研究病棟を出て午後十一時近く。
黒塗りのワンボックスカーが、路肩に幅寄せしていた。
「やあ、百鬼丸!」
運転席から手をぶらぶらと振って声をかけた。田村明は、メビウスを口端に銜えながら目を細めていた。
車道の両脇に等間隔で並んだ街灯の白い光が、夜気に震えていた。
百鬼丸は「はい、はい」と適当に頷きながら返事をする。
駅近くの周辺では、最終の帰宅ラッシュが始まっていた。酒臭い連中や、随分眠そうな男たちが、駅の口に吸い込まれていく。
それを横目で眺めながら、助手席のドアを開き百鬼丸は肩をすくめる。
「――まったく、なんの因果かね」
まるで悪友にでも会ったような口ぶりだった。それに思わず、明が苦笑いを浮かべながら首を小さく振る。
「お久しぶり」
◇
夜の車道は車の数も疎らになり、随分と走行しやすい。
車内では、洋楽が流れている。
百鬼丸は車窓に顔を向けながら、頬杖をついている。
「もう、あれから、五ヶ月になったのかな」
明がハンドルを握りながら、尋ねた。
「ええ、まぁ。もうそんなになりますかね」無感情に百鬼丸は呟く。
「そういえば、君にお礼がしたかったんだ」
「へぇ?」
「この右腕だよ。あのステインっていう男に切断されたときはどうなるかと思ったが、君の義手のおかげで生き延びれたし、なにより今もこうして義手で不自由なく生活できてる。殆ど生の腕と遜色ないくらいに、な」
「そうですか……でもおれは何もしてませんけどね」
「そう言うなって。せっかく生き残れた者同士、仲良くしていこうぜ」
はあ、と嘆息した百鬼丸はダッシュボードを勝手に開き、小さな四角を手に握っていた。
「これ一本もらいますよ」
言いながら、一本抜き出して百円ライターで火を点ける。直後に紫煙が燻り、車内に煙幕が蟠った。
「おいおい、君はまだ未成年だろ?」
「それは人間だったら、の話ですよ。おれは人間じゃない――それに、こんなクソみたいな世界は酒とタバコがなけりゃあ、マトモにやってけない。でしょ?」
皮肉がかった調子で、百鬼丸はいう。
「まったく、達観しているんだかグレているんだかわからんな、君は」
窘めようとしたが、彼の存在を思うと、この国はおろかこの世界常識では測れない存在だと思い至った。結局口を噤んで明は短くなった煙草を、灰皿に押し潰した。
「しかし、真理といえば真理だな」
「でしょう?」
「ただ、忠告だ。ソイツらは溺れるまでやると抜け出せなくなるぞ。いいか、これは人生の先輩としての忠告だからな?」
「ええ、わかってますよ。ただもっとはやく教えてくれないと。酒と賭博っていう奴とつるむようになってから、その味を覚えたもんでね。二度と忘れることはできないですけどね」百鬼丸は、揶揄うような言葉で皮肉った。
「ふっ、その年で? 勘弁してくれよ……」
これじゃ近所の不良と大差ないな、と明は思った。
◇
中華飯店、もといラーメン屋の駐車場に停めた。
扉を開き、中に入ると店内は油でベットリ汚れた床や壁が薄く黄ばんでいた。靴底を歩かせる度に粘ついた音をたてる。
「ここは量が多いんだ」
まるで店内の汚さを弁解するように、明は苦笑いしてカウンター席に座った。
「はぁ……」曖昧に頷きながら、百鬼丸は別段気にした風もなく彼の隣に腰掛ける。
店内を改めて見回すと、夜遅い時間にも関わらず五六人は居た。壁隅にはテレビモニーターがあり、夜のニュース番組が放映されていた。
「――なあ百鬼丸くん。改めて君にお礼が言いたい」
カウンターテーブルに置かれた魔法瓶から、渋茶をコップに注ぎながら明は言った。遠い出来事を懐かしむ口調で、彼は確かに言った。
「いえ、あのときのことは……」
「謙遜するなよ。……ただ、オレは後悔してるんだ。あの時、部下を死なせたことを……出来ることなら、奴らを救う手立てがあれば――そう今でも思うんだ」
明は硬い表情でコップを差し出す。
どうも、と百鬼丸は小さく会釈しながら受け取り冷たい茶を啜る。一気に舌へ苦味が広がった。
