刀使ト修羅   作:ひのきの棒

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第72話

 

 

 

午前二時三〇分。

……K市、湾岸沿い。

 無数の巨大倉庫が林立する港では巨大クレーンが肩を並べ、コンテナが積み木のように点在して積み上がっていた。西日本でも有数の規模を誇るこの港でも、密輸や密航が跡を絶たない。――そればかりか、反社会的勢力が「クスリ」などの売買を公然と行う有様だった。無論、これは社会でも公然の秘密であり、特別な光景ではない。

 

 

 F倉庫、と白い剥げたペンキで記されたゲート。

 そのシャッターの一角が半開きになっていた。中から、薄い光が漏れている。

 「なぁ、アニキ。これでクスリの売上も昨年より順調に推移していますねぇ」

 禿頭の若い男が、欠けた歯をチラつかせながら、下卑たわらいを浮かべる。

 ――チラッ、と横目で一瞥した男は深く嘆息した。

 「……まぁ、そりゃあいい。ウチにも利益が出るなら、外人だろうと素人だろうと参加させる。だが、コッチの不利益になるならば容赦なく殺す。それだけだ」

 くすんだ金の長い髪をかきあげながら、ジッポライターの蓋を開閉する。銀色に光るジッポに、一瞬、影が過ぎった。

 

 ……が。持ち主の男を含め、数十人はそのことに対して全く気づいていない。

 「しかし、世間ではやれ『荒魂』だのなんだの、ってもちきりですがねぇ」

 禿頭の男はタブレットの画面でニュースサイトの記事を流しみ読みをしながら、感想を述べる。ごく常識的な意見だった。

 「ハッ、だろうな。だが、まさか刀使さんも――人の敵が化物じゃなく人間だなんて思わないだろうな。人の敵はあくまで人。それは古今東西変わらぬ原則だ」

 ジッポを開き、着火した弱々しい火を見つめながら、金髪の男は口を歪める。左手首の高級時計が時を刻む。

 

 コツ、コツ、コツ。

 

 一定の間隔で靴音が無機質に鳴る。

 

 「だ、誰だッ!!」

 唐突な来訪者の気配に、大の男たちが狼狽えた。

 

 「おいィ、外の見張りは何やってんだッ!!」金髪の男が腰を浮かせ、唾を飛ばしながら怒鳴る。

 銃火器を持った専用の見張りを一体どうやって突破したのだろうか……?

 拭えぬ疑念を無理やりに頭を振って追い出し、周囲の男たちに臨戦態勢をとらせる。

 

 

 『ここで実験か……まァ、いいだろう』

 低く篭った声が倉庫内に反響する。

 

 「て、テメェ何者だ!」

 金髪の男はスーツのジャケット内から、拳銃を慌てて取り出す。

 

 男たちの視線が、声の方向に集中する。

 

 

 ――男は誠に異形の風体をしていた。

 

 

 先程までポーカーに興じていた筈のドラム缶の上に、一個の冷たい影が蟠っていた。夜を連想させる黒い装束に、首に巻かれた赤い布がシャッターから漏れ込む外気にはためく。目元を覆う白い布には、鋭い三白眼が覗いている。

 

 〝恐怖〟―――。

 

 その場の全員をたった一つの単語が全員の思考を支配した。

 

 「う、撃てェ!!」

 上擦った声で、金髪の男が命じた。

 

 火箭が一斉に噴出した。ヴァン、ヴァン、と銃弾が螺旋軌道を描き、不埒な侵入者に殺到する。

 

 無数に交錯する銃弾の軌道たち。……しかし、どれ一つとして「影」を捉えることはない。およそ人間業ではない。

 

 「う、うそだろォ……」

 禿頭の男が掠れた声で呟く。

 ゾワリ、と背筋に悪寒がはしる。胃の腑が優しく冷たい死手に撫でられた気がした。その後は一心不乱に照準も顧みず発砲を続けた。それが唯一の安定剤であったから……

 

 

 『どうした……? もう、終わりか?』

 低く囁く声が、倉庫内部一杯に反響した。

 

 「ど、どこだ! どこにいやがる!!」

 

 「ツラ出せ、オラァ!」

 

 「死にさらせ、クソ野郎!!」

 

 男たちの視線は周囲を異常に注意深く彷徨った。最早、疑心暗鬼ともいえる程に狂気に駆り立てられていた。

 

 『そろそろ終わりだ――薄汚れた、思想なき〝悪〟たち。粛清だッ』

 それが、その影の最後の言葉だった。

 

 ……否、正確には「その言葉を聞いた男たちの」と付け加えるべきであろう。

 

 「はぁ……? へへへ、アニキ。イカレ野郎なんざ……」

 と、禿頭の男が首を回そうとして――顔半分が切り裂かれた。ちょうど、鼻の下辺りから刃が通り、見事な輪切りで顎と頭蓋骨が切断された。

 

 悲鳴を上げる暇すらなく、男の胴体は膝から崩れ落ち、地面に深紅の絨毯を拡げた。

 

 「う、うぉあああああああああああああ!!」

 誰かが錯乱した。

 

 見境なく拳銃の引き金をひき、恐怖を追い払う。

 

 「ヤメロ、馬鹿!!」

 仲間の躰に穴を開けるのにも頓着せず、ひたすら無軌道な発砲を行う。

 ――ギャッ、

 

