿に忘れてきちまった……」

 「なるほど、な」

 頷く百鬼丸は徐に、足元へと手を伸ばし……靴下の中に手を突っ込んだ。

 「おしっ、これで頼みます」

 百鬼丸はグシャグシャの一万円札をレジに置いた。

 

 「ま、まいど……」

 男性定員は引きつった笑顔で返事をする。彼は、まるで汚物でも摘むように人差し指と親指で一万円を摘み、レジスターの中へとブチこむ。足の悪臭が周囲に充満した。

 

 「ウッ」と、思わず薫も吐き気をもよおした。

 

 「お前、一体なにしたらこんな臭くなるんだよ? つーか、金を靴下の中に入れるな!」

 フツフツと激しい怒りが沸き起こる。

 

 しかし、薫の怒りにピンとこない百鬼丸は「ふうむ?」と言いながら怪訝な様子だった。

 

 (コイツには常識ってもんがないのか……)

 はぁ、と嘆息しながら薫は「まぁ、いい。助かった。ありがとよ。あとで返す」と付け加えた。……鼻を摘みながら。

 

 「いいや、別にいいぞ。それより腹減ったなー」

 能天気に百鬼丸はヘラヘラと笑う。笑いながら、店員からお釣りを受け取り、再び靴下の中へと貨幣紙幣関係なくブチこんでゆく。

 

 「おい!? だからお前ってヤツはだな……はぁ~まぁいいや」

 急にバカバカしくなって怒鳴りを止めた。

 四か月前、最後に別れた百鬼丸の格好良い後ろ姿とこの目前の能天気な少年が、薫の中では同一視できずにいた。

 

 ◇

 「おい、百鬼丸、中華まん食うか?」

 熱い湯気を冷たく乾いた空気に舞い上がらせながら、薫が百鬼丸に訊ねる。

 二人は、店舗のすぐ前に設置された赤色のベンチに腰掛けている。既に夜と言って良い時刻、カラスの遠い鳴き声だけが周囲の山々に木霊する。吹き付ける風も寒く、指先が悴んでしまう。

 「ほれ、食えよ」

 半分に割った中華まんからは、ニンニクと挽肉のいい塩梅の香りが空腹の鼻腔に流れこむ。ぐぅ~、と腹の虫が鳴った百鬼丸は「おう、サンキュー」と答えた。

 

 そして、薫が差し出した方とは逆の手に持った中華まんを手にとって素早く口にした。

 「お、おい! なんでそっちの方を取るんだよ!」

 驚き思わず薫は強い口調でいった。

 

 「うぬ? コッチの方が小さかったからな。どーせ、薫のことだからな。小さい方をねねと半分にして食うつもりだったんだろ? 遠慮せず大きい方くえ。チビだからな、たくさん食えよ。薫に似合わず、気を遣うなんてな。がははは……」

 下品な笑い方で破顔する百鬼丸。

 

 「~~~~っ、い、意味がわからん」薫は咄嗟に俯いて表情を隠した。

 事実を衝かれた衝撃と、図らずも無意識の気遣いを悟られ言語化された恥ずかしさで、死にそうなほど顔面の温度が上がった。

 

 「さっすが~~薫ちゃんは優しいなぁ~~」

 今度はふざけた調子で百鬼丸は薫の頬を人差し指で突いた。

 

 「~~~~~~うっっっせぇ、馬鹿野郎っ!」

 キッ、と釣り上げた目で、百鬼丸の脚を蹴り飛ばす。

 

 「アデッ、イタタ……そこは生足の脛だ! 本当に痛いんだぞ!」

 

 「うるせぇ、天罰だ天罰!」

 中華まんを齧りながら、薫は羞恥心を誤魔化すように乱暴に百鬼丸の脚を蹴った。

 

 「ねね~!!」

 主人が食べ物を一人独占していることにたいして、ねねは抗議の声を上げている。

 

 ◇

 

 「ほぉーー、ここが宿か!」

 百鬼丸は八畳程の旅館の部屋を眺めた。畳の上にはちゃぶ台と、テレビ。襖の向こうはベランダになっている。

 ここは、薫の宿泊用である一室であった。

 「いいとこに寝泊りしてるな。一人でも十分だぞ」

 「まぁ、部屋の大きさからみても十分だな。――おい、それより、さっきのフロントでのお前は何なんだ!」

 「ふうむ? どういう意味だ?」

 「ええい、言葉通りだ。なんでフロントでオレの宿泊する部屋に泊まるとか言い出したんだ。あまつさえ、『刀使の妹と一緒の部屋に泊まります』とかほざきやがって……」悔しそうに薫が歯ぎしりする。

 

 「ああ、それか。刀使の関係者――つまり、家族とか兄弟だと無料で泊めてくれる旅館だったみたいでな」

 

 「あのなぁ、あのおばさん……じゃなくて、紗南にいえば一発でお前も別の部屋に泊めてもらえたんだぞ」

 

 「なに!? そうなのか?」

 

 「ああ、そうだ」

 憮然とした調子で腕を組む薫。不服な様子だった。

 

 「なんで怒ってんだ?」

 

 「オレはお前より年上だ! んで妹なんだよ!」

 

 「そこかよ!!」

 百鬼丸はツッコミを入れた。まさかどうでもいい部分にこだわるとは思っても見なかったのだ。

 

 「んじゃあ、これから『薫おねーちゃん♪』とか呼べばいいのか?」

 気色悪い男の声で言った。

 

 「死ね。お前は今すぐしね」

 

 「おいおい、そいつはひどいだろうがよぉ……ん、なんだこれ?」

 百鬼丸はふと、足元に踏んづけている何かを感じて、下に手を伸ばして拾い上げる。

 

 「ほほぅ……これは布切れですなぁ……そんでこの質感……匂い、ははん。これはパンツだな。しかも使用済みの匂いだ」

 百鬼丸の手の中には、薫の履いていたであろう白いパンツが握られていた。

 

 しかもよく見ると、旅行用トランクケースからは、衣類や私物があふれており、部屋はやや雑然とした様相を呈していた。察するに、朝から晩までの仕事で片付けをする気力がなかったのだろう。

 

 「ほれ、返しとくぜ」

 百鬼丸は男前に微笑み、薫にパンツを差し出す。

 

 俯く薫。

 

 「おい、どーした?」

 

 

 プルプルと小刻みに震えている。

 

 「おい大丈夫かよ?」

 

 「―――――うっせーーー、死ね、アホバカ変態野郎がーーーッ!!」

 薫渾身のアッパーが火を噴いた。素早い閃光に似た右腕が見事に百鬼丸の顎に直撃して、脳みそをグラグラに揺らす。

 

 「ぐへぇええええええ」

 ひどい断末魔を上げて百鬼丸の体は宙を舞った。

 

 百鬼丸はしばらく、薫にマウントをとられて馬乗りでボコボコに殴られていた。

 

 


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