「あの時のオレはどうしようもなかったんだ……そう自分に言い聞かせてきた。だけどダメだな。やっぱり思い出しちまう。歳を重ねるってことは後悔も一緒に重ねるってことだって――婆さんが昔言ってたけど、アレは本当だな」へへへっ、と肩で笑いながら明もコップに口をつける。
「…………。」
この数ヶ月を彼は、後悔と煩悶で過ごしてきたのだろう。それは百鬼丸にも痛いほど理解できた。
――そして、こういう時はただ黙って、似たような境遇の奴に話したいものだということも。
「ああ、スマン。せっかく会ったっていうのに暗い話になって悪かった。今日はオレの奢りだから好きなのを喰えよ」
大きな掌でバシバシと百鬼丸の背中を叩く。空気を無意識に重くしてしまったことを反省したようだった。
「いてっ……あははは……」
愛想笑いしながら、百鬼丸は危うくお茶を吹き出しそうになった。
「明さんのおすすめは?」
「うん? オレのか……この大盛りセットだな。餃子に炒飯、そしてチャーシュー麺が大盛りのセットなんだ。いつも訓練終わりに部下や同僚と食いにくるんだ」
「へぇ。じゃあ、おれはそれで……」
「そっか。よし」
すいませーん、と大声で叫ぶ。厨房の奥で腕組みをして立ちながら眠りかけた中年の男が目をあげて、頷いた。
……どうやら、明に注文をとる前に理解したようだった。
厨房の男は、中華鍋に火をかけて、具材を適当に放り込む。ざあああああ、という雨にも似た音で具材が炒められてゆく。焼けるこおばしい香りが、空腹を刺激した。
「顔なじみなんですか?」
「そうだな。高校卒業してだから……もう十何年も通っているかな」
それから、しばらく沈黙がふたりの間を漂った。どちらが先に口を開くか……様子を窺っているようだった。
「今日、おれを呼んだのは……世間話程度じゃないですよね?」
百鬼丸が先に疑問を衝いた。
「…………実は、まぁそうだ。オレたち特殊班は――ああ、オレは先週から特殊班ってトコに配属されたんだ。今の君になら話してもいいだろう。それに、隠す話じゃないからな。それで――〝タギツヒメ〟ってのを知っているか?」
明は探りをいれるような調子で百鬼丸の横顔を一瞥する。
「ええ、知ってますとも。それが?」
「なら話が早い。これ以上詳しくは言えないが、まあソイツら関連だ。護衛対象に衛藤可奈美、十条姫和もリスト入りしてるから知り合いのお前にも一応色々聞こうと思ってな」
「スリーサイズですか? それなら知りませんよ」
ふっ、と肩をすくめて明は笑う。
「違う、いやまあ……ああいう美少女は同年代の男にはその気があっても、オレはおっさんだからああいう小娘には興味がないんだ。ロリコンじゃないからな」
「ロリコン? なんです、それは?」
「まあ要するに変態だな」
「おれですか?」
「…………君は変態の自覚があるのか」
「ええ、多少嗜んでおります」
真面目くさった眼差しで明を見返す。
「「………………ぷっ、あはははははははは」」
同時にふたりは笑いだした。とても懐かしい気分になった。彼とは、あの一件以来、顔も合わせて居なかったが、どうやら気心の知れた仲間のように思われた。
「それで、百鬼丸……でいいか?」
「ええ」
「誰かに惚れてたりするのか? 刀使はどういうわけか美少女が揃っているから、猿みたいな性欲の年代だと、キツイだろイロイロ」茶化すように明が肘で小突く。
「どーですかね。その辺りのことは自分でもよくわかりませんね。ただ……」
「ただ……?」
「おれは、多分人並みの生き方とか……そういうのとは無縁なんです。それに彼女たちも刀使という役割がほんのひと時のことであることも理解している筈です。彼女たちとおれが関われるのは、ほんの一瞬の時だけです。――間違っても、それ以後の人生に関わるべきじゃないと、おれは思ってます」
「…………そうだな」
明はコップを一口、喉を潤す。