 という短い悲鳴が聞こえた。錯乱した銃弾に耳を吹き飛ばされたようだった。

 

 

 カチッ、カチッ、と引き金から空っぽの金属のかち合う音がした。

 

 「へぇ……?」

 呆気にとられた顔で錯乱男は、拳銃を眺める。

 

 『キサマには覚悟がない、粛清だ』

 冷淡に耳元に囁きが聞こえる。

 

 ――直後、その男は肉体をバラバラの細切れにされた。キューブ状の肉塊だけがポロポロと床面に散らばった。一拍置いてから、空中に鮮血がホースで撒いたように、周囲に血煙を飛ばす。

 

 

 

 「な、なにがおこっているんだ……?」

 くすんだ金髪の男は無意識に首を左右に振り、姿なき殺戮者にただただ怯えた。

 

 と、ピタリ。殺戮の音が止んだ。

 

 

 ゴクリ、と生唾を呑む金髪男は、眼下に晒された骸の山に意識が向く。皆、みごとな札断面で斬り殺されている。人体が、まるで玩具のようにバラバラに四散した。

 

 知らず知らず、指先に震えが伝う。

 

 「だ、誰か……助けてくれェ」

 喉を絞り、助命を嘆願する。

 

 『お前は今まで、そう言って助けたことがあるのか?』

 影はいう。

 まるで、心中を見透かすように、そう問うた。

 確かに、この影の言うとおり、金髪の男はこれまで一切の躊躇をせず、人を殺してきた。想像を絶する拷問にかけ、女子供問わず殺した。

 

 ――その報い、だとでもいうのだろうか?

 

 金髪の男の脳裏に「死」という文字が過ぎった。

 

 「わ、悪かった……だが、なぁ? 俺はただ上から命令されてただけなんだ? わかるだろ? 俺は悪くない。そうだ、本当に悪いのは上の人間だ! 俺たち下っ端をいい気で遣う連中こそが――」

 

 と、言いかけた所で、男は足に蟻走感がした。目線を落とすと、赤黒い《蝶》のような物体が男の脛辺りまで巻き付き、太腿まで差し掛かっていた。

 

 「な、なんだこれは……なぁ!!」

 怒鳴る。しかし、反応はない。

 

 『思想なく、また自らも報いを受けることを厭う愚者。お前は、粛清だ』

 無機質に、事務的に告げる。

 

 その発言を最後に、赤黒い蝶たちは男を一気に呑み込んだ。蠢く、蝶たちの羽には細長い瞳孔が動いており、人型になった蝶たちの間から「助けてくれェ……ぎゃああああああ」という悲鳴が漏れた。

 

 そして、《蝶》が去った。

 

 残されたのは、白骨化した物質だけである。繊細な人体模型の如き骨は、重力に誘われ、脆く崩れ落ちる。

 

 

 ◇

 「……終わりましたか?」

 少女の無感情な声がする。

 

 鋭い三白眼が、横目でチラリ、とその方向を窺う。

 

 「ああ、終わった」

 ステインはそう言いながら、自らの右腕に集まり始めた《蝶》たちに一瞥をくれる。

 

 ……ステインの新たな力、《吸血蝶》

 

 夜見の血を吸うことにより、自らの脊椎を中心に、五つの花弁に似た形状の暗黒羽が現れる。それは一つ一つが無数の《蝶》の荒魂により形成されており、その五つの花弁から自由自在に吸血の蝶が放たれる。

 

 敵の血を吸い、生命を奪う。

 

 ステインの個性、「凝結」と、夜見の「荒魂」が完全な融合を果たした結果、生まれた禍々しい攻撃方法であった。

 

 

 「これで、私も貴方の〝共犯者〟という訳ですね」夜見は、光のない瞳でステインをみる。

 

 ステインはそれに答えず、「まだ、完全ではないな」と右手を開閉した。

 

 

 (私は、あの方の為に力になれるのなら――)

 夜見は未だ痺れる躰を無理やり動かし、歩き出す。

 

 ステインの能力の性質上、血を舐められた者は動くことができない。――しかし、夜見の場合は少々事情が異なる。彼女本来の血液に加え、荒魂の成分が多分に含まれているために、純粋な血という訳ではない。

 

 従って、夜見はステインの個性の効果を半分だけ受けるだけでよかった。

 

 「夜見、お前にはこちら側の人間じゃない」

 珍しくステインが、夜見に対し明確な意見をした。

 

 「…………。」

 両者の視線は交錯した。

 

 「なぜ、ですか?」

 長い沈黙の後、夜見が尋ねた。

 

 《吸血蝶》を霧散させたステインは、夜見に背中を向ける。一切の表情が窺えない。

 

 「お前にはまだ〝戻る〟選択もできるからだ」

 

 このステインという男の真意が全く解らない、と夜見は思った。全くの無愛想であり、かつ残忍。しかも思想的には一種のカリスマ性すら持ち合わせているのだ。

 

 「いいえ。あの夜、貴方と契約した時から私には選択などありえません」

 言い切る。

 

 事実、夜見には一切の逡巡や迷いがない。

 

 ――そうか。

 

 と、ステインは言い残して酷い有様の倉庫をあとにする。夜見もそれに続き、踵を返した。

 

 深紅の絨毯はゆっくりと、生暖かく広がってゆき、やがて金臭い匂いから内蔵の腐臭が漂い始めた。

 

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