「オレもこんな仕事だからな……いつ死んでもおかしくない。同級生なんざ、アレだ。所帯持ちばかりだが、オレは気楽だぜ? 独身貴族さ……。この仕事をするからには、誓約書を交わす。いつ死んでもおかしくないからな。マトモに女もつくれない。だけど、それはオレが選んだ道だからな……」
コップの氷が涼やかな音をたてる。
「お待ちどう様」
嗄れた男の声がした。
百鬼丸が顔を上げると、大盛り丼のラーメンがカウンターテーブルに置かれていた。更に餃子、炒飯がある。いい匂いだ、と素直に百鬼丸は思った。
「さあ、食うぞ」
腕まくりしながら、明はブラックペッパーの缶を手に取る。
「明くん、サービスだ」
冷えたビール瓶が置かれた。
明は中年の男を一瞥すると、困ったように笑って、
「オレは今日車なんで――」
「ああ、そうかい」
ビール瓶を引っ込めようとする中年男の腕を、百鬼丸がガシッ、と掴む。
「じゃあ、おれが頂きます」
「ったく、不良少年には出す酒はない」中年男は、そう言いながら腕を振り払い厨房の奥へと消えた。
「ああああああああああ、久々の酒だったのに、酒なのに……なぜだああああ」
軽い絶叫をしながら、百鬼丸は頭を抱える。
「おいおい、ダメに決まってるだろうが。……ったく」
横目で百鬼丸を覗いながら、首を振る。どこか弟でも見ているようだった。
仕方なく、割り箸を割った百鬼丸はポン酢を小皿に溜めて、餃子を浸す。
百鬼丸は一旦箸を置くと、
「「頂きます」」
ふたりは揃って、手を合わせる。
アツアツの餃子を口に運ぶと、餡が肉汁を垂れ流す。咀嚼するごとに、ニンニクのたっぷりと効いた餃子に、感服する。
「ラーメンも喰え、喰え」
明が急かすように、百鬼丸にいう。
大判のようなチャーシューを口いっぱいに頬張る。豚肉が、まるで角煮のように味付けされており、その下に隠れていた黄金色の麺たちを割り箸で迎えにゆく。
ずずずず、と啜る。
醤油ベースなのに、コクと深みがある。
丼を両手に持ち、スープを啜る。喉に熱い潤いがきた。しょっぱい味付けは、労働者向きのものだった。
「明さん、滅茶苦茶ウマイ」思わず、百鬼丸は呟いた。
だろ、とでも言いたげに、明も麺を啜りながら笑いかける。
百鬼丸は続いて、炒飯に手を付ける。専用匙があるにも関わらず、百鬼丸は持ち変える手間を惜しんで、割り箸のまま炒飯をかき込む。ホロホロと、いい具合に炒められたコメたちは、口の中で解けてゆく。卵と、薬味ネギが絡む。
舌が満足する。
「明さん、本当にウマイ」
親指を立てながら、百鬼丸は満足げに鼻を鳴らす。
「――だってさ、おじさん」
厨房へと明が視線を送ると、新聞を開いていた中年男が「へっ」と照れるように首を振る。
「まあ、たっぷりあるから喰えよ。――しかし、懐かしいな」
「……?」
口いっぱいにモノを頬張りながら、百鬼丸は明を窺う。
「前にきた時は、佐倉も――二口も連れてきたんだ。まだ若くて、高卒から二年目だったかな? ああ、スマン。不吉かもしれんが……」
「――いいえ、全然。関係ないです。そんなクソみたいな不吉とか縁起が悪いっていうのはおれ大好物ですから。この世の中に絶対って言葉がないみたいに、不吉も縁起悪いものもコッチに背負えば、向かうところ敵なしでしょ?」
呆気にとられた明は目を瞠ったが、
「くくくっ、そうかもな……。ただ、まだいがぐり頭のあいつらを、年長のオレが守ってやれなかった……佐倉も二口も、すまないことをした……」
指先を震わせながら、明はスープを啜る。
「ああ、ウマイ。もう一度、あいつらも連れてきたかったなぁ……」
深く俯きながら、明は手で目元を覆った。
「…………明さん、それ以上しょっぱくしても、ここのラーメンの味。変わらないですね」百鬼丸は、穏やかな口調で、明の肩を叩く。
「ああ、本当だ……」
本当にウマイ。
明は、何度も内心でそう繰り返した。
コンセプトワークスくん届いたぜ、ワーイワーイ!!
これは信者力を試されているのかな?(すっとぼけ)